記事一覧

No.3048 タウンミーティング 感想①

2018.10.27

アイコン

 26日19時から掲題の行政現況説明会が西公民館で開催された。
 私は、現在充電中ではあるが政治のかたわらに身を置く者として、現行行政の実態とまた幸手市の未来への関心から参加した。
 また、今年度限りの任期ではあるが、地域における自治会長・区長という立場にあることから、地域に関連する何かがあるか!との予感も参加を促すきっかけになった。そうした空気を助長する声も私の周りに強かったが、どうやら声だけだったようで拍子抜けした。30名ほどの参加者のうち香日向住民は見る限り5名程度、職員が3分の1ほどいる感じで、住民の関心が相変わらず低いことがうかがえた。栄団地、天神島といったところからの参加者がいたことは特筆されることであった。
 約1時間ということで始まった会の冒頭30分は市長による市政報告で、その後は参加市民による質問・意見・提案・要望なんでも結構の時間が40分ほど設けられた。そもそもこのタウンミーティングと称する住民説明会のサブタイトルが、“渡辺市長と語ろう”となっており、まるで市長のミニ集会的政治活動を意味するようで若干の違和感は拭えない。市民の中には、税金を使っての街づくりを選挙対策にしているとか、職員に応援させているという声があるようだが、それは良くも悪くも税金の使途を市民のために考えるのが首長の役目であるから、全面的にそうした批判が当たっているとは思えない。ただ、自らが30分説明する内容はいいことづくめで、質問への対応はほとんど部長にさせる手法では市長と語ろうという状況ではないし、1年後が市長選という時期でもあるので、現職市長の立場にある者としては重々誤解が高まらないように思慮するべきであろうと感じた次第。
 実際に配布されたレジメやパワーポイントによるプレゼンテーションを見る限り、なんという素晴らしい街なんだろうと感じさせる内容であり、市長もそれに合わせて話す流れで、課題や問題点に言及するでもなく、とくに財政や行政課題別の現状を数字で説明するといったような点は皆無であった。

No.3047 頑固老人のいざこざ?

2018.10.23

 急激に寒さが増している。油類の価格高騰は、今年の冬のぬくもり費を押し上げることになるだろう。ことに、高齢者にとっては身体にも家計にも厳しいことになりそうだ。高温続きの狂夏も辛かったが、酷寒、厳冬を乗り切るのも100%健常とは言えない高齢者にとって楽なことではない。
 しかし、落ち着いた暮らしが出来るものと一般的に考えられている老人施設にも、陽気がもたらす厳しさとは別の想定外の落し穴があるようだ。

 熊本県宇土市の養護老人ホームで殺人事件が発生した。サスペンスドラマではない実話だが、別に驚く話としてブログに取り上げたわけではない。こうした事件が起こる可能性は大いにあると思われる。まだ、今回の事件の動機などの詳細はあきらかではない。状況としては2年前から入居している62歳の男性が被害者で、容疑者の80歳男性は4カ月前に入所してきたばかりだという。
 これで感じたのは、まだ元気に社会貢献している年齢と普通一般に考えがちな60歳熟年が、どういった事情で養護老人施設に入ることになったのだろうかということ。さらに、入居したての80歳が包丁で相手の腹を何度も刺すという行状には、いくら頭をひねってみても、そこに至るシナリオが思い浮かばない。
 福祉という観点における高齢者施設では様々な事件が発生する。介護職員による虐待暴行もたびたびのことである。施設の拡充や人的要素の向上という政治行政的課題がいくら解決されようとも、そこに拘わる人心が複雑に絡む一つ屋根の下では、身勝手な自己流モラルが飛び交うものなのだろうか? そう考えるとせつなく夢のない世界としか感じられないのだが。
 今回の事件の当事者二人にとって、養護老人ホームはけっしてやすらぎの郷ではなかったということになるが、入居者同士の頑固さに起因するいざこざは日常的なのかもしれない。
 

No.3046 文章表現に気配りが足らず

2018.10.20

 前々号№3044の内容に、表現の言い回しに配慮不足の部分があり、子どもさんを現在指導されている方の心情を害したことがわかりました。メールでいただいたその方のご指摘はその通りだと思います。表現の誤りとは次の部分かと思います。ご指摘はお一人ですが、同じように感じられた方が他にいらっしゃる可能性をふまえて返信ではなく再度ブログで私信を述べることにしました。

「正智深谷高教諭 部員に体罰・・・女子バレーボール部員が至近距離からボール投げつけられた。出ていけ!とか何やってんだ!などの言葉を浴びせられた。さて、どうだろう。これが体罰と認定されて減給3ヵ月の処分になったという。小生の想い出の中には、これと同じことはいくらでもある。我が子のスポーツ少年団でもこれ以上の罵声を浴びている現場にいくらでも出くわした。今でもこれは変わりないと思うがどうなのだろうか?」

 この内容だと確かに、「罵声を浴びせているのは今でも変わりない」という意味合いに感じられます。いただいたメールは、私の認識不足を指摘し、体罰やパワハラと目される指導は撲滅するという強い思いを伝える内容でした。もちろん、それに異論はないし、素晴らしい指導者精神だと思います。
 しかしながら、私が主張したかったのは、何やってんだ!という言葉がパワハラにあたるのかという疑問と、それで給料を減額されたのでは、校長の過度な罰則適用という逆パワハラという感じがしないでもない。そして、この言葉をパワハラ体罰として指摘する記事自体もパワハラではないかと感じたからです。事実は、もっと深い事情があるのかもしれませんが、記事そのものはあまりにも過度過敏な感じで、これで減給された上に記事にされたら指導者もたまらないなあという同情に近い思いがしたのです。ペンの暴力という名言がありますが、メディアは文字や言葉で特定対象者を持ち上げるのも批判にさらすのもペン一つです。そんな最近のマスコミの風潮には違和感を感じています。
 私は、自分で言うのもなんですが子どもの躾には厳しい姿勢で臨みました。クラス担任や部活指導者にも、筋の通らない言動に対しては遠慮なく対応してくださいとお願いしたものです。ですから、何やってんだ!とか、グランド何周!とかの言動が指導上で発せられても問題はないという感性であり、その程度のことは今でもあるのではないかとの推測で文章を構成したつもりでした。信念をもってチームと選手双方のために行う熱血指導には私は異論を持ちません。しかし、先に罵声という言葉を使ったまま次につなげてしまったのでご指摘いただくのは当然だろうと反省している状況です。罵声はいけません。
 チームスポーツと言うものは、チームワークを原点に個々のプレー能力が生かされ、それがつながってチーム力がアップするものと確信しています。そのわかりやすい指導例として、50年前の大松監督や現代の井村監督の例を出しましたが、結果を残した功績者にはその強圧的指導が問われない一面があるのは事実です。最近の、アメラグ、レスリング、ボクシングといった世界で起こった事件は、指導者の人間不足が原因で、人の道を外した指導者として糾弾されて当然の出来事でした。私は指導という意味合いに「愛のムチ」というものは存在するし、認めてもいるのですが、それがどういうものかは現代社会においては定義付けが難しいとも感じています。あえて言うなら、納得するまで自分で考えさせるために問い、そしてやらせることの繰り返しではないかとも思うのですが、考え方や価値観は様々ですし、とくにパワハラは<ナイーブな対象だと思います。
 全米オープンの栄冠を得た大坂なおみ選手のコーチであるサーシャ・バイン氏が彼女に寄り添うコーチぶりが話題になりました。彼の指導は、君の力はこんなものじゃないと、選手に自らの能力を信じさせ、自分自身も選手の力を信じているという感覚を選手に与える指導法。座って大坂選手よりも目線を低くするのも需要なポイントでしょうね。もっとも、あの極限の精神状態にあって技術を教えても意味はないし、問うことと信じることの大切さを世界に知らしめたと感じました。結局は、根性や火事場のクソ力を発揮するような言葉を投げかけているのでしょう。
 ともかく、我が文章で心情を害された方にはお詫びをし、今後の文章表現を構成する上での糧にしたいと思います。

No.3045 子どもの安全

2018.10.20

 今日、幸手地区地域安全大会と同暴力排除推進大会が幸手市北公民館で開催された。前者は24回、後者は20回目となる恒例のイベントとして統括合同形式で行われている。
 最近のことでは、幸手市で殺人事件が発生するなど住民不安が増す実情にあるが、より身近な話として常に気持ちが向くのはお年寄りや子どもの安全である。今号は、今日のイベントとの関係で子どもたちの安全について書くこととした。
 子どもに向けられる現代社会のリスクは年々増加しており、加害の対象は親まで含むと広範囲である。子どもたちにはおおらかでゆったり育ってもらいたいと誰でも考えるところかと思う・・・がしかし、そうした子どもたちのおおらかさや純粋さにつけ込む大人はいつの世でも存在する。
ファイル 954-1.jpg 今日の大会で配布されたパンフレットには、子どもたちを守るために私たちが出来る日常的な対応が書かれている。日頃心がけているつもりではいるものの、改めて自らに自覚を促す内容である。出会いの瞬間、お互い笑顔で挨拶するのが日常になっている地域には犯罪が少ないという。

No.3044 議員定数にまつわる話

2018.10.13

アイコン

 沖縄県与那国町で議長が決まらない状態が1ヵ月近く続いているという。議員数が10名で、町長与党と野党が5名づつに分かれていることから採決権のない議長職をどちらも拒否しているというのだ。投票で決まるたびに辞退するという状況が続いている異常事態。これでは議会が機能しないのは当然である。他の近隣自治体との連合協議の場に出ることも出来ない。議会も議員も何のためにあるかという嘆くべき事態だ。議員定数削減も功罪いろいろあって、市民感覚では減らせの意見が多いのだろうが、減らしすぎにも問題はある。それは別にして減らす場合にも奇数の定数にしておく方が与那国町のような問題にはならないし、それが一般的ではないかと思う。西のはての小さな町のことではあるが、どこに限らず、議会とは言うのは優位性にこだわってあれこれ揉めるところである。

 さて、埼玉県議会でも議員定数をめぐって綱引きが続く状態となっている。自民党県議団と上田知事執行部との前回選挙戦から続く因縁も気になるところだが、自民党県議団と野党会派との意見対立が続く議員定数削減及び選挙区削減の攻防も選挙の前哨戦的な位置づけとしてお定まりとなっている。知事と自民党の軋轢はいつかは落ち着くであろうし、また、そうあってほしい問題である。いろいろな人から「いったいどうなっているんだい?こんなのいつまでも続けていていいとは思わないけどな」「自民党県議団はどこまでやれば収まるのかね」といったことをちょくちょく言われる。議会運営上、知事と最大会派の泥沼状態が長く続くと、こういう考え方が主流になってくるようで、これが県民の一般論になりつつあるように思う。上田知事もかなり強気な方のようで受けて立つからややこしくなる。自ら制定した条例破りを認め、了解を得る行動をすべきだったのだが、もはやそれで収まる話ではないようだ。

 議員定数の削減については、野党が提案する内容には自らを利する思考が見え隠れする。野党は「コスト削減と身を切る改革」を前面に押し立て、県民の気持ちをそそる戦略を前面に押し出す。いわゆる建前である。しかし、その狙いは別のところにあるのははっきりしている。たとえば、東3区の定数を2から1にというが、ここは自民党県議団の領袖とも言うべき重鎮がいる選挙区である。上田知事に対する県議団のスピリットの権化とも言うべき大物議員に引退を示唆する目的が垣間見られる。実際、それが真意と考えられる。
 また東1区と2区を合区にし、定数を2にするというのは、現在どちらも自民党議員が長期に独占している議席なので、複数区にすることによって1議席を確保しようと画策しているのは間違いない。そして、この1区行田にも自民党県議団で議長・団長の経験者かつ県連の幹事長という要職にある議員の存在に的を絞っていると推測する。
 これと同じく、さいたま市に10区ある選挙区を一気に5区に絞り、それぞれ定数を3にするというのも、定数に変化はないが複数区を増やすというのが野党にとって有利に働くことを意味している。つまり、小選挙区を中選挙区にすることによって野党議席を増やせるとの狙いである。これらを称して「民意を広く反映させるため」と理屈付けているが、要するに、自民党県議団の過半数獲得を阻止するための議会改革なのだ。
 確かに、上田知事に対する執拗な議会対策は、そのたびに新聞報道となり、小生の周りでも「自民党はいい加減にした方がいいよ」とか「嫌がらせもここまでやると逆に良くは思われないと思うがな」といった考え方が広まっていることは無視すべきではない。なにより、知事選への対抗馬を出せない状況は自民党も県民に対して訴えかけが弱いのであって、抗争をよく思わない声には耳を傾けるべきだろう。小生の所属政党であったことから常に動向が気になる自民党県議団ではあるが、なにより県民の立場にかえって思うのは議会の正常化である。過半数の論理を駆使しすぎるのは果してどうだろうかと思わずにはいられない。過半数とは重要ポストを確保するということがまずはあるのだから、あとは大人の対応として議会運営をリードすることが県民が求める議会ではないだろうか。
 半面、上田知事に対しても根強い批判はある。4期目は結果的に許されたが、5期目は県民の支持が強いとか首長たちの支援もあるといった4期目と同じ理由は通じないという声が少なくない。だからこそ、自民党県議団はルールに則って上田知事に対峙を続けているのだろう。
 それにしても実現性のない野党の定数削減案もいただけない。話は繰り返し前後したが、議会の正常な運営と機能は永遠の課題にしてはいけないと考えるが、いかがなものだろうか。。

No.3043 マスコミ報道を深く読み解くと

2018.10.10

 ようやく秋らしさを感じる陽気となり、赤とんぼの浮遊とともに木々も華やかに色ずく頃と相成り・・・いやいや、台風の影響で千葉や神奈川では木々の色ずきに変化があるという。潮風による塩害で銀杏などの街路樹が紅葉を魅せることなく枯れているらしい。鎌倉など観光地ではそれが顕著な状態だとか。自然災害とは人の生活だけではなく、季節の楽しみまで奪い、おそらく経済的にもそれなりの損失を生じることになるのだろう。

 さて、しばらく前の新聞記事だが、まずはお読みいただき何を感じられるだろうか。今や、告発リークはもとよりメディア自体によるフェイクニュースが溢れる時代。ことに週刊誌のスキャンダルもどきの編集方針に違和感を持つ方は少なくないと思われる。
ファイル 952-2.jpg 添付の記事は埼玉県内の、いわば地方版記事だが担当する記者により、もしくは取捨選択するキャップのセンスで当事者の取り扱いはいかようにでもなるという分かりやすい見本ではないかと思う。
 川越市議の発言はかなり具体的な形で掲載されている。この記事内容ではセクハラは疑う余地もない。議員の矜持や倫理観のかけらも感じない人間性が浮き彫りの記事内容である。問題はそれ以外にもいくつかの問題を投げかけている。
 ひとつは、市議らの懇親会で参加者がこの市議の隣に座るよう女性に進言したとする部分。市議の多くがセクハラ市議にヨイショしている図が見える。しかも立場を利用した女性蔑視かつパワハラでもある。議会内の上下関係も感じさせるが、実際、規模が大きい議会で大人数を要する会派ではそうした傾向が無くはない。議会とは一種独特の世界であり、その空気がよめないと長生きは出来ない。私はそういう部分にどうもなじめないというかスジの通らないことへの許容性が足りないと自覚している。
 次に、このセクハラ問題は女性側が市議会に厳重処分を求めたのであって法的措置に訴えてはいない。逆に言えば、議会の清新さと浄化を求めているように感じられる。法に訴えれば市職員として居ずらくなることへの思慮が働いたのだろう。かくいう議会とはそうしたものと思われても仕方がない面がある。

 県議と県職員の兼ね合いは、身障者水増しで大きな汚点・失態を見せた教育委員会に対して、いわば場外で厳しい追及とお咎めをしたものと推測している。教育部門の実態としては全国的に特に埼玉県が目立つところとなったのでやむを得ないとも言える。がしかし、この議員をよく知る小生としては、熱血漢がゆえの行き過ぎ、またはパフォーマンスが過ぎた結果と感じないではない。
 配慮を欠く発言と記事にはあるが、いったいどんな言葉を職員に発したのだろうか。思うに、より配慮すべきは職員の日常の生活への気配りであるべきなのだ。深夜まで7時間にわたる追及など絶対にあってはならない。彼は少々血気にはやる面があるタイプなのだが、これが記事になったこと自体に若干の驚きを感じる。職員もよほど腹に据えかねたのだろう。
 その後、この県議は知事に面談し詫びを入れたのだが、そもそも「無所属改革の会」は上田知事側に位置する会派で、この県議自体も知事支持派の議員であることから、心底から教育委員会の失態に我慢ならず強気な対応に出てしまったものと思う。議員は行政の怠慢や汚点に憤怒する場面があるにせよ、職員との接し方には大人の配慮が出来るようになってもらいたいものだ。

 正智深谷高教諭 部員に体罰・・・女子バレーボール部員が至近距離からボールを投げつけられた。「出ていけ」とか「何やってんだ」などの言葉を浴びせられた。さて、どうだろう。これが体罰と認定されて減給3ヵ月の処分になったという。小生の想い出の中には、これと同じことはいくらでもある。我が子のスポーツ少年団でもこれ以上の罵声を浴びている現場にいくらでも出くわした。今でもこれは変わりないと思うがどうなのだろうか? 
 ニチボー貝塚で鬼の大松と言われた大松監督は、どんな思いで天国からこの事件を見つめているだろうか。
 これでは、部活の監督やコーチなどやりたくなくなるのではないだろうか。
 この記事を読んで気になることは、部員以外の生徒から学校側に相談があったという点である。それに対する学校側の対応もおどおどしている風がうかがえる。つまり、学校運営者の立場にある者にとって不祥事は真っ平御免なのだ。したがって、訴えがあった時点で保護者父兄が騒ぐ前に穏便に早期解決を図りたいとの思いが働き、メディアの問いにも撲滅といった表現まで出てくる。記事にはしてもらいたくないところが記事になってしまったのだろう。
 私立高校の運動部はまず県のレベルでしのぎを削るものだ。ライバル校を意識して、追い越せ追い抜けで監督コーチは厳しく指導にあたるものだが、そこから出てくる前述の発言がダメだと言われたら、さて?
 ここまで書いてアーティスティックスイミングと呼称を変えたシンクロナイズドスイミングの井村監督を思い出した。言いたい放題で選手を指導している方だが、最近変わったのだろうか?
 いずれにしても、アマチュアスポーツ界のパワハラ・セクハラが問題になっているが、マスコミの報道の在り方が世間の過剰・過敏さに拍車をかけているように感じられてならない。政治に対するマスコミの対応も含めて、記事に踊らされないようにしたいものだ。

ページ移動