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No.2607 詭弁老弁を読み解く

2015.06.02

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 市議時代の8年、当時の市長方針に賛同する姿勢で、逆理論の市議たちと論争してきたので、「身勝手な論理」には大概のことでは驚かないようにはなっているつもりでしたが、8月の県知事選について、目を疑う記事にほとほとあきれました。詭弁老弁もここまでくると、政治ならびに政治家に対する信頼が損なわれるばかりで、嘆かわしいことこの上なしと申し上げます。
では、その詭弁老弁ぶりをお示しします。

 これまで沈黙を続けてきた市長会の多く(全部ではない)が上田知事の4選を支持することにしたと。同会会長の田中久喜市長によると9割ということですが、いわゆる議会用語でいうところの全会一致ではないようです。これで、これほど大事なことを発表してしまうのもおかしいと言わざるを得ませんが、それよりも、何故ここにきて突然市長会が・・・ということに驚くのです。
 しかも、多選自粛条例については、次のような理由で問題ないというのです。
「定めた当時と政治状況や環境が変わってきた。出馬を制限するものではなく、なによりそれを決めるのは県民だ」

 この言いまわしは、どう聞いても、ずいぶんと都合のいい身勝手な論理に聞こえてしまうのです。
 なぜなら、多選自粛というのは4度目の選挙には出ないということを、耳障りの良い理由をつけて定めたものです。しかも、それは議会側からの要求ではなく知事自らが定めたのです。
 そうであれば、この条例が定められた時点で上田知事4期目の選挙はないということを意味しています。それを「なにより決めるのは県民だ」というのでは、いつ何時、どんな状況下でも「選挙でいいか悪いか県民が決めればいい」という、有権者を遠回しに納得させるかのごとくの、選挙ありき!論理でしかありません。
 ものは言いようという言葉がありますが、こういう論理こそが、その評価対象になるのでしょう。

 さらに言うなら、「定めた当時と政治状況も環境も変わった」ですと・・・・何をかいわんやです。
 3期以上はやらないということを定めたのは確かに12年前です。逆に言えば、12年後は出馬しませんと宣言し、それを条例化したわけですから、政治状況や環境が変わろうが、そんなことは理由にならないはずです。12年前に、今を予測できていた人がいるとは思えません。
 12年もたてば、社会の多くが変化していて当然ではないですか!

 しかも、知事が条例制定で理由にしたのは、 「権力の長期化は、利権や癒着といった政治腐敗を生む」でした。この問題は、政治の本質を自ら認め、示したもので、この根本的な権力腐敗の問題はいつの世でも政治の課題であり、12年経ったこととの因果関係は見いだせません。
 それとも、上田さんは何期やっても腐敗を生まない政治家だと市長会は断定できたのでしょうか。だから4期目に出馬してもよいとなったのでしょうか。
 「政治状況や環境の変化」を具体的に説明してもらいませんと、そのあたりがまったく理解できないのです。

 こんな理由を成り立てようとするから、政治の信頼が損なわれるのです。
 つまり、「政治家は、その時々の状況次第で、ものは言いようをいくらでも使い分け、平気で帳尻を合わせる。まさに意識した朝令暮改がまかり通る世界だ」と一般市民に見抜かれているということを自戒すべきです。

 「ああ言えばこう言う」の世界をくぐり抜けるためには、私もそういった面は過去には幾分あったと思います。また、そうでないと生きていけない世界だと経験上で理解していますが、それでも、今回の市長会の知事を弁護する言い回しは、やはり屁理屈にしか聞こえません。
 私はストレートなので、単純に思いを書いていますが、この市長会の、ここに来ての推薦の弁は、周到に計算されたものだと感じます。政権与党自民党の一県連との軋轢から生じた問題を、自民党本体深部に手を入れるというまさに、嫌な政治上の繕いをして、上田知事が二階総務会長、菅官房長官、茂木選対委員長と矢継ぎ早の面談が実現した。偶然か計算かは神のみぞ知る!
 この一連の動きの最大の目的は、天野先生の辞退という深謀遠慮があることは、ほぼ間違いないだろうと思われます。

 怪文書も出回っています。我が家にも匿名の郵便物が2度届けられました。内容は上田支持で、内部に精通していなければ書けないシロモノです。
 私が経験上思うことは、怪文書というものは、出す側に切羽詰まった状況が生じていることを示唆しています。それは、すなわち条例の存在が重くのしかかっていて4選出馬の大義名分が立たないことと、天野教授出馬の可能性を不安視しているからだと推測できます。

 
 なにやら、私などでは想像がつかないような大きなうねりがどんどん押し寄せているような気もします・・・・4選出馬に向けて。
 市長会に対する知事の発言は
「大変重く受け止める」です。
 徐々に、お膳立ては整いつつあるということでしょうか。