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No.3038 今の日本の政治に拘わる問題点

2018.09.26

 今日の急な冷え込みはどうしたというのでしょうか。長袖を着ていても腕が冷たく痛いくらいです。
 最近いただいたメールに「えださん、政治ブログがめっきり減ってるけどどうしたんですか。自民党総裁選にもまったく触れませんでしたね」というものがあります。似たような内容がそれ以前にも2件ほどあり、意識していたわけではないのですが、振り返るとそうかもしれないとあらためて感じています。
 自民党総裁選についてはあまりの凡戦に関心が今一つだったというのが本当のところです。と言うのも、石破さんの論戦の多くはもりかけを題材にした現職批判と党の浄化を訴える綺麗事が多く、まるで野党スピリットが乗り移った感じにしか聞こえませんでした。途中で支援議員に注意され静かになりましたが、終盤戦は批判への批判もなんのその・・・安倍批判に徹していました。今回の総裁選は日本の首相を担う人を、特定の組織(自民党)の議員と党員が選ぶ選挙でした。その裁定の対象は、経済、外交、安全保障、そして憲法でしたが、本は出版したものの石破さんの経済施策は具体性に乏しく地方から地方からの言葉が踊るだけで、いかにも地方党員票の掘り起こし戦術が見え見えでした。
 選挙後、石破さんが自身で善戦したと語ったことについて、麻生大臣がどこが善戦だったと言い放ったことに対して、石破さんは次のような内容に近い発言をしました。「あの(麻生)発言は、今の政権運営に問題を感じて私に投票してくれた、国家と党の未来を純粋に案じる党員に失礼な話だ」と。
 ならば、言わせていただくが、現職に投票した7割近い党員は、国家と党の未来に何も思いを馳せないで安倍さんに投票したというのでしょうか。
 そもそも、政権党の首班選択選挙にあって現政権運営を批判して喜ぶのは野党と反日マスコミです。こうした選挙では政策論争に徹するべきで、そこを石破さんは取り違えていたように思います。
 もとより、私は党や会派の移り変わりを、その時折の力の変遷にあわせるかのように渡り歩く政治家は信念無き政治家として肌に合いませんし、反面教師としています。

 
 今回の総裁選は、強力な現職に対抗する形で石破さんのなりたい思いが再度ぶつかったもので、新鮮味が感じられませんでした。しかも安倍さんの憲法改正に向けた強い意志表示に畏怖感を持つ野党は、石破候補の勝利を期待し、反日マスコミは私が感じることとして石破候補応援歌を上手に上手に奏でていました。そういえば、投開票日の18時から安倍総理の記者インタビューを見ていましたが、最後に指名された東京新聞の記者の質問は明らかに愚問でした。それが反日マスコミの実態であるかのように。
 政治記事については、ただ棒読みではなく、記事が有する裏の狙いを読み解かないと今の日本は総じてリベラル色に塗り替えられてしまいそうです。リベラルも政治の一片化を防ぐ意味で必要だと思いますが、とくにテレビ放映される時に限って政策論争を脇に置き、政権批判、安倍批判に終始する野党の姿は昔の社会党や民社党のそれとは似もせず非なるもので残念でなりません。

No.3037 2000,1000,10 &130

2018.09.22

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 昨日もそうだったが、今日も絶好の運動日和の予報となっている。たとえ屋内競技であっても天候の良し悪しは観戦側の気持ちにも影響するから秋晴れは最高のスピリットコンディションと言える。
 昨日は、スポーツでキリの良い数字が並んだ。なかでも、ロッテ福浦選手の2000本安打達成は私も待ちのぞんでいた。掛布さんやヤクルト現監督の小川さんが先輩にいる習志野高校からドラフト下位で入団した選手。ロッテ一筋苦節四半世紀に及ぶ到達。まさに人生コツコツといったところ。今年就任した井口監督が就任時に「福浦選手の記録には全面的に応援する」と発言し、もともと派手さと渋さが同居していた選手時代から好感度の高かった井口監督にさらに注目することとなった。元巨人の村田選手との境遇の違いに複雑な思いが残る。井口監督の起用は、シーズン当初は年齢を意識しての起用だったが、ペナントの行方が見え始めた頃の、残り8本くらいになってからはスタメン起用が目立った。なかなかまとめ打ちがない中、一本づつ大記録に近づくのも福浦選手らしかった。まずはおめでとう!

 次に1000だが、相撲界初となる幕内通算1000勝を成し遂げた横綱白鵬。これも大記録であり、無事是名馬でなければ達成できない記録だ。在籍時にどれほどのライバルがいるかもあるが、勝利への土俵に堅実な力士であることは疑う余地もない。ただ、この横綱には品格が感じられないのが残念である。高安戦の立ち合い不十分が何度かあってのあっけない勝負もそうだったが、昨日の優勝を決めた豪栄道戦も、先に早い立ち合いで待った!となり、次に自ら仕切りを送らせてお返しの待った。横綱とはどういうものかが理解できていないのだろう。寄り切りで土俵を割った相手に対して余分なひと突きで土俵下へ落す行為もいただけない。これで相手が足首でも痛めようものなら何にもならない。力士同士は同僚と言うのがこの世界の在り方のはずである。大鵬や千代の富士にはこうした立ち合いが無く、しっかり相手の突進を受け止め、勝負がついた後は相手への気配りをする部分があった。それが最高位に位置する者の威厳というものだと思う。まだ続く土俵人生だろうが、人として、横綱としての人間精進を心がけてもらいたいものだ。さすれば記録もいっそう光り輝くことであろう。

 さて、10である。全米オープン以来負けなしの10連勝。大坂なおみ選手のプレーぶりは強烈な印象を与えている。一人のアスリートが突然のイメチェンをしたがごとく圧倒的な力を発揮するようになる例は、過去を探ればないわけではないと思うが、大坂選手のそれは並みの内容ではない。プレーにいわゆる切れを感じる。体格も充分のものがあるが、まだ20歳。過去の名選手を思い出すと、エバート、ナブラチロワ、ヒンギス、ビーナスなど全盛時には体格が安定していた。つまり太ることがなかった。ハードスポーツであるテニスはフットワークがなにより求められる。20歳の大坂選手にはまだ大好きな抹茶アイスクリームをいくら食べても太ることはないと思うので、まさしくなおみ時代が到来することも夢ではない。応援し続けたいと感じさせるチャーミングなアスリートである。

 さて、最後に・・・内輪の話で恐縮ですが、昨日の夕方家内の☎が鳴った
大きな声が私にも聞こえる。「ばばちゃん、私輪島まで走ったよ!」
 実は、昨日石川県のイベントとして定着しつつある金沢・輪島ロードレース大会が開催され、そこに二男とその6年生になる孫娘が出場したのだ。親二人も、私らも完走は難しいだろうと思っていたのですが、なんとなんとでありました。☎を変わった瞬間「でかしたぞー!プレゼント買ってあげなくちゃいけないなー」・・・返ってきたのは「ヤッター」であった。本人はヤッタ結果以上にプレゼントが嬉しいようで、子どもとはこういうものかである。しかし、距離と時間を聞いたら驚いた。130キロを9時半出発で時間切れ寸前の18時半ころトウチャコしたという。まさによくヤッタである。子どもはこういうことがきっかけで心の成長をしていくものかもしれないとほくそ笑む自分がいる。思い起こせば、埼玉県親子マラソン大会というのがあって、二男と出場したことがあった。テレビ埼玉でも放映されたビデオを探し出してみよう。

No.3036 3034の踏切はどこ?

2018.09.21

 前々号で紹介した昭和26年ごろの幸手市内のある踏切地点。何人かの方が回答のみならず古き幸手への思いをお寄せくだいました。ありがとうございます。
ファイル 945-1.jpg 幸手を走る鉄道は東武線一本です。踏切は幾つもありますが、ポイントは深い森と丁字路だと、察しの早い方はお分かりになるのでしょう。
 今現在の写真を掲載しました。権現堂西のはずれ行幸橋南地点の国道4号信号から高須賀池方面に進むと、現在は東武線が高架化されており、道路はアンダーパスになっている場所。行幸地区高須賀が古き幸手との合致地点です。
ファイル 945-2.jpg №3034でも書いたことですが、私はなにより踏切の表示板と歩いている人の着ているものに関心を持ちました。「戦中は外国語表記や呼称がこととごく廃止されていましたが、戦後、GHQの占領下でこうした地方にも英語表記の表示板が使われたんでしょうかね?」と貴重な写真を提供してくれた方に伺ったところ、近未来の幸手に不安を隠さないものの幸手を愛してやまないこのご老人曰く「断定は出来ないけどおそらくそうでしょうね。検閲の厳しい戦中にこの表記があったというのは・・・ちょっとそれは考えにくいでしょ」と。確かに! 
 会うたびに「枝久保さん、私はもう長くないから色んなことを整理しておきたいんだけどなかなか出来ないでいるんですよ」と言うのが口癖。偉ぶらないほっこりとした語り口や物腰は、老いた人の在り方として尊敬しており、町田市政時に金婚を迎えた奥様とのやりとりもほのぼのとしていて、時折訪ねて共に過ごすのが最高に楽しい時間です。
ファイル 945-3.jpg 話を戻してと・・・歩く人のファッションはどう見ても和装に見えます。そこから勝手に推測してしまうのは、この人は農業に従事する方ではないかと思うのですが、当時は地域によってまだ洋装より和装の方が多かった時代だったと思うので確かなことは言えません。はたして誰なのか・・・それはわかるはずもないことですが、古い写真は見る者の心を当時へ限りなく誘うものです。ファイル 945-4.jpg
 
 

No.3035 校庭貯留システムの功罪

2018.09.19

 昨夜の豪雨、間違いなくゲリラといった様相で特定の地域を襲った。今朝、近くの西中、長倉小、行幸小の3つの学校を見てきた。たしか、西中と行幸小は雨水貯留浸透対応の校庭(校庭貯留システム)に小生の市議時代に変わっていると記憶している。今朝の行幸小は半面以上が池のようで、もしも今度の日曜日にイベントでもあろうものなら縮小化もしくは体育館を使用しないと不可能と思われる状況であった。西中は校庭北部が泥水化しており野球部の部活が数日は不可能な状態か。今日以降の天候にもよるが、生徒たちの活動がままならないことは容易に理解できる。それに比べ長倉小は小さな水溜まりが数カ所あるだけで使用に関しては今日でも問題ない。この雨水貯留浸透システムは条例を設けて導入する自治体が全国的に増え、豪雨対策として脚光を浴びた時代があったが、実は、いまでも賛否両論あるようだ。

 行政の豪雨対策を考えるならば、人口が減る傾向に歯止めがかからない状態で新築家屋は増え続けている。新築家屋の増加は市全体の雨水浸透対策を低減化させていることは間違いないが、法の範囲において住宅業者へのミニ開発許可はほぼ通過となる。ミニ開発には調整池造成の義務付けもない。土地を手放したい地権者が多いこともあるだろう。
 校庭の豪雨対策利用で子どもたちが校庭を使えなくなる学校行政との対比ではどこか矛盾があるように感じられてならない。教育行政の観点からすればいかがなものか。学校によって差があるというのも考えさせられる。
 新築と変わらぬ率で増えているのが空き家であり、使用に供することのない空き家を解体すれば雨水浸透力は増すが、解体費用や税金対策など各種問題もあってか空き家の解体はほとんど進まない現状にある。行政の強制代執行も空き家対策法によって認められてはいるが、これにもいろいろあって思うようには進まない歯がゆい現状にある。
 こうした観点から、幸手市のみならず人口減少化が進む地域の豪雨洪水対策はほとんど進んでいないというのが実態ではないかと感じている。

No.3034 あれから70年の幸手

2018.09.17

ファイル 943-1.jpg 足掛け15年、3000回を超えた小生のブログですが、「えださんのブログは長文で読むのに一苦労だよ」と言われることがあります。たしかに気合が入るうちにそうなる面があるのは自分でも認めます。
 そこで、おそらく過去最低の文字数のブログになると思われる今号を!
 さて、掲載の写真は昭和26年ごろの幸手のある場所を写したものです。特徴的なのは、英文の踏切表示でしょうか。なつかしい方もいらっしゃるのでは。
 読者の皆さん、どこだかわかりますか?

No.3033 細々でも災害対策

2018.09.14

 はてさて世の中とは常に新たな事象が飽きることなくこれでもかと湧くものである。
 今、内外政治では自民党総裁選挙、沖縄知事選挙、極東外交、トランプ旋風等々、スポーツ・芸能の世界も事件満載と言ってもいい状況であるが、これらは誰がどう批評しようといずれ結果が出る。
 それに比して、災害列島日本の実態は、自然が各地にもたらした傷が癒されぬうちに次なる災害がどこかを襲うという「矢継ぎ早災害列島」という点から、復興と防災の同時対応において被災地はもちろんのこと国も国民も気を揉む状況にある。
 先日のガス復旧訓練を見て感じたことは、電気、ガス、水道などのライフラインに被害が及ぶと、文字通りヒューマンライフは立ち行かなくなる。北海道の例として、酪農家が搾乳後の牛乳を熱殺菌するための電気が無く、結局廃棄することを承知の上で搾乳する。なぜなら牛が乳房炎にならないためで、ゆえに発電機を借りて搾乳をするという実情を知った。これは地域や職業面での特性ということが言えるが、とどのつまり、民力は自然の驚異に無力であり、太刀打出来ないことにうなずかざるを得ない。 
 北海道胆振東部地震の際に書いたことだが、タンスに押圧されて亡くなった方がいた。関西の地震ではブロック塀倒壊が大きな話題になったが、やはりタンスや書棚の被害に遭われた方がいた。こうした危険性はかなり前から言われていることなので、対処しておけばと思うと残念でならない災害ということになるが、一般的に各家庭での防災対策はどういった状況になっているのだろうか。家屋の耐震対策まではなかなかコストが向けられないが、細々とした対応でも緊急時には役立つことを信じて準備することが大切で、我が家では「明日は我が身」「災害はいつ何時・・」と心してかかるようにしている。 
ファイル 942-1.jpg 昨日、我が家では防災グッズの定期点検を行った。写真のような細々としたグッズたちだが、ライターも点火オーケー、ラジオも良好といった様子で問題はなかったが、食料品はアルファ米以外はどれもが長くて年内一杯の消費期限になっていた。その結果、二人で2日分程度のものだが、これらの缶詰は必然的に近々我が胃袋に収まることになる。細々とした対応だが、個別に出来る防災対策はするに越したことはないと信じて実行しています。

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