市主催の敬老会の中止が発表されました。
楽しみにしていた方々のお気持ちはいかばかりかといったところですが、コロナ感染者増加傾向を考えるとやむを得ないのかなとも感じます。
東北の祭りに続いて、四国の阿波踊りが昨日3年ぶりに屋外で開催されました。15日までの演舞には多くの観光客が大挙して訪れるものと思います。こうして全国的に著名な日本の祭りが各地で挙行されている現状ですが、屋外か屋内かの問題なのだろうかとも思います。人の集まり具合としてこれ以上のイベントはないと思われ、スポーツ、演劇などの集客イベントも通常復帰しているのが実情です。
基本は、主催する側の考え方次第とも考えられ、やはり行政は問題が発生すれば批判の的になりやすく、責任を問われれば言い訳は通用しない。それみたことか、強行したからだ!の批判の類は容易に想像がつきます。
それに比べて、大型イベントには行政も何らかの関りはあるにせよ、実行委員会とか、社団法人といった民間レベルが主催責任者の場合が多く、政府としてもそうそう何度も緊急事態宣言を発することが難しいと判断しているのでしょう。
それは、大相撲やプロ野球などで当事者に大量の感染者が出ているにもかかわらず、緊急事態宣言下ほどの規制開催にはなっていないことからも理解できることです。そしてもう一つは、コロナ収束を誰もが意識し始めた初夏に、前売予約の形式で大量に販売実績を上げていたことへの対応として中止は考えにくかったこともあるかもしれません。
幸手市では、10月に各種市民大会が予定され、その後に文化祭もあります。このあたりの予定はどの自治体でも同様だと思いますが、準備にいそしむ市民がいると思えば、早すぎず、遅すぎずの開催中止の判断は行政にとってなかなか難しいものと思います。市民のことを想うと辛い決断が必要となるかどうか。もちろん、中止にならないことを願うものですが、現状からはしばらく予測できない状況が続くものと思います。
記事一覧
No.3596 敬老会中止で・・・
No.3595 幸手市のワクチン接種率
コロナ感染について、累計感染者数や他の自治体との比較はいかがなものかとは思いつつも、県内全市中最も少ないという点では気持ち的に平静を保てる感もあります。とは言うものの、感染のピークダウンを念じる強さは言うまでもありません。したがって、日々の感染者数情報にはどうしても関心が高くなりますね。
感染防止には、やはりワクチン接種率が向上することが期待されるわけですが、幸手市の8月3日時点のワクチン接種率情報が届いたのでご紹介します。
全国的に20代から40代の世代の接種希望が多くなり、自治体によっては予約無用の集団接種会場を設置するなど、全体に意識が高まっているようです。聞くところでは、1・2回目のワクチンは受けたが、その時の副反応が強かったので3回目の予約を足ぶみしていた人がいるとか。もったいない話ですが、その気持ちわからなくも無いですね。3回目の接種率が1・2回目に比べて10%以上も低いのはこうした事情によるものなのかもしれません。
基本的にワクチン拒否者はいますが、結局歴史的にみても、ウィルスに勝ち抜くためにはワクチンが有効であるのは認めざるを得ないと思いますがいかがなものでしょうか。知人にも間もなく4回目の接種日が来る人がかなりいるので、幸手市のワクチンが順調に進んでいくことを期待します。また、その状況は間違いないものと感じているところです。
なお、表中の黒塗り部はワクチン対象外という意味と思われます。
No.3594 あれから1ヶ月
安倍元総理が凶弾に倒れたのは先月8日のこと。ちょうど1ヶ月が経過した。事件の後に世間が騒々しい中身は、統一教会という教団に関する問題と、国葬反対を煽動するかのようなメディアの存在が際立つ。日本は非中立で異質なマスコミ報道に先導される国になったかのようだ。
安倍元総理のことも、事件に関わることも、書きたいことは山ほどあるのだが、あえてほどほどにとどめている。書けば書くほど虚しくなることが目に見えていたからである。実際に心の整理はまだつかない。真の民主主義とはという永遠の課題を考える機会になっているところに、ペロシ下院議長の台湾訪問により、中国の威嚇外交はかつてない軍事演習にまで及び、その内容は度を越えている。
安倍さんの見解はどうだっただろうかと聞いてみたいと、その存在を思い起こさせる外的環境の変化が、なおさら不安感に繋がり、かつ訳の分からない内閣改造をこの時期に行おうとしている岸田総理の思考も不明で、今こそ日本を護るという政府の姿勢が見えてこないこともある。
朝日新聞の倫理道徳的に好ましいとは思えない川柳掲載に憤怒したばかりで、今度は6日の原爆慰霊祭で写真のような左翼思想集団による心無い活動を見て、青少年がこんな主張に心を奪われないで欲しいと願う気持ちを強くしている。
*安倍の国葬反対!
*安倍の美化は許さない!
*安倍は殺されて当然だ!
*ウクライナ戦争を今すぐ止めろ!
*米日による中国侵略戦争を阻止しよう!
*G7サミット=戦争会議の広島開催反対!
*世界の労働者の団結で世界戦争を止めよう!
*岸田は帰れ!
*天皇制粉砕
以上は、広島で見た文字、聴いた言葉として紹介されている一部である。人としてどうなのか?である。
静かな祈りの場である鎮魂の慰霊祭にわざわざ全国からコストをかけて集まり、こうしたシュプレヒコールを叫ぶ原点にあるのはなんなのか。拡声器で安倍さんを罵倒し、広島市民の厳粛な式典を求める声に聴く耳を持たない。
これらも言論の自由だとは思いたくない。こうした左翼デモがどの国にもあるのかどうかまでは知らないが、はっきり言って恥ずかしい。常日頃、国会周辺で行われているデモや、現在の国葬反対のデモも同じようなものだ。思想信条を発するにしても、こんな手法は非近代的であり、左翼思想の宣伝行為であるなら随分と卑劣なものだ。
死人に口無し。もはや主張も反論も出来ない故人を弾劾する行為まで原爆慰霊祭に持ち込むのは暴動にも近く、純粋に国を想う日本国民を納得させられるはずも無い。もっとも、そんなことはかまわず主張を際立たせることが目的であり、平和を求めながら平和的言動が出来ない人たちなのだろう。
言論の自由が何を言ってもいいとするならば、それに対する問題指摘や不満を声高に主張するパターンの多くは左翼思想側からの場合が多い。いわゆる差別だ、人権問題だ、ヘイトだ、多様性や少数意見を尊重しろ、と説く人たちこそ、それに逆行する言動が多いのである。
No.3593 コロナ対策はどう変わる
新型コロナウィルスについては、発生以来災害に立ち向かうコラムとして書き込みをしてきたが、3年を経過する状況になって社会全般の認識がかなり変化していると最近強く感じる。
それは、BA5の感染率の高さを重く受け止める風潮と、そうでない流れに分かれつつあるように感じるられることもある。また、今の時点で発症地がどこだとか、世界の感染状況がどうだとかといった感覚はほとんど無くなっている。実際、日本で言えばこれだけの感染再拡大であるにもかかわらず、行動制限はしないと政府はしているし、2類から5類への移行も検討されているという。まさに、その段階で、コロナのインフルエンザ化ということになるのだろうか。
昨夜はBS放送で3年ぶりに復活した青森のねぶた祭りを生中継していたが、300万人近い参観客が来訪する東日本最大の祭りは、その参加人数という点では完全復活している感じだった。つい数日前に青森の感染者が3000人を超えて過去最高だというニュースに接したばかりなのだが。主催者側による規制は若干あった程度で、テレビ放映権を支払ってもライブ中継をする局があると言うこと自体、今の段階では止むを得ないのだろうか。いや、そうした権利売買がされているからもはや中止という選択は無かったのかもしれないが、およそ他のイベントでも同じような感じで参加者制限をしているようには見られない。東京ドームのプロ野球も画面からはほぼ満員だった。
ところが、身近なところでは、ソフトボールに関する県内の公式大会は9月分まですべて中止が発表された。街中での会話では、今日は幸手で104人も出たみたいねーと挨拶の次に来るのはコロナ感染者数に関するものが多い。そうは言いながら、マスクはするもののさしたる行動制限をしているようにもない。多くの顔に疲弊感がある。何をするにも不安感が拭えないというのもストレスがたまる。
前にも書いたと思うが、累計の感染者数の発表はもはや意味があるとも思えず、日々の感染者数も東京で何人と速報が毎日出るが、だから何なのか、どうしろというのかとも思う。イベントの実情からすると、矛盾しているように感じるのはおかしいことだろうか。ウクライナ問題の関係もあるだろうが、他の国のコロナに関する報道はほとんど見られなくなっている。
今の段階では難しいかもしれないが、先行きの話として、この感染ピークがある程度の数値迄下がったならば、そこで5類に移行し、消毒やマスクは続けるものの社会の在り方に通常の姿に戻すことを考えるべきなのかもしれない。なぜなら、社会の一部は間違いなくコロナで疲弊している状況にある。
香日向中央通りからさいくり線に出て右折したすぐ左側にある蕎麦ウドンの全国チェーン店が7月末で閉店した。見るたびに駐車場がガラガラだったので、しばらく前から通過するたびに心配していたが、さほどの日数も経たないうちの閉店だった。何から何までコロナの影響とは思いたくないが、こうした現実を見ること自体精神的にいいことは無い。観光バスも多少は見るが、時期的にはもっと多いはずではないかと思う。
個人差はあると思うが、私的には数字に心を動かされないようにしたいと思う。
No.3592 思考の潮流が・・・
いやいや時の流れは速い。ついこの間一年の半分が過ぎたと思ったものだが、それから早ひと月が経過した。もっとも、こうまで暑いと夏を飛ばしていっそのこと10月にでもならないものかと思ってしまうが、それもまたもったいないということなのだろうか。
安倍元総理の国葬賛否で反対が賛成を上回っていると伝えるメディアがある。政治がらみの反対は概ね反日マスコミと左派系野党の存在があってのことだが、今の状況は、日本人気質が変質したかのように感じられてならない。
先の選挙結果から野党埋没を憂うマスコミが、安倍元総理の死に関する問題を与党攻撃の材料にしているとすればそれほど醜いことは無い。なぜなら、安倍元総理を讃える国葬儀を挙行すれば、安倍さんに対する世界の賛美と民主主義危うしの世界の潮流との関連から、その後の政治展開で憲法改正や防衛強化の実現への道が明るくなると考えているからに他ならない。
ここは何が何でも反対するしかないと言うのが朝毎グループの現実的な思考なのだろう。
臨時国会で、国葬に関する質疑をするべきだとの声もある。というより、このところのメディア報道は、反対の声を集中的に取り上げる傾向にある。反対の声であれば、さほど著名な人であろうとなかろうとネットを開くと目に入る。国会質疑が開かれれば、それはまたまたモリカケサクラを持ち出し、安倍政権の功罪をぶり返す質疑になるのは見えている。果たしてそれは、海外からどのように理解されるだろうか。
匿顔という造語が最近あるそうだ。マスクをしていると誰だかわからないことをいうそうだ。各地で行われているデモも、そうした匿顔の人たちがほぼ100%で、ポスターやプラカードに安倍さん批判を書きまくってシュプレヒコールを上げている。
辻元、福島、蓮舫といった国会議員がその先頭に立っている。そういえば、辻元氏の「国会の強力なライバルがいなくなって残念とは思うが、国葬に値するかどうかは別だ」という発言には驚いた。安倍さんを同レベルで評価表現するところにこの議員の人柄が見える。
他にも政治家、芸能人による、殺人という不幸な事件で命を落とした元総理に対する敬意も持たない発言をする人がいる。逆に、山上容疑者は不幸な生い立ちがあったとか、追い詰められての犯罪なので減刑を望むような声もある。まだ起訴も求刑もされていない自己都合による殺人者への思いやりは、国のために働いたことは間違いない安倍元総理へのあてつけとしか思えないのだがいかがなものだろうか。いや、マスコミがこうした発言を公にするからわかるのであって、こうしたマスコミの姿勢に愕然とする。
添付した朝日新聞の川柳が話題になったが、これを問題テーマにして討論した番組があっただろうか。少々触れただけで済ませているようだが、子どもたちに対する教育という観点から、この内容は朝日新聞を社会的にいさめるべきではないかと思う。これも言論の自由だというなら大いなる疑問だ。かたや、ヘイト発言を罰する条例を作るなどの風潮があるが、私はこの川柳こそヘイトそのものではないかと指摘したい。乱暴で聞くぐるしい言葉で人をやり込めるのは良いことだとは思わないが、日本を代表するメディアが日本を代表した政治家へのヘイト川柳に同調し、掲載する動きこそが、まさに同調圧力そのものと確信する次第。
No.3591 妄想も思想の原点に通じる
「ウクライナ戦争に便乗して憲法9条改正、軍事費倍増ととなえる政治家がいますが危険です」
上記のコメントは、立民、共産、れいわ、社民といった左派共産全体主義思想に根付いた政治活動を続ける政党及びその議員たちにほぼ一貫して通じる思考です。私は、こうした思想を、党の本人たちは感じていないとしても、根本的に強烈な反日思想だと考えています。それはとくに共産社民系に言えることですが、日の丸嫌悪、君が代反対といった思考からも理解できるところです。はっきり言って素直な思考とは思えませんが、物事森羅万象よほどのことが無い限り100%は無いと考えるとこれを今更どうこう言うものでもありません。
また、社会情勢の変化によって、その賛否比率も変化するであろうとは思いますが、私は日本ほど暮らし易い国は無いと思っていますし、この国が大好きです。その大好きな国が世界でも稀な共産独裁覇権大国に囲まれている地勢的かつ地政的現実を、今の子どもたちの未来を想うと心配でなりません。中露の軍事演習は度を越しているではありませんか。
ゆえに、上記コメントは妄想としか感じられないのです。
ウクライナの今は明日はわが国と思うかどうか、それこそ思想の違いでしょうが、私はウクライナ問題が世界にさらされた今年2月より何年も前から、この日本が置かれた現実に何らかの対処は必要だと思ってきました。何らかの対処とは、すなわち第一に憲法改正、防衛強化を意味するものということです。憲法改正は自民党結党以来の党是でもあるので、ウクライナ戦争に便乗してという表現は異様に感じます。便乗ではなく我が身に直視する形で受け止めると考えるべきでしょう。
外交努力は、領土拡張と民主主義への対抗心がほとばしる国家には通用しないということを、ロシアの対ウクライナ、スウェーデン、フィンランド等NATO、EUへの対応にすべてが示されています。核の先制使用まで口にする国なのですから。
中国の地球戦略は、資金にモノを言わせて各地に軍港拠点を設ける動向や国内他民族への人権問題からも明らかです。漢民族が世界を制覇するくらいのことを習近平は考えているでしょう。最近、日本の共産党はロシアや中国との関係を否定しますが、それを信じる国民がどれほどいるでしょうか。
プロパガンダとは捏造、嘘に基づく自我正論の煽動手法であり、ナチスはもとより、今のロシアのウクライナ侵攻を事あるごとに正当化する発言でも理解できるところです。ドイツ国民の90%以上がヒトラーやゲッペルスのプロパガンダ演説に熱狂した結果が、ユダヤのみならぬ世界の不幸をもたらしたということだと思います。ゲッペルス曰く「目的成就のためにはプロパガンダが有効だ」
日本は主権国家を目指すべきです。それは憲法改正ではなく自主憲法制定への道です。改憲賛成は70%近いとも言います。メディアによって全くその数値が異なるようですが、悠長にかまえていていいのか!といった状況にあるのは間違いありません。「ウクライナ戦争に便乗して」というワードが子供だましのような反対の為の反対にしか聞こえないのです。
ウクライナ戦争は日本の未来を護るという決断への最大のきっかけにするべき出来事ではないでしょうか。こう語る私は危険な政治家でしょうか?

















