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No.3530 3月定例会一般質問

2022.02.08

 2月18日を初日としていよいよ3月定例会が開かれます。
 3月議会は新年度予算の審議が中心となりますが、オミクロン株のまん延によるコロナ対策に関心が集まりそうです。私は、コロナ対策は国と県が思慮決定した対策に大きく関わり、一自治体としてはどうすることもできない面が多々あるので、あまりせっついたり、追及したりといった質疑感覚のものは出来るものではないというのが基本的考えです。しかしながら、質問する議員は結構いるでしょうし、実際、毎回そういう質問があるので、ひとまず私はそれのやり取りを参考にし、わからない点があれば後で確認することにしています。ということで、時間も30分と少なくなっていることから、新年度行政への関心点に集中したいと考え、以下の質問を本日通告する予定です。ちなみに、本日8日12時が質問通告の締め切りです。

1.組織と人事の今後と人財育成について
2.命の根源に関わる水道の民営化について
3.公共施設の安心安全度や快適性が人口問題に与える影響について

 以上ですが、答弁時間を含まない議員発言30分ですので、各10分の割り振りで質問構成を作ることになります。けっこうこれが大変で、国会議員のように政策秘書が原案を作成するといったことはないので気合が入る作業なんです。
 県議時代は、その為に他県の街に出向いて実地調査確認をしたりもしましたが、今はそこまでのことはなく、あっても近隣の実態を見聞きするのがせいぜいです。今回の質問はとくに思惑があって選択したものです。
 一般質問は21、22、24の3日間行われます。
 3月定例会はコロナ感染防止支援対策として傍聴はご遠慮いただくことになりましたので、ライブもしくは録画でのご視聴をお願いいたします。

No.3529 幸手の名工?

2022.02.07

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 寒いからといって内向きでいるのも身体がなまるので、週に3回から4回はウォーキングに出ます。健康管理と言えば聞こえはいいのでしょうが、パソコンに向う時間が多いので、目を休ませ、肩と足腰をほぐすためにというのが具体的な理由です。それでもやはり、北からの風がある時はなかなか身体が温まらないので速足になりますが、それがかえっていいのかなとも思います。
ファイル 1450-1.jpg コースはいつも葛西用水沿いをしばらく歩き、久喜の青毛堀川に出て鷲宮大神宮 天満天神社でお参りし、再び葛西用水に戻るといった感じでいつも同じ道を通ります。別に固定しているつもりもなく、たまに横道にも入りますが、なんとなく車に出会うことの少ない道がいいなあと思います。

 ファイル 1450-2.jpgこのコース途中に、前述のように天満天神社があります。鷲宮大神宮とありますので、おそらく鷲宮神社を総鎮守としている神社なのでしょうが、一言で言って名前から受けるイメージには程遠いさびれた神社です。こう言うと失礼にあたり、お参りのご利益が無くなるといけませんが、本殿の中は整理整頓もされず、照明は丸蛍光管が2本のサークラインがぶら下がっているだけ。境内というほどの敷地もなく、手水石には蜘蛛の巣といった按排です。なにより賽銭箱がありません。
ファイル 1450-3.jpg 古式豊かな日本文化には“わびさび”というのがあって、どことない風情を醸し出しているものだと思うのですが、さびだけではいかんともし難いところ。とはいえ、短い参道の一の鳥居に思わぬ文字を見つけては何かの縁と勝手に感じ入り、散歩コースとして気に入っています。
 人間、大なり小なり縁というのは大切にする生き物のようで、とくに願掛けのお参りにはそういう面がありますね。
ファイル 1450-4.jpg ファイル 1450-5.jpgそれで、その文字は添付の写真から確認してみてください。これは、寛政元年(1789年)に建てられた一の鳥居に彫られていたものを、平成27年に再建した石製の鳥居にもわざわざ同じ文字を入れたものと推測できます。当時の土地の区割りや行政境がどうなっていたかはわかりませんが、鷲宮大神宮から依頼を受ける幸手の石工 古澤傳右衛門なる人物がどういった人だったのか、どれほどの名工だったのか興味深いではありませんか。
 土曜日はまだちょぼちょぼだった梅の花が、だいぶ開いてきました。
 重ねて訪ねるうちに、静かなたたずまいのさびれ加減に愛着が湧いてきた実感があるのがこれまた不思議なことです。これは家内も同じだと言います。
 約1時間7000歩ほどのウォーキングコースは、季節によって風景が移ろい、キジや鯉、鴨、サギなどとの出会いもまた楽しからずや。

No.3527 3回目ワクチン接種

2022.02.02

 3回目のワクチン接種予約が順次行われている。順次というのは、下記一覧のように、2回目の接種を行った日によって、予約可能の開始日が違っているからである。今、届けられている白い横型封筒の接種案内には複数の説明書が入っている。どれもが字が細かく数が多い。読むのも大変だし、肝心なのは予約方法だと普通は誰もが思う。そして早速電話する・・・。ところが、県が行っている大規模接種との関係で、予約案内は早く発送するようにという県の指導により、予約開始日のかなり前に届いている方も少なくない。ならば、こういった状況下で、なるべく早く予約を確定したいと考えるのは普通の想い。即電話やパソコンに向かうというのも人心として理解できる。

ファイル 1448-1.jpg 問題は、人によっては予約が2週間先まで出来ないとわかるまでどれだけ時間がかかるかだ。それはこの表に示す通りで、封筒に同封されている説明書なのだが、皆が気づくかどうか疑問である。市町村では昨年の電話不通問題をクリアするために2回目と3回目の間隔を均等に開ける予約システムを設けたのだが、案内の一斉発送によって、混乱が蒸し返しになってしまった。
 一昨日からの私の経験でも、電話が殺到してつながらないという意見不満の実態があるはずで、ワクチン供給で国に、早期大規模接種では県に翻弄される市町村の現実があるようだ。結局、私はネット予約で問題無くクリアしたが、つながらないと相談に来た人の2回目接種日をみたら、予約可能開始日が2月11日だった。もしも、この人のかけた電話がつながった場合、予約を断ることになるのかどうか確認したら、そうなりますとのことだった。あれあれ、これでは不満の増幅でしかない!

ファイル 1448-2.jpg もう一つ、ワクチンの種類も人によって価値観が違っており、同じものを打ちたいという人もいる。我が家では早い方がいいという考え方で、聴く限りそういう考えが多いようだが、1ヵ月遅れを待ってでもファイザーを希望する人もいる。副反応が人によって差があることからやむを得ないと思うが、今日の新聞に大野知事の意向が示されている。「リスクか効果の先取り」どちらを優先するかですね。

No.3518 権現堂堤の桜が・・・

2022.01.10

ファイル 1439-1.jpg 昨日の埼玉新聞に気になる記事が。しかも1面トップ扱いで掲載された内容は、権現堂の桜の老齢化が進んでいることと、クビアカツヤカミキリの被害が見つかったことによる維持保全の難しさを伝えるものでした。
 今や、四季折々の楽しみを魅せる花堤として県内屈指の花名所になっている権現堂桜堤ですが、人間と同じように高齢化問題の波が押し寄せているということなのでしょう。老木化はかなり前から指摘されていたことですが、桜保存会の方々の努力といたわりの精神で手を入れられ大事に管理されてきたわけです。
 加えて、この20年ほどで、水仙、紫陽花、曼珠沙華といった花木を植栽し、一年中堤を賑わす幸手の名所に仕立て上げました。また、花見見物に訪れる人たちに更に癒しの楽しみをという想いで屋久島ヤギの飼育を始めるなど、アイデアと努力を注いできた県立公園です。私も県議時代にトイレ、事務所、西側駐車場、そして万葉の花であしらった第3公園の新設に多少のお役に立てたという想いもあって季節にかかわりなく時折訪れる癒しの公園です。
 権現堂公園は、県内にたしか26ある県立公園のひとつで、幸手市及び桜保存会が県から管理委託されています。その中心人物として活躍された同会並木前理事長が、昨年10月に亡くなられたことから今後の保全管理に関心が深まっていた矢先の新聞報道。私は、堤の話をするたびに幸手市のランドマークだと言っています。権現堂桜堤が、県と幸手市の貴重な財産として永遠に保全されるよう願うばかりです。

No.3508 宣誓書議案に修正案

2021.12.15

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 №3505でお知らせした件に以下のような動きがありました。
 幸手市議会12月定例会議案第77号は、職員の採用時に書面をもって提出する宣誓書への署名押印を無用とする条例改正です。それについて、9日に行われた本議会での議案質疑でこの案件について質疑をしたのは私だけでした。
 お伝えしたように、民間で20年人事を担当した私としては、宣誓書の文言様式からしても民間で言うところの誓約書以上の意味を持つ宣誓書に押印のみならず署名まで無くしていいのだろうかという疑問が拭えませんでした。中途採用でも心新たにという意義があるでしょうし、基本的には学生から社会人になる節目の時の決意を自らの署名によって相手に示し、自らを鼓舞するという目的や意義があるのではないかと思う次第です。
 国の指導も署名まで無くす対象には含んでいないということのようで、他の街では、私の考え方に通じた内容に議案を修正した自治体もあるというのです。
 13日に行われた総務常任委員会に付託されたこの改正案に、数人の議員が質疑する中、署名だけは残すという修正案を議会提案してはどうかということになり、修正案を取り纏めた後の翌15日に再度委員会を開催し、全会一致で可決されました。私は総務委員会のメンバーではないので、本議会で質疑通告したわけですが、会派同僚の木村、坂本両議員もこの条例改正に対する疑問から委員会で質疑してくれたそうです。
 私は9日の質疑の最後に、すべからく国に右へならいではなく、内容によっては幸手としての独自性やアイデンティティーを打ち出しても良いのではないかと市長に質しましたが、市長も今後はそのような姿勢で臨むと答弁されたところでしたが、早くも当該案件で議会側からそうした結果が生まれることとなった次第です。
 いきさつがどうあれ、公務員として採用される際のたった一度の宣誓書の氏名がパソコン文字にならずに良かったと思います。本人が自署するということがどれほどの意味を持つかということについては人それぞれの考え方があるとは思いますが、ハンコは無くともサインは残そう!という単純明快さでの一件落着となりそうです。というのは、まだ委員会での可決段階であって、21日の最終日本会議で可決されるかどうかです。ただ、10人構成の委員会で全会一致したわけですから本議会でも可決は問題ないものと思われます。

No.3507 差別と好き嫌いは別 

2021.12.15

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 差別を声高に批判する人に差別を助長する言動が少なくない世の中。この前号の内容に多数の反応をいただきました。組織も個人も、それぞれが生きていく上で信念を隠して世の趨勢に合わせる社会構造。その都度、協調や寛容という言葉が都合よく飛び交うことが許されるご都合主義の社会。そして、気が付いたらジェンダーという言葉が慣用語になりつつある。日本語で絶対的な言葉が見つからない感じですが、いろいろ調べると男女の性差ということになるらしい。
 今日のNHK朝いちでは、職業別に男女比率がどうなっているかなど性差関連の内容を取り上げていました。思うに、女性の社会進出というテーマに限るならば、慣例的なものや印象的なものがあるにせよ、ダメだというものはごくごく限られています。例えば、高校野球全国大会のベンチ入り、大相撲の土俵に上がることなど伝統的なものを除くと、女性進出を阻むものがそうそうあるわけではありません。そもそも、女性の社会進出と前述の2例は同等に論じられるものではないでしょう。要するに性差に関係なく、どの職業世界を希望するか否か、その意思があるか否かが問われるのだろうと思います。
 そうした社会動向は、ジェンダーが慣用語化するかなり前から変化していたことだと理解しています。
 女性の役職者や経営者が少ないというのも、たまたま全体比率の中で出世する率が関わることであって、女性では能力が劣るといった男高女低の思考は体力的なものを除けば現世から消滅しつつあると思います。「いにしえの男尊女卑」を否定するものではありませんが、この50年で世の中は様変わりしたと感じています。女性起業家、老舗の後継者等々、上げたらキリがないほど立派な女性がたくさんいます。
 政治に関わる人は男女の別なく多くは高身を目指しますが、行政職となると高い立場を望まない傾向があると言います。それはわかりやすく言えば、地方議会では課長になると委員会答弁を求められます。部長になると本議会答弁となります。国政では厳しい野党のヒヤリング攻勢に深夜まで対処することもあります。モリトモ問題での自殺者もそれが原因だとの話も出ています。求めに応じて資料作成もしなければなりません。
 幸手市議会はそんなことはありませんが、県議会も国会も議員には平身低頭の姿が普通です。私の経験上も議員様様先生でした。私は議員は先生ではないと言いつづけていますが先生だとばかりに胸を張る議員もいるのです。
 余談が過ぎましたが、そういうことで上級職になりたがらない女性が多いという現実があり、男性にも少なからずいるというのですから世の中変わったものです。

 
 男女に限らず森羅万象に対して、人は好き嫌いという感情を持つ生き物であり、それが無い人はいないでしょう。それを口にする程度にもよりますが、それを差別だという風潮があることがいささか差別理論の行き過ぎかなと感じる昨今です。
 また、ジェンダーフリーをいいことに女装をしてトイレや風呂に入り、盗撮や接触の類の犯罪が増えています。それどころか、ある自治体ではカミングアウトを宣言した元男性?が女性トイレを利用していいかどうかで揉めた事実もあります。裁判沙汰にあるようで、まさに世の中変わったなあということですね。実は、ジェンダー理論に納得しない女性もかなりいるようで、声を上げないだけという話もよく耳にします。
 女性が入ると会議が長くなると発言した途端、それ行けとばかりに東京五輪組織委員長の森喜朗氏批判が高まり、時を置かずして辞任に至りました。言葉だけ考えると、差別ではなく森さんの個人的考えと感じていたら、メディアの猛攻撃は一大事件の扱いになってしまいました。おそらく「だから女性はいない方がいい」という思考が奥底にある発言と見なされたのかもしれません。しかし、あの時の一部メディによる政権批判に結び付ける偏向報道ぶりはかなりのものでした。今でもそうしたメディア自体が発する差別報道は止むことがありませんが、日頃、差別を声高に叫ぶ人たちがそうしたメディアを批判することはほとんどないのです。

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