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No.3453 世界動乱にあって

2021.08.16

 前号で独裁者たちと題して、地球上に見られる非民主主義国の増加傾向に言及した。そうしたところに、アフガニスタンで劇的というか悲劇的というか、その判断は別にして、過激派テロ組織のタリバンが首都カブールの大統領府を闊歩する姿が映し出された。このタリバンが国内制圧にあたった時の速さは、まさにあっという間と言うべきものであった。地域を進攻する段階で、少年兵を含む市民参入が増えていったこともあっただろう。中学生程度の少年が機関銃を肩にぶら下げて悦に入っている姿は日本とはまったく別世界の実情を伝えるものだ。
 ガニ大統領は、血を伴う争いを避けるためと称して・・・国外に去った。

 大統領府に押し入り、大統領椅子に座る人物を見て目を見張った。45年ほど前に日本のプロレスシーンで全盛を誇ったタイガージェットシンに瓜二つではないか。ターバンからヒゲといい、なぜかレトロな、さりとて宗教の存在を思い起こさせる風体に見入ってしまった。あれでサーベルを口に咥えたらまるで本物だ。そして、この男がアフガニスタンを牽引することになるのかと思うと身震いがした。狂える虎と呼ばれたタイガーだからではなく、日本に生まれて良かったという想いとのギャップがそうさせたのだ。

 かたや76回目の8月15日を迎えた日本。いち早く靖国を参拝した閣僚たちや昨日の安倍前総理参拝に、マスメディアが好意的報道をすることはない。
 朝日新聞に至っては、菅総理の式典挨拶に加害責任に対する内容が含まれていないと批判。現実の世界では、系列のグループ社員が反対していた五輪の打上げ宴会を行い、2次会のカラオケ会を早朝4時まで続けたあげく、女性社員が扉を間違えて2階から落下し重傷を負う事件を起こした。お詫びもほどほどに終戦記念に事を移して政権批判とは・・・ある意味狂っていると言っても言い過ぎではない。なぜなら五輪批判していたことだけではなく、五輪批判の前提がコロナ対応であり、ワクチン供給の不手際や密を防ぐことが出来るのかといった主張だったではないか、説明付かないダブルスタンダードであり、報道倫理が宙に浮いてしまったかのようだ。報道の自由とはよく言ったものだ。張本発言が尾を引いているが、逆ではないかと思う。事件そのものを詫びるのは当然だが、言ってたこととの矛盾はどう説明するのかだ。おそらく宴会の参加者にはワクチン接種をしていない社員の方が年齢的に多かったはずである。余計な詮索ではあるが、このドンチャン騒ぎの費用は参加者負担だったのだろうか?
 共同通信も朝日と同様の記事を配信している。NHKでは例年同様に戦争の悲惨さを伝える新しい情報番組を特集する。多くに感じるのは、戦争責任が日本にあるかのような自虐的内容が多くみられる。それでいいのだろうかと思えてならない。
 中国や韓国で先の大戦責任がまるで日本だけにあるかのような教育を子どもたちにしている現実がある。この目的は、日本は未来永劫敵対国であり、戦争の償いを拒否する国だとする政治思想に繋げようとしていることは明らかだ。自国だけにとどまらず、日本に対する印象操作を世界に発信することにも長けた国だということもよくよく考えなければならない。
 戦争を礼賛する人間などこの世にいるのだろうかと思う。ヒトラーやスターリン、毛沢東といった弾圧・虐殺を実践した狂気の個人がいたことは過去のことにしてはいけないが、野心野望が優先するテロ集団が存在し、その為には殺人、虐待も辞さないという偏った宗教精神があるというアフガンの例は改めて認識した。しかし、日本とは地理的にも倫理的にも程遠い国のことでしかない。そう確信している。

 さて、難い話が続いたが、まもなく定例議会が始まる。18日には議会運営委員会、23日正午が一般質問締め切り、そして25日に再度議会運営委員会が開催される予定となっている。来月1日から始まる議会。そろそろギヤを上げていく頃となったが、幸手市の急激な感染者拡大が心配だ。今、16日午前10:15現在、一日で20人超える事態もあり、あっという間に329人にまで増えてしまった。この増え方を考えると、家族感染者、濃厚接触者がどこに居るかが大きく関わることでもあり、不要不急の外出はもちろん、訪問外出などは避けるべきだろう。
 コロナで人の生活様式や商売の在り方が変わりそれにより経済構造が様変わりすることも予測される。心配だ!

No.3452 独裁者たち

2021.08.12

 平和の祭典2020TOKYOが終わったが、実際、世界の平和はどうなっているのだろうかと頭を巡らせば、年を追うごとに各地で不条理な人権弾圧が、特定の指導者もしくは軍隊によって繰り返されている。
 日本では、オリンピック反対運動が止むことがない中、今またパラリンピックの中止を叫ぶ団体がいる。埼玉県の団体「オリンピック・パラリンピックをやめて、県民のいのちをまもる埼玉の会」はコロナ感染拡大の可能性に言及し、大野知事に公開質問状を出したそうだ。この市民団体の実態は不明だが、最近やたらと反対運動を立ち上げる風潮があるように感じる。そう思いつつ、世界を俯瞰すると、やれやれの気分になるのである。日本はなんだかんだ言って幸せな国であり、安心して暮らせる世界№1の国かもしれないと。


 中国、北朝鮮、ロシア、ミャンマー、ベラルーシ、エチオピア、ソマリア、イラン、イラク、ベネズエラ、アフガニスタン、シリア、リビア、イエメン、キプロス、パレスチナ、イスラエル、コンゴ、スーダン、ニジェール・・・
 こうした国々では、いずれも独裁者による弾圧や領土や宗教、政権をめぐる外戦、内戦といった政治的に不安定な状態が長期化し、多くの命が失われ、今も危険にさらされている。人を人と思わない虐待、弾圧が日常の国と比較して日本はどうだろうか。社会に対する抵抗反対運動がのどかに感じると言ったら不謹慎だろうか。
 始末に負えないのは、いろいろな意味で世界のリーダーたる中国とロシアの存在が民主主義を基軸にした多国間関係において、常に問題視される国であるということである。国連の常任理事国5カ国に入るこの両大国だが、どう考えても民主主義国家ではない。常任理事国の扱いは恒久性という取り扱いの上に拒否権があることから、よほどのことが無い限り、世界安定のための方向性で5カ国がまとまることは無い。典型的な全体主義の元、一人の人間によって国家運営が進められる国。考えてみれば、この両国が常任理事国である限り、国連が世界平和に寄与するとは思えない。時折思うのだが、いっそのこと、国際連合とは別物の、地球平和連合といった組織を立ち上げたらどうだろうか。貿易経済主体の国家間連合はあるが、ただただ平和の精神を御旗にした大国家連合の可能性を探ることがあってもいいのではないかと考えるのだが、それは、第三次世界大戦を助長することになるのだろうか。

No.3451 ピュアな日本人思考に御意!

2021.08.10

 前号で五輪を振り返っての感想を綴りました。競技そのものは五輪の本質を最高の地点で俯瞰させてもらった感じがしています。五輪のイメージとして代表的競技がいくつかありますが、普段、滅多に観ることのない競技に触れることの素晴らしさが他の大会に無い五輪の五輪らしさだと感動を新たにした次第です。もちろん開催して良かったということに加え、すべての関係者に感謝の意を表したいと思います。反省は反省で別途すればいいのです。 
 今回の五輪のテーマはよくよく考えてみると、五輪に反対中止論を展開した左派系が日頃訴える人権問題、ジェンダーフリー、人や文化の多様性等々がクローズアップされていたのです。その五輪に左派はこぞって反対していたことになるわけで、不思議な思いが残ります。利権だ商業主義だとの観点が反対理由だとしても、テーマには反対出来る立場ではなかったということではありませんか。
 さて、今回は前号に対していち早くいただいたメールをそのままご紹介したいと思います。シビアにかつ正当に事を見据える内容に感動したからです。政権批判やプロパガンダの煽動者たちにいつも思うことですが、嫌みかつ姑息な方向に理解するのではなく、素直にことを見つめる姿こそ人間らしいと思うのです。子供たちの未来の為にもそうありたいと・・・これを持って五輪の総括といたします。

枝久保さん
おはようございます。
「No3450パラリンピックに目を注ごう」の感想です。

私が、今回のオリンピックで最も感じたのは
反対派、賛成派を含めて
日本という国が、1964年次と比べて、物質的にも、精神的にも
飽食になったなあ〜(贅沢になったなあ〜)、というのが第一印象でした。
「瓦礫(ガラクタ)だけが残った、心が重い。」と言ったのは
サンモニの左派系ジャーナリストの青木理 氏です。
私から言わせれば、青木理 氏には、、、
「瓦礫と言えるだけ贅沢だと思え!!!!」と言い返したいです!!!!
ちなみに、今回の金メダルは
産廃の携帯の中身の希少金属を集積させて作られております。
まさに「瓦礫(ガラクタ)」から「宝」が生み出されたわけです。
私は、このような精神が、2020東京オリンピックの本質だと思っています。
私は、食膳に出された「味噌汁」も
常に、勿体無いので、一滴も残さずに食べるようにしてます。
自分の体になると思っているからです。
コロナの病気に関しても、
国の援助で、コロナのワクチンを受けれたり、給付金を頂ける。
これらも、国や自治体、議員さんには、大変に感謝しております。
1964年頃に開通した新幹線のビッフェのサンドイッチは
パンにハムがぺろっと一枚載っているだけでした。
今では当たり前に買えるコンビニのゼリー菓子なんぞ、上流階級の高級デザートでした。
テレビも、冷蔵庫も、クーラーも、炊飯器も何もありません。
あの頃は
ラジオ(後ほど白黒テレビ)に
氷屋(器に入れて冷蔵庫がわり)に、風呂(五右衛門風呂でした。)に
ご飯も薪で炊いて(お釜で、薪で二升ほど炊きました。)
薪を得るために、室戸台風、ジェーン台風時は、飛び散った木片をみんなで拾いました。
夏は蚊帳で寝て(蚊除けです。)
昼間は、近所の駄菓子屋で、冷やし飴で頭がつ〜んとさせて涼みました。
もちろん通勤電車はクーラーなんぞありません、窓をがら〜っと開けたのでしょう。

日本も随分と豊かになったものです。
反対派の言っている事は、全て飽食で贅沢に過ぎます。
また、感謝の気持ちのひとかけらもありません。
これが1960年代からの全学連、共産党系団体、左派系マスコミなどの
左派系共産党プロパガンダの本質です。
広島、長崎原爆供養にて、菅総理大臣を左派系マスコミは粗探ししておりますが、その前に、「台風で飛び散った薪(木片)でも拾いに行け!!!!」
と言いたくなりました。

No.3450 パラリンピックに目を注ごう

2021.08.09

 オリンピックが17日間の熱戦の幕を閉じた。もう、我が身が命ある間に自国での開催は無いと思うと、なんだかんだ物議を醸したが、やはりスポーツイベントの最高峰であるオリンピックには得も言われぬ興奮と感動を拝受した。観客がいようがいまいが、選手たちのほとばしる汗と涙は、ここに至るまでの厳しい修練の集大成として集中するからこそ観る側の心をうつ。
 個人的には、開会式、閉会式ともにIOC、五輪委員会、プロデュース会社、プロデューサー、NHK・・・何を伝えたかったのかが今一つ理解できなかった。出来栄えうんぬんとは違うスポーツとの関りという意味で、膝を叩くほどのマッチングが感じられなかった。人権問題、ジェンダー問題に多くの人が意識するようになったと評価する知識人もいるが、五輪にそういう役割を求めることがはたしていいことなのかどうかと思えてならない。
 多文化共生、多様性と調和を基調テーマとした五輪であったが、それをどう理解するかは人それぞれに全く異なるはずであり、それこそ強要できるものではない。閉会式のアナウンサーのコメントもそうしたテーマに関して原稿を整え、画面とは切り離す形で読み切ることに徹していたように思う。ウポポイアイヌの場面では外国人にどのように理解してもらおうとの思いだったのか。たしか、この閉会式は選手たちに対する慰労の意味で日本の文化イベントを企画したという説明だったが、本当に慰労になっていたのだろうか。先に挙げた企画組織の自己満足になっている一面が何割かはあったと思うのだが・・・。

 そもそも、多様性や多文化共生を、こと五輪という場でおいてあえて唱えることなのだろうか。BLM運動を主体とする人権問題も、よくよく考えてみれば、世界の国々で黒人選手が代表になっている例は枚挙にいとまがない。いつの間にか自然と受け入れているのが現実ではないだろうか。日本でもそうした選手は各分野に存在する。いずれも日の丸と君が代をバックに全力を尽くしてくれているのだ。観る側として、支える側としてそれを応援し、見守るのは当然なのだが、それを改めて意識しろと言われているかのような在り方こそ純粋なスポーツイベントにそぐわないと感じるし、あえて人権問題として世界の祭典に持ち込む必要があるのだろうかと思う。まして、中国やロシアの人権問題に触れるわけでもなく、たまたま亡命希望の選手がいたベラルーシの独裁政権の実態が浮き彫りになりはしたが、それに前述の主催者側組織がなんらかの対応をしたかというと、何も手を出さずにいたというのが実態ではなかったか。受け入れを表明したポーランドの政治姿勢が際立って見事に感じられたくらいだ。

 閉会式当日に至っても、五輪反対プロパガンダデモを国立競技場周辺で行う人たちがいたが、利権だ、なんだと言っても、地球規模のイベントを開催するのであるから、大きな資金が動くことは当然と言える。私個人的には、1964オリンピック時にアマチュア五輪にこだわった名物会長のブランデージ氏の存在が忘れられないが、開催ごとにプロ選手の参加が認められることになったのも、ショーアップ五輪につながる理由の一因だと感じている。
 古い人間なのだろうが、たとえそう言われようと、開会式も閉会式も1964東京五輪が2020より記憶に残ると感じている。あの古関翁のオリンピックマーチも編曲しないオリジナルの素晴らしさを改めて知った。

 閉会式直後の今朝一番のSNSニュースに菅政権の支持率が28%に下落したと報じたマスコミがあった。あえて社名は言わないが、海外から日本の対応のすばらしさに賛辞と感謝の弁が報じられる中のことで、感動のイベントが終わったと同時に、選挙目当ての印象操作を開始する反日メディアの存在は、日本の国力を劣化させるだけだ。
 「菅総理、長崎式典に1分遅刻」「バッハ会長ポロシャツ姿で銀座散策に人だかり」「ネット騒然 バッハ会長選手は観光禁止なのに銀座散歩」「閉会式で選手次々退場 懲りない橋本会長 日本人であることが恥ずかしい」「日本のバドミントンはあぐらをかいていた」
 こうした表現で2020の後味を悪くするのは、いずれも五輪中止を唱え、日頃から政権批判に明け暮れるメディアである。「五輪が終わって残ったのはガラクタだけ」といったサンモニコメンテーターもいた。寂しい思考だ。
 17日間、そうした反日喧騒から若干解き放たれていたが、いよいよ解散総選挙ともなると、またそぞろ世間の騒々しさが政治に向けられることになるのだろう。 
 その前にまだまだ世界の祭典は続く。パラリンピックも同様に注目したいと思うが、まさかパラリンピックに開催反対などの批判的な目が向けられることはないと思うがさて。

No.3449 印象を悪くする目的の五輪反対

2021.08.06

 東京オリンピックも残すところ2日。数々の物議を生んだ世界の祭典もその幕をまもなく閉じることとなる。
 人それぞれに各種の思いが残る大会ではあるが、野党と左派系組織の五輪反対プロパガンダが最後まで続けられる状況に残念な思いがしてならない。
 5日の衆院議院運営委員会で、立憲民主党の小川淳也氏が「新型コロナ感染拡大の中で、大運動会をやっている。自粛要請が市民に響くはずがない」と。また、共産党の塩川鉄也氏は「五輪が国民の意識に与える影響は大きい。今からでもオリパラの中止を決断すべきだ」と、それぞれ発言した。思想信条いろいろあれど、大運動会発言は選手に対して失礼そのものではないかと思う。
 さらに、某左翼系機関紙には「本当にフェアな五輪?」「最高から遠く」「コロナ感染不安で出場断念」「条件に格差 日本ばかりが有利」「日本は金メダルが期待される競技は強化費も潤沢で高級なホテルに陣取る」の他に、アメリカ女子体操のバイルス選手の団体戦欠場に関して「1年延期した上に無観客。慣れないことが多くてこの大会は非常にストレス」とし、開催強行が招いた悲劇と書いている。どこの国の機関紙かと思う。ゴルフやテニスで観戦不安から欠場した選手が相次いだとも指摘する。賞金の無い、国の名誉だけの為にあえて出ようとは思わない選手もいることを認めたくないようで、ここでもコロナ感染への不安からと理由を限定する始末である。
 そもそも、どんなスポーツにもホームタウンデシジョンというものがある。開催国、開催地に有利なのはすべてのスポーツに言えることであろう。これが基本であり、コロナ不安は世界中すべての人間が感じていることであり、出場するかしないかは個々の選手の意志に基づく。日本の選手が高級なホテルに陣取るというのはどこまで事実を伝えているのだろうか。日本の選手が厚遇されていると言うが、中国や北朝鮮、韓国の比ではないだろう。勝てば2年間の徴兵義務が免除されるなどの例は、どう評価するのか教えてもらいたいものだ。

 今、五輪を中止した場合、いったいどのような問題が生じるか想像もつかないが、確実に日本に対する海外の評価は低落することと思う。したがって、喜ぶのは先の3ヵ国くらいかもしれない。
 アメリカのバイルス選手の話の事実は、7月27日の団体戦の跳馬が不調に終わったことから、それ以降の演技をすべて欠場することを表明したことに端を発する。しかし、バイルス選手のメンタルヘルスの問題は、延期や無観客というものではなく、大会中に叔母が亡くなったという一報が入ったことによるものだったというのだ。ところが、個人戦平均台の出場権利があったことから、順天堂大学が特別に練習の場を申し出ることでバイルス選手を励ますことになったそうである。そして、バイルス選手は8月3日の平均台に出て銅メダルを獲得し、満面の笑みを見せ、同大学に感謝の弁を述べている。そして、このことをインスタグラムに投稿した途端、142万人の「いいね」が世界から届いたそうである。今ではもっと多くなっているものと思う。

 多くのメディアや野党が批判の為の勝手な理由をこじつけるのは今に始まったことではないにしても、もう少し温かい目で見ることが出来ないものだろうかと、今回の2020五輪でつくづく感じている。それにしても、大運動会とはよく言えたものだ。国会で問題視すべき発言、少なくとも撤回謝罪もしくは厳重注意に値するのではないだろうか。
 大人の喧騒な世界とは無縁に、勝って泣き、負けて泣くアスリートたちの超絶競技に一喜一憂しながら画面に見入る子供たちがいることを忘れてはならない。五輪は教育的見地からも大切な価値観を持つはずだ。しかも自国で開催されている半世紀ぶりのイベントに夢を追いかける子供たちに水を差すようなプロパガンダは無用であろう。五輪に反対している家庭では五輪を見ない見させないのだろうか。いや、主義主張と整合性が無かろうが、矛盾しようが、子供には観せてあげて貰いたいものだ。

No.3448 人口減少、まずは防止対策を

2021.08.02

 昨日のこと、幸手市の人口が5万人を割ったことについて、広報さってを見た数人の方から連絡をいただきました。どなたもこの数字を確認して驚いたようで、市になる条件である5万人を割った自治体は埼玉県で初めてのはずだと仰る方もいて、それが事実であることに残念というよりは、これからのことに思いが募る状況です。
 ただ、このことは、7月2日アップした№3437ブログですでに紹介した内容です。県のデータはひと月前に確認でき、市の広報では翌月ということになるのです。日頃親しくさせていただいている市民の方でも、ブログへのアクセスをほとんどされない、というか全くされない方もいらっしゃるので、そこはやむを得ないところですが、人口減少に対する思いは市民にとって大きな対象になっていることは間違いありません。

 実は、自民党幸手市議団として会派を結成して初の広報チラシが、近々新聞折り込みされる予定になっています。そこで書いたこととして、今後の行政施策は人口減少に歯止めをかけるという思考にもとづいて対応していくことが肝要であるといいうことを主節にしています。特に目新しい施策があるということではありませんが、防災対策にしても、子育て施策にしても、はたまた教育行政しかりで、人口増加という課題の前に減少防止という観点から市も議会も強い意識のもとで取り組むべきであると考えます。
 若いファミリー世代が幸手市で子育てをしたいと考え、それを優しく見守る高齢者世代という図式が理想的と思うのですが、高齢者の皆さんにとっては、自分たちの今後の在り方に行政がどう対応してくれるかがまず第一だとお考えの方も少なくはないでしょう。高齢者増加社会における福祉施策との兼ね合いはなかなか難しい位置づけではありますが、いずれにしても若い人たちに郷土愛が育まれませんと、人口流出が進む可能性は高いと推測できるわけで、その為にはどういった街づくりが必要かの視点が求められることになります。財政状況をふまえますと、幸手市の今後は厳しいことは間違いないわけで、それを乗り切るには知恵を出し合うことが最優先だと思うこの頃です。

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