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No.2531 共栄、残念!

2014.08.18

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 春日部共栄が敦賀気比に大敗し甲子園を去った。初戦で選抜優勝校を破った勢いはしばらく続くと予測していた私としては、残念無念! いや、それ以上に優勝の可能性すらあると感じていたのでちょっとしたショックではあった。
 しかし、頑張った。お疲れ様!
 

 参加校数150を超える埼玉県が夏の大会でどうしても優勝の悲願を達成できずにいる。参加校数30~40前後の県が、名門校を有し、何度も優勝しているのは、それだけ地域の力が集約され、さらに全国区での選手集結力があるからだろうか。そこに行けば甲子園に行けると。埼玉県はいい意味で均等に力がばらけるのかもしれない。
 もしも大都市圏からしか優勝校が出ない時期が続いたとしたら、選挙の1票の格差同様、校数の格差なる意見が出ることになろうが、そういう心配はまったく必要がないのが高校野球のバランスと言える。
 

 しかし、考えてみれば昨年の夏、選抜の優勝校だった浦和学院が小島くんの思わぬ乱調で初戦負けしたが、今大会はそれの逆再現だったような気がしている。選抜優勝校の気負いが初戦にでるのかと。しかも開会式直後の大会初戦というのだから、いらぬ力が入るのか、魔物がいるのか、選抜優勝校の宿命なのかもしれない。

 私は、今回の大会に大きな納得感かつ喜びを感じている。それは選手たちの足元だ。
今、プロでは当たり前になった、あのダラダラしたパンツの裾がどうしても気に入らない。長いだけで裾がしまったタイプならまだいい。しかし、グランドをずっているほどペラペラしたのは、野球というスポーツの清々しさを失わせているように思えてならない。
 加えて言えば、最近の大リーグでは人種国籍を問わず、あの鐘馗様のようなアゴヒゲを蓄えた選手のオンパレードである。忙しいこともあるが、それを理由にするわけではなく、衛星にチャンネルを合わす回数が、このアゴヒゲで近頃めっきり減った。つい数日前の巨人阪神戦で驚いた。マートンがそれだ!
夜のニュースを見てさらに・・・ペーニャも。たぶんもっといるのだろう。
お願いだ! 暑苦しい姿で野球をしないでくれ! 
 パンツの裾は高校野球で清々しさを感じるからいいことにしよう。

 ピアスやアゴヒゲ、入れ墨、チリチリヘアーなど、野球を志す青少年に良い影響があるとは思えないが、良くも悪くもアメリカは奔放だなあと感じる。ひょっとすると大学野球ではアゴヒゲだらけだったりして・・・想像したくもない!
 ひと時、眉毛を細くカットした選手が甲子園にも多くいたが最近は見かけなくなった。流行とはそういうものなのだろう。
 高校野球バンザーイ!

No.2530 終戦記念日と日の丸

2014.08.14

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 陽射しがやわらかく、気温が低め、湿度はまあまあ、といった感じは悪くはない。少し蒸す感じ程度なら、優しい夏をついつい感じる。
 実は、曇りがちから雨の可能性もあるというのが今日の陽気。ゲリラはもちろん長雨もいやだが、毎日少しづつ降る分には水やりの手間も省けるし良しとしよう。
 

 さて、明日は終戦記念日。朝刊を見ると菅官房長官の談話があった。
「15日の正午には、国民一人ひとりが、その家庭、職場等、それぞれの場所において、戦没者をしのび、心から黙とうをささげられるよう切望いたします」

 当たり前のことだろうと思いながら読んだものの、こうしたメッセージを国民に示した政権、官房長官が過去あっただろうか。

 ふと思う。 

 なぜ、8月15日を国民の休日にしないのだろうか。現世の国民がこの日に優雅に休暇などとんでもないということなのか、学校すべてが夏休みだから意義が少ないというものでもあるまいに。やはりよくわからない。他でこうした日を祝日にしている国はあるのかないのか。
 この日が終戦記念日というなら、正午に限定せず、それぞれの都合で時間は何時でも黙祷を捧げればよいとも思う。たまたま正午に出来ない人もいるでしょうに。そう考えついたら尚更いっそのこと休日にすればいいと思えてきた。
 明日は自分も日の丸を起てようか。この場合、半旗が当然なのだが、さて、どうしたら半旗にできるものやら。喪章でもピンで取り付けておこうか?
いやはや、これほどの知恵も浮かばないというのでは英霊に申し訳ない!

No.2529 圏央道の今後

2014.08.11

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 台風の猛威が列島を縦断し、昨夜は、市内で行われたお祭りも急遽屋内に変更せざるを得ないなど、関係各位のてんやわんやの奮闘があちこちであったようです。本当にご苦労様なことだと感じています。

 さて、今日は首都圏中央連絡道路建設促進期成同盟の会が永田町の全国都道府県会館で開催されます。いわゆる圏央道のことであります。
 既報の通り、一地権者にからみ行政代執行が図られることとなり、今年度内の県内全線開通がずれ込む可能性が生じることとなった圏央道。毎年、開催されて関連地域の意思疎通を確認してきた会合ですが、今回はどういった内容で意見集約が為されるのか興味は尽きません。

 その前に、かの問題地の具体的状況があきらかではないこともあり、そうした部分について国交省がどういった見解を表明するのかも注目に値します。
 もっとも、すでに報道発表された内容以外の新たな中身があるとも思えませんが、午後1時からの開催、参加する予定です。

No.2528 朝毎の揚げ足取り、いい加減にせい!

2014.08.09

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 安倍総理の広島でのあいさつはコピペ?(朝日)  とか

 安倍総理、被爆者団体に見解の相違と?(毎日)  とか

 
 毎年の恒例行事として、核のむごさや核廃絶を訴え、平和の尊さを訴える挨拶と決まっているからこそ、似たような内容になって当然と言えば当然。

 これでは朝日が自らの長ーい捏造、嘘、誤報を認めながらも、反省・謝罪の姿勢は皆無を証明しているように感じられてならない。32年もの間、誤報検証ができなかったとは思えず、そのまま放置しておいたことは、メディア・カンパニーとしてのコンプライアンスを問われて当然。
 冒頭の朝日の記事に感じるのは、覇権侵略国家との外交問題を筆頭に、日本を取り戻すことに汗水流している安倍総理を、さらに面白おかしく皮肉るかのような低いレベルの記事にしか感じられない。こうした表現が大きな文字で紙面に踊ることそのものが国益を損ねている。
 朝日同様、毎日が続いて・・・どうしたものやら!

 別の次元では、過去の国政の舵取りに加わった大物政治家たちが、なりふり構わず、中国を讃え、韓国を持ち上げる言葉を発し、安倍政権の足を引っ張っている。いったい、彼らはどの政党に政権を任せ、誰に総理を任せたいのか。 
 以前にも書いたが、吉田清治の虚言を利用して、金学順という元慰安婦なる韓国人女性をかつぎ、日本政府に賠償訴訟を起こした「福島瑞穂」や、韓国で行われた従軍慰安婦賠償訴訟デモに加わった、民主党政権時の公安委員長「岡崎トミ子」といった反日政治家の言葉を引き出す動きがないのもどうかと思う。ここにも朝日は責任を持つべきであろう。
 それにしても、公安委員長にこういう人を任命したことひとつとっても、国の威信、信頼を損ねたことは間違いなく、返す返すも失われた3年が悔やまれる。

 いやはや、朝日、毎日等々一部マスコミは、世界外交で疲れている安倍さんの背中を押すでなく、その外交そのものを場あたりだの日和見だのと批判し、疲労の中から発せられる失言を待っているかのような雰囲気さえある。

 安倍総理が、今何のために世界外交をしているか、考えればその道理は簡単ではないか。世界各国の中韓、とくに中国との関係がどういった実態になっているのか、それは日本との距離感と比較してどうかなどなど、さらには、そうり自らが出向くことで真の信頼感を復活させ、高めようとしているはずなのだ。
 にもかかわらず、よりによって今この時期にトップを貶めたいがための、言葉の揚げ足取りが許されていいのだろうか!

 なるほど、思いつくのは、5日、6日のセンセーショナルな記事は、原爆記念日における安倍発言から、左翼リベラル思想のまとまりを促進し、一気呵成に攻めどころにしようと画策した?としたら考え過ぎだろうか。
 つまり、戦争の話題が最も高まるこの時期で、自らの記事で注目度を高めたかった・・そのためには捏造を自ら認めても、おつりはくると考えたのか?
 それが朝日、毎日のメリットであるならば、国にとって、国民にとってはデメリットでしかないということに多くの国民は気づいている。

 議論が足りないとか、国民に説明がたりないとか、お定まりの批判を続ける前に、朝日こそがまだまだ説明責任が足りないのではないだろうか。  
 ましてや、朝日は海外向けには「誤報だった報道」はしていない。日本としては海外に向けて、朝日の記事の非実態性を知らしめたいところではないのか。

 朝毎どちらの新聞社も、日本のマスコミ界をリードしてきた三大新聞社である。これでは、報道レベルそのものを自ら貶めていることになるのではないか。

 言葉の揚げ足取りが、まさに国の行く末に関わる形で行われている今の報道の姿は、言論の自由とか、ペンの暴力という表現すら無用なほど稚拙さを感じている。

No.2527 歴史捏造を認めた朝日だが

2014.08.05

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 とうとうスタップ細胞事件で自殺者が出た。しかも研究そのものの技術的にも精神的にも支柱として活躍していた理研の副センター長笹井教授というのだからセンセーショナルな死としてトップニュースになった。研究そのものの結論は素人がどうこう言えるものではないが、有望な科学者を失ったことは間違いない。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 このニュースがあったためか、国家威信にかかわるニュースが目立たなくなったようだ。朝日新聞今日付けの見開き2ページにわたる従軍慰安婦問題に関する記事取り消しのニュースもかなりセンセーショナルな内容だ。

 済州島で女性を慰安婦にする目的で無理やり連れだしたとする吉田清治証言は間違いだった。強制連行を裏付ける事実は見つからなかった。女子挺身隊と慰安婦を混同していたがまったく別のものだった。などなど。 

 この報道は30年前のものである。この歴史捏造期間に失われた国の信頼は容易には取り戻すことはできない。
 アメリカではまた新たに慰安婦像がニュヨーク近郊で立てられたという。この記事を盾に福島瑞穂の先導で韓国女性による賠償訴訟が起こったりもした。
場合によっては、国が朝日を訴えることもありうると感じるくらい自国を貶めた責任は重く、その重さは計り知れない。
 これ以上詳細をここで語ることは控えるが、この報道に合わせる形で論評していたキャスターたちも含めて、真摯な謝罪対応を一日本国民として求めたいと感じている。
 とにかく、この従軍慰安婦問題にどういった主張を続けてきたかを振り返り、テレビをはじめとするマスコミ各社も今回の朝日報道について自社認識を表明するべきだと思うのだが、残念ながらこの朝日関連ニュースから遠ざかっているのが実情か。辛抱次郎氏が怒りを表明していたが、捏造を認めたことは評価できると言っていた。これには大いに疑問がある。

 残念なことに朝日は詫びの姿を素直には見せてはいない。大マスコミが2面を使って30年続けてきた捏造報道を認めたものの、どこか言い訳めいた言い回しが多く見えるところにいくつかの疑問が重なる。8月15日を1週間後に控えたこの時期になぜ? テレビキャスターの中には、先の辛抱次郎氏のように捏造を認めた姿勢を評価する声があるが、それはあまりにも稚拙すぎる対応だ。 TBSやテレビ朝日などからお呼びが多くかかる輩は言論の自由はあってないようなものだろう。
 
 1面では「慰安婦問題の本質 直視を」との見出しがあるが、本質を直視しなかったのは誰か! 
 中身を読むと30年前の自らの捏造記事が他人事のように済まされている。それどころか日ましに高まる捏造批判への挑戦状のような雰囲気さえただよう。やはりどこかがおかしいと多くの人が感じているのではないだろうか。

No.2526 思春期の家庭崩壊が原因?

2014.08.04

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 佐世保市の女子高生殺人事件に関して、言いようのない震えをともなう複雑さを感じている。
 国政も台風も水難事故も印象が薄くなるほどショッキングな事件であり、思考がなかなか追いつかない事件である。いろいろな意見、考え方があるとは思うが、時の経過とともに見えてくる単なる猟奇的事件とは言えない状況から、私は幼児教育の大切さを感じている。


 幼少時に見せる興味、好奇心の対象がどういったものかは、その後の少年少女期に大きな影響をもたらすことは間違いない。それに親が気づくか気づかないか、また気づいた場合にどう対処するかは大きなポイントであると私は思う。もしも、担任教師なり学校側が何らかの異質を感じ、立場上の早期対応として親に報告した場合、おそらく親は学校に噛みつくか、子どもをガミガミ叱る両極のパターンが多いのではないだろうか。実態を冷静に視図り、異質の好奇心から子どもを切り離す処置対応が出来る親は優秀なんだろうと思う。それが出来なかったならば、もはやその異質性は増幅する一途かもしれない。しかし、それすら一過性のものかもしれないし、絶対的な確証はない。ことさらに幼少期の子育ては難しく、ゆえに親はもちろん周囲の気配り、目配り、心配りが大切だということは言える。

 少し話はそれるが、実は、私はサッカーチームに入っていた子どもが、ツートップのポジションでの試合中、自チームでボールを支配し、パスを回している状況下で、「○○にパスするな!」と発した言葉ひとつでチームをやめさせた。小学校3年生のことだったか。家内からはかなり抵抗にあったし、他の子どものお母さんたちからも厳しすぎるとの声をいただき、子どもには可哀そうな思いもしていたが、出した結論を引っ込めることはしなかった。
 チームスポーツに参加させ、チームワークとは?という自然教育を期待していたが、その思いとは実態が離れていたと感じたからだ。めったに見ない試合を観戦に行ってのことだった。少し・・いやもう少し反省している。
 そして、それからしばらくして子どもは野球チームでお世話になることとなった。
 この我が家の四半世紀以上前の出来事は、興味や好奇心という観点とは異なる協調性という一面が私の逆鱗にふれたということであって、比較論においてはさほど深刻ではない。今、ありがたいほどに親孝行を思考する人の親に成長してくれた。手前話ですみません!

 子どもは子どもらしく育てばいいと思うのは簡単なことだが、実は子どもは大人の予測想像のはるかに上を行く異なもの、奇なものに感心を持つ場合がある。それにどう対処するかは、ほぼ親だけにしかできないと言っていいだろう。
 ところが、その親が躾に関わる子育てを誤ると、考え方が特殊な持ち主を形成してしまう可能性があることを示したのが今回の事件ではないだろうか。
 思春期に起こった家庭崩壊が動機の原点であるかのような報道も見られたが、やはりこの事件は奥が深く、その複雑性の解明は容易ではない。

 「人を殺してみたい」と発言していたことから、精神的な異常を唱えるむきもあるが、それでは今後こうした事件が起こるたびに、被害者家族が報われない可能性を示唆する。はたして「人を殺してみたい」と考えることが精神異常と言い切れるかどうか・・・。
 「命の教育」の必要性は間違いないが、それは、その内容に入り込んでのあり方を検討画策することが大切なはずだ。当たり前のことを教えることほど難しいものはない代表的なものが「命の教育」ではないかと思うが、いかがなものだろうか。

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