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No.2797 教科書謝礼

2016.09.11

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 教育の世界では、こと教科書選定という部分においては企業論理が横行し、そこに小さな権益?が生まれるという暗部が長年にわたり常態化していたようだ。 

 この場合、既得権益は主に教師、しかもベテラン教師が対象となっている場合が多いようだ。
 理由は、教科書の改訂にあたって現場の声を反映させる目的でヒヤリングを実施することへの謝礼ということだが、それは表向きの理由であって内実は出版社側による継続的取引と新規売り込みのせめぎ合いというのが本当のところではないだろうか。
 察するところ謝礼の形態は、金銭、物品、接待ということになろうが、慣習的な面が実態としてあるやに思う。

 複数ある教科書取り扱い業者は一定のルートをもっているか否かでほぼランク付けされるということだが、未来永劫安定が約束されているわけではないのは当然で、ライバル会社も新規採用に向けて黙ってはいない。
 また一方で、教師も黙ってはいない。基本的にあれこれ注文をつけることが謝礼の源であるし、とくに学習指導要領が新たに実施される年度などは、会社側の営業も激しくなることもあり、営業担当にあれこれ講釈を並べて継続的な人間関係を築こうと努力するのである。うるさ型の教師は営業サイドにとってスミにおけない存在になることもあるだろう。
 しかしながら、対象となる教師が多いとは思えない。倫理観の高い教師は少なくないと確信しているので、多くは真面目に教科書改訂を思慮して提言しているものと思う。
 要するに、どの世界にも硬軟織り交ぜて様々な人材がいるということではないだろうか。

 また見方を変えれば、公立か私立かでも内容は異なる。公立は行政による日常管理機能が働く面もあるという点で、私立とはまったく異なる面がある。そもそも教師にとって働く現場が私立か公立かは人生を左右するほど違うものらしい。
 事業者側は、交渉を有利に進めるために学校側が持つしがらみをとことん追いかけることもあるだろう。選挙もしがらみだよりという一面があるが、この点、営業も選挙戦術と似たところがあるということか。
 その結果として、政治家にたどりつくことがあるかもしれないが、はたして推測の域は出ない。あくまでも可能性の話である。また、仮にあったにしても平議員ではない大物ということになるのだろう。

 以下は新聞報道によるものだが、教科書協会が、このたび謝礼の全面禁止を打ち出した。謝礼のみならず教科書無償提供といった資金力の差が影響する実態も堂々と行われていたということであれば、それは競争原理に縁遠い話であることは間違いない。
 ちなみに高校の教科書を発行している事業者は39社あり、無償提供していたのは5社で金額にして約2,000万円。
 そのうち、1,800万円が1社でまかなわれていたというのだから、この業界の古臭い体質を示しているものと思われる。

 こうした状況において、今回の全面禁止を受けても、その目をくぐり抜けてあいも変わらずという実態が発覚した場合、つまり新たに裏金という感覚で金銭物品が動いた場合、協会はどのような対処をすることになるのか。教育の世界だからこそ、この機会に全面浄化を期してもらいたいものです。

 

No.2796 幼稚な征服観が手にした高度なオモチャ

2016.09.07

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 8月3日ノドン、8月24日SLBM、9月6日ノドン3発連続発射と暑さで狂ったかのように弾道ミサイル実験を繰り返す北朝鮮。いや、狂ってるわけではないから始末に悪い。
 今年に入って21発ものミサイル実験をたった一人の邪悪な指示命令でやりきる状況に世界が驚愕する現実。ことにSLBMの成功は、幼稚な征服観しか有しない人間が手にしたことにおいて空恐ろしい。
 狙った国の近海から突然発射可能な弾道ミサイル。それがSLBM。

 最悪のシナリオを考えた場合、韓国、日本には性能を上げたノドンを、グァム、ハワイのみならず米本土まで太平洋近海からSLBMを同時発射・・・ということも有り得るのだ。
 ただ、現状は発射システムを持つ潜水艦の数も一隻というし、また航行性能も太平洋を自由自在にといったところまでは進んでないということで、早急な憂慮には当たらないようだが、今後、海中発射実験が多くなると危険領域に入ってくるのではないだろうか。
 対抗策として、上空や海底からの哨戒能力の向上対策を早い段階で構築する必要がある

 この発射現場で嬉々とした笑顔を世界に発信するという歪んだ思考回路を持つ金正恩を見て、個人権力による恐怖統制国家で民主主義のかけらもないこの国の国民の憐れさを感じる。
 オリンピックで金メダルを獲得した選手へのインタビュー「この喜びを誰に伝えたいですか?」「元帥様に真っ先に金メダルをお見せし喜んで頂きたい」
 おかしなやりとり?

 弾道ミサイル開発へのコストは膨大なものであるのは間違いないわけで、まともな食にもありつけない貧困層が多い現実との大矛盾。
 ここに至る開発への高度な知識はいったいどこから仕入れたのだろうか。

 SLBMを成功と見なした直後に、この開発者たちを5泊6日の平壌旅行に招いたという。平壌の目抜き通り約10㌔にわたり、正装チョゴリをまとった市民が旗を振って出迎えた異様なシーンを見た。
 野望に病んだ金正恩の異常さを示しているとしか思えないが、国威発揚と国民の上昇思考と忠誠心の発揚が狙いだという専門家の解説に納得するしかなかった。

 世界が稀有していることだと思うが、北朝鮮に対する中国の対応の生ぬるさは限度を越えている。この中国の態度は、国連の意義を形骸化しつつあることに近未来の危うさを感じる。
 前述の「最悪のシナリオ」は中国にとって自ら手を出さずに世界の覇権を握る可能性を高めることになるではないか。
 もっとも、中国そのものが国際司法裁判所の裁定を「紙くず」と称する姿は、常任理事国としての資格を問われる問題なのだが、今や中国資本に目がくらんだ国の物言えぬ存在が国連形骸化に加担しているとも言えなくはない。
 つくづく安倍総理の物言う精力的外交はリスペクトに値する。

 
 しかし、話は飛ぶが尖閣問題は、早急に何らかの実効支配を実現しないと、竹島や南沙諸島のような状況にならないとも限らない。言葉に加えて世界が容認する行動を示すには今が絶好の機会ではないかと思う。
 嘘も100ぺん言えば本当になるという中韓流手法に、日本独特の正義倫理は通じないことを肝に銘じて!

No.2795 幸手市人事と駅舎の過剰予算

2016.09.06

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 1日に幸手市議会9月定例会が開会した。
 初日にいきなり副市長人事が上程され、藤倉副市長の辞職と成田副市長の就任が決まった。新人事に対してはどうこう言える立場にないが、藤倉氏については本人からの辞意表明によって退任となったということのようで、個人的にはこの報に接して驚きを感じた次第。
 私自身、氏とは旧知の間でもあり、機微に卓越した人物として市長を支えるに最適な人だと思っていたからである。市長の2期目に合わせる形でまだ市政に尽くしてもらえるとふんでいただけに残念な思いが残る。

 ひとつ考えていたこととしては、首長を支える副の立場には、埼玉県からの出向人事を受ける方法もあり、これは多くの自治体で実行していることでもある。事業の詳細に熟知し、職能レベルも高く、なにより県とのパイプが醸成されるという利点がある。
 実は、県議選の結果で上田知事との強い絆が出来た市長と新県議によって、この人事がいつか実現することを私は密かに願っていたのだが、その絆も今や水泡に帰している状況ということであるから無理であろうか。

 幸手市の副市長人事では、遠く増田実市長の時代に楢原副市長を県から迎えて以来実現していない。この時は、次期市長選に増田氏に対抗して楢原氏が出馬するという市民も驚くトップ二人の人間関係に発展していた。全国レベルでは稀にあることだとしても、こういったことは極力ないほうが望ましいと想うことが現実にあったのだ。この過去がトラウマということもあるまいに・・。

 ともあれ、成田新副市長には、幸手市発展のために頑張っていただきたいと想う次第です。

 さて、くどいようだが幸手駅舎の話を再び。
 理由は、越谷市が9月議会直前になって、本庁舎建設基本計画の見直しを発表したことによる。それも大幅な見直しが為されているようなのだ。
 この見直しの内容は主に3点で、建物規模の縮小、事業費削減、スケジュール変更となっている。
 床面積の算出にあたり、当初職員一人あたりの執務面積を4.5㎡としていたが、一般的かつ現状レベルの3.6㎡に変更することとした。その他諸々含めて2800㎡ほどの縮小が可能だという。
 これにより、事業費は約102億円から23億円近い減額になるというのだから経費削減はやれば出来るということを実態化する話なのだ。

 見直しをすることとした要因に挙げられているのが、8月30日まで実施したパブリックコメントの結果を反映させたということだが、結論の早さからして無駄を指摘するコメントが圧倒的に多かったものと推測できる。

 以上、すなわち幸手駅舎事業の在り方が今のままでいいかどうかの問題指摘がある現状にあって、市民の集約された意見に沿って見直すことが必要だと強く思う。
 さて、今幸手市議会は一般質問のまっ最中だが、渡辺市長どういった対応をするのやら。

No.2794 東北・北海道の台風惨事に想う

2016.09.02

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 東北、北海道の台風被害は甚大化しそうです。ことに北海道には台風というイメージが無かっただけに驚きと同時に今後の気象動向への不安が募ります。
 亡くなられた方に慎んで哀悼の意を表し、被災者の皆様に心からお見舞いを申し上げます。
 先号にも書きましたが、大規模単一農家の存在は日本の食を支える規模ですので、早期復興を願うばかりです。

 思えば、台風では強風によるものと大雨によるものとに被害が区分されますが、人の命を奪い、家屋などの財産、大切なメモリーが失われるのは洪水による場合が多いと感じます。
 風も、屋根や果実、稲穂などをなぎ倒す場合もありますが、過去の大型台風による被害は圧倒的に水のよるものが記録的にも示されています。

 昨年の茨城県常総市の洪水被害とほとんど似たような洪水が、今回の空知川や石狩川で発生したのを見て、川の堤防氾濫対策がいかに大切なことかを実感します。 

 そこでですが、幸手市の浸水被害も日常的に、同じ地区が対象となっており、それが幾年にもわたり解消されることのないままになっている常態です。コスト的に困難な行政課題であるにしても、30億円近い予算をかけて駅舎を造るのであれば、その半分でも洪水対策に向けて知恵をひねり出してもらいたい。基本的には東西をつなぐことが重要であって、そんな豪華な駅舎は必要ないはずです。
 そして国や県に対し先行的に実行する意志と意欲を示し、補助金を求めるくらいの強い姿勢を打ち出せないものかと思うのです。
 補助金が見込めないから出来ないというのであるならば、それは住民の生活の安心安全をないがしろにしていることにもなるでしょう。

 行政課題の優先順位は、あくまでも防災対策とくに当地区では洪水対策であると私は確信しています。
 そして、その意図計画を議会と住民にしっかりと説明していく姿勢を表せば、他の課題が遅延することとなっても理解はいただけるものと思いますがいかがなものでしょうか。

No.2793 繰り返す驚愕の未成年事件

2016.08.29

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 どうしてこうなってしまったのだろうか???
 現行、社会を揺るがす事件が起こるたびに政治の責任のように口角泡を飛ばす輩もなくはないが、それは解決への道を探るものではなく政争に近いものを感じてならない。
 まあ、それはさておき今の未成年者が加害、被害両面で悲惨な事件に拘わることが多すぎるとは思われませんか?

 児童虐待、いじめ、猥褻といった類で、時には命まで奪われる陰湿な事件が後を絶たない。
 こうなった原因を大きなくくりで考えれば、「社会の変化」ということになるのだろうが、戦後の復興期を「我慢」という意味を至極単純に受け入れていた子ども時代を経て(いわゆる私たち団塊の世代もギリギリそれに当てはまるわけだが)知性と理性を土台にして勤勉な日本社会に揉まれた世代が、世界に冠たる見事な成熟社会を技術イノベーションとともに築き上げた。


 ところが、それを勤勉を保ちつつ謳歌する期間を通じていくうちに、いつしか豊満社会を迎え、その飽食にどれほど親が身を委ねたかにもより、子どもの幸せはいかにあるべきかという子どもの成長に対する価値観に違いが生じていった。資本主義経済の波に乗り遅れたり、無縁だった人たちは、また別の観点から子育て教育の壁にぶつかったやもしれぬ。
 ともあれ、価値観の違いは、健全な大人へと形成されていく我が子の育て方に若干の差異を生じ、良からぬ軌道へとにはまっていく流れがあったように思えてならない。戦後71年、すでに5世代を有する家系もあるのだ。
 我慢が出来ず、思いやりも持たない自己優先人間が、ことに平成に入ってから増えている?・・・はたして考えすぎだろうか。

 断っておくが、これはあくまでも推測の上での一般論である。世の中千差万別、子どもの世界はひとくくりの論理では語れないことは重々承知している。たとえば、昔はじじばばとの同居で、そのじじばばが準教育者的役割を担ってくれた家庭が多かった。今ではそれも少なくなっている。これも核家族化という社会の変化のひとつとしてあげられる。ネット社会が子どもに与える影響などその最たるものではないか。

 現代の学校は人間性を養える場ではあるが、養う場ではない。言いたいのは、昔は人間教育の領域まで介入してくれた教師もいたが、今はどうだろうかということである。
 小学校までで考えると、大半の子どもは親の背中を見て育つ段階でもあるから、基本は家庭教育が「我慢」と「思い遣り」を中心とした人間教育の主たる戦場であり、幼稚園、小学校は基礎学力プラス集団生活での規律心や社会順応性を身につける場とわりきって考えてもいいのかもしれないと思う。
 もちろん、この二つは並行的に必要なものとは思うが、今の親たちは学校教育に人間教育を委ねることが多いのではないだろうか。お母さんも働きに出ると疲れも積み重なるだろうし・・・子どもと向き合える時間が勉強を求めること以外にどれほど持てているのだろうか。ゲーム社会の進展も子育て受難時代に一役かっている部分もあろうかと思う。

 父親は原則土日以外は子供と接する機会は少ない。職種によってはほとんどない場合もあるだろう。お母さんの存在は重いのだ。我が家も振り返ればそういった家庭のひとつであった。
任せっぱなしとまではいかないが、学校との連絡事はすべて家内が担当し、私は授業参観に出た試しがなかった。出られなかったのだ。

 中学生になると家庭以外に興味が深まる。受験という試練も生じる環境が激変する時代だが、それを乗り切ることへの自覚の有無もしくはレベルによって、努力や精進という人間としての付加価値が本格的につく大人社会への参画準備時代。高校、大学と進むうちにその付加価値の差が就職という段階で人生全般に関わる形に特化する。
ただし、そこですべてが決するのではなく強い意志を発露として、やり直し、再チャレンジへの可能性が日本社会にはある。

 
 親に与えられた豊満生活が身についた子供たちは、当初世代は理性を働かせる力を有していたものの、そこから数世代進む中で、ごくわずかな確率であるとは思いたいが、「我慢」が出来ないどころか価値を共有出来ない対象に対して「キレる」という単純感情動物へと後退している。その身勝手ぶりは、ほどほどを身につけていないことから、陰惨な事件をいとも簡単に現実のものにする。
 最近、未成年同士での殺人事件やいじめによる自殺といった悲劇がたびたび発生する都度、今と異質の昔をアウトプットする人が多いのではないだろうか。

 
 残念なのは、オリンピックの場での選手たちの躍動ぶりと鍛錬の結果のパフォーマンスに感謝と感動をもらったばかりで、青少年にとってのスポーツの位置づけが高まったかのような風潮もあるのに、深夜に遊び呆ける子どもたちによってたかってのリンチを受け、命を落とす子がまたまた・・・。
 怒りと悲しさで身震いがしてならない。

 この号の私見はほんの断片に過ぎない。子育て教育論の本来は、より深い考察が必要であることは言うまでもない。語れば本のひとつやふたつにはなるやもしれないことをご理解の上ご一読いただければと思います。 

No.2792 つまらない女にならないように

2016.08.24

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 オリンピックが終わると同時に、民進党の代表選に話題を集中させたいかのような報道が、かのマスコミ群によってかまびすかしい。 

 痩せても野党第一党であるから、国民も興味を示すべきだとは思うが、誰がなるのだろうかという野次馬的な関心度は高くとも政治の向上という観点から見つめている有権者は少ないのではないだろうか・・・。

 今夜の報道では前原氏が出馬を決めたようだ。何らかの局面打開を図らんがための出馬なのだろう。ただ、この方も過去の発言からは信念より都合を優先する方だと見受けている。
 そんな中、蓮舫さんが有り余るボキャブラリーとユーモアを発揮したかったのかどうか、言葉の使い方で顰蹙をかっている。いや、実は日本語の何たるかを分かっていないのではないかと感じることが大言造語のきらいも含めて何度もある。
 あろうことか、現代表で支援の声をもらっていた岡田代表に対して「岡田代表は大好きです。ただ1年半一緒でしたがつまらない男だと思いました。人間にはユニークが大事ですが、私にはそれがあります」とやった。場所は日本外国特派員協会でのこと。

 民主党政権運営時に仕分けの権化と化した彼女は、「なぜ1番でなくてはいけないのか。2番でもいいのでは」と発言し物議をかもした。スーパーコンピューターに関してのことだったが、サイエンステクノロジーやイノベーションの重要性を理解していないと批判を浴びた。
 仕分け精神で満々だった当時だからわからなくもないが、視野の狭さを示した発言と世間は見た。

 基本的にエキセントリックかつ上から目線の人物だと見ていたが、まさにそれを地で行く発言だった。民主党は自民党以上に縦社会に厳しい政党だと聞くが、それを平に改善しようという腹づもりだったのかどうか・・・岡田代表と同格またはそれ以上のワードで代表への感想を発した。まるで友達感覚だが友達でも言わない言葉だ。
 自分の発言は万民に受けるといった思い違いがあるのかもしれない。
 民進党の女性議員には、こうした感情の昂ぶりでは引けを取らない方が多い。辻元清美さんや山尾志桜里さんも同タイプだが、この二人、攻めるのは得意だが、守るという面ではいかがなものか。代表と政調会長がこの中にあり。 民進党の人材不足もここに窮まれり‼️ではないか。
 

 蓮舫さん、批判に対してユーモアを理解してもらえると思ったのにと言ったようだがそれは見識が甘すぎるというものだ。
 つまらないという言葉の意味に裏の意味は無い。つまらないものはつまらないだけのこと。それをこれから代表選を控える本人が、現代表をそんな言葉で揶揄することがユーモアだと認識すること自体おかしいし、言われた岡田さんにしてみれば顔で笑って、心でなんとやらの面持ちではないかと思う。

 言葉は重い。時に人を自殺に追い込む凶器にもなるし、その逆もある。
 言論の自由を殊更に叫ぶ傾向があるが、自由とは何でも口にして良いというものではないのは子どもでもわかること。言ってはならない言葉を吐く前に頭で咀嚼する力がないととても国家の第2政党の代表などおぼつかないのではないだろうか。万民の反面教師にならないよう願いたいものだ。

 

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