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No.2116 投票感覚に将来を憂う

2011.11.09

 かなり冷え込みが厳しくなりました。昨日は、東秩父村を中心に地すべり崩落とその修復現場、それと県と県内企業が進める森づくり事業の実体を視察する業務で出かけてまいりました。同じ埼玉県なのに同村を訪れた記憶がなかったのですが、定峰峠がある地といえば、皆さんも察しがつくのではないでしょうか。峠の向こうは秩父市というひっそりとしたたたずまいの県内唯一の村です。
 冬の訪れを感じさせる山里風景には、気持ちがなごませられました。県産木材のぬくもりに包まれながら、和らいだ雰囲気で学校生活をおくっている東秩父村立東小学校で、活発に挨拶してくれる児童たちに元気をもらいました。 
 さて、表題ですが、戦後65年の時の流れは、日本人の日本人たる根本を徐々に侵食し、生活意識も人間の価値観も、そして政治の本質、道義もすべて形を変えつつあるように思えてなりません。大袈裟に思えるかもしれませんが、こうした国家観、日本人観を問う論説は最近少なくありません。そのどれもが、概ね日本と云う国の将来を憂う内容ですが、いずれにしても世代交代が繰り返されるうちに倫理、道徳、常識、伝統、慣わし、文化といったあらゆる事象で間違いなく日本は変化しています。
 変えてはならないものが変わる状況に日本があるとしたら、それはいったい何が原因なのでしょうか。教育でしょうか・・・では教育の原点が家庭環境もしくは家族感にあるとしたら、一部新世代のそれはいったいどのように評価したらよいのでしょうか。考えても考えても日本の未来が心配? 国政だけの責任には出来ないものが沢山あると思えてならない今日この頃です。

 えっ? 今回のブログは何が言いたいのかよくわからないですって? そうなんです、自分でも言いたいことが上手に書けないんです。これまではあまりなかったことです。
 すみません。

No.2115 慢心というエアポケット

2011.11.07

 しばらく間が空きました。この間アクセスくださいました皆様には御礼並びにお詫びを申し上げます。

 前回の市長選では、終了後10日間ほど寝込んだ記憶があります。勝利を得たのにです。ところが、今回は慢性寝不足という実感は別にして、えも云われぬ疲労感に長く襲われてしまいました。どんよりした感じというのでしょうか。
 しかしながら、よくよくこの差を分析してみると、寝込まなかっただけまだ体力的には余裕があったということになるのではないか・・・。つまりは、それ自体に慢心という魔物が潜んでいたのではないかと自戒しております。

 まずは順調な過程をふんでいたと思っていた選挙戦でしたが、慢心という大きなエアポケットにはまった結果、ここまでじっくり煮詰めてきた西口開発方式も道連れにしてしまいました。本当に深くお詫び申し上げます。
 選挙総括については、あれこれ頭をめぐっておりますが、読者の皆様にもいろいろなご意見があるものと思います。大変恐れ入りますが、メールでけっこうですのでお寄せいただければ幸いです。

No.2114 自らの力不足を知る

2011.10.31

 少し前に帰宅しました。なんとはなしにパソコンを開いたものの、疲れているというよりは、頭の整理がついていないので、書き込みが思うにまかせないというのが正直なところです。
 昨日のアクセスが急増しているので驚きましたが、日が変わってもその傾向があるようです。いつもながらありがとうございます。

 私が何を思い、どんなことを書くか・・・ただ今は、表題の通りです。頭の整理をしっかりつけてから今回のことを振り返ってみたいと思います。

No.2113 幸手駅西口開発の真実を語ります

2011.10.22

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 幸手駅西口土地区画整理事業は、昨年の幸手市議会6月定例会で、同事業の施行規程が議案可決されました。その結果、埼玉県の事業認可を受けるための申請が可能となり、翌年、つまり今年の3月にめでたく事業認可が降りたのです。事業計画は図面的観点と資金的観点の両面から審査されるのはあたり前のことであり、それ自体が認可されたということなのです。

西口開発とは・・・
◆事業資金総額の約60%は県負担です。幸手市負担は事業計画の事業進行状況を5年ごとに見直しながら実施していくことになります。幸手市負担額はおよそ40億円から45億円程度が予定されていますが、それは事業計画期間の中で、年度年度の事業内容に応じて配分されていくのです。若干の上下変更はあるかもしれませんが、今、この事業をスタートしておかなければ、幸手市はどうなるか…東上線の坂戸駅が30年の悲願を橋上駅舎に結びつけたことはこれから幸手市が見本にすべきことだと確信しています。

◆南3丁目の久喜新道までが面整備され、3m歩道が付き、久喜側から一体化の道路形状になりますが、北側の中5丁目側については、区画整理の後に、同様の歩道を県負担で実施するということになっています。ですから、この点においても区画整理は絶対に欠かせないということがおわかりいただけると思います。

◆東西を結ぶ自由通路は、今のままの西口に設置することはできないのは、通常の感覚で考えれば、当然のことと理解できることです。なぜなら、現状の空き地状態のところに通路階段を設置してしまいますと、その後の整備が難しくなってしまうからです。現地をご覧いただければ直ぐにわかることです。市議会でもそういった双方向のやりとりは何回もありましたが、その度、市長は丁寧に答弁していたのを思い出します。でも、わかろうとしない人はいるものですね。 
 たしかに、自由通路と橋上駅を先にやるというのは、利用者にとっては聞こえはいいのですが、西口駅前を空き地ではなく広場として整備し、車両の出入りを可能にしてからでなくては無理な話なのです。
県も東武鉄道もそう理解しているということを幸手市側が理解しなくてはならないのですが・・・。市長の説明をどうしても理解しようとしない人がいるんですね。

◆過去、共産党市議が主張した駅前広場とそこから1本の街路を整備する事業方式は街路事業と言います。この方式では、県の認可もおりませんから、補助金を受けることもできない、市単独の事業となります。また、面的整備はできませんから、安心安全な地域に生まれ変わることができないということになります。共産党が奥底で考えていることはいったい何なのでしょうか?

◆区画整理という整備方式が、認可と補助金を可能にした対象ですから、幸手の共産党が主張する他の方式に無理やり変更させようとするものなら、この計画は振り出しに戻り、重要なのは、県との信頼関係が崩れ、この地の開発はまた先の先ということになってしまいます。これでいいとはとても思えないのです。

No.2112 政治世界の真実とはいかなるものか

2011.10.22

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 最近、風邪をひいたという方が多いですね。先週の日曜日の夏陽気が嘘のような肌寒さに、体調管理もままならないといったところ? いや、夏陽気のほうが嘘のようなものだったのかもしれません。ここのところ、やけに腰が重たい感じがしている私であります。

 さて、幸手市議会に現在いなくなった政党の主張を生き写しにしたような、一方的かつ独りよがりの印刷物を目にしました。驚きましたねー。
 驚いた理由はいくつもあるのですが、それらをあえて取り上げることはせずとも、それをご覧になられた方はご理解いただけるものと思っています。

 私も市議時代に何ども取り上げたテーマですが、その認識の違いおよび根底にあるものは、西口を安心安全な地域にし、幸手市全体の発展に欠かせない街づくり事業なんだという認識の有無だろうと思っています。
 いや、今埼玉県の事業認可をようやく取得した段階で、それをゼロベースに戻すかの思考論理は、まさに、私が2期8年の市議時代に共産党理論と闘ってきたことを思うと、許せないといった感じすらします。

 嘘の真実? 真実が嘘? 世間には理解の及ばないことがままあるものですが、これが街の将来に関わることですから困ったものです。
この事業の真実は私が後日ご案内しますので、楽しみにお待ちください。
それにしても、そうした印刷物を配布するタイミングも、なにやら考えさせられます。一人でできることではないと私の回りでは言うのですが・・・

 
 
 

No.2111 まつり2種

2011.10.18

ファイル 48-1.jpg まつりにも鑑賞専門のものと、参加型のものなど各種の趣きのものがありますが、花の街となってきた幸手市では秋の花まつりとして「曼珠沙華まつり」が開催されました。2週間ほど前のその光景を添付の写真でご覧ください。ただし、これは権現堂堤に咲く曼珠沙華のごく一部です。

 一昨日おこなわれた「幸手市民まつり」は写真のように多くの人出でにぎわい、夏が戻ったかのような陽気の中、市民もヒートアップしたようです。

ファイル 48-2.jpg ファイル 48-3.jpg

参加型の市民まつりもかなり定着して、阿波踊りなどに観衆も大喜びの雰囲気でした。私も幸手音頭流し踊りと阿波踊りに参加しましたが、阿波踊りがけっしてやさしくないということがわかった次第。足腰がフラフラで、今もちょっとナン?ですね。
 しかし、東日本復興支援という主旨で開催されたまつりでしたが、どこのブースにも募金箱があり、多くの支援金が集まったことと思います。
商工会青年部の皆さんが先頭にたって汗だくで活躍していたのが印象的でしたし、飲食ブースも農産物ブースもかなりのにぎわいで、早くに売り切れた店も少なくなかったようです。

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