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No.3529 幸手の名工?

2022.02.07

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 寒いからといって内向きでいるのも身体がなまるので、週に3回から4回はウォーキングに出ます。健康管理と言えば聞こえはいいのでしょうが、パソコンに向う時間が多いので、目を休ませ、肩と足腰をほぐすためにというのが具体的な理由です。それでもやはり、北からの風がある時はなかなか身体が温まらないので速足になりますが、それがかえっていいのかなとも思います。
ファイル 1450-1.jpg コースはいつも葛西用水沿いをしばらく歩き、久喜の青毛堀川に出て鷲宮大神宮 天満天神社でお参りし、再び葛西用水に戻るといった感じでいつも同じ道を通ります。別に固定しているつもりもなく、たまに横道にも入りますが、なんとなく車に出会うことの少ない道がいいなあと思います。

 ファイル 1450-2.jpgこのコース途中に、前述のように天満天神社があります。鷲宮大神宮とありますので、おそらく鷲宮神社を総鎮守としている神社なのでしょうが、一言で言って名前から受けるイメージには程遠いさびれた神社です。こう言うと失礼にあたり、お参りのご利益が無くなるといけませんが、本殿の中は整理整頓もされず、照明は丸蛍光管が2本のサークラインがぶら下がっているだけ。境内というほどの敷地もなく、手水石には蜘蛛の巣といった按排です。なにより賽銭箱がありません。
ファイル 1450-3.jpg 古式豊かな日本文化には“わびさび”というのがあって、どことない風情を醸し出しているものだと思うのですが、さびだけではいかんともし難いところ。とはいえ、短い参道の一の鳥居に思わぬ文字を見つけては何かの縁と勝手に感じ入り、散歩コースとして気に入っています。
 人間、大なり小なり縁というのは大切にする生き物のようで、とくに願掛けのお参りにはそういう面がありますね。
ファイル 1450-4.jpg ファイル 1450-5.jpgそれで、その文字は添付の写真から確認してみてください。これは、寛政元年(1789年)に建てられた一の鳥居に彫られていたものを、平成27年に再建した石製の鳥居にもわざわざ同じ文字を入れたものと推測できます。当時の土地の区割りや行政境がどうなっていたかはわかりませんが、鷲宮大神宮から依頼を受ける幸手の石工 古澤傳右衛門なる人物がどういった人だったのか、どれほどの名工だったのか興味深いではありませんか。
 土曜日はまだちょぼちょぼだった梅の花が、だいぶ開いてきました。
 重ねて訪ねるうちに、静かなたたずまいのさびれ加減に愛着が湧いてきた実感があるのがこれまた不思議なことです。これは家内も同じだと言います。
 約1時間7000歩ほどのウォーキングコースは、季節によって風景が移ろい、キジや鯉、鴨、サギなどとの出会いもまた楽しからずや。