昼寝を多めにして画面にかじりついた日本対ブラジル戦。展開がブラジル支配が続く中、眠気に襲われ始めたところで佐野の目の覚めるようなミドルシュートで真から目が覚め、後半戦は画面との距離が徐々に近くなるといった感じでした。結果が出て、くやしいインタビューを見ると更にくやしさ倍増になると思い、ブラジルの試合を決めるゴールを見たと同時にスイッチオフでベッドオン。ところが、なかなか寝入ることが出来ず、それからスマホを40分近く見ていたら夜が明けてしまいました。
今回の大会は少々出場チームが多すぎたのではないかと思っていましたが、決勝トーナメント表を見て、心底多すぎると確信しました。そもそもグループ脱出も各3位のチームの取扱いが際度過ぎて、実力というよりは、運が大きく左右することになります。その運の質にも、審判がだれかというのも野球以上に結果を左右する要素になっているのは間違いなく、とくに、ファールの判定の在り方は曖昧模糊というのがサッカーの特徴だということを再認識しました。やむを得ないことではあるのですが、体幹の強さは野球以上のものを求められるスポーツだということも、あらためて理解しました。
前号でご紹介したカラオケ市民イベントも、野球やサッカーの地球規模のイベントも終わってみれば、お疲れ様でしたという言葉が残るという意味で同じですが、森保監督と26人の代表選手を始めとする関係者は、しばらくは無念の想い、くやしさから脱け出すことは出来ないでしょう。
この際、ただただ、「よく頑張った!ありがとー!」という言葉で労をねぎらいたいと思います。ただの慰めのつもりではなく、それ以上の言葉が見つからないのです。
それにしても、惜しかったーくやしいー!!!
最後に・・・森保監督の辞任論が出ないことを願って感想記の〆とします。
記事一覧
No.3956 ワールドカップ感想記
No.3896 大相撲も新たな展開
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大相撲本年初場所は久しぶりに東西の横綱と大関が揃う番付となりました。中でも安青錦と朝の山の存在が目を引きます。安青錦には近い内にというか3.4場所先の横綱昇進もあるのではないかとワクワク感がおさえられません。そして朝の山がとうとう再度の幕内復帰をはたしました。ここまでの流れをつぶさに見ていて、協会の彼に対する対応はいささか厳しすぎると思っていましたが、逆境何するものぞのスピリットでよくぞここまで精進したものです。幕下や十両時に彼が土俵に上がるとひときわ大きな拍手が上がっていたことからも彼の人気の度合いが感じられました。朝の山歓喜の初優勝!この時にトランプ大統領が土俵に上がり祝福した場面が想い出されます。安倍総理と連れ立って大相撲観戦に訪れた際の貴重な大相撲の歴史です。三役復帰、そして大関再昇進もあるか!
霧島と高安の元大関も戻り関脇で東西揃い踏み。平幕にも地力のある力士が多くいます。大の里と豊昇龍を筆頭に新鮮さと重厚さが感じられる初場所から目が離せません。
相撲の殿堂 国技館での大相撲初場所はいよいよ今日が初日です。
No.3874 長嶋茂雄賞!!!
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10日のこと、日本野球機構理事会が「長嶋茂雄賞」の創設を発表した。この朗報に接した瞬間に何とも言えない充足感に満たされました。オータニ、ヤマモト、ロウキのドジャース勢によって日々ワンダフルメジャーベースボールに心躍るようになってからというもの、NPBどころかジャイアンツにもとんと関心が薄くなってしまったかのようでしたが、ミスタージャイアンツのこととなるとそうも言ってられません。
なんと言っても、長嶋さんは私の人生における完全無欠の太陽ですが、同じような感覚をお持ちの方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。
大東亜戦争が終わって8年後の高校野球南関東大会に、千葉から県営大宮球場に遠征してきた佐倉高校が、熊谷高校と対戦したのは1953年8月1日のことでした。私は3歳でしたので記憶にはありませんが、そこで佐倉高校の4番サード長嶋が放ったバックスクリーンへの弾丸ホームランが長嶋さんという稀代のスポーツマンを誕生させた試合だったと言っても過言ではないはずです。そこから立教大学に・・・。
72年前のことですからテレビはもちろん家電品や電話も普及前のことですが、プロスポーツも相撲と野球くらいの戦後の混乱期の中、大学野球人気が沸騰していた頃のことです。そして、翌年巨人に入団してから日本全体に与えた超一等星としての輝きは以降の高度成長期にも影響をもたらしたことは間違いありません。テレビの普及によって力道山のプロレスが熱狂的な人気を博しましたが、長嶋さんがリードしたプロ野球を超えるほどではなかったと感じています。
ちなみに、長嶋さんが高校野球で打ったホームランはこれ1本。立教時代に当時の6大学野球の新記録となる8本目を打ったのは4年次の秋の大学最終戦、せっかく30本打ったのにベースの踏み忘れをしたために29本の記録で終わったのがプロ入団1年目。そして天覧試合のホームラン、生涯本数444本と、なぜか野球好きには記録より記憶に残るスタープレイヤーだったのが長嶋さんらしいと思います。更に云えば、444本目は1974年10月14日の後楽園球場での引退試合の対中日戦ダブルヘッダー第1試合のことで私もレフトスタンド最後列で見ていました。私が後ろ髪を引かれながら球場を後にした2試合目での生涯最後の打席はショートゴロ併殺打だったのも長嶋さんらしい見せ場だったのかもしれません。
投手に与えられる沢村賞は、戦前に豪速球でならした沢村栄治さんを讃えて1947年に創られた賞で、今回の長島茂雄賞はプレイヤーの名を冠にした賞としては78年ぶりのことになります。多くの長嶋ファンにとっては遅すぎるくらいの発表ではなかったかと感じる決定ですが、死してなお人の心をパッと明るく照らしてくれる長嶋さんが、長嶋茂雄賞として名を残し、その年の好走守に華やかで記憶に残るスラッガーに授与されることになったのです。やっぱり今でも太陽に違いないのです。
「長嶋茂雄は永遠に不滅です!」
No.3849 嬉しい訪問者
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熱戦を繰り広げてきた全国高校野球選手権甲子園大会も明日が、日大三高と沖縄尚学による決勝戦によって最終フィナーレとなります。その決勝戦は、燃える気持ちで応援してきた仙台育英との白熱したタイブレーク戦に勝利した沖縄に少々の思い入れをもっての観戦になると思います。その理由は後述します。しかし、実際はどちらが優勝しても最後の最後まで感動を貰ったという満足感にひたることが出来ると確信しています。出来る事なら・・・ならないとは思いますが一方的な展開ではなく、シーソーゲームを期待したいですね。
さて、夕方に宅配便を2度受けた後2階に居たところ、出かけていた家内が帰宅するなり呼ぶので下に降りると、誰か来ているわよとインタホンの画面をチェック中。ピンポンが聞こえなかったなあと言いながら画面に目を凝らすと、若い姿が3人。そのうちの短髪の一人を見て、あー璃空だ!!!
そうなんです、そこに映っているのは仙台育英の3番バッターとして躍動した土屋璃空くんなのです。ピンポンしていたのは小5の弟でした。もう一人は璃空の同級生で、璃空同様6年間の登校見守りをした子です。
時間を見るとわずか5分ほど前。歩いてきたんじゃないかなと家内が言うので、あわてて外に出て追う様に。璃空に会いたい一心で土屋家に向って早足になるものの、なんということは無く、すぐそばの公園で兄が投げる球を弟が打っている場に出会いました。球とはいってもおもちゃのゴムボールです。もう薄暗くなっていましたが、弟にとって甲子園に出場した兄が投げる球を・・・というか兄と同じ球を追える幸福感は格別だろうなーと。璃空の優しさも溢れていた場面にこちらもまさにハッピーを貰った次第です。
「いいなー、でもそんな速い球打てるのかー」と声をかけると「あっ枝久保さんだ」と弟。すると兄がそばに寄ってきて「ありがとうございました」「いやいや居たんだけど気がつかなかった。ごめんなー」「オッス」「左足だいじょうぶか?」「オッス」
手を指しのべてくれたので、グっと握手。握りがいのある大きな手だった。いやそう感じさせてくれる立派な若者の手でした。日頃握手するのは高齢の方がほとんどですから。
あまりに急だったもので話したいこともさして話せず、さりとて長くなってもいけないとの想いが交錯しながらも、よく訪ねて来てくれたという満足感で満たされた時間でした。「ところでどっちに優勝してもらいたい?」と聞くと「沖縄です」そういえば、仙台育英の須江監督が試合後、沖縄の選手に優勝だぞと声をかけていましたもんね。
教え子でも何でもないのですが、彼に対しては幼少の頃のジンベイサンを着て地域の祭りに来ていた時のヤンチャな姿が目に焼き付いていて印象がとても深いのです。応援対象としての感覚とともに可愛いという感情が私に芽生えているのかなと思うのですが、自分でもよくわかりません。
仙台育英からはプロ志望が数人あるとのことですが、本人は大学に進むそうです。どこか? それはまだ明らかにしたくない感じでした。もちろん声がかかっているのは間違いないはずです。
難しいこと抜きにして、さらなる成長を願ってやみません。フレーフレー璃空!
No.3847 ベスト8なるか!
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いよいよ、仙台育英が1時間後にベスト8を目指しての沖縄尚学との一戦が始まります。土屋璃空くんがどういったプレーをしてくれるかに最大の注目となるのは当然です。既に勝ち残った4チームは、京都国際vs山梨学院 そして関東第一vs日大三の東京同士も興味深いですね。残り4チームが今日決まります。どのチームもすべてが強豪校ばかりで目が離せません。
高校野球にこれほど深い関心を持ったのは、原、清原、桑田、松坂、松井といった甲子園スターが輩出した大会もありましたが、それ以上に高校3年時に母校が出場した時以来かもしれません。
この後の予定は18日は休みとなり、19日の準々決勝戦の4試合が行われ、以降一日おきに休みを入れて、21日が準決勝、23日が決勝戦が予定されています。
仙台育英の優勝を祈ってのテレビ観戦になりますが、現地に行きたいのはやまやまです。ただ、議会開会が9月1日に控えているのでなかなか・・・です。
高校野球に興味の無い方が読者におられましたら、このところ続くブログについてなにとぞご容赦くださいますようお願い申し上げます。
No.3845 現地応援+α の感動!
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タイトル通り、土屋璃空くんの甲子園での晴れ姿が見たくて現地に行ってきました。結果はご存じの通り、応援しがいがあったことはご理解いただけるかと思います。それにしても、ここまで気合というか思い入れが突っ込むと、バカですねーと言われかねないかなと考えるものの、我慢し過ぎて後悔するより思い込んだら吉日のほうがストレスフリーでいいと思います。野球馬鹿は野球馬鹿なりで、我ながら真っ直ぐだなあと自分で自分を褒めてやりたいくらいです。
猛暑の中の試合は、途中いろいろなことがありましたが、土屋くんはライト前ヒットと左中間2塁打で4打数2安打。とくに最初のヒットが育英の先取点のきっかけとなり、彼が先制のホームを踏んだのでした。難しいインコース低めをうまく打ったものです。
初めての甲子園でしたが、スタンドの造り、規模など目を見張るものがありますね。アルプス席での陽射し直射の観戦でしたが、気温以上に想いが熱くてさして苦にはなりませんでした。4番川尻くんと1番田山くんは次戦大丈夫か心配です。
かたや昨日、津田学園との延長戦の熱戦で惜敗した埼玉代表の叡明高校。ああした終わり方があるのが甲子園の怖さだと思いますが、3回からマウンドに立った田口くんを筆頭に拍手モノの奮闘ぶりでした。幸手東中出身の長島くんは、田口君の後のショートに入り4打席バッターボックスに入りましたが、ノーヒットでした。まだ見るからに細身の身体のようで、これからの1年間でどれだけ体格が成長するか楽しみですね。今回の登録メンバー20名中2年生は6人でしたから、次年度の主力メンバーになることでしょう。
実は、今回の大阪行きでは、折角という想いもあってもうひとつ別の楽しみを予定していたのです。それは・・・若い時のアパレル会社勤務時代に同じチームで世話になった先輩が、退職して地元に戻って大阪の水産会社に再就職していたのですが、その彼となんと43年ぶりに会うことが出来たのです。
毎年届く年賀状に「いつ大阪に来るんや」とか今年などは「もう待てへんど」と関西弁で書いてくる先輩で、当時からよくしゃべる人の好い関西人です。
仙台育英の勝利を見届けてから、先輩指定の梅田地下コンコースでのほぼ半世紀ぶりの再会。君の名はのすれ違い?も無く、互いに変わらぬ姿と笑顔で握手の瞬間は、なぜか安心感と嬉しさがこみ上げ、言葉が出てこないほど。仙台育英戦で感動をもらい、それから数時間後、生きていて良かったと言う先輩の言葉を耳にするとは、なんと至福で贅沢な1日だったことか。
そうですねー、会話の割合は当時から8:2でゆずる先輩でしたが、今もそれに変わりがないことに、嬉しいやらなつかしいやら。そして、今朝は電話をかけてきて、仙台育英が勝ちぬいたらまた来るんやろと早くも来阪の催促。社交辞令でも嬉しいものです。
その先輩との最大かつ最高の思い出・・・これも野球がらみなんです。
阪神ファンの彼をくどいて、長嶋さんの引退試合を見にいこうと私が誘ったことが互いの生涯の共通した想い出になっているのです。久しぶりの逢瀬で彼に言われたことは、「ワイは喜八に無理やり付き合わされて長嶋さんの引退試合に行ったけど、あれは最高の想いでになっとるわー、出来れば2試合目も見とけばよかったと後悔しとるんよ。この間長嶋さんが亡くなったやんかー、もう涙でたわー。東京ドームやないねんでー、後楽園球場やったんやからなー。」こちらはうなずくだけの一方通行の会話が過ぎていき、それに充実感を目いっぱいいただけるなんて。
仕事をさ・ぼ・っ・てのことでしたから2試合目まではいられませんでしたけど、それでも長嶋さんの444本目がこっちに向って飛んできた記憶を涙して話す先輩・・・と私でした。人って素晴らしいですねー。
さーて、もう行くことはないと思いますが、仙台育英の次戦日程がいつになるのか、わくわくしてます!
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