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No.3001 躾、体罰、折檻、虐待(2)

2018.06.14

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 福祉部長「平成12年度制定の児童虐待防止法は、20年度には強制立ち入り権限が追加されるなど制度強化が進められてまいりました。県では法令に基づき、児童虐待に着実に対応するとともに、更なる改正が必要な場合には積極的に国に働き掛けてまいります。また、要保護児童対策地域協議会において市町村、児相、教育、医療、警察などの関係機関が参画し、情報共有や取り組みの確認などで連携を図ってまいりました。さらに、それぞれの関係機関が虐待ケースにしっかり対応するためには、職員の対応能力の向上を図ることが重要です。そこで、県ではOBも含めた児童相談所職員を市町村に派遣し、専門的な指導を行う一方で、市町村職員の実務研修などを行い、資質向上に努めてまいります。また、学校の教職員に児童虐待防止研修を行うとともに、教育局が行う研修に講師として派遣するなど、教育との連携においても子供の安全を最優先に対応してまいります」(以上抜粋要約)

 警察本部長「児童虐待は、心身への影響ばかりか生命の危険もあり、未然防止の観点から早期救出・保護など被害の拡大防止を警察の重要な責務と位置づけ対応に努めます。現在、県民からの通報や相談により虐待事案と認めた場合には、速やかに児相へ通告するとともに、児童の安全が疑われる場合には、警察官が直接状況を確認し、児相からの援助要請には積極的に対応いたしております。今後とも、児相や市町村などの関係機関と緊密に連絡しながら事案への介入を積極的に行うなど、児童の安全確保を最優先にした対応に努めてまいります」(以上抜粋要約)

 これは前号で示した私の質問に対する当時の福祉部長と警察本部長の答弁内容です。言葉が形式的に過ぎ、福祉部長は警察との関わりには弱含み、警察本部長は実態が把握し切れていない様子で、上っ面な感じが否めませんが、これは一般質問特有の有り様で、とくに縦割り見直しに関する内容の場合だいたい物足りないまま終わってしまうのが通例です。
 今回の結愛ちゃん虐待死事件の場合は、児相職員の対応不十分さが原点にあり、対応力の欠如か認識不足か、はたまた職務怠慢かは不明だが、警察への援助依頼が実行されなかった。ことに、関係機関の連携がいかに重要かは6年前の私の質問時でさえあきらかになっているわけで、全国的な取り組みが遅れている案件と言っても過言ではない。あれから何人の子供がひどいめに有っているか。
 埼玉県でいえば、
 2012年熊谷で1カ月の哲平ちゃん暴行により右足骨折、脳損傷で死亡
 2013年久喜で14歳と10歳の姉弟が母親に刺されて死亡、
 同年8月さいたま市で1歳凛愛ちゃん母親により炎天陽気に放置死
 2014年春日部5歳男児が全身打撲で重傷
 同年6月草加で3歳舞風ちゃん継母に押し倒され急性硬膜下出血で死亡
 同年12月さいたま市で7歳男児が父親の暴行により急性硬膜下出血で重体
 2015年狭山で羽月ちゃん3歳が全身やけどやあざだらけで死亡
 2016年岩槻で2ヵ月の男児が頭の骨を折り重傷

 躾と称した似非躾は枚挙にいとまがない。そして、躾が加害者側の言い訳になっているから始末が悪い。私たち世代は心の痛みも身体の痛みもともに理解できている世代と言えるが、20代、30代の若い親の感覚は理解に苦しむことが少なくない。一昨日は、臨月の若い母親が漫画喫茶で生み落とし、産声でばれるという理由で我が子を絞め殺し、コインロッカーに放置した事件があった。快楽は求めても避妊の知識がないのか怠るのか、安易な妊娠が多いように感じる昨今ではないだろうか。もちろん、立派な若者もいるのだが、世間というのは当たり前の存在や当たり前の思考は表面に出ることが少なく、少数意見や反主流思考が大きな声となって世にはびこるものである。
 バツイチという言葉が当たり前のように発せられる社会になり、とくに継父による虐待と夜泣きに耐えることの出来ない若親が増えてるように思えてならない。こうした事案は氷山の一角であり、全国規模で言えば今現在も虐待されている子供がいるかもしれないといった虐待過密列島状態なのである。
 前号のブログを発信した翌日の新聞で、上田知事が児相が把握した虐待と疑われる案件のすべてを県警と情報共有する方針を示したとの報道がなされた。理由は、今回の事件で児相と県警の連携強化の重要性が指摘されたことによるとしている。何を今更と言いたくもなるが、まあやらないよりはやるべきであると考え、遅れたことはこの際問わないこととしよう。もっとも「県警と調整している。本年度中にも出来ると思う」ですと・・・どこかのんびりしているようで。縦割り解消は現場サイドからするとなかなか難しいということなのだろう。長く続いてきた伝統慣習であっても、時代と社会の変化に合わせて柔軟な対応をするべきなのだが・・・・。
 まだ、この案件、書き足りない。後藤啓二弁護士のことも書きたいところで書いていない。
 米朝会談・・・あんな世紀のパフォーマンス・ショーなど評価の対象にもならない。アメリカン・ファーストのコストカッターマンとして世界の安全保障を後手にするところは、米大統領かつ世界政治のリーダーとしての資格が欠如しているように思える。とにかく困ったものだ。今回の会談実現は中間選挙プラスノーベル賞狙いなのだろうか。金正恩の背後にはしっかり中国がいるというのに騙されるにもほどがある。
 開会前日の監督交代。ハリルどころの話ではない。こうした点で人情は存在しない。契約社会をまざまざと知らしめたスペイン。日本人的には評価の分かれるところだが、けっしておかしなことだとは思わない。それと、個人的な思いで恐縮だが、本田より香川好みの小生としてはパラグアイ戦の結果はスカッとした。次回は再度虐待関連で・・・しつこくてすみません。

No.3000 躾、体罰、折檻、虐待

2018.06.11

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「昨年、春日部市と新座市で父親による虐待で男児2名が亡くなりました。最近では、千葉県で子供に車のバッテリー用の希硫酸液を目に注入していたという信じられない虐待もありました。こうした児童虐待事件は後を絶たないどころか増加傾向にあります。いたいけな子供の虐待は社会全体で防止し、撲滅しなければなりません。春日部市の例では、要保護児童対策地域協議会が見守りを続けていました。この時点で危険域に入っていたわけですが、同協議会はネグレクトの危険性はないと判断し、保護対象からはずしました。その後、市のケースワーカーが訪問を重ねていましたが、対象からはずした9ケ月後に会えなくなり、更に8ヶ月後に男児は亡くなりました。小さなうちから虐待を受け続けるとそれが当然のこととなってしまい、子供自体が虐待を受けているという自覚が生まれないそうです。私は、この児童虐待に関しては新たな法規制が必要と考えます。既に、大阪、和歌山、三重の三県で児童虐待防止条例が制定されております。早期に虐待を発見し、安全に子供を保護するための条例は埼玉県でも緊急に考慮すべきものと考えますが福祉部長のご所見を伺います。
 次に、県警が平成22年に取り扱った児童虐待事案は340件でしたが、驚くことに翌年には948件で608件も増加しています。警察が関わる数が増えたことについては評価がまちまちですが、私は、警察は今まで以上に虐待撲滅体制の構築に向けて関わりを深めていくべきと考えます。県警本部長のご所見を伺います」

 この文章は、埼玉県議会平成24年6月定例議会において私が行った児童虐待に関する一般質問です。質問項目が複数に及ぶことからそれぞれを深く掘り下げることは至難であり、短文にどれだけのエッセンスが盛り込めるかといったところなのだが、読み返してみると、今回の目黒の虐待死事件の問題点を言い当てている。もっとも、それも当然のことで、この質問を項目として提示したのは、児相まかせの縦割り行政では虐待が減ることはないと考えての質問だったからだ。事実、質問の対象にしてほしくないという執行部の雰囲気を感じたものだ。
 「しっかりするから、もうおねがい ゆるして」 これは、船戸結愛ちゃん5歳が書き取り帳につづった反省文とされる文章の一部だが、私には反省というよりは命乞いの叫びにも感じられ、非道・鬼畜な親への憤怒が止まらない。この虐待は香川県で2度の児相保護があり、東京品川区の児童相談所にもその情報は連絡がなされていたというのだが、心の足りない仕事に終始した結果、悲劇の結果を招くこととなった。そもそも、訪問しても合わせてもらえない状況は只事ではないと判断すべきで、そこで警察にゆだねることが何故出来ないのか! この児相から警察の連携がシステム化されているのが全国で高知、愛知、茨城の3県だけという報道にも驚いた。先進的に県条例を制定している前述の大阪、和歌山、三重でさえ相変わらずの警察介入の制度化が未整備だというのだから、何か制度化を阻む壁があるのかとの疑問が生じる。

 この質問をした2ヶ月後、平成24年8月17日に、今回の目黒虐待死事件で的確なコメントをテレビラジオで発信されている後藤啓二弁護士に講師を依頼し、自民党県議団の勉強会を提案し、実施した経緯がある。講演のテーマは「子どもを虐待から救うために」だった。この時期、私は県議会に児童虐待撲滅推進議員連盟の立ち上げを提案した。そこで議論・研究して議員提案の条例を作りたいと考えたのだが1期先輩の議員に少し待ってほしいと言われ、結局任期中に立ち上がることはなかった。その後、虐待に関するプロジェクト勉強会が出来、昨年の6月議会で「埼玉県虐待禁止条例」が制定された。残念ながら児童虐待は一向に減る気配がないのは無念と言うしかない。後藤弁護士が説いている解決策に県が踏み込まない現状なのだ。もちろん、3県を除く44都道府県が同じ状態ということなのだが、虐待の多い東京や大阪などはあまりにものんびりしすぎている。小池都知事の今回の事件に対する感想は「どうにかならなかったものか」である。問題意識の無さ過ぎにあきれてしまう。
 3000号は、私の活動テーマの一つである児童虐待を選択したが、次号もこのテーマになることは決まりです。もう少し後藤啓二弁護士の考えに触れてみたいものですから。

No.2999 報道のタイミングに???

2018.06.05

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 6月初旬ということもあってか、まだ昼夜の違いはあるが、昼間は30度を超え、外に出ただけで汗がしたたる感じ。これで熱帯夜にでもなったらと思うと先が思いやられる。
 思いやられると言えば、新潟県知事選挙が過熱している。3日の日曜日は野党6党の代表が勢ぞろいで新潟駅前で元県議の女性候補の応援に声を振り絞った。枝野、玉木、大塚、志位、小沢、又市の6氏に加え、無所属の会の岡田氏まで加わってのそろい踏み。白波五人男ならぬ反原発7人男といったところ。反原発を訴えるのはいいが、肝心の候補者が考える新潟県民の基本生活に関わる政策論が語られていないようで、この点は与党連合の側とは異なる。ひたすら柏崎原発のリスクを声高に叫ぶ人たちが、日本の政治の一翼を担う政治家たちであることに個人的には強い違和感を感じる。岡田氏がマイクを持つ場面で、その両脇に志位、小沢両氏がいるのも隔世の感といったところ。今に始まったことではないが、あらためて政治の不確定要素の代表的なものを見させられている気がしてならない。

 さて、そんな熱い戦いが地方で行われている最中に安倍政権の支持率が過去最低の39%台に下がったというニュースが報じられた。出先はTBS系JNNということからタイミングとしてはまさに新潟知事選を意識したものと考えてもあながち間違いではないだろう。国や国民のために役に立つべき国家役人による文書改竄問題やモリカケ問題で、不信任を連発し、内閣総辞職や大臣辞任を求める野党を後ろで支えるマスコミは、国際情勢と日本の関わりの先行きにどのような展望を持っているのだろうか。ネットニュースでは、朝日新聞デジタルが盛んに新潟知事選は来年の参議院選挙での与野党決戦に影響するとしているが、そのためには知事選で野党が推す候補が勝たねばならないと言っているように感じるのは気のせいだろうか。抽出対象1200名という小さな集計結果が国を左右するほどの大ニュースとなって伝えられる。困ったものだ。最も、この報道は長続きすることなくすでに目に入る状況ではなくなっている。ニュースとしての価値観が問われたのか、それとも他のニュースの重たさに先を越されたのか。
 反原発オンリーでの知事選が、候補者の基本的人間性や政治家としての器を有権者に見誤らせ、わずか2年で辞職という結果の知事選だったことを忘れてはならない。弁護士のバッジを付けていれば優秀であり、反原発を唱えれば眼鏡にかなうという候補者選択は危険だという教えを新潟県民がどこまで理解しているかではないだろうか。
 かの立民党枝野党首も弁護士で雄弁のはずだが、先の党首討論ではモリカケ問題に終始し、首相辞任を求めはすれど肝心の政策論は一切しなかった。同党の辻本清美委員長も画面に出るたびに発するのは〇〇はお辞めになるべきだの言葉だけでテレビも同じ編集ばかり繰り返す傾向にある。辻本氏が同じ言葉を発し続けるとサブリミナル効果が視聴者に生じるとでも言うのだろうか。ともあれ、今の野党に建設的な議論構想はないようだ。国民の側にもスキャンダルに対する野次馬的要素が強いこともあって、そこにつけ込み優位性を保とうという、およそ本来の政治から離れた姿しか映さない政治現状である。嘆かわしいことこの上ない。
 さて、次号はいよいよ3000回の節目の号となります。テーマの選択に迷いますね。

No.2998 野党論理は政治貧国の証し

2018.05.26

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 今号は「政治は生きている」コラムだが、現実の政治は生きている感を国民に与えてなどいない。モリカケ問題は確かに国民の信頼を裏切り、不信感を募らせたことは間違いない。しかし、この間文科省、財務省、防衛庁などを舞台にした国家官僚の働き手たちによる真っ当とは言えない仕事ぶりが国民の前にさらけ出された。官僚主導による行政の問題点は以前から多くの批判の声があったわけだが、それは知的レベルの高い官僚が作るシナリオが、政治の柱になり過ぎる結果、政治家は官僚だよりになっているという問題だったはずなのだが、モリカケや自衛隊日報問題で浮かび上がったのは、そこまでかと感じるほど手抜きごまかし仕事の実態であった。そこで、さてそれは…誰の責任かとなるのは必定で、霞が関の不始末は政権の責任だとして、野党は政権と安倍総理の責任追及に的をしぼり、途中18日間も国会をサポタージュした。今になって審議不足だと安倍総理をなじってみても、やるべきことをやらずの立場が言えたものではない。マスコミはマスコミで国会外野党になりきって言葉狩りや情報追加調査にあくせくする。それにしても、反日マスコミがこれでもかというほど霞が関の問題を入手することが不思議でならない。もっとも、今まで隠蔽されてきた官僚政治の暗部があぶり出されたことは意義深いと感じるが、野党が国際情勢や国民生活を脇において、ただただモリカケ1本で安倍政権と安倍総理個人に向け、安倍おろしを謀ることが国益に合っているとはとても思えない。その手助けをしているのが反日マスコミ軍団である。手助けと言うよりは主体的役割を担っているとも言えるわけだが、さすがに国会で直接安倍政権と対峙出来るものではないので、盛んに野党の口撃材料つくりに余念がないということである。野党はと言えば審議復帰後も不信任案の連発状態。日本が世界的にも政治貧国の状況にあると考えている国民がどれほどいるかはわからないが、我が国が置かれている国際状況をふまえるならば、モリカケが2年にわたり国会の議論の中心であっていいはずがない。国民ももっと怒るべきだと思うが、マスコミに引きずられる人もいないではない。
 モリカケも米朝初会談や日大アメフト部暴力タックルに影を潜めた感があるが、残念ながら一時的なものと思えてならない。かの野党議員たちが金太郎飴のように安倍批判を繰り返す中、今度は「安倍化は許さない」と野党議員が騒いている。安倍化とは??? 日大アメフト部の監督・コーチの釈明は、指導者と言えるシロモノではなく、自己保身が際立つずる賢さしか感じない。そこで、この監督を安倍総理に置き換えてダブって見えると国民に訴え、世の中が責任逃避社会に変質しつつあり、その原因は安倍総理にあると言いたいようだ。しかし、深く考えることなく発する理論だから稚拙としか感じない。人間性が欠如した独裁監督が我が子のような年齢の学生の反骨精神を奪い、従属させるのはたやすいことであろう。まさに恐怖政治である。しかし、総理もしくは政権と霞が関官僚との関係が、この日大アメフト部のような体育会系監督とその部員の関係と同じであるはずがない。何度も書いてきたが憲法改正論議から逃避する材料にモリカケを使い続けるマスコミと野党。日本の憂うべき現状はこのマスコミと野党議員の質の低下も一因にあると言っても過言ではない。政治に関心を呼ぶご意見番的名物議員がいなくなった。
 先日の愛媛県知事が披露した文章を公的文章だといきまいた枝野幸男立民党首の確認不足の間違いもひどいが、これを安倍失政再発見とばかりに1・2面で取り上げた新聞にもあきれた。
 自衛隊員が路上で会った国会議員を批判した一件もしかりで、私は自衛隊員の言葉は的を得たものだと思っていたが、そのままではすまされなかった。今、なにかと話題の自衛隊員の言葉の根底にあるものを、かの議員の国会言動とからめて深く掘り下げるべきで、間違いでしたと訂正させる力が働くのがおかしいのだ。相手が国会議員だから? マスコミが伝える内容に一喜一憂せず、しっかり見極める癖を強化しなければと思う今日この頃です。

No.2997 組織的保身はスポーツ界の汚点

2018.05.23

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 怒りが止まらない! 昨日、自らの暴力タックルに起因する状況を説明するために素性を明らかにして記者会見に臨んだ宮川選手。彼の説明全文は読売朝刊で再確認したが、これだけのストーリーを創作しようにも出来るはずもない。おそらく若干の記憶違いがあったにせよ、多くは事実を真剣に伝えているものと信じたい。まして、試合後には監督やコーチとの話し合いもあり、彼の父親も同席している場もあるというし、真実を述べることによって彼は傷害罪という負い目を受ける可能性すらあるのだ。謝罪という観点から表に出ることを申し出るも大学側から止められたが、事の大きさが拡大する状況に耐えられず弁護士付き添いでの会見を単独で実行するに至った。いわば、本来大学側が率先してするべきであった説明責任を学生が先出しした。ところが、説明を拒み辞任で幕引きを謀った監督・大学側の根性の悪さは最悪のものと言えよう。つまり、先出しした学生の説明を後出しで否定したのだ。小生は学生の話を聞いていて、録音しているわけでもなく、言った言わない、聞いた聞かないの行き違いにひょっとすると大学側は「しらを切る」可能性もあると感じていたが、まさにその通りとなった。
 大学側は宮川選手の説明に対し、迅速に文章で反論した。ならば、なぜ学生より早く説明責任を果たそうとしなかったかに疑問以上の憤りを感じる。相手大学への謝罪こそ宮川くんを伴って迅速に対応するべきであったであろう。前号でも書いたが、日大は段階的にいくつもの対応不足をしていたにもかかわらず宮川君に対する否定反論は迅速だった。
 誤解や乖離を前提にしたコミュニケーション不足が原因だとする言い逃れも、薄汚い上から目線の大人の世界を標ぼうしているようでどうにも釈然としないどころか得も言われぬ悪寒さえ走る。
 宮川くんが監督・コーチの指示に逆らうことが出来なかった事実は、体育会系の経験者であれば理解できるところだろう。それについては勇気がなかったということになるのかもしれぬが、昨日の記者会見は周囲から勧められたことがあったにせよ勇気ある行動だった。テレビでも盛んにこういった記者会見は前代未聞だと評していた。だからといって、これで彼への全面的な了解がはたされたということではない。彼の苦しみはこれから幾重にも連なってくるものとは思うが、20歳の身にはまだまだ大きな未来が待ち構えていることも間違いない。
 それにしても、知人友人にも日大出身者は多い、おそらく卒業生も日本一を誇るであろう同校が、今回の事件で著しく信頼を低下させたことは間違いのないところで、反省や学生への思いやりもない校風体質に恐れ入りましたと評しておこう。もちろん、最大の皮肉である。この事件に関わりのない日大関係者にしてみればさぞや忸怩たる思いでいることだろう。今後は、内田監督が迅速に説明責任を果たすことが望まれる。宮川くんの主張が万が一日大組織に太刀打ち出来ない状況となったならば、現役アメフト部員の表に出ての証言が鍵を握ることにもなる。警察の捜査はそこまで行く可能性もあるだろう。選手は我が子同然とよく言うが、その我が子を貶めるシナリオが大学と部活ぐるみで創作されるようなことは誰も期待していない。

 スポーツの世界には常に悪意の思考が潜む。八百長、薬物汚染、ハラスメントetc。アメリカで起きたスポーツドクターによる女子選手への性的虐待は、自らの快楽を求めたものでその異常性が際立つが、この例の主犯は指導者でも選手でもない。指導者や選手自らが発する悪意の思考の多くは、勝負に勝ちたい、懐をあたためたいというものに尽きるのかもしれぬが、勝たんがために相手をケガさせ、その結果として半身不随とか死に至る可能性に思いが至らないのであれば、これはもはやスポーツとは言えない。今回の事件で、日大には脈々と続いてきた相手選手への反則行為を指示する指導が存在していたと理解せざるを得ない。他の大学のアメフト部に同様の精神があるかないかは不明だが、この事件をきっかけにして本来のスポーツマンシップとは何かを組織的に見つめる機会にしてもらいたいものだ。大相撲では昨日、横綱が幕内に対して横に飛ぶという真っ向勝負を避ける取り組みに国技館全体が大きなブーイングでわれたが、勝てば何をやってもいいのかにはファンの目も厳しさを増していることに上層部が危機感を持つ必要があるだろう。
 政治に関わるものを除いて、単一テーマを3回連続で書いたのはおそらく始めてかもしれない。この事件は、鈴木大地スポーツ庁長官や林文科大臣も看過できないといコメントを発しているわけで、スポーツを通しての教育の在り方、人間形成、指導者資格等々の観点から国会で取り上げてもいい、というか取り上げるべき社会問題だと思うが・・・6月10日の閉会を前に提出議案の成立に意欲を示す与党はさておき、モリカケ問題に執拗な狂気を示す野党議員たちにはおそらく届かないでろう。

No.2996 人間教育は自らに課せ

2018.05.19

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 日大アメフト部の暴力タックル事件が社会問題化し、さらには刑事事件化しそうな状況にある。事が起きた試合は6日だったが、ニュースに取り上げられたのは数日後で、その後徐々に取扱い時間が加速度的に増加する状況となった。小生がネット動画を見てブログに書いたのは15日だったが、とくにその翌日からは連日連夜のワイドニュース材料となっている。そして、今日19日の午後、試合から13日目になってようやく日大監督が関西学院大の監督、選手、保護者に謝罪に出向いた。
 この問題が何故これほど大きな報道対象になったかと言えば、小生も指摘した通り加害者と被害者の立場がはっきりしていること、つまり犯罪行為にもあたるもので立派な刑事事件ではないかという点にある。なんども映し出されるタックルシーンでは、関西学院大QBが自動車の衝突時衝撃度実験で人形が倒れるのと同じような倒れ方をしている。これは気も身体も無防備状態で後ろからタックルされることがいかに危険かを示している。意図的であれば立派な傷害事件として立証可能なあるまじき行為なのだ。
 さらには、加害当事者側に幾つかの段階的な対応不足があることから、スポーツマンシップを問うどころか根底にある人間性が問われているということにあり、世論の評価はこの二つに尽きると思う。
1.「1プレーでQBを壊せ」
  (真偽は明らかではないが監督がしたとされる指示)
2.最初のプレーで交代させるなどの采配をしなかった。
3.退場を宣告された選手がベンチに戻るも注意は無し。
4.報道後も雲隠れという表現が出るほど監督は表に出なかった。
5.今日の謝罪後の会見で「一切弁解はしません」と発言。
6.状況説明もせず監督辞任を責任の対象に事件の鎮静化を図るかの姿勢。
7.相手が求める詳細な状況については後日文書で回答するという。
 語り部によってはタックル選手の今後の人間教育に目を向けるが、それ以前に日大側は為すべきことをしていないとの世論が大勢を占めており、それが憤懣やるかたないといった一般評価につながっている。結果として日大の対応は後手に回っているというのが実情である。今日の監督の会見で「一切弁解はしません」というのも、弁解じゃなく事情説明をすべきであり、その説明責任から逃れるべきではないのだ。弁解などは誰も聞きたくないはずで、どうもこの監督はボキャブラリーが不足しているのか使い方がわかっていないようだ。こうしたことも相まって、詫びに行くのにピンクのネクタイはないだろうと個人の好みまで揶揄されてしまう。世間とはそういうものだ。恋は盲目という言葉があるが、その逆も真なりということである。
 関西学院大は刑事告訴も視野に入れているという。対応がグズグズすればするほどいずれこうなる可能性は十分考えられた。
 大学生までのスポーツには、間違いなくパワーハラスメントが存在していると小生は思っている。実際にそう感じる指導者を何人も見てきた。指導という言葉の名を借りて、自らのストレスを発散させているかのような指導者は案外に多いと思っている。怒ると叱るは違うが、この違いは言い方とか諭し方の有り様もあるが、それ以上に求められるのはフォローの有るか無しかである。怒りを目下にぶつける場合、激情した照れ臭さによる体裁つくりのフォローはあっても心からのフォローがない。精神的冷静さを欠いて言葉をぶつける怒りの指導は指導ではない。目下の心に恐怖感を植え付け、平常心を奪い、屈服させるいわば催眠術的指導法とでも言うべきだろう。
 日大アメフト部の内田監督は大学の常務理事で人事担当責任者だという。これも職員であるコーチが逆らいにくい状況を構成している。だいたい、人事や予算を握った責任者の人間性によっては組織が向くベクトルは全く異なる。さて、財務省、経産省、総務省、文部省、防衛庁といった日本有数の知能を誇る世界はどうなのだろうか?

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