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No.2981 幼老同舟の公園整備

2018.03.29

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 春爛漫を肌で、目で感じるこの数日、庭では小トカゲが元気にはしゃぎまわっている。季節の移り変わりは早いものだ。
 ところで季節と人の心の移り変わりはどちらが早いのだろうか。人生いろいろとは言うが、波乱万丈という意味では自分もかなりのものだと、ここまでを振り返って感じるのだが、残す人生、何事があろうと前向きにクリーンに、周囲に迷惑をかけぬよう、そして自分に恥ずかしくないように生きたいと思っている。
ファイル 889-1.jpg そのためにも健全な精神と健康な身体がなにより大切であるのは間違いないが、地元香日向2丁目内の中川崎公園の改修整備が約2ヵ月の工事期間を要して昨日完了した。
ファイル 889-2.jpg すべり台は、以前のものと比べて小ぶりだが、乳幼児用に喜ばれるのではないだろうか。象をあしらった造形で人気を得そうだ。公園南側にはラウンド形式に7種の健康遊具が配置された。この改修により鉄棒の組み合わせ造形の迷路が取り壊された。児童公園として、その代名詞となっていた迷路だけに残念だが、昨今の安心安全の観点から撤去の対象になっていたのでやむ得ないところ。ちなみに、今度の幼老公園が「ゾウさん公園」とでも呼ばれて人が集う公園になることを願っている。私も、今はその余裕がないが、健康遊具に親しんでみたいと思っている。地域の方々と笑顔の交流が出来ればなによりである。

  

No.2919 風景維持に行政力を

2017.09.14

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ファイル 825-1.jpg 蒸し暑い残暑の日々だが着実に秋に向かう鳴動を感じるこの頃。
 添付の写真は長い夏休みを終えて元気に長い道のりを登校する子供たちを写す朝の風景である。
 ところが、この写真をとくとご覧いただきたい。道路の両脇に居並ぶイチョウの木がやけに元気がないのがおわかりいただけるかと思う。中には黄色く色づき始めたものもあるが、それでも一本一本の木の葉数が少な過ぎてか細さばかりが目立つ状態だ。幸手市には幸手八景と称する風物詩がある。その代表は言わずと知れた権現堂堤の桜と菜の花のコントラストであるのは間違いないところだが、この写真の香日向中央通りイチョウ並木も紅葉時期ともなるとそれはそれは見事な黄金色に輝く二本の反物のような光景を見せるのである。
 イチョウは全国各地で古木の大木自体が名所旧跡となっていたり、寺社神宮の御神木的存在になっている例が少なくない。あっと驚く幹周りや高さを誇り、天高く色づく様は見事なものである。また、神宮外苑のまるで絵画のような光景は東京の秋を代表するビジュアルそのものである。
 ただし、街路樹といっても諸々の条件の元で整備されるのは当然でこの写真のように交通量の多い車道のほぼキワに立つ場合は、高さも幅も成長させるだけでいいというわけにはいかないのは当然だ。したがって、季節頃合を見計らって剪定刈込を定期的に行う必要が生じる。おそらく写真のような見せるべき時期に見せられる状態に無いのは剪定の時期がずれているからではないかと思うのだが、もしも専門の方がいらっしゃったらご意見いただければと思います。
 これではあまりにもイチョウが可哀想というものだ。よく見ると葉のない枯れ木のように見えるものもあるが、素人判断では近くで見てもはっきりとしたことはわからない。
 市財政が豊かとは思わないが、大きな事業もする中で、街が長年にわたって持ち続けるこうした風景アイデンティティーを大切にする心を発揮するのも行政の役目に違いない。街路整備はどこの街を走っても遅れがちな感は否めない。後回しにしがちな傾向は、とどのつまり後手を踏み無駄な税金を必要とすることにもなるだろう。右へ習いではなく、科学的および季節的根拠に基づく植栽ごとの管理を守ることでルーズな自治体というイメージを払拭することのほうが自治体間格差を住民はしっかりと理解するのではないだろうか。 
 香日向イチョウ街路並木、今年はどうやら寂しい幸手一景になりそうだ。
 ところで、権現堂堤の曼珠沙華祭りが始まったようだ。見頃まではあと数日といったとこらしいが、真紅に染まった堤一面に秋を満喫して頂ければと思う。

No.2852 日本保健医療大学新学部まもなく

2017.02.06

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ファイル 757-1.jpg ファイル 757-2.jpg  写真はファイル 757-3.jpg先月31日撮影の旧県立幸手高校4階からの風景。
 2005年を過ぎて、人口問題等々で県立高校の再編問題が浮上した。ところが、再編の結果、使用に供することのなくなった県立高校の後処理に県教育委員会や総務部管財課などは苦慮することが少なくなかった。
 地理的特性や校舎施設が幅広い流用性を持たないということが、思うに任せない原因と推測されたが、結局のところ需給のバランスというのも大きなファクターだったように思う。幸手高校がその対象になった時、すでに4校ほどが事後処理が進まない状況であった。

 2011年4月私が県議に当選してまもなく幸手高校廃校の話が決定したが、埼玉県教育委員会が「県立高校再編整備計画」を進めており、幸手市の2校がその後期計画に入ったのは2009年のことであった。今の幸手桜高校(旧幸手商)とどちらを残すかということも含めて、それぞれの学校評議員やPTAを巻き込む論争となったと聞いている。

 1941年に開校した幸手実業学校が幸手商業高校に改編したのが1948年。その幸手商業が、1980年に開校した幸手高校と再編整備されたのが前述の2013年3月31日。したがって、正式には幸手商業高校も幸手高校も同じこの日に閉校となったのが正しい理解となる。そして幸手桜高校が新たに2013年4月1日に開校したということになる。
 ちなみに、1941年12月8日は昨年末大きな話題となった真珠湾攻撃があった日。くすぶる世相の真っ只中で開校した学校と思うと感慨深いものがある。

 その旧幸手高校の跡地処理では圏央道インターの至近ということもあり、他よりは長期化しないと思っていたが、そんな簡単なものではなかった。私も長期化しなように努力すると、いろいろな機会に市民に訴えたものだ。そうした中、町田市政時に誘致し、東小跡地で新規に大学として開校していた日本保健医療大学が新たな学部の設置をしたいとのことで手をあげた。
 看護学部とは別に理学療法学部を設置するということだったが、この購入が2013年12月のことだったので埼玉県としては閉校後半年足らずで難問題と思われていた後処理が完了したことになる。

 その後は、文科省などとの折衝などを経て、さらには理学療法学部としての改築等々の期間を置いて、いよいよこの4月に開学することとなった。
 その直前に撮影した写真3点。赤城から日光連山、筑波山をパノラマで望み、幸手産業団地には大掛かりな建物の建設中の風景が目の前に広がっていた。南西側には富士山、そのさらに南にはスカイツリーも望めるが、強烈な逆光でカメラ素人にはシャッターチャンスを得にくい相手だった。
 こうしてまた、幸手市に年々若い人がふえることになる。明るい材料とそうでない材料が混在する幸手市。他力的ではない新たな未来への息吹を幸手市行政に示してほしいとつくづく思う今日この頃である。

No.2836 市内各所が整備されても・・・

2016.12.27

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 県道さいたま幸手線または御成街道と呼ばれる県道は、いわゆる幸手市の目抜き通りを貫いているが、その商店街通りの整備事業がようやく完成した。

 平成24年から始まったバリアフリー兼雨水浸透路面化工事は、水屋製麺さん前から幸手駅入口交差点の約900メートルの区間を100㍍から130㍍くらいの工事期間に分けて順次北から南下する形で進捗していった。年に2区間程度の進行なのでほぼ4年半経過しての完工となった。交通量の多いこともあって、一気に工事がしにくい環境にあったので通り沿いの商店さんはもちろん多くの市民にご不便をおかけしたことと思いますが、細かく区切っての工事は杉戸県土整備事務所としては予算的なものも含めて苦肉の計画だったのです。 

 私が県議時代に真っ先に要求した幸手市関連の県事業としては、この商店街通り、第2、第3権現堂公園の整備、高野台駅前から幸手市内を抜けて五霞町に続く幸手境線拡幅と新上船渡橋新設、幸手並塚線吉野地区の歩道延伸、圏央道下側道などなどかなりの数にのぼる。
 要望要求も予算枠、人間関係、その重要性といったファクターと相まって、言えば叶うというものではないが今そのほとんどが完成もしくは手が付き始めている。嬉しいのは幸手境線の土地買収にからみ難色を示していた地権者に直接了解を取り付け、杉戸事務所の所長と本庁の担当課長をともなって地権者のご自宅で契約書の調印に立ち会ったことである。これにより新上船渡橋の工事に見通しが立ち、今は下部工事といって橋脚を立ち上げる工事が川口の建設業者によって進められている。完成までにはまだかなりの時を要するが、ここに至るまでの長い期間を思えば感慨深いものがある。いや、実はこの話はとくに当時の五霞町の首長さんや議長さんからとくとくと聞かされた話なのだ。茨城県側としては埼玉県次第という事業なので願望とのギャップがありすぎてさぞや我慢に我慢を強いられる期間であったことだろう。

 いろいろな人々の思いが込められて道路、橋、公園などが変わりゆく姿は本来であれば街の活性化になるはずだが、人口減少に歯止めがかからない状況を考えると、未来への憂いは増えこそすれ減ることはない。
 

No.2834 地形と気候ともに特異な糸魚川

2016.12.24

 暖か過ぎる! この暖冬気配はいったいなんだ! 糸魚川市の大規模火災もこの気候変動が要因になっていると考えられる。なにしろ強烈な南風が吹き荒れていたところでの小さな元火があれほどの災害を引き起こすとは。大震災以外では記憶にないほどの火災ではないだろうか。

 フォッサマグナで知られる糸魚川市内自体は平坦な町並だが、断崖絶壁の景勝地として知られる親不知と海岸線でのヒスイが有名な街である。この断崖にへばりつくというかせり出しているかのように走る北陸道から眼下に広がる日本海には目を奪われる。
 走り見てわかることだがかなりの難工事だっただろうと感じるが、実際これは確かなことだったそうである。
 ドライブ好きが高じて幾度か国道8号も利用したが、大きなセメント工場が印象に残っている。つまり、産業的にも地形的にも異色な自治体といった感じなのだが地形だけでなく気候的にも特異な地域だということか。

 11月初旬のこと、妙高赤倉から上越市方面に出向いた時、まったく想定外の初雪に見舞われた。ラッセルカーが出たくらいだから豪雪地とはいえ驚いた。地元の人たちも面食らった様子で一面の雪景色をみつめていた。
 糸魚川は上越市から海沿いに約50㌔ほど西に位置する。つまり東京幸手間くらいのものだが、その11月の記憶がまだ焼きついているので、にわかには信じられないイメージで画面を見つめていた。南に下れば小谷村や白馬村などスキーのメッカも50㌔そこそこである。やはり山間地と海岸線の気候は距離とは無関係というかわずかな距離でもその違いははっきりしているということなのだろう。

 新しい年を10日後に控えたところでのことゆえ被災者の皆さんはさぞや辛く厳しい心持ちと察します。慎んでお見舞い申し上げます。
 新潟県知事は10月に当選したばかりの米山氏だが、どのような行政手腕を示してくれることか。突然の家屋全焼で着の身着の儘となった方たちの心の落ち着きと生活の拠り所に全力であたってくれることを願うばかりです。

 最後に、出火の原因は空焚きや油扱いのうっかりミスが多いようです。また、地方都市では糸魚川のように古くからの住宅が密集している街が少なくない。くれぐれも「火の用心!」を。

No.2829 撤退と進出 

2016.12.08

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 先月、石川県に出かけた際に「クスリのアオキ」というドラッグストアを多く見かけた。なんでも石川から福井、長野、群馬、愛知といった県下で300店舗ほどを展開する企業らしい。本社を石川県白山市に置く会社で業績も順調のようである。
 その店が旧県道加須幸手線の宮田ガスさんの前に出店準備を進めている。数か月前までコンビニのサンクスがあったところである。なにより、空いた店舗に次なる後釜が期間をおかずに入るというのは、街のイメージには良いことである。
 ただし、ドラッグストアとは言っても時とともにスーパー化しており、どの地においても過剰過当の熾烈な小売り戦争状態となっており、一つ増えれば一つ減りといった感は否めない。ことに人口現象が如実な街では商業規模が必然的に縮小していく運命にあるので店舗寿命への不安は尽きない。

 幸手市では中央商店街にも、市役所近辺にも・・・つまり街の中核地域でさえ空き店舗が長らく埋まらずにいるところが少なくない。小売企業にとって店舗の出店も撤退も経営の根幹として決断力が関わるところだが、地域にとって撤退後の新規進出が思うように進まない状況は忸怩たるものがある。
 しかしながら、遠い石川県から深谷、行田に続いてもっとも遠い店舗になる幸手の地に同社の店舗開発担当の目が届いているということについては市民として心の励みを多少感じるところである。
 前述の通り、幸手もドラッグストアの激戦区で、進出と撤退が繰り返される土地柄ゆえ安定経営には若干の不安はぬぐえないが、クスリの本場北陸を地盤とする同店には、地域に根付いた息の長い営業を期待したい。

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