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No.2748 もはや決した?騒動の顛末

2016.05.16

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 またまた舛添さん関係で書き込みを。

 これまで、このニュースをかなり早いうちからブログやFBで取り上げ、投稿してきた。
 曰く、「小さい問題かもしれないが、かならず大きな問題になる」「一事が万事、一つの不正の裏に、万の不正が隠れているもの」「いずれ進退問題に発展する」といった切口の論調を示してきた。

  今日、新たな問題が報じられている。ヤフーオークションで絵画を落札し、政治資金収支報告に記載していた。さらに子どものオモチャにまでという話もあるようだ。
 予測が当たったことを喜べる対象ではない。残念ながら、それみたことか!という感覚でしかない。

 
 彼のこれまでの発言の端々から、人間性に首をひねらざるを得ない面を感じていた。自分が自分に与える評価が、極端に高い人・・・いわゆる尊大かつ自信満々の人物と昔から思っていた。直接会ったことも話したこともないのだが、まさにインスピレーションといった感じだ。

 私が、なぜこの問題を何度も興味深く取り上げているかと言えば、主権者教育の題材としてこれほどわかりやすいものはないと感じているからだ。

 今更だが、選挙結果というものは、1票1票の積み重ねで当選者が決まる。したがって、やはり1票というのが如何に大切かということは分かりすぎる話。ところが、自分の1票が結果を左右するわけではないという考えも
 選挙のたびに叫ばれるフレーズに「清き1票を!」というのがある。
 もちろん投票する有権者一人一人は清い1票を投票しているはずだが、残念なのは、そうだったはずの清き1票が、舛添さんのような正体を見せられる結果となった時、候補者選択の難しさを理解し、今後に生かせるかどうか。

 投票率の低さは目に余るものがあるが、さりとて投票率が上がりさえすれば良いかというとそうではない。誤った選択、とくに首長選択は、街や地域の発展を損なう可能性もあるのだ。大切な税金が、無駄遣いレベルを越えて、私利私欲、公私混同といった方向に向けられることもあるだろう。

 そういう意味で、今回の舛添さんの出来事はわかりやすいし、都民を大きく裏切ったことはまちがいない・・・だが待てよ! 見抜けなかった有権者に問題はないのだろうかという視点もあってしかり。少なくとも情実的投票ではなく、選択するための努力をしたかどうか。
 言葉巧みな政治家(候補者)の本性を見抜くのは至難の業だが、はたして高校生にどれだけの主権者教育が出来るものかしばらく見守っていきたいと思う。

 18歳選挙権がいよいよ7月に現実化する。投票率重視の考え方が先頭を切っているようにも感じるが、それはまた、想定外の危険性を秘めている面もあるのではないだろうか。