記事一覧

No.2318 1,000万人署名

2013.04.29

 平成16年に開設して以来、これほど間を空けたことはなかった書き込み更新ですが、長らく失礼いたしました。また元気に更新していきますのでアクセスのほどよろしくお願いいたします。

 27日のことになります。北朝鮮拉致被害者救出を訴える国民集会が、今年も日比谷公会堂で行われました。横田めぐみさんのご両親である横田滋、早紀江さんご夫妻が先頭にたってお願いしてきた全国1,000万人署名運動は、1997年からはじまって16年になります。
 この日に先立ち、埼玉県議会も最後の追い込み署名に頑張った分も含む、約36万人分の署名を上田埼玉県知事から横田さんにお渡しし、最終署名数はなんと1,010万人を超える結果となっていました。
 27日の集会では、横田さんから安倍総理にこの署名が手渡されました。

 北朝鮮の人口が約2,000万人と言われますので、その半分にあたる署名が集まったということは驚異的でもありますが、それ以上に、帰国を待つ家族の皆さんの辛抱と努力は並大抵のことではなかったと思います。早紀江さんは「街頭署名が恥ずかしかった」と述懐していますが、私も協力した回数は少ないものの、確かにやってみて感じたことは、以外と誰でもが署名に応じてくれるというものではなく、さらーと通過されるとやるせない気持ちになるという実感は経験しました。しかし、悪いことしてるわけじゃない!という当然の思いと、救出を実現する一助になるならという感覚で2時間を超える時間を街頭活動をしたものです。
 同じように、けっこう厳しいなあという思いは、赤い羽根募金運動でも感じることですが、この北朝鮮を相手にした社会テーマですら一部冷ややかな状況があるという事実は、寂しい感じもします。しかし、それは冷ややかなのではなく、忙しい通勤時であったり、書くために立ち止まることが気恥ずかしいといった部分が多いようにも思います。
 実際に人口の12分の1の署名が集まったわけですから、素晴らしいことであり、喜ばしいことだと思います!

 すでに批判評価の域を越えた北朝鮮の最近ですので、どこまで歩み寄りが可能かは不明ですが、家族たちが高齢化している現実において、早期の救出奪還が実現することを願うばかりです。

No.2317 M&A 西武鉄道のこれから

2013.04.17

 西武鉄道秩父線や山口線の存続が危ういという。この沿線の住民にとってみればとんでもない話であり、埼玉県にとっても人ごとではない。この路線を生活インフラとして利用する地域住民にしてみれば、おそらく北朝鮮のミサイル問題以上に逼迫する話に違いない。
 県西の中山間部を走る秩父線は、通学利用の学生だけでも1,200人いるというから通勤利用者はそれ以上の数になるはずだ。そして、県内一の観光スポットを有する秩父地域は立ち行かなくなってしまいかねない。東武東上線が横浜までいけるようになったことを喜んだのも束の間の騒動となっている。

 同社株を4%買い増しすると言っていたサーベラス側は、実は12%も買っていたという。結果、44%の取得率となり、取締役会構成も9対7ということになりつつあって、議決権もサーベラスに奪われる状況を呈している。

 「外資の論理、相手を選ばず」に対して、規制もなにも及ばない現実に為すがままというのはいただけない。外資の土地漁り、水利漁りも話題になったが、善人でお人好しな日本人の感覚は、世界相手では太刀打ちできないということか。 企業の健全な経営は、規模の成長を示し、株式を公開することも一つだろうし、同族経営は時に後継者による杜撰経営を生むこともあると理解はする。そういった観点とは別の意味で、生活インフラを主たる経営指針に持つ企業の買収騒動となると、その影響はかなり広範囲に及ぶこととなる。
 ローカル線を持つ全国の地域も事の成り行きを心配することだろう。

 自民党県議団としては、昨日、西武鉄道と西武ホールディングスに宛て、存続についての要請を激励の意味を込めて提出することを決裁した。

No.2316 補助金 

2013.04.14

 いつもながらせわしない週末となっています。ここにきて、ようやく落ち着いた春を感じさせる陽気になりましたが、先週のさくらマラソンの中止は残念でした。皮肉にも好天となったのですが、しばらく後に強い風が吹きはじめましたので、万が一のことを思うと中止は最良の選択だったかなと感じます。

 さて、街のイベント、祭事は住民の郷土愛を育み、地域活性化に意義深く、その繁栄を期待する思いは、今も昔も全国共通のことです。そしてイベント運営には金がかかるのも今昔同様のことでありますが、時に「減らされた」「増えた」といった悲喜こもごもがあるようです。今日も、ソフトボール大会、軟式野球大会そしてある体協の総会と午前中続けて参加してきましたが、あるところで、「高齢者が喜ぶ企画の必要性を考えると繰越金が年々減っているようで心配です。市長もいらっしゃるところでなんですが、補助金を増やしていただけるようなことがあればありがたいのですが・・・」といった声が出ました。

 招待者に直接談判の是非は別にして、地域イベントのあり方を見直す必要があるのは確かなことだと思います。ただし、毎年補助金の増減が行政の都合で上下するというのも考えものですし、特定団体ばかりが喜ぶ手法もいかがなものかと思いますが、ここまで長い間元気のなかった日本、とくに地方では少し元気アップのきざしが見えてきたかなと感じますので、前述のような声が出てくるのかもしれません。

 つい先日市内の知人から、自治会館の建設計画において県からの補助金が承認されたとのご連絡をいただきました。素晴らしいことだと思います。地域住民が古くなった自治会館や集会所を立て直すというのは、昔ならともかく、今の時代は大変なことだろうと思います。相当の期間を申請準備にあてられてご苦労されていたのを聞いていたものですから、私もなんとなく嬉しい感覚をいただいています。
 実は、その関係では県に数十件の補助金申請が出されますが、昨年は30件ほどの補助金が承認されております。やはり計画性のレベルと思いや意思の強さというのもが、相手を動かす力になっているものと思われます。
 補助金にもいろいろな種類、性質のものがありますが、ただ補助金を!というだけでなく、その対象をはっきりして、計画に具体性を示すということが許可承認のためにいかに大切かは一般の仕事にも言えることで、サラリーマン時代に鍛えられているつもりですが、もしも自分が・・となるとさて、今はどうでしょうか?

No.2315 礼儀、挨拶は一流への必須要件

2013.04.08

ファイル 254-3.jpg 一昨日、全国交通安全運動週間の始まりにあたり、幸手警察署では1日所長に浅井えり子さんをお迎えした。ご存知の通り、ソウル五輪のマラソン選手で、名古屋国際女子マラソンなどで優勝した日本の女子マラソンの草分け的な存在の方です。
 所管内の栗橋駅東口で行われたセレモニーに招待されたことから、浅井さんと昼食を共にしながらしばし歓談することとなったが、なるほどと感じるお話を聴き、その場の全員が感心しきりとなった次第。

 要するに難しい話ではないのだが、浅井さんのこれまでの経験において、およそ一流という肩書きがついたアスリートは、誰もが礼儀正しく、挨拶をしっかりする人ばかりだというのである。思春期から青年期に入る年頃で、世間から注目されることについては、才能を見込まれ、また発揮できているという点で価値あることだが、それによって人の基本を忘れる選手が少なくないらしい。
 こうしたタイプは、自らの才能をさらに高めるためには努力があってこそという理解ができないパターンか、もしくは形だけの努力で済ませて納得するようになってしまうパターンのどちらかなのだろう。
 聴き手を説得する力というのは、その道を登った人が言うと深いものがある。まさに、当たり前と決め付けてしまえばそれまでではあるが、今日、この話を中学校と高校の入学式で早速引用させていただいた。

No.2314 45年ぶりの優勝旗

2013.04.06

 前号で長嶋さんへの思いを書いたばかりで、しばらくは更新したくない気持でいたところ、なんと浦和学院が選抜野球で優勝をもたらしてくれた。すぐに書込もうとも思ったのだが、やはり長嶋さんの余韻をもう少し残したかった。

 それにしても強かった。済美高校の安楽くんも素晴らしい選手だが、投打がかみ合った浦和に軍配は上がった。全員野球とはまさに今回の浦和学院のような戦い方を言うのではないだろうか。

 ここで、我が青春の思い出に少々お付き合いください。
 45年前・・・春夏通じて甲子園に初出場した大宮工業高校が、戦いの結果として小さな大投手と呼ばれることになった吉沢くんを擁して、あれよあれよの初優勝で大紫紺旗を埼玉に持ち帰ったのは昭和43年だった。記憶に間違いなければ、決勝戦は尾道商との一戦で3対2というきわどい接戦だった。 
 実は、その前年の夏の大会では、宮工に対して大高という略称で良きライバルだった大宮高校が出場していた。当時は大高が夏のベスト4になったりで甲子園常連校として県内きっての強豪高として全国に名が知れていた。
 その42年夏の県大会の決勝戦は両校がぶつかり、確か1対0だったと記憶している。その試合は受験生だった私も県営大宮球場で見ていた。その時の大宮高校のメンバーは今思えば強烈だった。甲子園でも優勝候補の一角に上げられたくらいだった。同年秋の第4回ドラフト会議では東映に1位指名された吉田誠をはじめ3人が指名されたのだ。また、早稲田で6大学首位打者になった金子・・・それから現在西武ライオンズの球団本部長として活躍している鈴木葉留彦(当時治彦)という西武では代打の切り札として有名だった選手で、1年生でファーストのレギュラーだったからプロに迎えられる人はやはり違っていた。ついでになるが、始まったばかりのドラフト会議は第1回の堀内から、2回が江夏、3回が平松、西本、5回があの田渕、山本浩二、冨田の法政3羽ガラス、6回が三沢高の太田と、今でも記憶に鮮明な選手たちが第1位指名をうけていた。なぜか当時の“野球へのときめき”を感じる時代だった。

 ちなみに、当時の県内強豪校として甲子園を争っていたのが、この2校と上尾、熊商などであり、さらには深商、所商といったところだった。公立と私立の立場は正反対だった・・・というか、私立高校がまだ少なかった時代でもあった。大宮高校と大宮工業は、その後もOB戦を定期的にやっていると聞いているが、皆それなりの年齢になっているので最近のことまではわからない。

 残念ながら、受験生の身ということで甲子園までは応援に行けなかったが、初戦はテレビにかじりついていた。4番のホームランなどで3対1とリード、報徳学園9回裏の攻撃で2アウトから3点取られてサヨナラ負け。最後のサヨナラはたぶん長い甲子園の歴史でも他に例がないと思うが、3塁ランナーのホームスティールだった。同点になった段階で浮き足立ってしまったのだろう。このあたりは高校野球のよく言われる怖さというものだった。
 この大会、隣県の習志野高校が初出場で優勝した。この時の優勝投手だった石井投手は早稲田に進学したが大成はしなかった。しかし、その後母校の監督に就任して数年後、再び習志野高校を優勝に導いた。その時の投手が、今ヤクルトの小川監督その人だ。野球の歴史は面白い。人生もいろいろだ。

 母校大宮高校の話に戻ると、この年は埼玉国体が開催された年だったが、甲子園大会の数ヶ月後に開催された国体高校野球で我が母校は優勝している。大分商、今治西などを破ってのことだったと思うが、さほどに当時の記憶はけっこう残っているのだが、甲子園初戦で負けた報徳と、優勝校の習志野と一戦交えたかどうかの記憶がまったくない。
 そして、これ以降母校の甲子園出場は果たされていない。
 しかし、今年は所を変えて「科学の甲子園」に出場したらしい。それもまた素晴らしきこと。

 
 ともあれ、浦和学院優勝おめでとう! ありがとう! 県庁に報告にくるのはいつだろうか。大紫紺旗にお目にかかりたい。
 長々とお付き合いくださりありがとうございました。
 

No.2313 「人に見せない汗をかけ」by長嶋茂雄

2013.04.02

 暖かい日も確かにあるにはあるのだが、まだ暖房器具のお世話になる日が続きますね。来週には桜も散るというのに・・・。

 さて、今日はまさにホットなニュースが飛び込んできました。私が長年訴えてきたことでもあり、以前の古いブログでも書いたことがある長嶋さん国民栄誉賞受賞!のニュースです。
年度替わりの初日を待って安倍総理が打ち出した方針。これほど多くの国民が納得する受賞対象者は今後なかなか出ないと思われる大ヒット。最初はエイプリルフールを思い描きましたが、総理はそれほど野暮な人ではありませんでした。

 昭和28年だったでしょうか・・・県営大宮公園野球場でセンターバックスクリーンに大ホームランをかっ飛ばした千葉佐倉高校の長嶋茂雄三塁手。立教大学に入って以降の長嶋フィーバーは焦土と化した国家復興にどれほど活力を与えてくれたことか。
 戦後日本の高度経済成長は、娯楽も少なく、働くことが生きがいでもあった勤労者たちに、野球を通して夢を与えてくれた長嶋さんの活躍があったればこそだと言っても過言ではないでしょう。
 家に帰って、ビールや2級酒を飲みながら、大奮発して買ったばかりの角の丸い小ちゃな白黒テレビで野球を見る。野球のない金曜日の夜はプロレスで力道山の空手チョップに一喜一憂する。まだ、小学生だった私でさえ・・・いや、酒は別にしてもそんな感じでした。月光仮面やまぼろし探偵、七色仮面、少年ジェットなども私たち専用の娯楽番組でした。なつかしい!

 33年ジャイアンツ入団。私たちは、背番号3にあこがれ、バットでもグラブでも買ってもらった道具には3を書き込んだものです。「サード4番ナガシマ」のフレーズにワクワクもしました。力道山がテレビ普及に果たした役割は大きなものがありますが何しろ短命でしたし、人格的に問題の多かったヒーローでした。それに比べてミスターは笑える人間性もありの人で、ハイレベルなプロスポーツマンであるにもかかわらず親しみやすい人柄でもありました。

 語られることも多い後年の不幸が長嶋さんのイメージにそぐわないのがくやしいのですが、それでも今の状態であっても、ミスターが野球界だけでなく日本全体に元気をもたらしてくれる存在であることは間違いない!と私は声を高くします。他に比較対象できる人が見当たりません。
 松井さんも同時受賞とは、安倍総理も粋なはからいをしたものですが、私の希望はと言えば、まだ松井さんは先がある人だし、今回は長嶋さんの単独受賞に対して、大多数の国民で感謝の思いを込めて受賞を祝ってあげたかったと思うのですがね・・・。松井さんにももちろんそれだけの資格はあると思いますが、松井さんにしても師匠と同時ではこそばゆいのではないでしょうか。
 しかし、これでイチロー選手の引退後の受賞も約束されたようなものですね。

 
 おっちょこちょいの一面がまた不思議と私たちの心をなごませる長嶋さん、現役時代はそうした表とは別に、影で素振りを繰り返し、人に汗を見せることをしなかった長嶋さん、今はリハビリに汗を流す日々が続きますが、今まで以上に私たちに激を入れてください。いつまでもお元気で!

ページ移動