高市総理が国連で行なった演説の評価が国際的に高まっている。戦後81年が経過している国際関係にあって、ここまではっきりと物言える首脳は少ない。
故安倍総理が戦後レジームからの脱却を宣言して後、高市総理はこれをしっかり踏襲する形で、他の誰もが為し得なかった主張を国連の場で示したのだ。これは、石破前総理が国連で各国代表に不敬かつ無礼な対応をしたこととは天と地ほどの差がある。
中国やロシアの思考は、日本という国の存在感が高まることをよろしく思わないお国柄だと、つくづく感じる。国政選挙において反対思想政党を排除するという暴挙を実行するロシア。中国が香港に行なった行為と変わりが無い。日本とドイツの常任理事国入りに反対するのもロシア。新型軍国主義とまるで日本が防衛力を高めることを戦争を仕掛ける目的だと吹聴する中国。高市総理の台湾有事発言に中国式理屈を乗せて始まった狡猾な対日対応は、北方領土や尖閣諸島への現状を思えば危険極まりない状態といえる。
既に、認知戦と言われる中国式他国侵略はかなり前から行なわれており、独裁全体主義により民主主義の弱点を突くことを長期戦略としてひそかに進行させているとする中国。地下シェルターの必要性すら議論される時代に入っていることを私たちはどのように理解すればよいのだろうか。
そんな状況下での高市総理の国連演説は、正に世界に訴える内容であったと思う。今、こうした地政学的国家論に等しき信念をはっきりと口に出来る政治家が少ないが、高市総理はまれにみる物言う総理だと確信した。
添付は、産経新聞の社説ですが是非目を通していただきたいと思います。今回の高市総理の発言から感じることは、戦後レジームから脱却すべきは中国でありロシアだと思いますがいかがでしょうか。
明日29日は市議会最終日です。国政も市政も私たちの生活に密着していますが、今議会の議案に反対すべきものは見当たりません。問題は議員間協議の在り方に正常性が欠ける議会内にあると感じますが、現状さしたる変容は無さそうです。
記事一覧
No.3979 信念揺るぎなく物言う総理
No.3975 なぜ、今になって謝罪
いつになったら秋日和が感じられるのだろうか。やりたいことがなかなか出来ないじれったさもあるが、やはり心が晴れない。予報を見ると毎日のように雨マークがつく。
心が晴れないと言えば、今年3月16日に起こった辺野古沖の研修ボートの転覆事故で高校生が亡くなってから半年が経つ16日、船の運航団体である「ヘリ基地反対協議会」が謝罪と献花をしたという。
船長とともに命を落とした武石知華さんのご家族は、事故発生以来、真相究明を求め、知華さんの死に対する疑問を投げかけていた。平和学習と称して左派思想に満ちたヘリ基地反対協議会が運営するボートを利用した同志社国際高校も運行団体も心からのお詫びすることなく、思想的批判を真っ向から否定し、言い訳が先行するような対応に終始した。
また、マスコミも一部を除き、この一件には極力思想的な点に触れないようにし、純粋な研修旅行だったとする報道が多かった。テレビなどはひどいものだった。
ところが・・・13日の沖縄知事選の3日後の16日に謝罪と献花とはいかなる事情によるものかと、多くの国民は感じることだろう。
ニュース配信は共同通信で、反保守、反高市を隠そうともしないトップメディアなのだ。しかも、私が思う「なぜ、いまになって?」という疑問は全く記事には見られない。
知事選で敗れた玉城デニー前知事は、事故発生直後に「活動の目的は安全性、中立性が確保された上での平和教育と認識している」と発言している。更に、文科省がこれに対して、政治的中立性に欠けており、教育基本法に違反していると認定した際には、「国は踏み込み過ぎで、沖縄の平和教育は偏向していない」と逆批判している。そして、知事選においては「辺野古は書かず、語らず」の選挙戦に徹し、約14万票の大差で敗れたばかりだった。こうして半年の流れを経ての知事選で学校側とヘリ基地反対派の側に立って、理論展開してきた前知事が大敗した理由がおのずと理解できる。
思想の自由は認めるが、非は非として認め、詫びる姿勢は早いに越したことはない。思想的な傾向以上に人柄に問題があるとしか考えられない。思い起こせば、玉城氏は小沢一郎氏の配下議員だったことから、翁長知事の急逝にあたり送りこまれた候補だった。当時はオール沖縄の勢いが勝っていた時期だった。今回、玉城候補が勝利していたら、今日の謝罪と献花はあっただろうか。ヘリ基地反対協議会の代表には、警察による事情聴取が続いていることも有る。そうしたタイミングでの遅れた反省なのだ。その代表が献花で述べた追悼の言葉が「二度とこのような事故が起きぬよう、真相究明に向け捜査に協力していく」である。半年経って、真相究明に協力も無いものだ。
共産党委員長田村智子氏は知事選後に「高市政権は沖縄政治の転覆を謀った」と。これでは、時の政権がクーデターをしたような言い分だが、どこか思考がずれているとしか思えない。中国に近く、沖縄は中国の領土であると公然と言い放つ中国の現実があって、地政学的に日本の領土であり続けるために沖縄の良識が目覚めたことは間違いない。
No.3974 遺米
よく降る雨だこと。市内では、まだ稲穂のままの田が結構見られる。農家にとって秋の長雨の更なる長期化は頭の痛いことだろう。そうした中、今年も市内の農家さん数軒から新米が届いた。早い所は1ケ月も前に稲刈りを終えており、その時期の差に驚く。
こうして、幸手産新米の美味しさに毎年のように感謝の膳をいただくようになって長い年月が経った。
過日、届けていただいた方から感慨深い言葉を聞くことになった。
「親父が作った最後の米です」
そういえば、夏に入りかけた頃、長らくお世話になった市東部の農村部の方が亡くなられたのだが、息子さんのその言葉で無念の思いが再びよみがえったものだ。こちらが出向くことがほとんどだったが、会えば、いろいろなアドバイスと励ましで私の背中を押してくれた人だった。その方の最後の米・・・しろかきから、田植えを終えて、苗の成長を毎日楽しみに田に出かけるものの、すでに病魔に侵された身体は、徐々に苗との出会いを少なくしていったのだろうと思う。農家の人にとって、可愛いコメの成長は何物にも代えがたいほど愛情を注いでいたことだろう。
ただ、残念なことに、息子さんは米作をやめるとのことだった。これもまた止む無しか。学業終えて、会社人間になる第二世代が圧倒的に多くなったのも、米価の他に例を見ないほどの低落があり、親の苦労を目の当たりにしていた人間に農家の面白さは伝わらないし、教えることも難しくなっていった昭和後半から平成、令和への流れ。辛いご時世が長すぎた。
今も、物価高で肉、魚、野菜を始め、多くの食材が値上げラッシュだ。ところが米価は、昨年の高騰から一転して半分以下に下がっている。農家さんにとって間尺に合わない物価事情だ。
こうして、私より少し上もしくは同じ団塊の世代の農業人の、生産に見切りをつける農業終活が本格的に進む状況は、日本の農業の危機であるのは間違いないのだが・・・・・。
親父さんはきっと「お前はお前の好きな道を歩めばいいさ」と言ってますよ、と息子さんに。少しは気が軽くなっただろうか。
No.3972 執拗な印象操作に辟易
TBSはテレ朝と同質の高市政権批判メディアとして恥じるべき報道に余念がない。国が傾く可能性に手を貸すかのような報道の在り方には辟易する。
これには、反高市の仮面をかなぐりすてて躍起になる朝日毎日東京といった新聞メディアもいかがなものかと思う。
まずは、イラン戦争勃発で「日本は6月につむ」と評した境野春彦氏。これには知識派の経済評論家から猛烈な批判が飛び交った。しかし境野氏は「馬鹿がいっぱいいる」と逆批判した上で、懲りもせず高市批判を続けている。人柄の悪質さを感じるしかない。
今回のホルムズをめぐる再戦発生でも、高市政権はいち早く補助金支出を表明しており、勃発以来日本のガソリン価格は世界で最も安定しているとされる。これは、正に私たちが目の当たりにしている現実ではないか。どこが日本はつむのかと思う。馬鹿が沢山いると言う前に弁明すべきだし、メディアもその場を設ける責任があるのではないか。
6日のサンデーモーニングで、チベット土石流洪水大規模災害が温室効果ガスの大量排出による気候変動が原因で、それは日本の温室効果ガス大量排出が影響していると、女性コメンテーターが言ってのけた。国際環境問題に対する一般論としての発言だとかばう向きもあるが、発言のタイミングはそうは思えない。この番組の安倍政権や高市政権批判の評論系譜を考えれば、巧妙な現政権批判に聞こえるのは当然だ。なぜなら、この問題について言えば、日本の排出量は中国の30分の1でしかない。ましてや、中国の支配下にあり、隣接するチベットの環境問題を遠い日本の責任論とするのが異常なことは知恵ある子どもでもわかることだ。ついで論で政権批判するにしても限界を感じて欲しいものだ。
東京大学大学院教授の本田由紀氏が以下の発言をしている。「この人たちを目にするたびに、遺伝的要因の恐ろしさを感じる」と。これは氏がXに投稿したものだが、女性皇族お二人の写真を引用しての発言である。この人たちが、このお二人を指すものなのかどうか。これを見て私が感じたのは、立憲民主党の辻元清美議員の次の発言だ。「天皇とあの一族に気持ち悪さを感じる」とか「天皇制は生理的に受け付けない」という若い時の発言だ。議員になるにあたって若気の至りと反省の弁を示しているが、この言葉の不敬さは拭いきれるものではないだろう。元々、学生時代からピースボート活動などで左側通行をしていた氏でもあり、性格的な面でこうした強い発言をしたものと思う。
さて、本田氏は「麻生副総裁を論じたものだ」と矛先を変えているが一度発した皇族批判はそうそう簡単にひるがえせるものではない。女史は日本教育学会の会長であり、日本学術会議の会員でもある。学術会議の会員選任には菅総理時代に大きな問題となったが、その原因は中国を利する思考や研究題材が蔓延していることが一因に上げられている。全員がそうだとは思わないが、思想的に中国寄りの学術者がいるのは確かであろう。
問題は、発言者の重軽ではなく、政権批判であれば喜々として取り扱うメディア側にある。最近のそれは、それこそ1が30倍にもなってしまう傾向にある。印象操作にもいろいろあって、デフォルメ、ミスディレクション、サブリミナルといった画面効果まで駆使するのもテレビメディアにとって難しいことではない。これらを読み解く術を身につけないと、メディアのオレオレ詐欺は見抜けないほど巧妙になっている。
No.3971 あと30
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さーて、いよいよブログ投稿数4,000回まで残すところ30回となりました。毎日のように投稿していた議員なりたての頃をなつかしく想い出しつつ、県議時代を通じて回数は減ったものの、着実に書き続けたことに、我ながら感慨深いものがあります。実は、アクセス数が減ってきた状況で、ここまで続けて来たんだからもういいかあと思ったこともたびたびでしたが、
「いつも見てくれてる人たちは、期待と応援のアクセスと考えたらいいんじゃないですか。今ここでやめたら、見えなくてもしっかり繋いできた糸が本当に消えて無くなるんじゃない。それでいいの」
と檄する声に推されて、ようやくなんとかここまで来れた感じです。
ということで、年内の4,000回到達はなんとか達成できるものと思いますが、皆さんからのアクセスが投稿パワーの源ですので、これからもなにとぞよろしくお願いいたします。
4,000回・・・毎日ひとつ書いても11年分ですからね。感慨深いです。
さて、昨日は一般質問2日目で、11時20分頃に私の出番がやってきました。自らの発言時間45分制限で40分、答弁時間含めて約80分ほどをかけて、3項目の質問を終えました。
新人のころには何度かあったと記憶してますが、久しぶりに「かなり聞きごたえがあって良かったよ」という主旨のお褒めの短文メールを2件いただきました。私自身、今回の質問は答弁ともかみ合って、丁々発止というか、再質問も具体的にしっかり準備万端整えたつもりでしたので、納得のいくものでした。
デジタル教育のリスク対応をぬかりなく、天神の湯の再開は現実的にするべきではないし出来ない。幸手看護学校の所有バスの有効利用に市が為すべきこと
3つの質問を要約すれば、こんな内容になるのですが、詳細は録画中継でご確認ください。数日後にはアップされるものと思います。
No.3965 財政緊急対策・再建宣言
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掲題の宣言は、幸手市の隣久喜市が発したものだ。4月の選挙戦で現職を破った市長によるものだが、ある局の記者もこれには驚いたと話す。その理由は、財政宣言もそうだが、4月にあった部長人事異動からわずか4カ月で、総務部長を宮代町と組む衛生組合に移動させた他、5人の部長を異動したことだとか。つまり、前市長の財政人事両面の全否定と思われても仕方がない、というかそう思っているからこその強い思いがそうさせたのだろう。それはそれで政治の仕組みであり、流れと考えることで理解は出来る。
「市長が変われば市政が変わる」といったところか。ふと考えてみると、似たようなことが幸手市にもあった。平成15年の市議選で、当時の市長が推し進める五霞町との合併に反旗を翻した議員の大発声で、久喜市との合併を考える市民の会が発足した。その結果、双方による激しい空中戦が続き、4月の選挙戦で久喜市との合併を望む会が、市議候補をたてて選挙に打って出た。その時、市民の会の唱えたキャッチフレーズが、「議会が変われば幸手が変わる」だった。結果、13対12で勝利したのだが、実際は政治の持つ特異性で変わることは無かった。(当時の市議数は25名でした)
ふと、そんなことを想い出したが、私は会が公認する候補者ではなかったのだが、久喜市との合併しかないと考えて立候補し、それが私の議員デビューとなった選挙戦だった。
当時の幸手市も、同年秋の市長選で新市長が就任したが、宣言までは出さなかったものの、第二の夕張になりかねない財政状況だったのは今でも忘れることは無い。議会では反市長はがその責任を新市長に被せるように質疑していたものだ。その市長時代の8年で財政調整基金も20億を上回り、財政再建を果たしたが、今また諸々の大事業が待ち受けている状況で財政が必ずしも楽観視できない事態となっている。私は、当時浪人中でいなかった時期だが、幸手駅舎の新築が現財政に重くのしかかっていると考えている。前の駅舎の風情が好きだったので、安くてレトロ感たっぷりの駅舎にプラスで、市長が唱えていた東西自由通路の建築に抑えておけばという想いは今でも残っている。
その市政方針も、3期目の市長選に敗れて市長が変わって駅舎全面新築となった。まさに「市長が変われば市政が変わる」だったのだ。
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