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No.3834 健康に関する特別講演のご案内

2025.06.25

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 掲題の特別講演のご案内を! 多くの皆様のご参加をお待ち申し上げます。

 日 時:6月27日(金) 午後2時30分開会
 会 場:蓮田市総合文化会館ハストピア
 テーマ:いつまでも健康な足腰を!
    ロコモーティブシンドロームと骨粗鬆症の気をつけ方
 講師紹介
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No.3239 青春の詩=高齢者への応援歌

2020.01.29

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 過日、ある人が詩吟を詠うにあたり一枚の譜を参加者に配った。書かれていたのは人生の応援歌、特に高齢者にとって生きる糧となる詩が書かれていた。大げさかもしれないが私は正直にそう感じた。詩吟の世界を知らない小生に、詩吟というものは詠う題材を選ぶにあたり、漢詩、和歌、歌詞、名言など、その対象は特に限定されているわけではないということをその方が語ってくれた。
 それがゆえか、そこに書かれていたのはサミュエル・ウルマンというドイツ生まれのユダヤ系アメリカ人の詩であった。ウルマンについての詳細はウィキペディアでご確認いただくこととして、1840年から1924年、日本では幕末激動期から明治にあたる時期に生きた実業家、詩人、人道主義者として知られる人物である。詩人としては70歳過ぎてからであり、人道主義活動としては、黒人教育の必要性を訴えた歴史的経緯があるということが要因のようで、多くは実業家としての評価が占めているようである。
 さて、私がここで紹介するまでもないほど有名な詩かもしれないが、あえて紹介しておきたいと思う。訳詞はいろいろあるようだが、最もわかりやすく、背中を押してくれそうな訳詞を枝久保選ということで。

  歳月は、肌にしわを刻むかもしれないが、
  情熱を無くすと、魂がしわだらけになるのだ
  
  青春とは、人生のある期間を言うのではなく
  心の様相を言うのだ

  すぐれた想像力    
  たくましき意志    
  燃ゆる情熱 
  危機に立ち向かう勇猛心
  安易を捨て去る冒険心

  こういう様相を青春というのだ

  人は、年を重ねただけでは老いない
  理想と情熱を置き去った時
  人は、老いるのである

 70過ぎてから本格的な詩の世界に取り組んだウルマン。この「Youth]と称される青春の詩は、実は、自らの老いに立ち向かう情熱を檄する目的のようにも思えるのだが、実際に84歳という当時ではそう多くはない長寿を実現したことにつながっているのではないだろうか。そう思うと、現代にも通じるというか現代人の多くが忘れかけている高齢者への応援歌に聞こえてくるのである。へこたれてなるものかという想いが湧いてくるようではありませんか?

No.3202 サルコペニア

2019.11.11

 聞き慣れないこの言葉。実は筋肉に関する医学用語です。
 加齢などにより筋肉量が減少し、全身の筋力が低下した状態をサルコペニアという名で診断対象となるものだそうです。この診断をするにあたり、新たな基準が日本サルコペニアフレイル学会によって発表されたという報道がなされました。
 これは、国が75歳以上の後期高齢者を対象に、要介護になる可能性を把握するための「フレイル検診」を2020年度から導入することに関連して設けられた基準ということになります。
 サルコペニアになると心身全体が衰える、いわゆるフレイルという現象になると考えられており、たとえば、この状態で歩行中に転倒すると寝たきり状態になる危険性が高いと考えられています。

 診断および予防の両面からサルコペニアかどうかを判定する予備テストが新たな基準として設けられました。それは次のようなものです。
■握 力・・・・・男性28㌔未満、女性18㌔未満しかない場合
■立ち上がり・・・椅子に座った状態で立って座っての動作を5回行い、12秒以上かかる場合。
 このどちらかでも当てはまる場合、サルコペニアの疑いがあるとされます。
 私は、今のところどちらもクリアしてることがわかり一安心といったところです。ちなみに握力は右43、左40で年齢並み以上の数値ですが、70歳を超えると身体のあちこちに不具合が生じると先輩連から言われる日々ですので、常に健康管理には気遣うように言い聞かせています。
 筋肉が弱るという意味ではパーキンソン病などもありますが、専門医の先生が言う予防対策は、とにかく1日40分歩きなさいと。知人の付き添いで一緒に医師の話をちょくちょく聞く機会があるのですが、歩くことがすべてに良いということのようですね。もちろん歩き方は考えなければなりませんが。
 一般論として、ペットボトルの蓋が固く感じる、プルトップ缶詰の蓋を引き上げるのに重く感じる、歩幅が狭くなった気がする、歩くスピードが遅くなったなどを実感するようになった場合も筋力低下に関連しているのでしょうか? いや、私がそうだというわけではありませんよ。

No.3063 済生会病院さらなる詳細

2018.12.05

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 いやー暖か過ぎて野菜の成長に狂いが生じているらしいです。人もおかしくなりますよね。地球環境問題が今まさに国際議論の真っ最中ですが、国連事務総長の演説が心に刺さります。

 前号の続編ということで、済生会病院のより具体的な内容が明らかにされたので、少々前号と輻輳しますが、あらためてご案内することとします。
◆開院・・・・・2021.10予定
◆総事業費・・・130億円
◆建設地・・・・加須市礼羽7-1
◆敷地面積・・・41385.34㎡
◆建物・・・・・6階建て免震構造
◆述べ床面積・・22,800㎡
◆造成工・・・①敷地内盛土 ②外周施設設置 ③駐車場地下貯留施設8000t分
◆着工・・・・・加須市が行う造成工事後、2020年春着工予定
◆病床数・・・・304床(うち4床は感染症用)
◆診療科目数・・24科目(栗橋済生会と同数)」
◆市の補助金・・上限50億円(建設工事費40億、医療機器購入費10億)

 以上となっており、今後加須市として議会に諮る状況となっています。ここまで具体的な計画が示されたことで、栗橋での存続を望む思考から同じ医療圏に完成する新病院に期待する方向に比重を置くべき段階に来たのかもしれないと感じる次第です。

No.3062 済生会栗橋病院の加須移転

2018.12.04

 やけに温かい今朝。ニュースではタンポポやひまわりの群生やイチゴの早生出荷を報じている。そういえば数日前のことだったが、権現堂第4公園第一駐車場内では桜が開花していた。今朝のスクールガード時には元気に飛び交うシジュウカラやメジロの姿を多く見た。暖かいとは言いながら巷では風邪が流行っている。小生も処方箋のお世話になった一人だが、今後、とくにお年寄りや子どもたちにはインフルエンザの流行に注意する季節となる。

 病気と言えば、済生会栗橋病院の加須移転について加須市側の対応がほぼ明らかにされた。もちろん議会案件ではあるのだが、去るのではなく来るのだから加須市民が長年望み続けてきた総合病院移転の話は問題なく議会でも進展するものと思う。名称は済生会理事会で埼玉県済生会加須医療センターとして示された。12月議会では教育現場の空調設備整備計画に30億円近い予算案件があるというが、よほどのことが無い限り速やかに進むものと推測している。
 その加須市側の建設支援対応だが、総事業費のうち50億円程度の補助金を予定している。内訳内容はあきらかではないが、12月議会では加須駅南口から約1キロ程度南下した地点に予定されている建設用地(41386.34㎡)の地下貯留施設、外周施設、敷地内の造成などに5億4千万円を計上するとしている。その他、開院予定の2021年10月までの3年間で周辺道路の整備等々、総事業費130億円、病床数は当初の200から300床近い規模の総合病院誘致の結果として加須市の医療福祉体制が整うこととなる。幸手から久喜に移転した久喜総合病院で久喜市が捻出した補助金は30とか35憶とされているが、ご存知のように同病院はわずか3年程度で経営破綻した。その後の経緯で、より高度医療福祉への道が開かれた感もあるので結果オーライではあるが、埼玉県利根医療圏の範囲として幸手市や久喜市の住民も、外来はもとより救急搬送される可能性のある病院として、ある意味、地域医療福祉の高度化という観点から期待するべき新病院と考えたい。
 反面、現在の病院後利用についてより具体的な情報がないのが気になるところだ。丸ごとそっくり引き受けたいという話があるようにも聞き及ぶが、利根医療圏の設定病床数としては簡単に進む話ではないかもしれない。

No.3047 頑固老人のいざこざ?

2018.10.23

 急激に寒さが増している。油類の価格高騰は、今年の冬のぬくもり費を押し上げることになるだろう。ことに、高齢者にとっては身体にも家計にも厳しいことになりそうだ。高温続きの狂夏も辛かったが、酷寒、厳冬を乗り切るのも100%健常とは言えない高齢者にとって楽なことではない。
 しかし、落ち着いた暮らしが出来るものと一般的に考えられている老人施設にも、陽気がもたらす厳しさとは別の想定外の落し穴があるようだ。

 熊本県宇土市の養護老人ホームで殺人事件が発生した。サスペンスドラマではない実話だが、別に驚く話としてブログに取り上げたわけではない。こうした事件が起こる可能性は大いにあると思われる。まだ、今回の事件の動機などの詳細はあきらかではない。状況としては2年前から入居している62歳の男性が被害者で、容疑者の80歳男性は4カ月前に入所してきたばかりだという。
 これで感じたのは、まだ元気に社会貢献している年齢と普通一般に考えがちな60歳熟年が、どういった事情で養護老人施設に入ることになったのだろうかということ。さらに、入居したての80歳が包丁で相手の腹を何度も刺すという行状には、いくら頭をひねってみても、そこに至るシナリオが思い浮かばない。
 福祉という観点における高齢者施設では様々な事件が発生する。介護職員による虐待暴行もたびたびのことである。施設の拡充や人的要素の向上という政治行政的課題がいくら解決されようとも、そこに拘わる人心が複雑に絡む一つ屋根の下では、身勝手な自己流モラルが飛び交うものなのだろうか? そう考えるとせつなく夢のない世界としか感じられないのだが。
 今回の事件の当事者二人にとって、養護老人ホームはけっしてやすらぎの郷ではなかったということになるが、入居者同士の頑固さに起因するいざこざは日常的なのかもしれない。
 

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