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No.3025 女子高生コンクリート詰め殺人のその後

2018.08.29

 この号、少々重いテーマを取り上げた。まさにいろいろなご意見があろうかと思いつつ書き留めてみたが、本意は司法の在り方に対する問題提起とご理解いただきたい。
 事件の詳細まではともかく「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を覚えておいでかと思う。
 1988年11月三郷市で拉致、足立区で40日間に及ぶ監禁輪姦暴行、翌年1月に江東区でドラム缶にコンクリート詰めの状態で遺棄された悲惨な女子高校生の最後に涙した国民が多かった事件である。この事件は、4人の被告人すべてが15歳から18歳の少年だったが、筆舌に尽くし難い40日間に及ぶ残忍な鬼畜行為に少年法の在り方が問われ、また、週刊文春が実名報道をしたことへの是非ををめぐって世論がざわめいた事件でもあった。
 実は、あまり語られていないが、このうちの一人(少年Aとする)は出所後の2004年に監禁暴行事件の罪で懲役4年の実刑を受けている。彼は凄惨を極めた事件の判決による収監での出所後、反社会勢力に身を置いていた状況で先の事件を引き起こした。注目すべきは、この再犯時に自らが女子高生殺人事件の犯人だと名乗り被害者を脅していたことである。相手の恐怖心を煽る材料にかの事件を持ち出していたのである。反省の心など持ち合わせていないと感じさせられる話である。
 そして・・・忌まわしい事件から30年経った今月19日に2件目の再犯事件が発生した。川口市内の駐車場での揉め事がきっかけで相手の首を刺した元少年Bによる殺人未遂事件。すでに46歳になっている被疑者の30年間の私生活がどうだったかは分からないが、刃物を保持していた事実と、女子高校生被害者の遺族補償への対応に自宅を売却した両親の想い、さらには更生に努めた保護観察官の存在をないがしろにする行為等々深く考えさせられるものがある。なにより命の尊厳に対する精神構造が根底から変わっていないことを示している。

 近年、少年法の在り方や少年が犯した罪に対する報道の在り方、さらには死刑に対する賛否入り乱れた議論があるのは承知している。とくに死刑については世界的テーマでもあり、廃止、復活の歴史を繰り返すフィリピンでは、今年になってドゥテルテ大統領が復活法案を提出し、議会は賛成多数の現状にある。死刑存廃と少年法はもとより、安楽死など広く永遠のテーマとして問われるものは少なくないが、ことに、オウム事件の場合もそうであったように、凶悪犯罪における被害者遺族の想いに寄り添うことを大前提にするならば、死刑の存続と少年法のより厳格な法改正はあってしかるべきと考える。もちろん、少年にまで死刑を適用することに同意するものではない。
 いつ何時、我が身内が悲惨な被害者になるやもしれぬと考えると、犯人の年齢を問わず実際の事件の遺族の立場に思いを寄せるのは普通の人情である。殺傷事件や性犯罪は再犯の可能性が多いというのは定説に近い。犯罪の種類や中味内容といった度合いを再犯の可能性に結び付けた裁きがなされないと、30年経過しても次なる被害者が生まれることを今回の事件は立証している。

 イギリスで1993年に同国史上最も凶悪な少年犯罪と言われる事件が発生した。2歳の男子を連れ出し、鉄棒やレンガで殴り殺した上、事故死にみせかけようとして線路上に置いたというものである。二人の少年によるこの事件がイギリス社会を震撼させた最大の理由は、年齢がともに10歳だったということにある。
 無期懲役という裁定も、少年ということが考慮されて8年後に釈放となるが、釈放にあたり、改名させていたり、メディアによる報道の緘口令を求めるなど、彼らの過去を隠蔽することに神経をめぐらした法制の在り方が問われることとなった。なぜなら、二人とも薬物、万引き、ポルノといった犯罪に手を染めて再収監されている。つまり、残忍な初犯事件の悪夢の繰り返しが思い起こされることとなり、基本的に別名で人生をやり直すことは、当人への社会的制裁という観点において甘すぎる結果となったという見方がイギリスメディアに広がったのである。
 命の尊厳は被害者のみならず犯罪者にもあるのはわかるが、罪に対する代償はどこまで、どういった形で求められるものか・・・。たしかに難しい。
 このテーマを取り上げた小生の考えとしては、死刑賛成とか死刑推進という極論ではないが死刑の存続はやむを得ないと考えるののであり、少年法の改定を早急にすべきと思っている。
 若干、話は広がるが今の社会は、過敏過剰なほどに特定部分を見つめる方向にあり、それは息苦しいほどである。たとえば、ストーカー、パワハラ、セクハラ、電車内痴漢という犯罪の類いは、その実態を検証する前の段階で当事者の名が出るなどし、ある職業などでは抹殺に近い形で瞬時に手厳しい世論が待ち受ける。人として最も低俗な犯罪の種類ゆえ致し方ない面は認めるが、訴える側が無条件に真実であるとするならば、そこに問題はないのだろうか。人権に配慮することで人権を損なっていることはないのだろうか。私の知人に、混雑時の電車利用時には両手を胸にあてるか、つり革を掴むようにしているという人がいる。ある意味、怖くて面倒な世の中になったものだと言う。
 また別の部分では1億総幼稚化と言われるほど心の貧しさが問われる状況にあり、昔ながらの日本人気質の良さが失われつつある。

 
 すでに先月のことになるが、オウム真理教サリン事件にかかわる死刑執行があった。上川法相の判断に対しいろいろな角度からの評論があったが、宗教・思想という観点とは別に、事件の重大性と被害者遺族の心に寄り添う心情が普通であると理解された部分が多かったように思う。だからこそ、死刑廃止論が根強くあるのは重々承知しているものの、今回、この論議は短期間で終息しているように感じる。
 コンクリート事件から30年後に殺人未遂事件という重罪を再発したことに社会がどう応じるべきか悩みつつこの重いテーマを考察した。

No.3024 太陽を騙した行政

2018.08.24

 一昨日22日の晩、ドラマを観て久しぶりに涙が出た。「太陽を愛したひと」1964パラリンピック伝説医師の感動秘話というタイトルのドラマ。前宣伝をかなりしていたこともあって、ご覧になられた方も多かったことと思うが、実話に基づくこうした秘話は感動と共に説得力を持っているということを再認識した。障害者福祉にひたむきに尽くした人中村裕医師は数々の難局を乗り越えて東京五輪の前に7日間のパラリンピック開催を実現する。中でも、障害者自身の抵抗と家族の反対は心がくじけるほどだったと思うが、どんな場合にも、事を生む際には反対の壁に突き当たるものなんだなあと我ながら実感した。
「うちの子は見世物ではありません!」と、ビラ配りまでして訴える母親の言葉に、当時は押しつぶされそうになるくらいの切迫感を感じたはずだが中村医師は果敢に立ち向かった。かくいう小生も地域の先行きを考えて何かを!と思ってはみたものの、予想だにしないビラ配りなどの反対行動に遭遇した。結果、その気力を継続するにも期限が限られた状況では、事を控えざるを得ないことを今まさに体験している。しかし、その方向性には間違いはなかったと行動は別にして信念は持ち続けている。
 今でこそ、障害者スポーツは市民権を得て、企業広告にも彼らの頑張る姿が起用されるほどになっている。中村医師の「失ったものを数えるな!」という言葉は耳に残る印象深い名言であり、50代の若さで肝炎で亡くなった中村医師は、間違いなく社会を変えた偉人に違いない。
 信念とか尽くす行為とはこういう人のことを言うのだろう。

 ところで、残念かつ非常に腹立たしいことがある。この番組が載る22日新聞の最終面をめくり社会面に目を向けると、そこには地方行政による障害者雇用の水増しニュースなのだ。前日にも栃木県のことがあったが、この日は埼玉、長崎、佐賀、静岡、島根と松山市の5県1市が報道されていた。中でも、埼玉では教育委員会が教員として採用している492人に障害者手帳などの確認作業が必要だとされている。これでは国はもちろん、47都道府県1720余市町村の再調査をするべきだと思わざるを得ない。地方を指導する国でも文科省や経産省などの不正が相次ぐ状況だ。昨今、強く思うのだが日本全体に倫理観や道徳精神が希薄化していると感じるのは過ぎた考えだろうか。
 即刻、国会に特別委員会等を置き、こうした不正の防止法なども含めて検討議論をすべきであろう。まったく障害者を愚弄する話であり、福祉の実態に不正の疑惑がついて回る世の中では何をか言わんやである。それこそ太陽を騙した行政に他ならない。
 中村医師が草葉の陰で泣いている、いや憤怒していることだろう。

No.3023 熱かった甲子園、ありがとう!!

2018.08.22

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 炎暑灼熱のグランドで5日から繰り広げられた全国高校野球選手権大会。選手審判に大過なく無事17日間、数々の精魂ドラマを描いて完結した。
 昨日のブログには多くのご意見をいただきありがとうございました。概ね、ご賛同いただけたようですが、時代の変遷とともに変わりゆく部分もある程度認めざるを得ないのではないでしょうかというご意見に深く考えさえられました。
 さて、決勝戦・・・ただただ満腹の感動をもらったことと、今後の成長を楽しみにさせてくれたことに感謝と期待あるのみ。強いて言うなら、休養日に宛てられた準決勝戦前日までの3日間はとても過ごしやすい陽気だったが、準決勝戦と昨日の決勝戦は35度を超える炎暑に戻った。ここに、吉田君一人にマウンドを託す金足農業と、誰が1番を背番号にしてもおかしくない3人の投手を擁し、投手ローテーションを確立している大阪桐蔭の地力の差が出たのかもしれない。確かに桐蔭の打撃力も強力ではあったが、野球はピッチャー次第とよく言われる。160球目に150キロを超える球速を具現する吉田君をそうそう打てるものではない。ところが、桐蔭は連打連打で吉田君を攻略したが、吉田君の球はそれまでのバッターをえぐる球筋とはあきらかに違っていた。決勝戦の前日も休養日にすることは出来ないものかと感じた次第。
 数年ぶりの公立高校決勝戦進出に、秋田を中心にそれを応援する空気が全国に広まり、地元とはいえ桐蔭も戦いにくい甲子園の雰囲気だったと思う。しかし、桐蔭の選手たちはその強さが本物だったことを自ら示し、2度目の春夏連覇という史上初の偉業とともに再び頂点に立った。
 熱い甲子園も終わりを告げた。優勝校には申し訳ないが、準優勝校を秋田県民が迎える際の感動を少々お裾分けさせてもらうことにしよう。

No.3022 ガッツポーズとパフォーマンス

2018.08.21

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 昨年は県勢初の優勝という結果に心が踊ったが、今年もまた全国高校選手権大会に魅せられた。
 ところが、岡山の創志学園の西投手のガッツポーズを巡っての議論がかまびすかしい。高校野球とは? アマチュアリズムとは? 著名人の論評もかなり出ているが賛否両論、若干賛成派が多いように感じる。ガッツポーズは一瞬一瞬の心の叫びだとして大目に見てはどうかという。マスコミにも「今の時代的」な個人自由主義のおおらかさとして認める風潮があり、そうした論説を掲載する傾向にある。しかし、こうした事象が起こるたびに伝統慣習的なものから乖離していく状況でよいのだろうかと思う。私は行き過ぎたガッツポーズを注意して制した審判に賛同する一人だ。
 西投手の場合は、大きな口を開いて吠えながら大相撲の琴奨菊が見せる後ろ反りを三振を取った打者に向かってガッツポーズをする。相手へのリスペクトが無いと審判が制したのは当然と思う。驚いたことに、その審判の制止により、調子を狂わせた西君は逆転負けを喫したという論評があったことだ。素直な感情表現を注意され、投球に微妙な狂いが生じたというのだが、こうした理由で個々のガッツポーズを認めていたら、間違いなく高校野球は変質するであろう。数日前、西武ライオンズの3、4番バッターが続けてやったことに驚いたが、内野ゴロで一塁にヘッドスライディングするのは高校野球の特徴であり、らしさである。しかし、そこで一塁手が取りこぼした結果セーフになった選手が吠えながら右手を何度も何度も突き出すガッツポーズ・・・回もせまって同点から逆転のチャンスに感情が爆発したのだろうが、目の前の相手のエラーに喜ぶ形となる。
 人間教育の一つに感情の抑制という一面がある。これは人間資質として欠かせない忍耐や我慢というものに大きくかかわっている。オリンピックで金メダルを獲得した選手が表彰台で1、2回ジャンプし、こぶしを挙げる程度のポーズには感動を覚えるが、高校野球という分野で感情むき出しのガッツパフォーマンスを許したならば、今後どんな感情表現が為されるか想像がつかない。加えて演出味たっぷりともなれば純粋さが持ち味の高校野球は、それこそ100年の歴史をもって姿かたちを変えることにもなりかねない。金足農業の吉田投手が早実の齋藤投手以来の人気ぶりだが、捕手と試合中に交わしている刀を抜いて、収めるポーズが注意されている。これがピッチングのリズムだと称し、認められるのであればプレーとは無関係のパフォーマンスが横行することは自明の理であろう。監督世代も新世代へと徐々に移り変わる中、アスリート魂の在り方を冷静に指導できる監督像が望まれる。そうでないと、少年野球の世界までガッツパフォーマンスがあふれることにもなっていくだろう。
 実は、アマチュア野球界では毎年のようにルール改定があって、今年は捕手が投手の球を受けた際、ミットを微妙に操作してボール球をストライクに見せる仕草は禁止になった。結果を欺くとか相手を騙す行為はやめましょうということだそうだ。今回の甲子園では投球に足を出してデッドボールを狙った行為があったが、審判は即座に両手を挙げてこの行為を中止し、この一球をボールと宣告した。これは素晴らしい主審の判断だった。隠し玉でアウトを狙うのもアスリート根性として褒められることではない。
 アマチュアのアマチュアたる所以は、とくに学生スポーツに共通することとして観衆に見せるべきは、持てる能力を思う存分発揮したプレーパフォーマンスそのものでありガッツパフォーマンスではない。つまり、史上初の逆転満塁サヨナラホームランであったり、2ランスクイズサヨナラゲームであったり、観客を沸かせる150㌔投球であったり、外野からの素晴らしい返球とランナーのクロスプレーであったりと観衆がため息をつく要素はふんだんにある。野球に限らずスポーツはいくらでも魅せて魅せられるものはある。私は少々頭が固すぎるのかもしれないが、木更津総合と金足農業の勝利後の校歌斉唱で後ろ反りするのも?なのだ。直立不動で歌う姿が尊く感じられるということと、あれが今後出る高校すべてが模倣する可能性があるとしたらいかがなものかと思うからなのだ。逆に高校生らしいのかもしれないという思いもあるから複雑なのだが、あれが当たり前の姿になってほしくはない。この2校が甲子園で勝利した時に見せてくれる喜びの行為であるなら、甲子園名物として理解もし、見たいとも思うが、どこもかしこもとなると・・・あくまでも好き嫌いの範疇かもしれないのだが。
 さて、第一回大会が開催されたのが101年前。そこで準優勝に輝いた秋田県(秋田高校)が100回目の記念大会で初優勝の栄冠を勝ち得るかどうか。大阪桐蔭が勝2度目の春夏連覇で、これも史上初。ガッツポーズは必要最小限の熱気こもった決勝ドラマに感動をもらいたいと熱くなっている。
 

No.3021 単に歴史的怪談だった?

2018.08.21

 6月12日、初の米朝首脳会談はどうやら歴史的怪談に変質しそうな気配だ。この日、地球の一地点だけが光り輝いていたと感じるほど、世界中の注目を集めたシンガポールでのトラ金会談。共同宣言まで発したが、やはり北朝鮮の強気な姿勢は金正恩の怖いもの知らずなのか、アメリカとの対等イメージを構築したいのか、はたまた中国の存在がそうさせるのか。それほど簡単に核ミサイルを放棄するはずがないという見方が多かったのではないかと感じていたが、結局のところ、その方向に落ち着きそうだ。放棄どころか火星15の性能向上に向けた研究開発を進めているという情報もある。アメリカが速やかな放棄スケジュールを要求すると、終戦宣言を条件に出してくるといった交渉事の稚拙さを露呈する始末。強気なことこの上無いが、これには韓国に駐留する米軍撤退を思惑にする点で中国と北朝鮮は一致している。とくに中国は米の迎撃ミサイルTHAADの韓国配備に神経質で、経済的な面で韓国いびりをしていた事実がある。そして歴史的会談の北朝鮮側のフィクサーとして金正恩をこの点で人参をぶら下げて利用しているのは容易に理解できる。そしてトランプが中国に仕掛けた経済戦争を中国は強気に買って出た。世界中のエコノミストは輸出入ともにアメリカ頼みの中国はすでに国内での疲弊があきらかで中国は対応を間違ったとする意見が多い。事実、まだ表向きは小さなものに過ぎないということだが、習近平暗殺計画まであったと聞くと物騒なお国事情なのだが・・・。中国、北朝鮮、そして韓国に共通する民族的特徴として、自己中心的で感情の抑制が出来ないという通説がある。金正恩が習近平を親い、頼るという構図は深く理解できる話であり、トランプとの会談直前にも中国を訪れていることからして、習近平のアドバイスを仰いでいることは間違いない。窮乏する国民生活もあって、解いてもらえぬ経済制裁の影で「瀬取り」による供給を依頼し、それに応える韓国と中国。他にもこの3国には日本にとっておかしな最新情報が多い。それはそれとして、金正恩の本心本性が根底から変わることは考えられない。今、トランプは金を野に放ち、様子見の状況を作っているのではないだろうか。それは「破滅」も「進展」も君の対応次第だと。そういえば1カ月ほど前になるが、イギリスの巡洋艦が初めて日本に寄港している。米韓共同訓練は中止しているが、別の方法で金正恩に畏怖心を植え付けているかのようだ。小さな記事ではあったが、この種の行動が与える影響はけっして小さくないはずだ。
 シンガポール会談が平和に向けた歴史的会談だったのかどうか。答えはさほど遠くないうちに出るかもしれないがすべてはトランプ次第だ。賛否両論のトランプ外交ではあるが、矢継ぎ早の関税対策が国内農業などに与える影響は小さくないというが、それ以上に支持率が40%台にアップしているという現実もある。トランプ戦略が中国を標的としていることがその一因という見方もできる。いろいろな観点から中国の「やり過ぎ」が世界中に目立ち過ぎるのは、アメリカンドリーマーとしてのトランプには許し難いという中国への宣戦布告というよりは習近平への忠告と考えるのはうがった見かただろうか。日本に影響が大きいだけに目が離せない。

No.3020 理由はどうあれ鬼畜行為

2018.08.15

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 県内草加市でまたむごい親による実子虐待事件が発生した。死には至らなかったものの生後8カ月の女子を寒い1月にトイレに放置した24歳の母親の心理とは・・・。今年の冬はここ数年なかったほどの記録にも記憶にも残る寒さだった。
 悲しいことだが「子育てがうまくいかず、可愛いと思えなかった」などという理由があっていいのだろうか! 我が腹を痛めた・・というか10カ月も間、分身がごとく成長させ、世に産み出でた我が子を可愛くないという理由が成立するのであれば、なぜ産んだのかという人間本能の原点に戻ってしまうではないか。2歳になる長男もいることからして親としてすべてに異常性を示しているとは思えない。表に出ないよほどの事情があるのかもしれない。
 しかしである。
 この女の子は寒さの結果、両足に全治3ヵ月から6ヵ月の凍傷を負い、左足の親指と中指が壊死し、切断せざるを得なかったという。むごいことこの上無いが、更に酷いのは全身に約20カ所の骨折があったという。まさに命あってのなんとやらを8カ月の乳児に背負わせた親。これこそが、日々虐待の手をかけていたという証しである。可愛くないとか子育てに疲れたという言い訳どころの話ではない。単なるネグレクト的子育て放棄だけであるなら情状酌量の余地があるやもしれぬが、それとて親の責任としては最低のものと評価せざるを得ない。
 「生活上の問題も含め、子育てに悩む母親の皆さんに申し上げたい。こうした際の相談窓口に出向けば、まずは子育てストレスから解放されるかもしれません。何が貴女の救いになるかは人それぞれかもしれませんが、自分ひとりで悩まないことが大切です。頼れるものは全てに頼り甘えることは恥ずかしいことではないんだと考えてみましょう。貴方に甘えることしか出来ない子どものために!」
 そう思って、草加市の児童虐待に関するホームページにアクセスしてみた。タイトルは「児童虐待をなくしましょう」その下に至極当然の文章が5行ほど付き、更に相談窓口として草加子育て支援センターと越谷児相草加支所の住所電話、開所日などが紹介されている。驚くことに、この更新が2012年1月23日となっている。つまり、6年半も内容構成を変えていないのだ。この間、ここに至るまで児童虐待でどれほど世間が騒々しい状況にあるかと思うと、アピールへのアイデアをまったく捻出しようともしていない行政とはいかなるものか。それが仕事というものではないか! 絵も写真も無い、フローチャートも無く、形式的な記述に過ぎないホームページ。タイトルキャッチの「児童虐待をなくしましょう」が他人事のように感じられて悲しくなるが皆さんはどう思われますか?
 これでは異動がつきものの行政にあって、よほどの先進改革職員が現れない限り、行政の努力は表面的なものに終わっている可能性が高いと考えられてもやむを得ないだろう。前向きに変化、変更、変革を意識して職務に邁進する行政職員は少ないのが現実なのだろうか。そう思いたくはないのだが、この草加の実態はこれを示す一つの例だと思えてならない。それでも、直接相談員に会えば、何らかの解消策があるかもしれないし、温かい心根を持つ職員もいると信じ、藁にもすがるという言葉を現実にして行動してもらいたい。少なくとも鬼畜の親などというレッテルが貼られることのないように。
 話は変わるが、山口の周防大島で2日間行方不明になっていた藤本理稀ちゃんが今朝7時近くになって発見されたという。命に別状はないという以外まだ詳細は不明だがとにかくほっと安心した。2歳の子が2日間どうしていたのかは興味深いところだが、この種のニュースにはいつも心がざわめいてならない。

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