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No.2460 靖國参拝は軍事的な動きですか?

2014.01.27

 昨日、とある新聞が伝えることには「靖國参拝は軍事的動きだ」という。私は、これについてはいろいろな思いがあって、判断はまちまちだと感じている。それにしても軍事的動きとはなんたることかと思う。こうした評価のさらなる行く手には、特定秘密保護法や憲法改正反対、そして集団的自衛権の否定といった思考がはっきり存在している。
 しかし、靖國参拝は純粋な神道行為であり、英霊を称え、感謝するものだと私は思っている。とやかく他国に言われる筋合いのものではないし、他国の真意には外交上の優位性を確保し続けたいということが透けて見える状況にあって、どこまで遠慮する必要があるのかさえ考えることはない。

 現状の外交実態にからめてタイミングが悪いという声もあるが、どこまでいってもこの問題は、日本の政治家が靖國参拝すれば中韓がヘソを曲げる。そういう意味ではタイミングなどない。首脳会談がたとえあったとしても、靖國に出向いたら誹謗中傷表現が生じるようになり、また海外向けロビー活動をするはずである。

 この新聞、数日前には17人のA級戦犯を罵る攻撃的な解説を掲載していた。戦後68年が経過しているにもかかわらずと思うとなにやらやるせなくなる。中韓の真意は深い意味合いを含む国益上の利害にあるのであって、日本人が日本人をとやかく言うのは・・・戦争勃発の本当の流れを詳細に理解しない限り出来るものではない。

No.2459 またまた20%台

2014.01.27

 深谷市長選挙は現職候補が圧勝した。この結果がおよそ事前に推測できていたのから棄権する有権者が多かったのだろうとは思うが、なんともこの投票率が29%だったというのだから寂しくなる。そして過去最低というコピーが付けられた。勝者が3万票で、かたや2千票では戦いにならなかったのはあきらかで、あまりにも現職に挑戦するには新人の出馬表明が間際過ぎたという感は否めない。
 現職は元県会議員ということだが、どこぞの会でご一緒したことはあったと記憶しているが、基本的に私はまったく存じ上げない。もちろん挑戦者の新人候補は会ったこともない。人物比較、政策論争はどうだったのか。
 いや、何を考えようが、口にしようが、選挙結果の如何にかかわらず投票率が30%を切るということは考えさせられる。時代の流れは、今後もますますこの傾向を増長させるのだろうか?
 埼玉県の傾向と言われれば確かにそうなのだが、選挙のたびに過去最低というのではやりきれない。一般的に首長選は住民の関心度も高く投票率はあらゆる選挙の中でも高い率になるものだと思っていた。だからこそ驚きと同時に言いようのない日本の政治の未来に不安を感じる。
 けっして大げさなことではないと思っている。

No.2458 通常国会と都知事選

2014.01.25

 一体天気予報はどうしたというのでしょう。今日は3月上旬並みの暖かさで16度程度にまで気温が上がる可能性を示唆していたのに???

 今日は、午前中地元の初天神の神事に出席した際ブルブル! そして事務所に戻り作業していてもブルブル! いや、今はエアコン回しているので寒さはしのげていますが、外のどんよりした曇り空はそれなりに気分停滞をもたらしてくれます。

 さて、通常国会が昨日召集されました。スイスダボスでの演説に続き、年明けの所信表明を安倍総理がおこないました。昨日視察で訪問した東松山の(株)ボッシュでは、リーマンショックで落ち込んだ業績が、昨年から回復基調で、今年の予測もそのまま引き続く形の上昇ラインで計画図表が出来上がっていました。やはり、アベノミクスは着実に一歩づつ景気回復につながっていることを伺わせる状況です。
 しかし、このまま一途の上昇気流ではなく、ひとまず消費税が上がる4月からどういった先行きとなるか、そこで一つの区切りが見られることになるのかもしれません。社会福祉と税の一体改革を旗印におこなわれる消費税アップですから、国民もここはしっかりと日常生活の再設計をして、しのぐところはしのいで少子高齢化社会に自助ならびに共助の対応を示すことが必要だろうと思います。

 ところで、都知事選挙が告示されました。私が意外に感じたのは細川さんがとても老けて見えたことです。背中を丸め、首を前に突き出して演説する姿は髪の乱れもあって、長い間、仙人生活をしていた人を感じさせました。東京オリンピックの年には80余歳を迎える方ですし、なにより政治的充電をしていたわけではなく、お殿様的余生期間を長く持ち過ぎたのではないかと思いました。小泉さんも罪なことをしたという結果になるのかどうか・・・。
 いっそのこと、同じ首相経験者であれば、小泉さんが出馬したほうがより、選挙が活性化したかもしれませんね。間違いなく投票率は上がったと思います。まあ、いずれにしても昔の名前で出ていますには違いありません。世界でも有数の国際都市東京のリーダーにふさわしいのは誰か?
 私は、菅、鳩山、小沢、といった日本を貶めた古き政治家が応援する候補は東京のみならず国のためならじ!と思うのですが、有権者各位の人物評価、価値観、投票基準といったものは皆違います。愚衆政治のまやかしで、一時的感情論による選択をすることだけはいかがなものかと思います。さて、どういった結果になりますやら・・・。
 投票権がないこともあるでしょうが、政策論が都政的ではない部分もあって、チマチマした都知事選挙に今ひとつ興味が湧き切らないのです。

No.2457 インフルエンザに負けるな!

2014.01.22

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 昨夜の雨は雪に変わる可能性もあるという予報ははずれたようだ。それはそれでよかった。雪を求めてスキーに行くとかいう気も薄れている年齢ゆえ、生活の場での雪はご遠慮したいと思うのは誰しも同じかと。

 さてさて、朝の登校パトロールでここのところ異変が。
 集団の中でいない子がいるなあと気になりはじめて、その数が複数になったところで、先週から数日にわたり姿の見えない子どもも出てきた。すると、通学の子どもが「1年生で学級閉鎖が出ています」と教えてくれた。間に土日を挟んでのことだから、「あの子」はかれこれ1週間以上は辛い思いで布団の中なんだろうと思う。可哀想に!

 市役所で確認したところ、市内二ヶ所の小学校で数クラスの閉鎖が出ているという。それも、まだ最近のことなので他に広がらないことを心配していた。もっともなことだ。自分も今ほど長い喉風邪は記憶にない。ようやく扁桃腺の痛みは無くなったが、いがらっぽくてどうにも落ち着かない。新年会に招かれる数もハンパではないので、いろいろ思案しながら、お会いする皆さんに失礼の無いようにたたずまいを整える。不思議とそういった場では咳が治まるので助かっているが、夜になると完調ではない証拠なんだろうと感じるしつこい咳が出る。
 相変わらずの睡眠不調も原因かと感じているが、かならずしも長くて深い眠りが健康に良いとは言えないと伝える内容にふれると安心感も芽生える。人間とはかくも都合良く出来ているものだ。

 うがい、手洗い、マスクの基本3原則を守って、あと1ヶ月ほど続く新年の宴会を乗り切りたいと思う。
 それにしても、子どもたちに重い症状が広がらないことを願いたい。やっぱり子どもたちは、どんな空の下でも元気でわんぱくな姿が似合うから。

No.2456 小野田さん、どうぞやすらかに!

2014.01.20

 終戦後にもかかわらず、29年もたった一人の戦時密林生活に人生を費やした小野田元少尉が91歳で、その数奇な人生の幕を閉じられた。
 
 長嶋さん引退の年・・入団ではなく引退ですよ。また、その前年には、あのハイセイコーが老若男女の話題をさらい、競馬ブームにわく社会現象が起こり、高度成長に一区切りがつき、第一次オイルショックが起こってもいた。
 ついでに言えば、我が家では前年の春に結婚、翌夏に長男が生まれた。そんな昭和49年のこと。

 そうした、戦後の高度成長による平和と安寧を謳歌できるようになっていた世情の中、真っ黒に日焼けした小野田さんがその姿を現した。小野田さん、その時51歳になっていた。テレビ画面を通じて日本中に驚きと歓喜の渦が湧き上がった。
 誇りある日本兵といった様子で、日本以外でも賞賛の声が・・・いや、そのはずだったが、その半年後には小野田さんはブラジルへ移住することとなる。お兄さんをたよってというのが当時の説明だったと思うが、実際は、小野田さんは「軍国精神を煽り、戦争を美化する亡霊のようだ」という評論批判、巷の声に厭世観を強く感じ、嫌気がさしての移住だったという。

 国や家族のために遠い外地で戦死された英霊や、この小野田さんのように、祖国を愛しつつも、戦争が終わっていることもわからないまま死の恐怖の中、食うや食わずの密林生活を強いられた人がいてこその平和ニッポンであることを、認めようとしない社会の一面が生じていた。まさに、これこそが戦争のイメージを抱いて帰国した小野田さんを忌み嫌うという意味において、平和ボケというシロものではなかったのか。
 好きで戦争意識のまま無駄な29年を過ごしたわけではない小野田さんになんと非情なことをしたのだろうか。

 
 とくに、小野田さんがその意を強くしたのは、全国から小野田さんに寄せられた寄付金を、靖國神社へ寄付したことに対する世論に対してだった。絶対世論ではなかったものの、小野田さんにとっては誠に受け入れがたいことだったと思う。今は、当時以上に靖國が謂れ無き戦争との関わりを持ち込まれ、英霊も静かな眠りを妨げられている状況だが、小野田さんは何のために、誰のために・・・の思いで29年もの孤独な生活を送っていたのかと思うと、なんと冷たい仕打ちをしたものかと思えてならない。

 私は、小野田さんに「帰国後の40年間の人生は幸せだったですか」と聞いてみたかった。愚問かな?
 そしてもう一つ「小野田さん、あなたはどこに眠りたいですか?」と問うたなら、「ええ、できれば多くの仲間が眠る靖國に共に眠りたい」という答えが返ってくるような気がするのですが・・・。
 私は今後、靖國に奉じる際には小野田さんにも思いを馳せて奉じたいと感じるのですが、小野田さんは靖國には祀られることはありません。
 でも、まさに小野田さんこそ最後の英霊ではないのかと思います。
 マスコミ各紙が伝える小野田さんの近影は、とても穏やかな優しい笑みを浮かべています。この小野田さんの顔がなんとも言えず素晴らしく感じられてなりません。こんな笑顔が浮かべられる老人になりたい。

 小野田さん、ようやくあなたは壮絶な人生の戦いから解き放たれましたね。どうぞ安らかに。合掌

No.2455 三ッ林裕巳議員賀詞交歓会

2014.01.19

 新年会華盛りだが、今日開催された三ッ林裕巳衆議院議員の賀詞交歓会は素晴らしい会だった。昨年は、あの熱い選挙戦の1ヶ月後だったこともあり、人数的には多かったが、なんとなく会自体にバラツキといったようなものがあった。今年はそれを参考にしたようで、人の集まりをじっくり待って、ほぼ定刻に始まり、早いうちに本人の挨拶を用意し、一気に盛り上がった感じだった。
 もちろん、代議士の挨拶がいつもながら熱の入ったわかりやすいものだったので、参加者も心地よい感覚を持ったと思う。

 乾杯の後は、例によって来場した政治家たちの挨拶と紹介が長く続くパターンで式次第が組まれたが、とくに長話をする人もなく、淡々と会の余興のような感じで、それはそれで良かったと感じた。

 代議士本人は来場者たちとの触れ合いのため、会場内を丁寧に歩いていたが、この日の午前中は第81回自民党大会が東京であったので、さぞや疲れたことと思う。しかし、そこでの話題も挨拶の中にあったので、タイムリーな状況ではあったようだ。力がみなぎる三ッ林裕巳議員に自分も気合を入れられた気分だ。

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