昨夕から肌寒い感じで今朝を迎えましたが、巷ではインフルエンザに見舞われている状況もあるようです。また、O157により亡くなった子どもさんもいるとのこと。いろいろな観点から注意管理を怠りなき日常を心がけたいところです。
前号に関することですが、最新のニュースによると、悠仁様に対する愚行の犯人は悠仁様を刺すことまで目論んでいたというではありませんか。まったくもってとんでもないことを考える輩がいるものです。悠仁様に何かあったらどういうことになるかを理解しているわけですから、危険思想極まりないといった感じです。
さて、昨日は選挙後の新議会で議員活動にかかわる会派届けの締切日でした。新たに6会派の届け出があったということです。敬称略でご紹介いたします。いずれも先の名前の方が代表のようです。
□自民党・・・木村、藤沼
□公明党・・・小林、四本
□共産党・・・大平、海老沼
□新政会・・・小林、宮杉
□改革・・・・小河原、本田
□幸手市政クラブ・・・武藤、松田
残る青木、坂本、私の3議員は単独無会派ということになります。
私は、何人かの議員さんと話をする機会もありましたが、お誘いいただいた方にはひとまず断りの連絡を入れた上で、諸事情を勘案して会派を組むことはしませんでした。会派はいつでも再構成できるわけですし、ここは久しぶりの出戻りという状況でもあるので、どんな具合で議会が運営されていくものやら各議員さんのスタンスも確認させていただきながらの単独活動を選択した次第です。というわけで、新会派に関する特段の感想は省略しての議員復活第一報ということになりましょうか。
記事一覧
No.3115 新議会の会派構成
No.3114 静かなる怒り
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慌ただしさに追われた日々。昨日は選挙運動収支報告届けが済んで、ようやく選挙終了感を実感できるところとなりました。
3月17日の自治会総会をもって区長職が実質的にあけるや、身の回りは選挙一色となっていきましたが、その間、いろいろ気になる事が起こっていました。当選の喜びは別にして、気持ちの上では怒りの対象が残っている感じです。
◆小生が努力とアイデアの人と崇拝する渋沢栄一翁が新しい1万円札の図案に選ばれました。我が郷土である武蔵の偉人として、幕末維新後にあって近代日本の成り立ちに尽力した渋沢翁。これまでにも何度かブログに書かせていただきましたが実に嬉しいニュースでした。
ところが、これに韓国が猛反発したのです。現上皇陛下に謝罪を求めた韓国議長をはじめ、他にも複数のメディアが「朝鮮半島に対する経済収奪の象徴だ」と、批判というよりはイチャモンといった論説を展開したのです。実は過去にも、福沢諭吉について「アジア諸国に対する嫌悪と軽蔑の感情にもとづく脱亜論に偏っていた」との批判をしていた経緯があります。
今の韓国は、1910年から1945年あたりまで日本の統治下にあった時代に飛躍的に国力が高まり、それが現代の韓国の祖になっていると言っても過言ではありません。しかし、国際的な立ち位置が日本と同レベルに近くなるにしたがって、日本の統治を歴史的に恥辱的なものと評価する傾向が増し、竹島、従軍慰安婦、徴用工問題等々で日韓関係を悪化させる方向に舵を切っています。
信じたくとも信じることの不可能な隣国北朝鮮を同民族という理由で良好な関係を模索する現政権の主義思想も、抗日思想で一致することをよりどころとしていると考えざるを得ない状況です。米日韓同盟の弱体化にもつながる韓国の対日姿勢は、再び紙幣の肖像にまで立ち入る始末。内政干渉というワードは中国の得意とするものですが、韓国も中国に同化しつつあると感じさせるふてぶてしい論調の昨今です。
◆天皇譲位及び改元で国全体が高揚感に包まれた状況下で、秋篠宮様のご子息である悠仁様の進学される中学校の机に刃物を置くという、誰も考えもしない愚行を実行した京都在住の不逞の輩には驚くというより怒りを禁じえませんでした。共産思想が天皇制の廃止を唱えているのはもはや誰もが知るところとは言え、皇族に対してのこの暴挙は許し難いものがあります。ご存知のように、皇族には男子が少なく継承順位を持つ殿方は3名です。未来を想うに、悠仁様の存在はこの上なく重いものがあるわけで、それを知っての犯行と考えると怒りの度合いも半端ではありません。日本人としてこの部分だけは同じであってほしいと願いはすれど、思想の違いはあくまでも思考の段階でとどまっていればまだいいのでしょうが、具体的な行為に出るとなるとサリン事件でもそうでしたが狂気としか思えません。
これらの出来事には、表面的に静かな怒りで済ませていますが、実は小生にとって煮えくりかえるほどの事件なのであります。
No.3113 人口減少
令和の幕開けということから、前号では慎んで譲位の行事に関わる想いを綴りました。しばらくブログのトップに置いておきたいところでしたが、そうも言ってられないと感じることが!
今朝、広報さってが配られ、いつもの通り裏表紙に目をやると・・・なんと
4月1日付けの我が街の人口が81人も減少しているではありませんか。これにはいささか驚きました。季節変動の多い時期とは理解しつつも、これほどまでに憂うべき現象が続くことに先行きが思いやられます。1年間で507人、2年前からは1,052人の減少です。
選挙戦では、この問題を中心にマイクを握りましたが、5年後に5万人を割るとの演説は3年でのことになりそうな雲行きです。世帯が48も増えている不可思議さも含めて、いよいよもって幸手市の未来に中心的思いを向けざるを得ない事態になって来ましたね。
新時代の幕開けに何を期待しますか?とメディアに問いかけられたら、国も然りですが、一自治体という小さな世界では国以上に期待とはかけ離れた状況になりつつあると答えるかもしれません。それほど強い不安を感じるのですが、それはそれとして、どうすりゃいいんだ!という打開策を同時進行させないと打つ手はますます後手に回ります。もはや、国自体がそうだとか、どこの街でも同じ状況だといった比較論でお茶を濁すだけでは解決への糸口すら探り当てることは難しいでしょう。
マクロな現象をミクロで治めることの出来る手立ては、複合的な観点が必要で、単発で効果の出るカンフル剤はないと言えます。今こそ、市政の方向性を執行部側だけで構築するのではなく、議会との二輪関係で進めるべきだと思いますが、さて。
No.3112 令和の幕開け
昨4月30日、平成最後の日の午後5時から天皇陛下御退位にともなうお言葉をいただき、日本国民の一人として感動の想いにあふれました。途中、こみ上げるものがあったように感じるところがありましたが、深い想いの中でお考えになられた御譲位が、皇太子殿下をはじめとする皇室や国民への愛情からのものと考えれば、その思いやりにあふれたお言葉に心安らいだ国民が多かったことでしょう。壇上から降りる際、上皇陛下が皇太后さまの手を支える仕草がなんとも微笑ましく、陛下のお人柄が偲ばれる場面にいっそうの感動をおぼえた次第です。
自分としては、ここしばらく眠りの浅い日が続いていましたが、この平成最後の夜はカウントダウンなどで喧噪な街中と異なり、上皇陛下への感謝と慰労の想いにふけながら早い就寝とともにぐっすりと眠ることが出来ました。
「両陛下のこれからの安寧な生活をお祈り申し上げます」
そして、新時代令和の幕が開いた5月1日。皇太子殿下が天皇陛下に、雅子妃が皇后陛下になられました。落ち着いた感覚でお言葉を発せられる陛下は、それもそのはず、59歳という御年で新天皇にふさわしい数々のご経験を積まれてきました。
皇后陛下のご体調についても優しく見守られてこられ、数年前に「私が守ってまいります」といったお言葉通りに、心無い世評に対応され、お二人の絆が強いことを発信されました。
私たちが象徴と仰ぐにふさわしい新天皇陛下の誕生です。
今日の画面から感じた正直かつ最大の感想は、皇后陛下が光り輝いていたことです。私だけがそう見えたということではないと確信しています。ここまでの数年は辛く厳しい状況であったと思いますが、今日の雅子さまからはこれまでにない何かを感じました。それが何かはわかりませんが、あの光はきっと新たな皇室の雰囲気というか感覚を日本のみならず世界にもたらしてくれるものと思えてなりません。
新時代の幕開けとはいえ、経済にも外交にもここからが新時代だとの境界線があるわけではありません。しかし、平成~令和への改元が新しい日本の幕開けになって欲しいとの期待感は多くの国民が共有しているように感じた最後と最初の2日間であったことは間違いありません。若い世代が天皇制にしっかりとした考え方と優しい心を示す様子に誰もが安堵したのではないでしょうか。
No.3111 二人の慰労会
有難いお祝いの言葉をいただく時に、必ずと言ってよいほど言われることがあります。「奥様に何かプレゼントしないといけませんね」とか「奥様とゆっくり温泉にでも行かれたらどうですか」など、家内あっての選挙戦だったという内容です。
たしかに、家内の奮闘ぶりは大いに認めますし、感謝もしています。特に、今回は複雑な地域環境の中で、精神的な負担が重かったと感じておりますので、周囲の方々の家内に対する暖かい言葉には応える必要があると思っています。というわけで、しばらく訪れていない処にでもドライブがてら秘湯につかるのはどうかと行先選びに頭をひねっています。もちろん、その前に残務処理を済ましてからでないと二人とも落ち着かない状況ですので、まずはやることをやってから・・・。気晴らし、慰労の旅に出るのも、やるべきことを後回しにしては心底から楽しめませんからね。
No.3110 せわしない日々にあって
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せわしないとキーを打って変換表示されるのは「世話しない」と「忙しない」ですが、タイトルの意味は勿論後者です。4年に一度のこととはいえ、選挙はその前後に種の異なる忙しなさに追われます。自分はもとより、選挙運動を支えてくれる支援者の皆さまにとっても、選挙自体の喧噪は他に類のない経験と言えるものだと思いますが、結果次第で楽しくもあり辛くもありといったところでしょうか。ただし、終わりと共に街どころか我が小庭の変化に目を見張るといった状況が季節に関係していると思うと、この時期の選挙は有難いという感じを強く覚える次第です。
というのも、暖かい4月の選挙戦だったことから、先にも書きましたが日の経過とともに街の風景が様変わりし、我が家でも、一気に花風景が賑わいを見せ始めました。芝が緑を濃くし、茶色の花芽を付け始めた時期に合わせるかのようにツツジ、コデマリ、スノードロップ、タイツリ草、金魚草、カラー、君子蘭、ジュウニヒトエ、さくら草、アザレア、などなどが。極めつけは、なんと言ってもアメリカツバタバゴでしょうか。えっ?どんな花かって?
これは毎年多くの方が訪れる前幸手市長町田英夫さん宅でとみに名を馳せる「なんじゃもんじゃ」のことです。大木になるので、我が家では鉢植えにしていますが、それなりに立派に育ち、綿のような花をつけるようになりました。ことさらさように季節の変わり目を実感したこの10日ほどでしたが、戦のあとの癒しには最適な季節であったことに救われた感覚を覚えたことは間違いありません。そして、昨日今日の小雨はそんな小さな花園への適度な水やりと感じてはいるのですが、今また陽気が逆戻りして体調管理に気を配る数日でもあります。
ようやく電話も来客も少なくなりつつありますが、久方ぶりの議会に向けて心地よい忙しなさから、徐々に気合を入れ直すといった精神的準備に向かおうかといったところです。

















