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No.2484 小学校教科書検定

2014.04.05

 文科省が2015年度から使用する小学校教科書の検定結果を発表。その内容および特徴は、とくに次の3点に絞られる。
◆長く続いた「ゆとり教育」への批判が社会的に盛り上がる中、約3割程度の割合でページ数が増えている。
◆歴史捏造問題はともかく(これももちろん大切なのだが)領土問題について、竹島、尖閣は日本固有の領土との記述がなされた。
◆東日本大震災に関する記述が詳細にわたっている。

 大震災に関係するものは、ここではおいておくこととして・・・。他の2点では、これを知るや、さっそく中韓が噛みついた。
「これ以上の挑発行為はすぐにやめるよう忠告する」
「歴史を歪曲する日本の主張に断固抗議する」
「もともと我が国(中国)の領土であったものを日本が侵略し、盗み取った尖閣諸島についての挑発は、危険な領域に入ったと認識する」

 といったようなものだが、これに対する日本の反応が少々おとなしい。
 菅官房長官曰く「当たり前のことを普通に言っているだけで、今後も丁寧に説明していくしかない」丁寧に説明していくというのは、断続的にしか情報が伝聞されず、正しい認識への理解が及びにくく、必ずしも日本びいきばかりとは言えない世界に向けて、安倍総理もよく口にする言葉。これはこれで国際世論に対して通用するものと思っているのだろう。がしかし、「挑発しているのはどちらだろうか」という程度のものは前文に加えて欲しいと感じないではない。
 実際に、勝手に実行支配し、大統領が上陸する暴挙を犯したのは? 頻繁に空から、海から領域侵入をしては海上自衛隊に追い払われているのは? 挑発自体が主客転倒しているのが実情ではないか!
 外交上の言葉は巧みさを必要とする。それはどちらの主張が「らしく」聞こえるかという点において、世界の判断を自国有利に導くためにそれなりの言い回しはあるはずだ。
 今回の内容を英語に翻訳されたらどのような言い回しになるのか、それは英語圏の人たちが聞くとどのような判断になりやすいか?
 ロビー活動という長期緻密戦略に長けた中韓との比較では、一歩も二歩も日本は劣っている。官房長官の政治家らしく感じない、ひょうひょうとした発言は悪くはないのだが、中韓はいずれこの領土は我が手中に入ると虎視眈々としている状況は間違いない。それに対する日本的手法はどうあるべきか。しっかり検討するべきだろうと感じている。

 中韓の日本に関する教科書記述に日本が抗議したと聞いたことがない。そのひどさについては、まさに歴史歪曲どころか現代事情さえも正しく伝えていない。こうした傾向は、とくにこの2国に見られるだけで、他の東南アジア諸国は押しなべて日本に友好的だ。なんとも歯がゆくてならない!

No.2480 あまりにも変わりすぎた子ども環境

2014.03.25

 悲惨な出来事としか言いようのないベビーシッター事件を考える第二弾。
 子育て論では私もそれなりのものを持っているつもりですが、何をおいても知らない人物に駅舎や路上で、かわいい我が子を預けるという事実が信じられないのです。ましてや、こうしたことがさして知られることもなく会員システムによる利用者が増えているという現実にも驚かされるのです。
 よく、血の通った教育とか言いますが、会員システムに登録することでいつでも電話かけると子供をあづけられるというのが良いかといえば、良いとは言えないと思うんですね。固定の専門施設すら持たないベビーシッターに物言わぬ子供が結局置き去りにされているのが現実ではないかと。血など通ってないですよ!

 残念ながら、戦後団塊の世代の私たちが育った昭和40年代前半までとそれ以降の日本の日本らしい部分の比較では、そのギャップはいかんともしがたいものがあります。まだまだ見捨てたもんじゃないという声と、今や崩壊寸前といった声が共存する部分もありますが、倫理、協調、謙譲、寛容、慈悲といった美徳の精神は、日本が世界に冠たる国民性ですし、世界もまた日本のそうした点を認めている・・・いや、認めていたと言ったほうが適切でしょうか。どうして人を、とくに子供を取り巻く環境がこうも変わってしまったのか。
 私は、女性が働くことにすべからく反対しているわけではありません。ただ、国や地域にとって、女性が働くことの重要性ばかりが語られるフシがあることに疑問を持つと同時に危惧しているのです。どういうわけか、女性が働きやすい環境作りを!といった標語が私たちの世界で騒がしい。それはそれとして大切だとは思うが、子どもがあづけられるという側面を忘れてはならないと思います。こうしたことこそ、深い議論を積み重ねることが求められるのではないでしょうか。どっちみち反対するのに、野党が深い議論を求める政治の世界と一緒にしてもらいたくない社会の重要テーマだと思う次第です。
 以上の問題を包含する少子化対策は今後の日本の最重要テーマだと思いますね。

 実は私以上に子育て問題に造詣が深く、確固たる理論を持っている県議会議員がいます。羽生市選出の諸井真英議員がその人。今年2月8日の最初の大雪の日に開催した私の県政報告会に緊急参加してくれた議員です。歳はいくつか私より下ですが、国会議員の秘書を務め、県議当選1期上の先輩です。考え方は信念に基づいた強いものがあるものの、穏やかな物腰と包容力の点で素晴らしい議員です。
 こうした議員の価値観に触れることはとても有意義だと感じます。
 ぜひ、この議員のサイトに足を踏み入れてみてください。

No.2478 起こってしまった!託児事件

2014.03.17

 今朝のニュースで個人的に強い憤りを感じる事件が発生してしまった。
 ネットが伝える事の発端は・・横浜磯子区で2歳と8カ月の我が子をベビーシッターに2日間預ける目的で、30歳の男性のベビーシッターに子どもを託したところ、その30歳は後輩の20代の男性ベビーシッターに子ども2人をさらに託し、手渡したという。
 その20代男性は子どもたちを埼玉県富士見市の自宅に連れて帰り、その後母親から連絡が取れないという連絡が警察に入ったことから行方を調べたところすでに2歳の子どもは死亡しており、8カ月の子どもの行方がわからないという。男性は黙秘を続けているという。
 真相が明らかではないので、あくまでも推測の域を出ないが、横浜の民間託児施設に埼玉県から通勤する人物を採用していたとしたら、そもそも、そこに当初の問題はなかったか。
 

 残念なことだが、私自身は虐待やいじめといった子どもに関わる社会問題とは異質の、されどなんとなく予測もしていた恐ろしいことが起こってしまったという気持でいる。
 少子高齢化の中で、埼玉県でもウーマノミクスという造語を3大プロジェクトのひとつに掲げ、そのためにはありとあらゆる形態の託児システムを増やそうとする傾向にある。国策でも女性の登用は社会の活性化につながるといった理論を前面に押し出し、待機児童解消に消費税増税分から予算を振り向けている。
 昨年夏、横浜市が待機児童ゼロを達成したということで、その出来たばかりの民間施設を視察に行ったが、なぜか子どもたちが可哀そうという思いになった。ビルの一角を借りた狭い事務所と託児部屋、小さなビニールプールの水浴び道具も狭い屋上に置かれていた。設備ではなく道具だ。これで認可が降りるのかという感じだった。

 私はもとより、ゼロ歳児から2歳児までは、なるべくお母さんの手で、お母さんの乳で育てて欲しいというのが自論である。それは、意識のない乳児の頃から親を理解する幼児期の、人として最初の変換期の子育てが大切だという思いによる。実際、そうした形で企業全般に育児休業システムが定着してきた感がある。
 私が今の世界に入る前のこと。総務人事の責任者として給与システムの在り方や、就労条件の規則緩和を模索していた立場で、真っ先に導入したのが、フレックスタイムであり、出産後1年間の育児休業システムだった。昭和60年前後のことだから、ある意味草分けに近いくらいだったはずだが、その後、3人ものお子を産み、それぞれで育児休業を取り、今も現役で勤務している女性社員が複数いるという。

 この事件の問題は根深い。男女共同参画の普及は、育児の責任は父親にもあるといい、男性社員にも育児休業が制度化されるようになった。男女平等とは言っても、それは家庭の長い生活設計を考えると、なかなか出来ないことだろうと思う。そのたびに男女平等の本質とはいったい何か?という難しい壁に考えさせられたものだ。
 女性社員の継続雇用でも元の職場がないとか、付与される仕事が軽い仕事になるとかといった問題は古くから指摘されていた。ならば、尚更男性が育児休業を取得することは難しいと考えるのも当然だ。ところが、世の中は男性の育児休業の取得率がなかなか伸びないなどといった統計調査を示したりする。良かれ悪しかれ、社会が微妙に変化していることは間違いない。
 法律、企業、勤め人、核家族化、経済自体、そして人の在り方、価値観、道徳倫理の変革・・・いろいろな要素がマトリックスに絡まって、こうした問題が発生していると言ってもいい。

 
 この子どもを預けた母親は何を思い、そして夫や家族はどのような気持でいるのだろうか。
 人を預かるということは難しい。昨年春日部市で発生した老人施設の事件でもこうした事業に不適切な人材を採用していたことが問題ではないかとされた。職にあぶれる若者がまだまだ多い中、職制に適合した採用制度を設けることが求められる。こうした問題が起こるたびに、政治が悪いとか、社会が変わってしまったという声が出る傾向にあるが、政治は万能ではない。社会の変革も止める手立てはない。もとより素晴らしい変革もあるのだ。

 人を預かり、その業務の対価として介護や国保などの保険が適用される。それも一部には問題を生む要因になっている。過剰、虚偽といった言葉がよく出てくるのもこの医療福祉の世界に最も多いと思われる。
 この世界に規制緩和はないほうがよいと私は思っている。見るからにひどいデイサービス施設などいくらでもあるのだ。施設が足りないからといって、待機児童ゼロ対策を急いで進めるとこうなるといった見本のような気がする。

 亡くなった2歳児のご冥福をお祈りいたします!

No.2385 2382の続々編

2013.10.19

 教科書問題に関するメールが、ここ数日増えました。№2382を読まれた読者のご意見を、№2383で紹介したことによるものと思われます。
 というのも、独自性の高いユニークな発想だと感じたご意見を紹介したつもりでしたが、少し過激な内容だったようです。
 それ以降にいただいたメールの中には、異なる観点に言及されたものがいくつかありました。それらをまとめてみますと次のようになるかと。

「議員は自らの発言した内容について、名誉毀損などの法的対応にいたることもあるし、そのすべての責任を自らが負うことになっている。したがって、周りがとやかく言い過ぎるのはいかがなものか! また、低俗で品性に欠ける発言や倫理観のない発言、さらにはパフォーマンス発言等々については、有権者による厳しいお達しが選挙という場で与えられる。しかも、その身分保証は4年しかないのです」

 まさに正論! 私も第三者のご意見を引用する際、その内容や表現をそっくりそのまま引用していいかどうかは熟慮するべきと改めて反省しきりです。
 ただし! やはり実教出版の日本史教科書は国のため、青少年のためならずという考えに変わりはないのです。

No.2383 前号続編!

2013.10.16

 前号を書いてからまだ正味1日も経過していないのですが、かなりの反響があったようです。
 良くも悪くも、枝久保がこんなことブログに書いてるぞ!ということだと思います。いずれにしても、アクセスが増えるというのはブログ冥利につきるというものです。

 今日、産経新聞朝刊は、河野談話を発表する前段階として行われた慰安婦への聞き取り調査がずさんだったとの内容を、その貴重な資料にもとづくものとして報道していました。
 韓国との友好を深めるためにはという主旨で、韓国側の思考に照らして従軍慰安婦に関して日本側に問題があったとの謝罪表明をした河野談話事件。これが、決定的な事実もないままに外交上の観点から、相手側にお土産的にもたらされたというのが事の真実だったというのです。
ファイル 326-1.jpg 河野談話の内実は無理やり導き出された外交対応だったことが判明したのです。産経新聞は、これに先立ち河野氏にインタビューを求めたものの彼は応じなかったようです。
 当時、この慰安婦問題を取り扱った朝日新聞の記事は捏造であったことが今や広く知れ渡るところとなっていますが、この問題も前号の教科書問題に密接にリンクしている話です。

 
 今日、届いたメールにユニークなものがありました。
「政治が教育に中立でなければならないというけれど、何をどうすれば中立なんでしょうか? 口を出さないことが中立だとは思えないのですが、もしも、口を出すなということでしたら、それこそが言論の自由に反するのではないですか? 政治家に口を開くな、閉ざせと言わんばかりの中立を求めるご意見が政治家から出たとすると、その政治家は即刻辞めてほしいです」なるほど、そういうご意見も・・・少し手厳しいい感じですが。
もうひとつ・・・「昔よく、スポーツに政治が介入すべきではないということがあったと思いますが、サッカー場に他国を糾弾する垂れ幕を垂らすのは、立派にスポーツの場を利用しているのではないですか? それとオリンピック招致活動の最後の場面で、どの国も政治家が来ていましたよね。日本では安倍総理がもっとも目立っていたし、彼の発言が成否に影響したと思うのですが、これって政治とスポーツが分離していることになるのですか? オリンピックで経済効果○○○円というのも政治に関係のない話だとは思えないのですが、まったく矛盾だらけです」

 まさに言い得て妙ですな。万が一でも「政治は医療に口を出すべきではない」などとなったらどう思います? おかしなことになりますよね。
 政治家が、いわゆる族政治家としてパフォーマンスや利権の場にありとあらゆる場を利用することが多いことがわかって、今や尊敬の念を持たれる職業ではなくなったことも原因だと思います。
しかし、事あるたびに、美辞麗句、綺麗な言葉の言い回しにともなう美名が踊り、そこから政治が逃げているようでは日本再生などできるはずがないと思うのですが、いかがなものでしょうか。

No.2382 政治は教育に中立であるべきか?

2013.10.15

 「政治は教育に口を挟むべきではない」「政治は教育に中立でなければならない」といった、そ・れ・ら・し・く聞こえる、まるで格言のような言葉に疑問を感じる方はどれほどいるのだろうか? そして、それが恐ろしく危険な考え方だと理解している日本人がどれほどいるだろうか?

 もしも、教育がそんな意見の元に聖域化されたとしたら、いや、そういうことを聖域化とは言いたくもないが、現代教育事情が徐々に歪んでいく実態が感じられる状況で、日本の未来はどうなるのだろうかと思えてならない。
 私は、いつの時代でも、国を支えるリーダーは自国を愛することを原点にした教育から育てられるはずだと確信している。これは世界のどの国にも共通しているはずでもある。

 政治を介入させない教育が聖域化という美名のもとに続けられていったとすれば、それは共産、日教組、反日などの精神が深く刻まれていく偏向教育を助長させるだけに過ぎない。そうした教育がまともな教育だと信じて疑わない思考自体が国を貶め、減退させる元凶であり、とどのつまりは社会主義革命、共産革命への道につながるマグマと化すように仕向けられているのかもしれないのだ。
 それに手を貸す政治家も政治家だが、そもそも誤った歴史認識によって、今いかに日本が中韓によって貶められようとしているかに大きな問題意識を持っている日本人が少な過ぎる気がしてならない。
 国のために命を賭した先人の英霊に尊拝の念を持つどころか、大罪人に貶める教育もひどいが、私は日本の未来に対する危機感に最大の問題があると感じている。

 国を支える教育が誤った道筋に進められようとしているのであれば、それを正しく舵取りをするのが政治の義務ではないだろうか。だからこそ、中立という言葉がどこかむなしくもあり、意味が理解できないのだ。
 文科省の存在や県議会文教常任委員会などの存在を否定するに近い思考ではないか。
 埼玉県の公立高校8校が来年の日本史教科書として採択した実教出版の内容は、自虐感にあふれた捏造歴史教科書と言うべきものだ。その採択過程にも大きな疑義がある。「生徒のことを一番知っている現場の先生たちが選択した」とある。ならば教育委員会の主体性はどこにあるのか。文科省や文教委員会どころか、自らの存在も否定しているようなものだ。
 これらの高校で実教出版の教科書を元に日本史を教わる生徒たちは、どういった影響を受けるだろうか。
 歴史教育は、真実を元に自国に誇りを持てることを第一義に教えるべきであり、少なくとも、東アジアで日本は2,000万人も殺戮したなどといった空虚な歴史を叩き込むべきではないのだ。
 県議会最終日で、この採択の再審査を求める決議が可決したのは、そうした考え方の議員が多かったからにほかならない。

 戦争を知らない子どもたちに、正しい平和認識を教える必要はあるが、世界の近代戦争史にあって、最大の犯罪国家であったかのごとくの教育がなんになるというのか! 戦後70年近くが経過して生まれ出てる子どもたちに贖罪意識ばかりを持たせるかのような自虐教育はけっして日本の未来のためにはならない。

 最終日の県議会決議を受けて、今日・・あっすでに日が替わって昨日のことになるが、教育委員会の臨時会が開かれたようだ。しかし、再審査はしないという結論がもたらされたという。今後も、敗戦国日本、戦争犯罪国日本という止められた歴史に基づく教育が押し付けられることになった。しかも捏造と歪曲の歴史を前提にして、靖国に行くな! 慰安婦に誤り賠償しろ!という中韓の主張が間違っていないかのような教科書が採択されたことは誠に残念。たかが8校・・・いや、されど8校なのだと思う。
 

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