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No.3924 天災と人災

2026.03.11

 東日本大震災から15年が経つ。毎年のこととして時の流れの早さを感じる日である。この震災が発生した時、どこで何をしていたかしばしの間の話題となる。被災の規模は雲泥の違いがあったが、関東地区でもその被害たるや強烈なものがあった。屋根のグシが落ちた家は数えきれないほど。信号から光が消えた交叉点で手旗信号の導きで恐る恐る車を走らせた記憶がよみがえる。
 3月11日、その1ヵ月ほど前に突如としてふりかかった重い依頼を引き受けたことで、選挙対策の相談である家にいた時だった。思わずテーブルの下に潜り込んだ。大きな揺れがかなり長く感じられる時間続いた。それから、ニュースで地震の実態を確認すべくテレビを・・・ものすごいことになっていた。建ったばかりの家を津波はドミノ倒しのように倒壊していく。テレビからは押し寄せる波音までは聞こえない。静かにゆっくりと、しかし激しく津波は車はおろかありとあらゆる物体を飲み込んでいく。この世の地獄を見ているようで鳥肌が立ったものだ。
 数日後、統一地方選挙では選挙カーのマイク音量をかなり低くすることが求められ、それは候補者間で暗黙の了解となった。しかし、実際は人それぞれだった。
 天災人災かかわらず災害で目に焼き付いて離れない光景がいくつかある。
1995.1.17 阪神淡路大震災の高速道路の倒壊。そして断裂面に引っかかるように停まった状態のバス。更には長田区を中心とした火災
1995.3.20 地下鉄サリン事件で都心の道路で多くの人が倒れ、介護を受けている姿。そして上九一色村オウム真理教本体に立ち入る光景
2001.3.11 ニューヨーク世界貿易センタービルにボーイング旅客機が突っ込み、しばらくしてビルが崩れるように跡形も無くなっていった2段階の光景。これは人災としては歴史上、またその方法から史上稀にみる人災だと感じた。
そして・・・
2011.3.11 今日が15年目にあたる東日本大震災

 地震の約1ヵ月後、当選して間もない県議会党県議団で視察見舞いに出向いた。バスの到着は深夜になり、夕食は宿でおにぎりがあてがわれ、風呂は入らずだった。宿も被災していたのだ。南三陸町のプレハブ臨時庁舎で佐藤町長に面会し、見舞いの時を持たせていただいた。疲れ切った表情が印象的だった。佐藤町長は昨2025年11月に任期満了で退任されたが、合併前を含め5期20年にわたり町長を勤められた。いや、努められた方だ。当時、復興には少なくとも20年かかると言われていたが、実際15年経過して復旧は成し遂げた感はあるが、復興までには至っていないという見方もある。しかし、3か月後と1年後の2度、ボランティア活動で再訪門した際にお会いしたが、復旧事業はかなり進んでいたように感じた。防災庁舎や女川町の横倒れしたビルなどは手が付けられていなかったが、それらに先んじてやらなければならないことがどの街でも山積みだったのだ。
 ボランティア活動では、瓦礫の撤去、沈んだ船着き場の修理のための砂利の運搬、さらには海水に浸かり錆びてしまった漁業資材置き場用の貨車の塗装などを指示により担当した。どれも朝始め夕方陽が落ちるまでの単純作業だった。それほど長い日数では無かったが海なし県の埼玉人にとって考えも及ばない作業にしばらく筋肉痛が残ったものだ。
 3月11日の前日10日は、東京大空襲の惨禍が起こった日。生まれてもいない古事ではあるが、戦争の悲惨さは昭和20年の8月6日、9日は言うに及ばずである。予告なしで発生する天災と異なり、今各地で起っている戦争も人間の欲望と身勝手さが根源にあると思うと、それで命を落とした人が哀れでならない。

 鎮魂の祈り

No.3923 政治不信か政党不信か その2

2026.03.11

 国会予算審議の目に余る野党の引き延ばし戦略。結局のところ、国民の選択を無視する形で高市政権への協力を拒む煮え切らない玉木代表による国民民主党が浮き彫りになっている。榛葉幹事長も中東問題への高市総理の対応見解は素晴らしとしているものの、国民生活に関わる党の対応はフラフラ代表に右へならいだ。
 別の話として、8日の埼玉県議選補欠選挙(川口市欠員2名)で当選した西澤理氏が当選翌日に議員辞職するという前代未聞な事態を生んでいる。生んでいるという意味は、その責任がどこにあるのかということなのだが、この候補者は国民民主党の公認候補者だったのだ。ところが、投票日前日の7日に党はこの人を除籍処分にした。なんとも無責任というかだらしないというか。選挙運動を支えた人たちにも、演説に耳を傾けた有権者たちにも失礼千万な話である。今回の国民民主党の候補者選定調査不足は、ポスターなど公費面でもかなりの影響を県予算にもたらしたのではないかと思うが・・・。
 そして、これだけ重要な決定でありながらその理由を明らかにしない姿勢は果たして許されるのだろうか。いろいろ調べてみると、7年前に特定犯罪に結びつく事案で罰金処分を受けた事実があったそうで、本人としては5年以上経過すれば立候補書類に明記せずともよいと個人判断していたとのこと。それにしても、同党の県連会長の発表は投票日前日という重さを真摯に理解しているとは言い難い。結果として西澤候補は2位で当選したが、翌日県議会に辞職願いを提出することになった。除籍と同時に立候補辞退という選択は出来なかったものか。前日ではそれも難しいということか。玉木代表はネットで謝罪の表明をしているが、この人、不倫問題の時もそうだったが、謝るのが早く、それにより国民の批判を遠ざける手法に長けているようだ。国民生活を優先にと同調するようで予算成立は反対、高市政権を立てるようで立てない、結局は2枚舌政治家と見られても仕方がない。ネットでもそうした点を指摘する投稿が多い。
 この党に限ったことではないが、地元民にすれば何処の誰かもわからない若い人をいきなり落下傘候補として飛来させるのはいかがなものかと感じる。とりあえず若さや女性をポイントに当選させてしまえばいいという新党的方針は参政党であきらかなように定着する雰囲気だが、そういった候補者に地元の文化や歴史を、さも精通しているかのように語って欲しく無い。というか、私でさえ幸手市の今昔を語るのをはばかれる場面にいまだに遭遇するのだから。
 比例しかり、落下傘しかり・・・政治の質が地域の向上に欠かせないと思えば思うほど、どこかもどかしい制度が政治を疲弊させつつあるというリスクを感じてならない。

No.3922 政治不信か政党不信か

2026.03.11

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 政治は生きているというコラムも、正しく生きていれば納得のいくタイトルということになるが、昨今耳や目を経て脳に強く刻まれるのは政治不信を増幅させる出来事ばかりだ。国政も県政も市政も・・・至誠とともに生きていない。まさに、政治の不審が政治不信を招き、政治はますます不振状態に陥る状況かと。考えてみれば、ゆえにサスペンスドラマで政治家のあこぎな裏側が事件の原点にあってジ・エンドとなるストーリーがなんと多いことか。

 昨日、国民民主党の榛葉幹事長が、与党の国会運営は強引過ぎて年度内採決には応じられないとした。高市政権発足時にそれなりの主張を実現してもらったにもかかわらず立憲民主党、中革連といった野党と呉越同舟路線に入り込んだかのようだ。中革連の小川代表は対決姿勢むき出しで、予算とは無縁のWBCを観戦した大臣は手を挙げてなど、予算委員会で発言している。子どもでもわかる総理へのおべんちゃらを混ぜながらだ。自分では巧妙な質疑と思っているのだろうが、とてもそうは感じられない醜悪な予算質疑だった。
 高市政権が順調に見えていた政権運営からなぜ総選挙に舵を切ったかというその事情・・・実は、国民民主党が新年度の国際発行を従来通りの1年単位とし、その後の在り方を再検討するという方針を示していたからという説が強い。それが証拠に13日の予算案成立に協力出来ないと榛葉さんは拒否した。それにより、年度内予算は成立しない場合暫定予算を組むべきだとしている。小川さんなどは暫定予算の準備はしているかと質疑する始末。年度内成立を志向する総理に聞く話ではない。
 そして、あろうことかこの2党は国債発行を来年度に限って認めるという法案を10日に共同提出した。もはや国民民主の連立入りなどは無くなったに等しい。中革連、立民はわかるが、国民民主党のこの変質は手取りを増やした高市政権に恩義も減ったくりも無い政治的裏切りそのものだ。ご存じのように政府は5年間の発行を可能とする法案を提出しているので、1年ごとに見直すという従来通りの短期発行を政府に突き付けた形だ。
 高市政権の政策の一丁目一番地は「責任ある積極財政」なのだ。30年縛られ続けた緊縮財政のままではますます日本の国際競争力は弱くなる。人口減少と関連して、長期的戦略に立って失われた30年を取り戻し、未来を構築すると言っている。これを夢物語とは感じなかった国民が高市総理の再選を望んだ。
 議会運営が強引だと言う前に、しっかり予算関連の集中質疑をするべき時ではないのか。