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No.3528 石原慎太郎さんへの罵詈雑言

2022.02.06

 寒い気温が続いている。朝の立哨では、手袋の2枚重ね、足指にはホカロン、耳の痛さも尋常ではなくイヤカバーを利用するといった状況で、外気にあたる皮膚はオデコだけといった姿だが、それでも風邪が吹くと身体全体が縛れる感じ。さすがに子どもたちにも短パンの子はいないが、コロナの関係もあってか若干元気がないのが気がかりといったところ。

 さて、石原慎太郎さんの訃報に対して、ネットでは様々な書き込みが見られる。もちろん、逝去を惜しむ声がほとんだだが、お悔やみの言葉もなく、批判ありきの書き込みで石原さんに対する憎悪の念をあからさまにする人もいる。
 私が確認したのは、北海道大学名誉教授、法政大学法学部教授の山口二郎、立憲民主党国会議員の有田芳生、大野そのこといった人たちで、石原さんの訃報直後に罵詈雑言と思える言葉を発している。ここで、それらを書くのはためらう内容である。
 とくに山口二郎は私が思うに、異様なほどに歪んだ左派思想家であり、それはまさに狂っているとしか感じられない人物である。この人から何を学ぶのだろうかと学生の未来を案じる。
 思想は自由だが、悪夢の民主党政権誕生に歓喜し、第一次安倍政権誕生からは、ある時には「安倍を叩っ切る!」といった俗悪過激な発言をするなど、精神的に大丈夫なのかとまで思わせる大学教授である。

 人は、どんな人でも・・・それが死刑判決を受けた受刑者が死刑になった場合でも、その直後に死者を貶め、喜ぶような言葉を発する人は、それこそ「てめえたち人間じゃねえ!」という中村錦之介(萬屋)の名セリフが当てはまるのではないだろうか。
 異常なほどの嫌悪感を持つ人間の死に直面した時であっても、表向きにはお悔やみの言葉が優先し、本心はグッとしまい込むのが人の道だろうし、それが出来ないほど反保守思想まみれた人間性が若者の指導者の立場にあるという点で国の未来を憂う。この人は、たまたま狂った左派思想家であり、共産党の志位委員長でもまずはお悔やみの言葉を発している。これが人としてごく普通の在り方だ。
 ちなみに、この大学教授は東京大学法学部出身の63歳。著書に「民主主義は終わるのか瀬戸際に立つ日本」というのがある。えー、民主主義をどのように理解してるのか不思議で仕方がない。差別を批判するヤカラこそ差別をするという現実を示している人だと思う。

No.3527 3回目ワクチン接種

2022.02.02

 3回目のワクチン接種予約が順次行われている。順次というのは、下記一覧のように、2回目の接種を行った日によって、予約可能の開始日が違っているからである。今、届けられている白い横型封筒の接種案内には複数の説明書が入っている。どれもが字が細かく数が多い。読むのも大変だし、肝心なのは予約方法だと普通は誰もが思う。そして早速電話する・・・。ところが、県が行っている大規模接種との関係で、予約案内は早く発送するようにという県の指導により、予約開始日のかなり前に届いている方も少なくない。ならば、こういった状況下で、なるべく早く予約を確定したいと考えるのは普通の想い。即電話やパソコンに向かうというのも人心として理解できる。

ファイル 1448-1.jpg 問題は、人によっては予約が2週間先まで出来ないとわかるまでどれだけ時間がかかるかだ。それはこの表に示す通りで、封筒に同封されている説明書なのだが、皆が気づくかどうか疑問である。市町村では昨年の電話不通問題をクリアするために2回目と3回目の間隔を均等に開ける予約システムを設けたのだが、案内の一斉発送によって、混乱が蒸し返しになってしまった。
 一昨日からの私の経験でも、電話が殺到してつながらないという意見不満の実態があるはずで、ワクチン供給で国に、早期大規模接種では県に翻弄される市町村の現実があるようだ。結局、私はネット予約で問題無くクリアしたが、つながらないと相談に来た人の2回目接種日をみたら、予約可能開始日が2月11日だった。もしも、この人のかけた電話がつながった場合、予約を断ることになるのかどうか確認したら、そうなりますとのことだった。あれあれ、これでは不満の増幅でしかない!

ファイル 1448-2.jpg もう一つ、ワクチンの種類も人によって価値観が違っており、同じものを打ちたいという人もいる。我が家では早い方がいいという考え方で、聴く限りそういう考えが多いようだが、1ヵ月遅れを待ってでもファイザーを希望する人もいる。副反応が人によって差があることからやむを得ないと思うが、今日の新聞に大野知事の意向が示されている。「リスクか効果の先取り」どちらを優先するかですね。

No.3526 ヒトラー比喩の非常識

2022.02.02

 今日は2022年2月2日で2並び最初の日です。ゼロが入るくらいはいいとしよう。これについては後日のブログでまた。
 さて、2022年の12分の1が早くも過ぎた。めくるめく足早に日が変わることとコロナ禍の行動制限によって、近頃目につき、記憶に残るのは人の死が最も多いように感じる。今年に入って著名人の訃報が矢継ぎ早に伝わってくるが、昨日もご承知の通り石原慎太郎さんが89歳の生涯に幕を降ろした。感想いろいろあるが、これもまた後日ということで。

 掲題の件は、立憲民主党最高顧問で元総理の菅直人その人に関わる内容だが、橋下徹氏と維新の会をヒトラーにたとえて批判した問題についてである。
 菅氏の最近は思考力が鈍っているのかと感じさせることが多いが、今回も、昨年の衆議院選で躍進した維新の会を牽制するつもりで、橋下氏の過激発言に絡めてヒトラーにたとえてしまったのではないか。追ってくる維新の会から有権者の目を変えさせたいと焦ったのだろうか。
 たしかに、橋下氏はテレビに出まくって言いたい放題なのは間違いない。圧倒的にディベート力が長けているのはわかるが、人の話にかぶせたり、引かない話ぶりには聞いているこちらも引ける。それにより、ネットを見る限り橋下信奉者が減っているようだ。しかし、それを政党会派に結び付けることがまず間違っている。会の創設者であり組織的に影響力があるにせよ、今はただの法律顧問に過ぎない。

 
 根本が見えていないと言われるかもしれないが、どう考えても、中道保守と感じる維新の会がヒトラーナチスのイメージにはかぶらない。何を血迷ったか菅氏はこの危険なたとえ話を口にしてしまった。昨日、馬場幹事長が立民まで出向き抗議行動を実践したが、菅氏は「あれは、橋下さんに言ったことだ。お帰りください」とにべもなかった。逢坂同党代表代理が「あれは個人的発言で、党として関係があるとは思っていない」とか発言したそうだがこれも無責任この上ない。政権側の議員が失言した際に、自公側がそう答えたら散々口うるさいのはどこぞの政党かである。こうもぬけぬけとブーメラン発言をしても、普通は子どもでもおかしいと思うものだが・・・。
 個人的に思うことだが、人として組織として民族弾圧、大量虐殺を行ったヤカラにたとえられるほど嫌なことはないだろう。現代でもジェノサイドや領土侵犯を頻繁に繰り返す指導者がいるが、肝心の立民はそうした指導者が率いる国に対するジェノサイド非難決議を渋るし、その国が発しないとは限らない有事への抑止対策を含む憲法審査会をまたまた欠席する怠慢ぶりを発揮している。国民の命を守るなどとは大嘘の政党ではないかと思う。
 そもそもヒトラー比喩を他者に持ち出す資格などないと言える。

 菅氏と言えば、自民党厚労省時代にO157が流行した際、生産地である埼玉県白岡市を訪問して感染源と噂されたカイワレ大根をムシャムシャ食べるパフォーマンスあり、総理時代の福島原発でオロオロしながら出鱈目な恫喝指示をしたこともあった。2日前には、EU委員会に福島第一原発の問題で子どもたちが甲状腺がんに苦しんでいるとして原発反対アジテートメッセージを届けている。
 5人の総理経験者の共同だが、5人とは菅氏の他に、小泉、鳩山、細川、村山といった御仁である。因果関係も裏付けもない内容であり、福島では風評被害の元を作っていると怒りを隠さない。総理経験者ともあろう人が、科学的根拠を無視した放射能メッセージを発出してよいのだろうか。それとも総理経験者という肩書だから重く受け止められるとでも思ったのだろうか。それは権威主義そのものではないのか。環境大臣はこの内容を即時否定している。
 これは個人の考え方と価値観による思想的行為でしかない。国家を飛び越えて他国に勝手に思想行為を行う元総理たちには困ったものだ。

No.3525 被害者を讃える社会に

2022.01.29

 先日、大きく報道された宇都宮線車内での暴力事件。被害者の高校生は優先席を独り占めするように寝そべって煙草を吸っていた20代の男を注意した。男は激情し、高校生に殴る蹴るの暴力沙汰。あげく高校生が降りた後を追っかけて、ホームで執拗に暴力をふるったという。高校生の友人二人と駆け付けた車掌が割って入るのを振りほどき暴力は続いた。止められれば止められるほど、自分との力加減を瞬時に見定め、ますます逆上の自我パターンになる人間性と理解できる。
 この車内暴力は、他の乗客がスマホで撮影した動画がネットで見られる。まさに身勝手極まりない暴力沙汰の顛末がはっきり見てとれる。
 容疑者は逃げたものの宇都宮で逮捕された。事情聴取で「正当防衛だ」と語ったそうだが、到底通用する弁明ではないだろう。風体で人を論じると差別になる社会風潮なので、それにはふれないが、優先席で寝そべるなど人間性に問題ありと感じる部分はいくつかある。
 しかし、今回際立って異常なのは電車内の喫煙ではないだろうか。ここ2年は電車利用をしてないが、それ以前も含めて社内どころかホームで喫煙する人を見た記憶がない。今や、常識と化した禁煙がこうした形で人に危害を加える犯罪につながるとは思いもよらないことだ。
 高校生が喘息持ちだったとかいうのは持ち出す必要のない個人的なことだ。

 コンプライアンスと言えば聞こえはいいが、いわゆる不特定多数が集まる室内で、守るべき単純なルールを守らないだけのことだ。それとも守れないほど精神的に大人に成長していない人間なのだろう。
 昨日、ふじみ野市で起きた医師射殺事件は66歳の高齢の男によるものだった。アニメ会社放火殺傷事件、それを参考にした大阪クリニック放火殺傷事件。各地でいとも簡単に人を傷つけ、殺す事件が多発する現実は、あまりにも殺伐とし過ぎている。

 話は戻るが、ルールを守るよう注意した高校生を注意損に終わらせていいのだろうか。本来であれば、そばに居合わせなければ難しいことにせよ車掌が注意すべきことである。若者がどんな思いで注意したのかは別にして暴力まで受けたのだ。しかも車掌も止めることが出来なかったのだ。
 JR東日本はまずこの高校生の治療代を負担し(するとは思うが)、さらに感謝状を贈るくらいのことをしてもいいと思うが、そういう考えはあるやなしや。そして、1年でも2年でも定期代を無料にするくらいの感謝の気持ちを示してもいいのではないかと思う。勇気ある行為を讃えることは百利あって一害なしではないだろうか。

「注意1秒 怪我一生」というドライバー向けの自己責任を予防する交通標語がある。シチュエーション自体が自己責任に関わることではなく、他社責任を指摘したこの高校生に、なんとなく当てはまる感じがしてならない。気の毒そのものという意味で。
 朝ワイドのキャスターが、そもそもやってはいけないことをやっている人間を注意することが危険なのであって、注意しなければよかったのにといったことを発言していた。若干、高校生の自己責任に入り込むような内容をニュースキャスターが全国発信することにわびしさをおぼえた。
 正義は遠くなりにけりを感じる発言ではないかなと。

No.3524 幸手を愛した人の死

2022.01.26

 最近の訃報続きは、とうとう幸手市を大きく動かした人にまで。
 今からほぼ20年前の平成10年代に、全国的に大きな騒動となった市町村合併問題は、幸手市を含む埼玉東部地域でも住民の心を揺れ動かしたことは決して古い記憶ではない。
 当時の幸手市長の合併論に敢然と反意を掲げ、市民運動に情熱を注いだ、いわば幸手の傑物が25日の早朝亡くなられた。
 市民の会会長 鴨田 廣その人である。
 私は、当時この人を「幸手の佐倉惣五郎」と称していた。私利私欲なく地域の為に先頭に立って汗を流した人。口はけっして達者ではなかったが、一直線に進むバイタリティーと責任感など学ぶ点の多い人だった。

 政治的な運動には必ず賛否があって、いろいろな理由から応援する側が二つに割れるものである。そんな地域を二分することがわかっている運動の片方のリーダーを嘱望されても二の足を踏むのが普通である。しかも、勤め上げた60代後半でこれから夫婦でどう楽しい余生を過ごそうかと考える頃のことであれば、市民運動に時を費やす選択をするだろうか。
 政治的運動は正義を大義名分と任じても、どちらも正義を主張するのが世の常のようなところがあり、賛否両論相まみえる状況に名乗りを上げるというのはよほどの決心が必要である。幸手の場合もまさしくそのような展開になったが、推察通りに市民の会は怒涛のごとく多くの市民を引き込んでいった。自分もそのうねりの中で市民の会の運動に議員の立場で参加したのだが、鴨田氏との触れ合いは貴重な人生の1ページになったと確信している。なにより信念にもとづく言動の大切さを実感させてくれた人だった。
 市民の会が擁立した3人が当選した市議選(私も当時地元で後援会を立ち上げていただき、市民の会が目指す方向と同じ公約で当選を果たした)荒れる議会、リコール運動、市長選、合併賛否の住民投票、合併不成立後の議員削減・・・走馬灯のように記憶の連鎖が蘇る激動の幸手市に身を置いていたのもこの人の存在無くしてはあり得なかった。もう一人、農村部に心底から相通ずる大先輩がいたが、既にこの方も鬼籍に入られている。
 こうして当方が勝手に恩人と思っている方々が帰らぬ人となっていくのは、身を切られるほど悲しいことだが、いずれは訪れることと理解するしかない。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 

No.3523 強い大関いでよ!

2022.01.24

 コロナの影響か、大相撲のテレビ観戦が以前より落ち着いて観ることが出来ている。特に日曜の千秋楽をライブ観戦するのはここ2年で何回あっただろうか。力士の顔ぶれからは物足りなさがあるものの、これもコロナの影響か、ぶつかり音、息遣い、行事の発言が生々しく耳に入るせいか、相撲の醍醐味がしっかり伝わってくるのがたまらなくいい。場内が静まり返っていることが原因だが、昨日は結びの大一番で「てるのふじー!」という野次が珍しくとんでいた。テレビでこれほどはっきりと野次が聞こえるのもそうは無い。とっさに場内に野次注意のアナウンスが流れたのがコロナ社会を感じさせたものだ。

 初場所は御嶽海がいつになく安定した取り口で優勝した。関脇どまりで3度優勝するのがもったいないと思っていたが、本割で勝って3場所33番白星という大関昇進条件を達成した。本割で負けていたら、たとえ巴戦の優勝決定戦で優勝を勝ち得たとしても昇進出来たかどうか。下位力士に取りこぼすパターンの多い御嶽海でしかもそれが続くのがこれまでのイメージだったが、三役を張り続けていることは立派だと感じていた。
 高安、栃ノ心、貴景勝、朝の山、正代、照ノ富士、そして御嶽海・・・近年の大関は2015年7月場所で246代大関に昇進した照ノ富士以来8人いて、うち照ノ富士が優位条件無しの昇進を2度果たしている。幕下以下への陥落が決まっている朝の山が同じように実績で大関復活を実現できるかどうか。
 とにかく、カド番というワードが毎場所のように出る大関陣のひ弱な実態は、大相撲の盛り上がりにブレーキ以外の何ものでもない。昇進前は強かったが昇進後に実像が変わってしまうのが不思議なほどである。今場所の正代などはどうしたというのだろう。来場所は奮起の場所にしてほしい。朝の山の恩赦の話もあるそうだ。時と場合にもよるだろうが、相撲学校的な機関で人間としての再教育をして早期復帰を可能にすることも一考ではないかと思う。

 御嶽海の笑顔は見るものを和ませるものがある。発言も力まず、惜しまず、口ごもらずで品位も感じる。ぜひとも精進して強い大関はもとより横綱を張ってほしい。明生、大栄翔、阿武咲、若貴景、隆の勝、そして宇良といった突き押しを基本としつつも技も併せ持つ力士たちも楽しみな存在だ。
 実は、奇抜なことを期待しているのだが、御嶽海が長野の名大関「雷電」の名跡を継ぐのはいかがなものだろうか。稀勢の里が横綱に昇進した際、私は心ひそかに茨城の名跡である「常陸山」を名乗ってもらいたいと考えていた。残念ながらその声を聴くことはなかった。今回、もしも実現すればスキャンダルの続いた国技大相撲のイメージが一気に挽回どころか連日大入り満員間違いないと思っているのだが。
 雷電のノボリの立つ国技館で、雷電と縫い込まれた化粧まわしを着けた強い大関の出現によって1790年代に雷電が絶大の人気を誇った江戸相撲の輝きを取り戻すかもしれない・・?
 久しぶりのスポーツ投稿、夢にしても過ぎた話か?

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