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No.3942 アットホームニュースの想い出

2026.05.14

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 毎月15日に新聞に折り込まれてくる「アットホームニュース幸手」が、明日発行される第567号で休刊になるというのは、第566号つまり先月号で公表されていました。それを知った瞬間、めくるめくいろいろな出来事が頭を巡りました。
 オーナー編集長の斎藤誠一さんご夫妻には、何度も何度も人生の大一番の場面でお世話になりました。1999年平成11年に小渕内閣が発した平成の大合併で、街が2分した合併論の一方の青年リーダーとして大活躍したのが、誰あろう斉藤誠一さんその人でした。「議会が変われば幸手が変わる」というわかりやすいキャッチフレーズで、揉めに揉めた合併論争の先頭に立って、その後の広報戦略のすべてを担ったのです。
 当時の市長が示す合併論に議会も意見が割れて、平成15年4月の市議選で久喜との合併を謳った「市民の会」が立てた新人候補が複数当選したのです。私は、市民の会推薦ではありませんでしたが、地元の仲間たちが支えてくれて、同じ久喜との合併を前面にかかげて当選することが出来ました。
 その後のことは今更といったところですので控えますが、主張が別れた議会によって幸手市はテレビにも取り上げられる政争が勃発することとなっていったのです。合併の住民投票における選挙戦以上の熱い運動の先頭に斉藤さんとともに市内各地で燃えるようなマイクパフオーマンスをしたことは、思い出すと今でも胸が熱くなります。ついでで言うことではないかもしれませんが、その時と市長が変わって2度目の合併を目指した時と・・・2度にわたり幸手は合併出来なかったわけですが、時の経過とともに、あの合併が成就していればという無念の思いが心に残ります。
 斎藤さんと故鴨田廣市民の会会長がもたらした運動は、幸手市民は大いに盛り上がったのです。

 市議の2期目が終わりに近づき、まもなく3期目への運動計画をする時期になって、まったく予期せぬ事態が私の身に起こりました。病に倒れた現職県議の代わりに統一地方選挙での県議に挑戦してもらいたいとの話で、1月17日に我が家まで説得しに来たのが斎藤さんを含むお三方でした。言葉の多くは斉藤さんでした。迷いに迷い、相談すべき人にはすべて相談し、結局2月に入ってその話を受けることにしたのです。
ファイル 1875-1.jpg 4月10日の投票日までわずか2カ月足らずでしたから、慌ただしいことこの上なかった選挙でしたが、ほぼ全面的に斉藤さん頼りの選挙戦略になったのは言うまでもありません。
 ところが、選挙計画の関連でアットホームの事務所に出向いた日が平成23年3月11日あの日だったのです。東日本大震災により、選挙戦もスピーカーの音を下げたりなど様変わりしましたが、1ヵ月後、晴れて当選することが出来たのも斉藤さんの手腕によるところが大きかったと述懐しています。選挙戦中、前県議の奥様が何度となく応援に入ってマイクを握ってくれたのも斉藤さんのアイデアかつ取り計らいによるものだったはずです。
ファイル 1875-2.jpg 当時、発行した県政報告は斉藤さんに手によるものです。

 47年間本当にお疲れ様でした。第1号刊行当時は民間のタウンコミュティ広報誌は珍しかったはずです。私が大宮から幸手に越してきたのが36年前。40歳の時ですが、斎藤さんは19歳でアットホームニュースを編集発行したことになります。起業家のはしりだったということではないでしょうか。
ファイル 1875-3.jpg 1日前に手にすることとなった第567号。読めば「我業精進・忍終不悔」という斉藤さんらしい8文字熟語で47年間の歴史に幕を閉じています。新聞購読者が激減していますが、読者市民には心から斉藤さんご夫妻のご苦労を偲び、讃えながら2026年5月15日発行第567号最終号をお読みいただけたらと思います。
ファイル 1875-4.jpg 私もあらためて感謝の念と、ご夫妻の今後の人生に幸多からんことを願う次第です。ご苦労様でした。ありがとうございました。