前号で昨日の議会終了直後の30代女性の感染情報と男性3人の感染情報入手タイミングに違いがありましたので訂正いたします。
10代二人、30代一人の感染情報は30代女性の情報より前の時点での感染情報でした。昨日の健康福祉部長による口頭連絡は最新ほやほやの県情報だったということです。私のメール確認のタイミングとの時間差が原因ということで、深くお詫び申し上げます。
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No.3352-2 前号の訂正
No.3352 コロナ感染者増える
コロナウィルスの第3波襲来は本格化の兆しを見せています。いよいよ、幸手市でも昨日の段階で30人を超えてしまいました。
昨日は一般質問2日目でしたが、終了後に健康福祉部長から県からの情報といういつもの流れにおいて、一人の感染者情報が発表されました。ところが、その時の説明では30代の女性ということだったのが、事務局から夕刻送信されてきた県からの報道資料には10代二人、30代一人、いずれも男性となっていました。これについては、何かの行き違いと思いますが、ともあれ、幸手市でも若干ではあるものの、第3波の姿が見え始めていることは間違いないところと感じる次第です。
感染情報については、誰しもが関心を持つことではあるものの、実際にそれ以上の内容を知るよしもなく、いろいろ問い合わせをいただいても一定のラインを超える情報提供が出来ないのがもどかしいといったところです。しかし、それは別の社会問題を発生する可能性があるので、自分としても、受けた情報以上の推測をしない様に努めて平静を保つようにしています。
10代学生という情報からは、小学5年生から大学生まで幅広い年齢が対象となることから、今朝の登校立哨では、そのあたりが気になって子どもたちが来るのを待っていたのですが、全員の顔を見ることが出来たので一安心したところです。しかし、万が一でも濃厚接触の可能性が無きにしもあらずと思うと、学校にしても会社にしても気が気ではないだろうなあと思います。
さて、今日は一般質問の最終日で、私も午後一番くらいの出番になるかと思います。若いころと違って、そうそう気張ることも無くなり、要は内容の濃さや意義のある質問を出来るかといったことに集中することにしています。いわゆる一般質問も適宜なタイミングに基づく選択と集中が肝心ですから。
No.3351 12月定例議会
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今朝も清々しい陽光に気持ちが軽くなる感じです。
今日から12月定例会が始まります。初日は議案提案とその説明。明日から3日間にわたり一般質問となり、私の出番はおそらく3日目の木曜日になるものと思われます。13人の通告中12番目です。
1.太陽光発電について…土地利用に関して尋ねるものです。
2.コロナ対策下における学校教育現場の実情について・・・児童の教育現状と安心安全について尋ねます。
3.防災対策について・・・主に地域強靭化計画について尋ねます。
以上詳細は幸手市ホームページにて、他の議員さんの内容も合わせてご確認ください。
幸手市に明るい光を灯してくれる可能性を秘めた副市長の就任後、初の議会です。少し自分自身のネジを巻いてまいりましょうか。
No.3350 語るに落ちる中国
師走もまもないというのにさぶい冬を感じさせない日々です。今のところ日課として続いている早朝散歩(自転車から転じて)ですが、続く原因は、地域の先輩の歩く姿に会うことで互いに元気づけられていると勝手に感じていることと、毎日のように目に映える朝焼けと日の出を拝むことが出来るからでしょうか。ありがたや、ありがたやといった感覚で日の出にこうべを垂れ、後光を浴びながら西に向かって葛西用水路沿いを歩くといったところ。太陽神が放つ光を受けることがいかに素晴らしいことか。これは人間にとって欠かすことの出来ない大切なことであると同時に権利なのだと思う。
時折、当ブログでテーマにする中国の粛清、弾圧、侵略、隠蔽といった国家体質も、ここ最近は中国自体の世界を見下したかのような開き直り動向を見せつけるのが当たり前になっている。かの報道官の憎々し気な顔つきと発言は国家体質にどっぷり洗脳された共産官僚そのものに感じる。
ウィグル、内モンゴル、チベット、インド、ブータンなどでの謀略三昧の実態は、香港問題でその状況はピークに達しているように思う。国家安全維持法という自由と言論という民主主義の原点を奪う法の制定によって、まさに香港は名前以外の全てが強制的に変えられつつある。思想思考が法律違反だとして議員資格を剥奪するなど民主主義国家であれば出来るはずもない。何か時代錯誤のドラマを見せられているような感じである。
最近の中国で、尖閣問題とは別に憤怒の念が生じることが二つある。
一つは、香港の高校の通識科という授業科目の内容を変更するというニュースだ。現状は人権問題や民主主義・民主化といった内容にも触れ、批判的思考能力を身につけるというものだが、それは、反政府抗議活動に傾倒する要因だと決めつけたのだ。結果、中国人としての認識を養成することを重視する内容に変更するというのだ。読売新聞の表現では、「香港、高校必修科目で教養教育を縮小し、中国人意識を養成へ」とある。順法意識や愛国心を育成し、本土視察もカリキュラムに入れるそうだ。なんということはない、洗脳教育そのものであり、これを聞くだけで、本土で行われている幼少中教育の実情が計り知れる。逆らうものは容赦無しは暗黙かつ当然のルールなのだろう。
二つ目は、コロナの感染源は中国ではなく他国の可能性を指摘していることだ。コロナが終息した暁には、莫大な訴訟が待っていると言われて久しいが、それがためかどうかは決めつけられないが、ブラジル、オーストラリア、インドネシアなどからの輸入食品をあげ、これらに厳しい検査を施しているという。わざとらしい中国の手法と感じるが、また別の話として、ヨーロッパ諸国の哺乳類がコロナウィルスの発生に関わっているとも言い出している。とんでもないことを言いだしたものだ、その邪悪な発想力には驚かされる。責任転嫁も甚だしい。中国ウィルス、武漢ウィルスという言葉を世界はあえて使わないようにしているきらいがあるが、これはまぎれもなく武漢が発生源だとWHOの緊急事態対応担当者が発言している。私は、武漢の住民も被害者と考えられることから武漢ウィルスと言うのは反対で、中国共産党の為せることゆえ中共ウィルスと呼ぶべきだと思っている。中国人のすべてが覇権主義者ではない。隠蔽社会にあって事実を知らない国民が多いと思う。とはいえ、世界の人口76憶に対し14億人の国内人口を抱え、それ以外に世界各国に中国人は存在している。その人民全てが、国家総動員法が発令されれば、一斉に共産党の指示により行動すると考えると、都合のよい法律で一党独裁国家を維持する中国共産党がいかに危険な実態かは理解に容易い。トランプが言うアメリカファーストとは比較にならないチャイナファーストを中国が意図していることは間違いないところというのは考えすぎだろうか?
自由と人権という人間生活の光を奪われかけている香港しかり、コロナで人的及び経済的打撃ををこうむっている世界各国にも1年前の光は失いかけている。これらが中国の地球統一にかける覇権戦略だとしたら尖閣などはいとも簡単に・・・戦々恐々である。
No.3349 走攻守すべてにパワーの差
昨夜の日本シリーズ第4戦で今年のプロ野球の幕が閉じた。この4試合を見て、セパ両リーグの差を嫌というほど見せつけられた。セリーグの各チーム120試合のペナントの戦いはいったい何だったのかとさえ感じた。セリーグ全体のイメージダウンにつながったように思えてならない。
第4戦の1回表、1番起用の若林と2番坂本の連続2塁打であっさりと点をあげた時、おっこれはいけるかと思ったのも束の間、無死で2塁に残った坂本をクリーンアップで3塁にも進めることが出来ず、6番中島がファウルで粘ったものの地を這うボールを空振り三振。実はこの場面で、10球目のファウルを打たれたピッチャー和田が苦笑いを浮かべたシーンがあり、アナウンサーもこれを指摘していたが、私はこの時すでにいやな予感がしていた。そして、その裏柳田の逆転ホームランが出たに及び、ことしのプロ野球の終わりを感じた。もはやジャイアンツには、大相撲の貴景勝のような闘志と技術力の双方ともに底力は残っていないと結論づけざるを得なかった。第3戦でノーヒットピッチのムーアを7回でモイネロ、森と継投させた定番スタイルの工藤采配も余裕の産物ではなかったか。
よく、セパの野球の違いというのが話題になるが、何のことはない、結局のところパワーの差という単純な理由に行き着くシリーズだった。ここ数年、BS放送の影響でパリーグも含め一夜に数球場の生中継を観ることが可能になっている。なんとなく、ジャイアンツの試合にチャンネルを合わせる習性があるが、それでも他の試合を覘きに行くと、その面白さにそのまま見続けることもちょくちょく。それが年々高まる傾向にある。たまたま話題の選手が出ているということもあったりで、関心度の高い選手は昔以上にパリーグに多いという事情もある。
実は、江川と桑田のドラフト事件後をのぞき、長嶋ジャイアンツ一筋の私であっても、ここ数年のジャイアンツには強くなければいけない伝統の巨人軍というイメージはもはやない。いや、本来スポーツの世界にそうした自負や驕りは意味がないと感じている。ジャイアンツプライドって何だろうとも。ジャイアンツが強くなければプロ野球は面白くないと言われ続け、私もそうだと思っていたが、長い年月をかけてそういう固定概念が私自身に無くなりつつあることを実感させられた日本シリーズだった。
工藤監督の采配を感じさせないほど選手すべてが、持てる才能を目いっぱい発揮したソフトバンク。甲斐、栗原、牧原といったプロでは小兵の部類に入る選手たちのパワフルスウィングはジャイアンツにはまったく見られなかった。裏の事情はあるのだろうが、バレンティン、内川、長谷川といった選手は登録もされず、昨年のシリーズで活躍した今宮なども出番はなかった。なのにということである。
思えば、原監督はペナント戦線で大きなリードをしたせいか、選手をあれこれ使い過ぎてオーダーに定着した選手が少なかった。後半、吉川、松原の1.2番コンビが固まったかに見えたが、それが確実なものでは無かったことがシリーズで、しかも最終戦ではっきり示された。昨年来、選手起用法に複数のポジションを守れる選手育成法を原点にするスタイルを原監督が進め、それが現代野球であるかのように持ち上げる風潮があるが、ジャイアンツがやることだから話題性が高いだけであって、それは結果的には浮気性的起用法とも言え、結局のところ固定的にポジションを獲得する選手は出ていない。
ソフトバンク1強時代と言ってもよい現状は、数年続く可能性もあり、モイネロのカーブ見たさ?にパリーグの試合にチャンネルを合わせる時間がますます多くなるやもしれない。いや冗談はさておき、シリーズの前段階で、ソフトバンクに立ち向かうパのチームの出現を観る楽しみが増えたというのが正直なところだ。ロッテの佐々木が160キロクラスで快投乱麻とでもなれば、野球好きの眼がパリーグに釘付けになるのは間違いない。それはファンの誰しもが期待するところではないかと思うが、それ以上にセリーグの奮起を期待して、本年の野球談議の最終稿とします。
No.3348 政治家の信頼度
雨が無い! 暖かくて過ごしやすいのはいいが・・・野菜が育ち過ぎて収穫時期を速まらせるので2月頃に野菜不足が生じ、高騰化しないかという心配をする向きがある。なんでも度を超えると問題を生じるものだ。
度を超えるのは政治の世界でもあるようで、政治家に対する世間の信頼度は低下するばかりだ。この場合は度が下がるということになるのだろうか?
埼玉大学社会調査研究センターが定例化している政治選挙に関する意識調査の今年度の結果が発表された。毎回さいたま市民1000人を抽出して行われているこの調査は常にレスポンス率が6割を超える。今回は8月に実施されているが、コロナ関連への質問も含まれていて、政府に求める対策は全体で健康優先が73%、経済優先が26%となっている。内容的には60代以上では健康優先が8割を超え、18歳以上40代まででは経済優先が4割を超えている。リタイヤ世代と勤労世代の違いというと言い過ぎだろうか。
問題の、掲題にあげた政治家の信頼度では「信頼出来る」がまあまあ出来るも含めて19%、「まったく信頼できない」があまり信頼できないを含めて76%となっている。これが問題と感じるのは、そもそも高い上に前回が71%、前々回が69%ということで、政治不信が増殖進行形であるということだ。
国政を視れば、収賄、選挙違反、虚偽報告、権威主義、選挙目当ての組織や個人のパフォーマンス、公用車等の無駄遣いといった政治を忘れた政治家の実態が与野党かかわらずの噴出状態。加えて、政策議論よりはスキャンダル追及批判や言葉狩りに時間を費やし、国民生活を二の次にする始末。
地方では議員志望者が少ないことも社会問題化している。女性議員を増やせとか女性役職者を何割にしようとかの話もあるが、私は能力の個人差はあっても性別に個人差はないと考えているので、女性を何割にとかいう理論はさしたる意味は無いと感じている。有能な人であれば男女の比率は問題ではない。人生経験上から政治にも主婦で子育て経験のある女性が必要だという理論はわからないではないが、男性が女性の代弁をすることは可能だし、その逆もまた可能だと思う。男性の働き世代が、けっして報酬が多いとは言えない、しかも定昇の無い議員志望をしようとはしないからといって、リタイア族や女性の政治進出を理想だとか、これからの政治の在り方だと言うのはいかがなものだろうか。それは、本来の政治の質の向上とは無関係だと思う。立候補は法律に則った形で年齢の下限制限はあるが、それ以外はないのだ。誰でも我と思わん者は政治家になれる。
それよりも、前述した通り個々の資質の問題なのだ。なんの為に議員を志望したのかという問いが常に頭をよぎる。選挙では街のため、市民の為であったものが、議員経験も深くなると自分の為といったニュアンスが多くなる人も少なくないということだろうか。多数決の世界にまみれ、政治家でいることがいつの間にか自分の為と割り切る形で、信念が移り変わるのが政治の世界ということかもしれない。
議員である自分が言うのもおかしなものだが、人間としての資質能力に欠ける輩や、能力があってもその使い処が間違っているといったパターンもあるだろう。もちろん、当選回数とともに素質を開花させていく政治家もいる。
議会は大小かかわらず伏魔殿的要素を持っている。それは多数決によって与党野党に区分けされることと、収入面でも差異が生じる議会役職の存在に意味がある。これらに執着するのは、政権側にいれば要望実現の可能性も高くなり、役職と共に次期選挙に影響をもたらし、かつ見栄と誇りと同時に権威までをも保持できると思考する傾向によるものだろう。しかし、それは違う。
政治家が国家官僚もしくは自治体職員を下に見て、怒る、怒鳴る、恫喝するといったことなど日常茶飯事のようでもある。県議時代にそういう議員が何人かいたが、国会でも野党が官僚に対して行うヒアリングでは、感情むき出しで容赦なく口撃する場面が多いという。確かに公務員全てが働き者で国民市民の為に働いているとは言えない場合もあるだろう。しかし、それを言う前に自分の足元を照らすべき政治家が多いということではないだろうか。私自身、経験と視野はそれなりに深めたとの想いはあるが、いろいろなパターンの政治家によって、レスペクトしたり、反面教師にしたりで、日々是精進なのである。
76%の政治及び政治家不信が今後ますます深まるのか、改善されるのかはわからないが、政治が無くなることはない。
「奢侈政治、みんなで渡れば怖くない」だとすれば不信レベルは高まるばかりだろう。そうならない為にも、最も見本となるべき国会議員が襟を正してくれることが、地方の若者が地方の政治にまずは関心を持ち、いずれは大志を抱くことにつながるものと思うのだが、事はそう安易ではないとも思っている。

















