起床時間が早いのは健康的とは思うものの、早過ぎるのも考え物だ。それもこれも、大谷選手がメジャーで活躍するようになってからと決めつけていたが、どうやらそれが日常的になってきたようで、逆に体への影響を感じる状況にある。よく嵯峨という言葉が使われるが、嬉しい嵯峨と悲しい嵯峨は別々に存在するもののはずだが、メジャー観戦で早起きして日本選手が活躍するのは両方の嵯峨が同居している感覚だ。
ところで、悲しい嵯峨と言えば、金に執着する政治家の姿もそのようだ。目の前に転がっている合法と言えば合法なのだろうが、巨額の政党交付金を解党同様の状況を作りながらも受領するというあさましい姿もその種に入るに違いない。
ネットにはかなり激烈な意見が集中しており、新着ニュースでは、アンケートの結果これを問題視する人が89%、つまり容認する比率が11%である。もっとも、これは不思議な数値で、たしか立憲民主党の支持率は5%あるかないかだったと思うので、11%は多過ぎると思うくらいである。11億7千万円もの金銭を選挙の借金と落選者の生活保護にというのは金銭感覚というより常識の感性が無いと言うのに等しい。
いずれにしても詐欺同然という声があるのは、この受領のために議員一人を残して完全解党はしなということなのだろう。言ってみれば、オレオレ詐欺の受け子スタイルとほぼ同じ状況設定に感じられるが・・・。
目の前に転がった金を搾取するために受け子役を残して、他は全員次期選挙の為に逃げて、議席の無い議員にもお恵みを施す。この対象となる金こそ国民の血税ではないか! しかも、この政党交付金の一部約17億は既に受領しており、落選議員の月40万円の給付等々に充てられている。選挙資金の返済にしてもどうにも理解に苦しむ。
モリエールの守銭奴ならぬ守銭党と命名してはどうかと思うほどの愚行である。
新内閣の発表に際し、裏金だの不記載だのと相変わらずのオールドメディだが、裏金不記載の対象は支援者のパーティー参加費。だから問題ゼロとまでには言わないが、今回の政党交付金受領はしつこいようだが我々の税金である。何十年も前にこうした制度を決めたのは自民党だが、これについては、新内閣で即時の法改正をすべきと思うが、皆さんはどう思われますか。ただ、文書交通費ですら自民党を始め多くの政党が使途公表に同意しない現実がある。国民に対する可視化、透明化は必要と感じさせる今回の一件ではないだろうか。
新党結成が政党交付金の持つ魅力もしくは魔力によってもたらされるのであれば、国民にとって喜ばしいことではない。各政党がどれほどの交付金を受領しているか、AIに問えば簡単にわかります。よろしかったらご意見をお聞かせください。
今朝のニュースでは、泉健太、大島敦の二人が名を変えただけの民主改革の会に入らないそうだ。最低限の賢明な判断と思うが、中道、公明と作る統一会派には大島氏は入るという。きっちりとした判断が為されないのも悲しい嵯峨だろう。おそらく、次期選挙では有権者の鉄槌が下され、再度解党論が出る可能性もあると思うがどうであろうか。
昔から、早起きは三文の得(徳)と言ったものだが、この詐欺的政党交付金受領事件の先に、得も徳もない旧立憲民主党の行く末が待っているように思われてならない。小川代表の苦し紛れの言い訳も悲しい嵯峨にしか聞こえない。
国政、県政、地方議会ともに金銭問題のあるなしや疑問のレベルは違えど、それぞれに悲しい嵯峨は存在しているのが現実だと言っても過言ではない。
記事一覧
No.3977 国民の理解度は
No.3967 福岡に見る民主主義の本末転倒
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「政治は生きている」コラムではあるが、こうした形の議会の結末は、生きているとは言い難い。どころか県や県民の事をおもうと死んでいるとも言うべきか。
全国の注目を集めた福岡県議会議長に対する辞職勧告決議案は思わぬ形で決着した。決議案そのものが葬られたのだ。多数会派の自民党県議団が決議案の採決を拒否する緊急動議を発し、それが可決された。こう書くと簡潔明瞭過ぎるが、実態は数の横暴であり、個々の議員の考え方を県民に知らしめない結論を選択したと言うことになる。煙に巻かれた県民の怒りは次期県議選でしめされるのかどうか。やはり、おらが地元の県議先生として再選されるのか。小選挙区制がゆえにその可能性は高い。
それにしても、閉会後に蔵内議長は辞任をほのめかしている。決議案に法的拘束力はないが、多額の金銭授受という最低最悪の事案に対する決議案が可決されるとなるとイメージダウンには違い無い。しかるに、自ら辞める選択をすることで自民会派を納得させ、党議拘束をかけることにもなったのだろう。強烈なドンの存在を見せつけたのだ。議長を辞職しても自民会派の実態は変わらないだろうし、それが過半数を握る県議会であれば「視察旅行」も続くことだろう。
今回の結末がよろしくない!と感じる理由は、地方の多くの議会で自民党会派が過半数を有する議会が少なくないことにある。
幸手市議会の場合、自民党員は私も含めて複数いるが、会派としては2人だけの自民会派である。特殊と言えば特殊でまとまりに欠けると言われてもやむを得ない。党員ではあるものの無所属単独の議員が3人もいるし、別の会派を組む議員もいる。私の議長時代には、党員僚友から不信任や議長辞職勧告に賛成されるという実態もあった。一般的には考えられないことで、これ以上の詳細は控えるが、なにがしかの感情の行き違いが根底にあったものと感じている。その時の勧告理由は別にして、私の不徳という想いを有しつつ、それをバネにして今後に向かうという感覚だったことを想い出す。いずれにしても自民党員として忸怩たる思いでいるというのが正直なところである。
特に都道府県議会には自民会派が過半数もしくはそれに近い数を擁している議会が多い。ということは、過半数会派自民党にとって都合の悪い決議案などいくらでも闇に葬れるということにもなる。少なくとも、提出された決議案は審議採決の段階を踏むべきだと思うが、地方自治法は動議という禁じ手を封じる決まりがない。つまり、この禁じ手というか悪手が全国の議会に波及する可能性もある。実際、似たような議会は1800ほどある議会の中で、すでに存在しているかもしれないのだ。
市民県民は、通常議会に関心を持たない実態があるので、議会は何のためにあるのか!という根本的問題は解決しないまま放置されることになりかねない。
決議案は議員の権利でもあるので、これを剥奪する手法がまかり通ることの無い自治法改正が早急になされるべきと思うが、いかがなものか。
No.3966 どうなる?どうする?市長と議長
市長と議長が追い込まれている。横浜の山中市長と福岡県議会の蔵内議長の2人である。追い込まれているとはいえ、法的縛りは無いことと、ニュースを見る限り、とくに蔵内議長のふてぶしさはなかなかのモノだ。褒めているわけではないので誤解無きよう!
議長職を巡って、金銭支払いを証言した元議長による議長辞職勧告決議案の採決が本日の予定だが、召集時間をかなり過ぎているが開会には至っていないようだ。こうした場合、議運だの会派代表者会議だのとやたら時間を要するばかりで、傍聴者はもちろん市民の存在は脇に置かれるのが常だ。何をしているかと言えば、採決に際して、可決するのかしないのかを巡って、賛否双方の関係者が調整を図る場面が繰り返されることになる。政治かつ議会の最も恥ずかしい場面と私は感じているが、これは何時の時でも性懲りもなく行われる悪の儀式と言っても過言ではない。テレビも注目しているが、法的拘束力のない決議案でも賛否が拮抗しているからこそのせめぎ合いなので、ワイド番組の時間内に開会されるかもあやうい。提出者の「蔵内議長が恐くて、誰も何も言わない」という言葉にうなずく全国の議員は多いのではないだろうか。
一方、横浜市長はまたまたパワハラの結果がもたらす辞職要求で、これには自民、公明、立民などの会派が要望しているという。第三者委員会が認定した結果であれば市長も認めざるを得ない。しかし、その責任の示し方については、支援者に説明する機会をもってからと名言していない。そういえば、蔵内議長も県政を前に進める責任があるとのこと。問題視されているのに、この発言。いかにも厚顔鉄面と言うしかない。山中市長については、そもそも学生時代からとかく周囲との軋轢を生む特異な人格だったと語る人もいる。
さてさて、二人の今後はどうなることやら。
政治や議会には、様々な矛盾や対立が生まれては消え、また生まれるといった流れが絶え間ない。本来そこにあるべきは、限りない倫理観と思慮深さであって、それにより街としての前進力がつくのだろうと思う。私欲のための妥協や大衆迎合からは良いものは生まれないし、それは政治とは言えない。
ところが、現実的に多くの議会で、過半数かつ押しの強さで牛耳る政治の実態があることは残念と言うしかない。特に地方政治において議員を先生呼称で呼ぶなかれ!と私が説くのはこうしたことによる。
No.3963 消費税減税は全ての政党の公約でした!
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高市首相は、食料品の消費税減税を先の総選挙の公約に則って実行すると宣言しました。選挙公約ですから至極当然のことのはずですが、問題は野党の多くと自民党内の反発です。党内事情は単なる反高市派の整合性を欠く反対理論でしかありません。
つまり、石破さんは「公約は必ずしも実現しなければならないものではない」とか「党内議論もせずに」などと訳の分からない理論で、前首相が現首相を批判する醜い姿を示すだけです。村上誠一郎にしては「総理が言ったからとか首脳陣がいったからというだけでは民主主義ではない」と、これも反対の為の理屈付けに民主主義を持ち出す始末。稲田朋美、や西田昌司などは選挙で消費税減税を絶対やりますと、ハチマキ宣言をしていたのですから、豹変も甚だしいのです。
民主主義の行き着く先は多数決です。ただし、悪しき多数派が実権を握ると、要するに税のロンダリングが行われ始めたり、街や市民のことを脇において自分の為を優先することになるのです。これには、有権者が有賢者にならないと改善されないことだというのが私の持論です。それは、福岡県議会の今回の事件がわかりやすく示しているではありませんか。オラが地区の大将だからはいけない投票心理だと思いますね。
野党も押しなべて減税反対の方向で高市批判をしています。共産、れいわ、社民、などは廃止を党是くらいの勢いで選挙戦で激主張をしていたわけですから選挙戦は嘘の行列、詐欺集団に近い公約違反です。立民しかり中道も政権に反対するための反対ですから、この時点で国民生活への認識は希薄化しています。政争ありきです。
税調と福祉関連の2回目の会合では75名の議員が減税に賛成し、反対は9名だったという。この数字が示すものは単純明快ではないですか。反対の狼煙を吐けば吐くほど、政治家としての醜態をさらすことになります。反対の為にはより明解な理由を語らなければなりません。しかし、それはあるはずもないのです。公約なんですから。
高市・片山最強コンビが思慮しているのは、景気の動向に照らして消費税率を効果的に上下できるヨーロッパ各国で実施しているシステムの日本式を実現しようとしているのです。プライマリーバランスを重視する単年度財政を5年にするというのも、長期的視野にたった経済戦略を目的としているのです。
高市総理の選挙戦で何度も聞いた話では、日本経済の再構築の為の投資戦略を惜しまないとしていました。消費税減税は、その為の第一段階の経済戦略であると考えられます。つまり、国民生活的には可処分所得が物価上昇の上をいくようになる必要があります。GDPや為替といった経済指標も大事ですが、高市総理は、企業投資をおしまず、生活支援もしっかりやるという経済音痴の我々でもわかりやすい主張をしています。つまり、減税だけを単体の経済戦略と考えるべきものではなく、そこに連なる経済還流を実現できれば、GDPや為替どころか、日本が国際環境においても重要な立場を再構築できると意識しており、更に云えば、税制改革の実現による財務省の支配力を縮小させる狙いが見て取れるのです。ですから、財務省は必至の抵抗を続けています。これにオールドメディアが反対意見を中心に報道して加勢しているというのが実態です。したがって、反対している議員たちは財務省の代弁者としての立場で発言しているとしか思えません。前述の議員の他に小渕、河野、船田、逢沢、古川・・・そうそう、この宮崎3区の古川が言う事には「総務会の了承を得ていない」です。真冬の選挙戦で自民党が訴えた公約はいったいなんだったのか!怒りを通り越して呆れますね。候補者全員が、自民党パンフレットを選挙戦に使い、減税を口にし、当落スレスレの候補者の多くが当選したのではなかったのか・・・ですよね。
さらに言えることは、こうした議員たちは媚中、親中の議員だということです。わずかに西田氏が違うかもしれないくらいです。国旗損壊罪の採決で退席した岩屋も同じ穴のムジナです。彼は、地元大分で問題化しているイスラム系の埋葬を土葬にという要望に添った言動もしている議員です。
まずは実行です。そして、実験的に税制改革を続けながらより高度なものへと進展させるのが高市片山コンビの狙いでしょう。財源については、誰よりも片山大臣が把握しているはずです。なにしろ、高市総理の発言に合わせたかのように、財務金融の重要人事を数日前に行ったばかりですから。今度は、総理が来月あたりに内閣改造の実施をするかもといった感じありますね。
給付金システムで減税分をという反対議員の声は、地方自治体の実態を理解できていないのです。各街のプレミアム商品券でもそうですが、補助金のかなりの分が協力団体に入り、市民への配金はその分少なくなるし、時間もかかるのが実情です。これはどちらもシステム上やむを得ないところですが、一番の問題は、一時金で高額の給付をしても、それが生活資金として活かされるかどうかは不透明だということでしょう。そもそも、消費税1%分は6000億円です。これの8%分を給付金で処理する単一戦略では、その後の戦略もなにもあったものではないでしょう。
高市政権は、財務省主導の緊縮財政によって失われた30年、いや35年を必ず取り戻してくれると思います。
ということで、減税はチーム未来を除くすべての政党の公約だったのです。国民民主の玉木代表さんは、総理が何か発言するたびに自論を変節させて批判論に変えるスタイルを常套手段にしていますが、党の低落の要因を理解出来ていないようです。変節や裏切りは国民はしっかり見ているものです。
No.3960 ふてくされ辞職
福岡県議会自民会派№2議員が辞職した。平静を装いながらの「誰も信じてくれなかった」と辞職決断の理由を語っている姿は、とても議員というイメージには程遠い。声紋99.9%の音声データは、さすがに自分のものだと認めざるを得ない状況に追い込まれたようだ。それでも、金銭は受け取っていないと言い張るのがいとも異様で滑稽に感じられた。なぜなら、音声の中で「大金だから大切に持ち帰らないと」といった発言があることを考えると、声紋結果は認めても、話の内容は認めないという頓珍漢な辞職会見であった。
さらにおかしいのは「蔵内議長は私の師で、いろいろなことを教わった」と、蔵内氏を間接的に擁護した。その蔵内氏はと言えば、「トカゲのしっぽ切りのようだと彼が言うから、君はトカゲはトカゲでもガラパゴスとかいうところにいる大型のトカゲだよと言ってあげた・・・」よくわからない話で、いわゆる記者をケムに撒くといった物言いなのだ。
ここまでの一連の受けごたえで感じるのは、誠実さがまったく感じられないことだ。ましてや、今後の調査の在り方として、告発した吉松議員は第三者委員会の設置を望んでいるが、疑惑の本丸である蔵内議長は、調査するためのふさわしい人を選抜するという。そんなことが許されるのか!
政治家の最も醜い部分を白眉に晒された当人としては、場合によっては禁固刑の可能性すらある贈賄カツアゲ事件の渦中にいるのだ。その人が調査の在り方に口を挟むこと自体異常ではないか。
過去にいくつかの同様の事件があったが、茨城県の場合は疑惑の議員がその後の選挙で当選している例もある。前号でも書いたが、議員の矜持の在り様とは別に、有権者にも問題があるのはいつの世も変わらない。有権者ならぬ有賢者になるのは難しいことなのだろうか。
No.3958 国旗損壊罪と自民党内逃亡劇
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国旗損壊罪が6月30日に衆議院本会議で可決され、現在参議院に送られ審議入りしている。これについては、共同提出者として名を連ねていた国民民主党と参政党は直前逃亡している。理由は比例一本での定数削減に噛みついたゆえである。党利党略を優先させる議論ごちゃまぜの両党については後日書きとどめたいと考えている。
JNN調査によると高市政権への支持率は67%という高い数値を維持している。外交に努力し、諸外国から高い好感度を得る総理を揶揄するオールドメディアの卑しい状況は相変わらずだが、どうして、自国の政権を貶めて喜々としていられるのか不思議でならない。
非民主主義の独裁政治下にある中露は、言論統制を敷かれ、国民が物言えば弾圧という強権をもって厳しい対応を迫られる。しかし、独裁ゆえに事の決定は早い。身勝手な方針も即実行される。日本ではどうだろう。民主主義の元で与党が3分の1を得ても、なりふり構わぬ野党の非常識政治手法がまかり通る。日本のマスコミは国会の低次元議論を維持させるために存在しているとしか感じられない。人の感性は個人のスキャンダルに目が無い。今、国会に影響を与えている中傷動画問題やサナエトークンなど、まさにマスコミがでっち上げた証拠の無いスキャンダルだが、これによって当事者である週刊誌は売り上げが上がることは間違いない。姑息な企業理念に国会が踊らされ、国民生活の議論とはかけ離れた委員会質疑が繰り返されている。
これを中心に質疑している杉尾秀哉議員を筆頭に、立憲民主党や中道の存在はもはやその意義すら感じない。国旗損壊罪に対する質疑で、誰かが怪我をした時、そこに国旗しかなかったら包帯代わりに使えないのかという頓珍漢な質疑も、人間がいる限り国旗以外に包帯になる生地が無いなどという仮説が成り立つはずも無い。また、損壊罪で罰になると思うと、国旗を掲揚することに怖さを感じないかという質疑も。ここまで屁理屈が創作される国会でいいのだろうか。こうした質疑をする議員は資質に欠けていると断言していいだろう。
笑止千万な議員の存在は、与党内にもいる。岩屋氏と村上氏はこの採決を“サボった”党紀反乱議員だ。党議拘束はかかっていたとすれば重大な党規違反と言う意味だが、たとえ、そうであろうとなかろうと、この二人は公然と総理の批判もしている。また先の総選挙で自民党が公約とした食品の消費税減税に関する調査会副委員長の職にあった小渕優子氏は、この職を辞任する形で政権批判に舵を切った。財務省の事情に詳しいということで選ばれたようだが、実は財務省べったりだったということのようだ。前総理の石破氏もそうだが、高市批判を公然とする議員が党内にいるということは、考えてみれば、ある意味民主主義が機能しているということではある。なぜなら、これが中国やロシアであったら、こうした議員たちはどうなっているかよくよく想像できる話であるからだ。しかして、こうした言論の自由や表現の自由を身勝手に振りかざしたいのであれば、党を離れるべきだ。それがしたくても出来ないのが政界らしさと言えばそれまでだが。
思い起こせばといった話で恐縮だが、私たち民間のサラリーマン出身者の経験からすれば、会社の方針に納得がいかない場面に遭遇した際、そこで、出来ることは従うか辞めるかの2者択一なのだ、私はこうした経験を何度かして今に至っているが、山崎豊子さんの「白い巨塔」や「沈まぬ太陽」では、政治と大企業等の癒着、そして、それに翻弄される企業人の辛く悲しいストーリーがある。まさにノンフィクションそのものだ。
それにしても、高市総理は野党やマスコミのハチャメチャな攻撃にさらされながらも、多くの分野でしっかり事を進めている。こうした実績を書かず語らずの反高市勢力にめげず、日々研鑽を続けている総理を長い目で見守り、期待することが今こそ必要だ。3分の1を得ながらも、じっくりと事を進める総理を静かに見守りたいと感じる昨今である。
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