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No.3090 救急法基礎講習

2019.02.18

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 昨年12月、2日間の講習を受けた防災士資格取得の最終ハードルを越えるため、日本赤十字の救急法基礎講習を受けてきました。通常は地元の消防署でAEDの使い方講習受ける方が多いのですが、それは防災士資格には内容的に不足しているという指摘にもとづいてのことです。
ファイル 999-1.jpg 会場が東京支部ということで久しぶりに通勤時間帯の東京行き。でも7:41発の湘南ラインで東鷲宮駅から座れました。最寄り駅では副都心線東新宿駅がよいとのことで、はじめて同線を利用しました。池袋乗り換えで4つ目ですが、主要駅から地下鉄メトロの新線乗り換えは結構歩きますね。10日前には別の所用で東京駅から二重橋駅の乗り換えをしましたが、かなりのものがありました。まあ、健康意識を優先にするようにしているので最近はまったく苦にならなくなりました。何事も前向きに考えると楽になるものです。
 さて、救急講習の参加者は31名で男性10名という内訳でした。ちなみに見るからにという推測の話で恐縮ですが、私より年齢が上の方は一人だけいらっしゃったようです。
 昨年の研修時にも感じたことですが、女性、それも若い女性が多いのに驚きながらも良いことだと納得。何人かと言葉を交わしましたが、大学で観光学を学んでいて、キャビン・アテンダントになりたいので必要だと感じて自発的に受講したという二十歳の女子大生二人。こういう志向のCAがいる旅客機なら安心出来ると感じた次第です。
ファイル 999-2.jpg 実質5時間の救助講座は消防署で行う講習より内容は濃く、結構疲労感を感じます。とくに、胸骨圧迫と人口呼吸の心肺蘇生は何度も繰り返し、どういうわけかやる都度にスピード感が増してきます。緊急時救護の観点も視野に入れた内容なのでしょう。指導員は、しきりに救助救護の方法はいろいろとありますが、今日は赤十字の引き出しで覚えて行っていただきますと話していました。マニュアルはあくまでも基本動作を教えますが、実際の救護にはいろいろな状況が生じる中での行動なので臨機応変さが求められると話しながら、その実態例を教えてくれる内容に思わずうなずく場面が多くありました。
 新鮮な感覚を貰ったせいか、疲れた研修も忘れて帰路につく足も軽く感じるような満足感にひたれた1日となりました。

No.3089 暴走車にもレベルあり!

2019.02.15

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 早朝の室内が4℃。外は1~2℃というここ数日の気温は、寒さには強い自分にとっても身体にこたえます。通学児童の中には半ズボンの子もおり、「風邪ひかないかー」と声かけても「だいじょーぶ!」と涼しい顔。元気な返事でよかよかです。
 今朝は、学童パトの前と後に1・2丁目にまたがる香日向南面道路の交通調査を生活環境部の数人と行いました。香日向駐在所の大塚巡査も早朝から立ち会ってくれました。
 この直線距離の長い道路は近隣住民に恐怖感を与えており、それが長らく続いている現実があります。スピード注意のお願いを香日向全戸にお知らせしても、香日向住民だけが通るわけでもなく、改善への道は遠い感じです。
 6:52 80㌔近いスピードで通過する車あり。猛スピードに感じる。
 7:04 70㌔程度の走行車通過。これでもかなりの速さ。

 通過台数は多くはないものの、どの車もほぼ50㌔を超える速さで通過していることがわかりました。自分もスピードを確認しながら何度か走った経緯がありますが、40㌔を超えると速い!という感覚を覚えます。道路に面したご家庭から車が出てくるとか、脇道から車や自転車が出てくることを想像すると、逆にこちらが怖い感じがするくらいです。
 車は走行する道路環境によってスピードに対する感覚が自動的に変化すると思うのですが、この道路で50㌔を超えるスピードを出す方は、逆に怖くはないのでしょうかね? 車の中には、住宅側にキープレフトを守って走るものもあります。対向車が無ければ住宅から離れて走るなどの走行裁量をすればいいのにと思うのですが、教習所で教わった運転の基本をかっちり守ることを大切にしているのでしょうか。
 周りに気配り出来ないドライバーに、自らの心に余裕と融通性を持てと言うのは難しいことなのかもしれませんね。大塚巡査にはいくつかの提案をし、巡査もうなづきながらメモしていました。コスト面もあって、行政の対応は何事も遅くなりがちですが、こちらはスピード感を持って対応してほしいところです。
 自己中心的と思える宅地内暴走は、いつなんどき凶器になるやもしれないと強く感じました。また後日、曜日を替えて調査したいと考えています。

No.3088 現代社会のジキルとハイド

2019.02.12

 前々号でDV家庭、とくに外と家での異なる2面性を持つ父親がDVの主体の場合について書きました。
 人は外見で判断してはいけないと言うのは人物評価の基本ですが、外見の取り繕いが周囲を惑わすパターンも間違いなく存在します。それは、外見や物腰から好人物との評価で受け止められているものの、実際はまったくその逆というものです。そうした場合の虐待事件では、近隣による通報が遅れることも想定されます。子どもの命を護るには一刻を争う場合が少なくないし、そこがカギとも言えます。
 11日の新聞が伝える野田市の心愛ちゃん虐待事件は、父親の詳細が不明な状況で、小生が語ったジキルとハイドのたとえがぴたりと当てはまる特異な点を示していました。この父親は、職場や近所からは実直で温厚な人柄と思われていたというではありませんか。上司は「事件とはとても結び付かない人物像」と驚いているのです。学校の校長が語るには「腰が低く、物言いも丁寧な保護者」だと。これでは、近隣の方々が心愛ちゃん虐待を感じるどころか想像することさえ難しいことでしょう。
 さらに、夫婦のやりとりからも父親の異常性が感じられます。しつけと称した虐待に傷害容疑で逮捕された母親が「やめて」と懇願すると「俺が保護者だ」とすごむ。これ以上、止めに入れば冷酷な鉄拳が我が身に向けられると思えば願いもそこまで。まさにジキルとハイドそのものの人間性の父親。児相や役所に対しては理詰めで大声を上げることはなかったと新聞は伝えるが、聞くほどに、こういう親のDVが発覚することの難しさを考えさせられます。
 「ナニが保護者だ!」我が子を虐待しておいて保護者とは笑止千万。ひとつも理詰めという感じはしないが、夫婦間ではこの暴言で立場が決定的になっていたものと思われます。母親も保護者なのに・・・。
 この父親の逮捕容疑は傷害です。日本は刑法も少年法もそうですが、むなしいほどに刑法犯に対する罰則規定が軽いと思いますし、そう思う国民が多いのではないでしょうか。
 虐待も命を奪ってしまったら虐待にあらず! 虐殺ではありませんか!!
 

No.3087 子どもへの想いと乖離する大人

2019.02.10

 一夜の雪、予報ほどには積もらなかったものの冷気の強さはかなりのものがありますね。昨日は所用で3年ぶりに渋谷に出向きましたが、気温表示の電光板は1℃を示していました。都心でこれですからまさにしばれるといった感じですが、北海道各地の-30℃という気温にはまったく実感がわいてきません。昔、凍ったバラが粉々になるというコマーシャルがありましたが、そんな感じなんでしょうね。

 さて、冷たいという表現に人の心が拘わると世の中が寒々しくなってきます。野田市の虐待事件報道がやみませんが、ことに児童相談所の役割がクローズアップされています。
 つい最近、港区南青山で児童相談所建設問題で行政と住民のやりとりがありました。また、住民間による意見の食い違いも明らかになりました。驚くべきは建設反対派住民の思考です。
◆ブランドのメッカである青山に傷がつく
◆地価が下がる
◆子供が騒ぎを起こしたら近所迷惑だ
◆事業費が高額過ぎる
 さらに酷い差別意識も・・・
◆一流ブランドのファッション店があるから万引きが発生する
◆この地の小学生は、塾やお稽古事に通っているから疎外感を抱く
◆非行少年の脱走に対処して、自警団を作って正当防衛をしなければならない
逆に、賛成派は・・・
◆昔からここに住んでいる人は、ここが高級地とは思っていない。
◆学校もとくに名門校が揃っているわけではない
◆日常品の買い物も不便
◆南青山ブランドとは、最近住み着いた人たちの独りよがり
 賛成派の意見に少し救われる思いがしますが、このように「子どもは宝」という言葉が軽く感じられてならない社会通念が存在しているのです。あえて社会通念と言うのは、同様の問題は大阪でもありましたし、幼稚園建設計画に際し、うるさくなるからと反対する住民運動も各地で発生しています。発達障害児などの面倒を見る施設でも建設地の選択では苦労するという話を聞いたことがあります。こんな世の中で少子化問題が解決するのでしょうか。子どもを産みたくないと女性が感じるようになったらどうするのか。
 指摘したいのは、政治うんぬんの前に人の心が寂し過ぎる社会を問いたいですね。政治だけで解決できるわけがありません。ゴミ処理施設や火葬場的発想を児童相談所にも芽生えることが理解できません。ましてや、児童相談所を少年院と勘違いしているような意見には耳を疑います。
 意外にと言うか、案外に表向きの正義感や綺麗事が横行している世の実態は、この冬以上に冷たいという思いがしてなりません。児童相談所の職員の能力にもかかわりますが、相手に暴力を振るわれる段階では、警察との連携を深めるために、警察出動依頼を相談所の義務行為に加えるくらいの法整備を早急に図るべきです。
 増える一方の児童虐待はとうとう8万件を超えた状況で、相談所職員の苦労は相当なものがあります。表に出た野田市の事件だけで判断するべきではないと思います。また、国連をはじめ世界から批判が集まりつつあるこの問題に対応するには、相談所に採用する非正規職員を警察退職者から採用するべきではないかと。それが暴力的親に対処する防衛策にもなるものと考えます。
 南青山住民のことばかりではなく、エキセントリックでヒステリックな冷徹身勝手論理が無くなることを願うばかりです。難しいでしょうけどね。

No.3086 悲しい虐待心理と女性の悲劇

2019.02.05

 当ブログが栗原心愛ちゃんの虐待事件を綴ったのは今月1日のことでした。その後、これまでにないほど毎日のようにメディア全体がこの事件を報道し、昨日は心愛ちゃんの母親が逮捕されました。いわゆる、夫の行為を見て見ぬふりをしていたことが傷害罪にあたるということですが、母親の供述に驚かされるものがありました。
 「心愛が暴力されているうちは、私は暴力されないと思った」
 過去の虐待事件でも、止めれば自分にふりかかるであろう母親が持つ心理的恐怖は容易に想像はつくことで、今回の事件をきっかけに、虐待暴力の実態の本質にはいろいろな意味で母親側の人間心理が渦巻いていることがわかります。
 今回の千葉県の例では、暴力亭主の職業等詳細が不明で、過去の事件と照らし合わせるには情報が不足していますが、夫婦の年齢差が10歳あり、心愛ちゃんの妹が1歳というのがなんとなく目をひきます。そうした中で実父が実の子を虐待したというのも多くある例と異なり特異な虐待事件と小生は受け止めています。


 母親が虐待の主になる事件もないではありませんが、仮に、継父を含む父親の非道なふるまいを前提に母親の交錯する心理を描写してみると、止めれば火に油をそそぐことになるとか、止めれば自分に火の粉がふりかかるという空気は感じて当然だろうと思われます。日常的な我が子への虐待に、離婚を考えたにしても、子どもをおいて分かれるわけにはいかないし、暴力的な亭主が許すはずもなく、家出すれば追いかけてる可能性もある、生活維持の面で現実的ではないなど、出口のない現状に苛まれる日々なのではないかと思います。
 DV家庭における女性の立場とはこれほどまでに弱く、追い込まれた状況にあるわけで、外では勤労者としてかしこまった夫のジキルとハイドの実態に苦しんでいる女性はまだまだ多く存在しているのではないでしょうか。ましてや、働かず亭主であればなおさらです。実際、こうした状況にいたたまれず親子心中した例も少なくないのではないかと思えるほどです。
 現代社会は、ことさらに女性の社会進出を叫び、尊ぶ声が強くなっていますが、女性が子供を産み育てる過程で人間らしい暮らしが出来ない実態があることに早急な社会施策を考慮すべきだと強く感じます。
 麻生副総理の発言は、産めないとか産みたくないといった理由には、その女性の人生にかかわる深い事情があることへの配慮が足りないと思いますが、少子化は現実の問題でもあるので、社会進出という意味も大切ですが、その前に女性の母親がゆえの社会的地位に配慮した世の中になってほしいと思います。そういう意味で、心愛ちゃんの母親は逮捕されてもやむを得ないとは感じるものの、被害者としての一面もあると思えて仕方ありません。各方面の報道から感じる話とご理解ください。

No.3085 進まぬ虐待防止

2019.02.01

「ひみつはまもりますから、しょうじきにかいてください」 
 これは、千葉県野田市で発生した栗原心愛ちゃんが通っていた学校が行ったいじめに関するアンケートに記載されていた一文です。これを信じ、辛い毎日に明るい陽射しを見出そうと心愛ちゃんが書いたのは、学校内のいじめではなく、父親からの虐待を訴えるものでした。
「お父さんからぼう力をうけています。・・・。先生なんとかなりませんか」
 これを読むだけでも胸がつまってしまいます。この訴えがまさか父親の更なる逆鱗にふれることになるとは心愛ちゃんは知る由も無かったでしょう。
 この事件の経緯の詳細はメディアが伝えていますし、昨夜はNHKのクローズアップ現代でも取り上げていました。

 
 1ケ月間の一時保護をした児相が、その後の家庭訪問を一切しなかったことも問題ですし、アンケートを親に渡した教育委員会の安易な対応はさらに問われます。子どもにも個人情報に拘わる事案があるということを示すもので、特に、親に知らせてはならない子どもの個人情報という点が特異な事件と言えます。「ひみつはまもる」という認識は誰を対象にしたものなのか? いじめのアンケートに家庭内虐待のことが書かれるとは思っていなかったのでしょうが、いじめも虐待も現代社会に根付いてしまった広義のいじめであることは間違いないのです。教育者たるもの、その理解ができていないことがそもそもの問題です。
 教育委員会の苦しい答弁状況を見る限り、副市長も教育長も毅然とした感じではなく、詫びる言葉に文章を読んでいる教育長にはがっかりさせられました。文章を読むことでは心からの詫びとは言えません。まして教育者ですからなんともお粗末としか言いようがありません。
 また、指導課長の説明には憤りを感じますが、厳しい親との対応に苦慮した際の心情を吐露する姿に複雑な思いもした次第です。通常、教育委員会と現場教育者は人事異動がつきもので、おそらくこの課長は校長職を経験者している方だろうと思いますが、まじめさが垣間見える人柄ではあっても最終判断が恐怖感にもとづく方向に向かってしまったことが悔やまれます。人が恐怖に襲われた時にとる対応によってどんな影響が周囲に起こるか・・・恐怖の種類にもよりますが難しい問題です。

 29日に、いじめ防止ネットワーク会議という集会に出席しました。前号でブログを書いた後のことでしたが、今回の虐待事件も含めていくつかの質問を投げかけましたが、言葉を発してもどこかむなしさが残るのは、子どもを護る社会のシステムが遅々として進まないという忸怩たる思いが根底にあるからです。これまでは、とくに警察と児相の関係に焦点が当てられていましたが、教育現場と事務派までが子どもの命にかかわったことは、より虐待防止のネットを網羅する必要があることを示唆しています。
ファイル 994-2.jpg 平成24年県議会6月定例会における一般質問で、添付のような質問をしました。30分の中でいくつかの質問をする関係でだいたい1000文字前後でまとめざるを得ません。したがって、深堀した内容にはなっていないと自覚していますが、今でもこのまま質問しても通用する内容とも思います。その後、29年に第26号県条例として埼玉県虐待防止条例がようやく施行されました。しかしながら、なんら世の中の子ども虐待は好転していないのです。この時、事例にあげた春日部市の例も今回の心愛ちゃん虐待死に重なって感じられてなりません。

 今回のように、親が暴力団的資質とは異なる、理論理屈に長け、法を持ち出す言葉の脅しを駆使する人物ですと、児相も教育委員会も対応に苦慮することはわかります。しかし、個人の対応判断にまかせるのではなく、組織として一丸となって対応することで心愛ちゃんの命を護ることは出来なかったものか。行政は市民から訴訟を起こすと騒がれると弱い一面があります。
 シルバーデモクラシーと言えば聞こえはいいのですが、いわゆるクレイマー族は社会に広がりつつあります。他罰的自己顕示欲旺盛なおっさんが子ども対してまで幅をきかせるいびつな世の中は、今後ますます芽を吹いていくものと思います。子どもへの接し方が異常な親のチェック機能をたくましくすることが求められているとつくづく感じる事件です。
 心愛ちゃんの無念な死を無駄にすることなく、全国の自治体が虐待対応の在り方に進歩を見せてほしいものです。
 心愛ちゃんのわずか10年の短い命に対し心から哀悼の意を捧げます!

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