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No.2749 水飢饉にみる未来への責任

2016.05.18

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 4年前のGW期間を中心に幸手市東部にある中島土地改良区米作地域の水飢饉が発生した。
 私もこれに携わった関係で未だに記憶に残る出来事となっている。

 今また、この地区が水不足に陥っているという。昨日、現地を訪ねたが、一昨日夜半からの雨で一段落している様子ではあった。しかし、まったく危機を脱したわけではないと地域の方々は口にする。

 4年前、県土整備部長から副知事に栄進された岩崎康夫現埼玉県副知事のお力で、江戸川下流地域の水利権所有者の了解を取り付けていただき、大雨時に中川から江戸川への放水をするための施設である幸手放水路貯水施設から、340ヘクタールの水田を抱える中島土地改良区に向けて緊急放流が行われ、なんとか事なきを得た。
 この時、三ツ林代議士による国交省との交渉で、大型ポンプ車が配備されていたことが幸いした。

 幸手市は、三ツ林代議士の祖父である弥太郎翁の尽力で、昭和45年前後を境に農業利水としてのパイプラインが整備されたのだが、この中島土地改良区だけは整備されないまま残ったという。
 聞くところでは、江戸川、中川のふもとにあるからパイプラインは必要ないとの判断がなされたというのだが、当時の理屈としてはなるほどといった感じではある。まあ、その通りかどうか今となっては定かではない。

 私も、新興住宅の一市民から、合併問題を介して地域に関心を持つ立場になって15年近く、多くの方々との有難いコミュニケーションもあって、幸手市全体の歴史、地理、産業、人と人の繋がりといった事柄に、ある程度精通してきたとの感慨がある。
 そうした中、よく耳にする話として「幸手は、時代の流れに素直に向き合ってこなかった」という後悔と反省に近い言葉を聞く。代表的な話としてJR敷設計画を拒否したというのがそうだ。

 中島土地改良区以外の農業関係者から、「あの時、一緒に整備しておけば良かったんだ」という声があるのも事実であり、降る時は洪水に近いほど大量に降るかと思えば、降らぬ時はダムが干上がるほど何日も降らないという昨今の雨事情が農業事情を変えているが、専門家の間では地震の影響で河床が下がっている可能性もあるとの節も取り沙汰されている。

 河床が下がると、土手を貫いて改良区のポンプ施設に水を利する樋管口より水位が低くなる可能性もある。河川から直接水を引く農村地区ではここでも自然との戦いなのだ。
 利根川中流域の行田行政区にある利根大堰は、武蔵水路、見沼代用水、埼玉用水路といった東京や埼玉中央部への上水道や灌漑用水を賄うとともに、葛西用水路などへの導水を経て県東部地域へのパイプラインが整備されている。
 

 中島土地改良区でも、地区をあげて、関係者のありとあらゆる知恵を絞って、現状の江戸川からの直接誘水ではない水利方式を検討すべき時期が来ているように感じる。それが、未来の農業従事者世代のために残してあげるべき最大の事業かもしれないと思うのだが、はたして・・・。

 例えば、取水箇所を少なくするために今の水田を5枚分くらいにまとめて大きな水田に変えるというのも考えられる対象ではないだろうか。こうすることにより、田植えや稲刈りでも効率性が高まるだろうし、機械の疲弊も抑えることになるはずだ。
 また、コストのかからないという意味では、低空中配管方式などのようなパイプラインを新たに計画するといった発想があってもいいかもしれない。その場合、途中途中のポンプはどうしても必要となるだろうが。
 要は、コストの問題だが、補助金とはこうした場面で頼るべきものではないかと思う。

 利水の奪い合いをたとえて「水戰爭」という言葉があるそうだ。必ずしも昔の話ではないという。それほどまでに、農業と水との関わりが深いのは言うまでもないが、水に対する不安は農業が抱えるストレスの大きな要因であることは素人でもわかる。