記事一覧

No.2478 起こってしまった!託児事件

2014.03.17

 今朝のニュースで個人的に強い憤りを感じる事件が発生してしまった。
 ネットが伝える事の発端は・・横浜磯子区で2歳と8カ月の我が子をベビーシッターに2日間預ける目的で、30歳の男性のベビーシッターに子どもを託したところ、その30歳は後輩の20代の男性ベビーシッターに子ども2人をさらに託し、手渡したという。
 その20代男性は子どもたちを埼玉県富士見市の自宅に連れて帰り、その後母親から連絡が取れないという連絡が警察に入ったことから行方を調べたところすでに2歳の子どもは死亡しており、8カ月の子どもの行方がわからないという。男性は黙秘を続けているという。
 真相が明らかではないので、あくまでも推測の域を出ないが、横浜の民間託児施設に埼玉県から通勤する人物を採用していたとしたら、そもそも、そこに当初の問題はなかったか。
 

 残念なことだが、私自身は虐待やいじめといった子どもに関わる社会問題とは異質の、されどなんとなく予測もしていた恐ろしいことが起こってしまったという気持でいる。
 少子高齢化の中で、埼玉県でもウーマノミクスという造語を3大プロジェクトのひとつに掲げ、そのためにはありとあらゆる形態の託児システムを増やそうとする傾向にある。国策でも女性の登用は社会の活性化につながるといった理論を前面に押し出し、待機児童解消に消費税増税分から予算を振り向けている。
 昨年夏、横浜市が待機児童ゼロを達成したということで、その出来たばかりの民間施設を視察に行ったが、なぜか子どもたちが可哀そうという思いになった。ビルの一角を借りた狭い事務所と託児部屋、小さなビニールプールの水浴び道具も狭い屋上に置かれていた。設備ではなく道具だ。これで認可が降りるのかという感じだった。

 私はもとより、ゼロ歳児から2歳児までは、なるべくお母さんの手で、お母さんの乳で育てて欲しいというのが自論である。それは、意識のない乳児の頃から親を理解する幼児期の、人として最初の変換期の子育てが大切だという思いによる。実際、そうした形で企業全般に育児休業システムが定着してきた感がある。
 私が今の世界に入る前のこと。総務人事の責任者として給与システムの在り方や、就労条件の規則緩和を模索していた立場で、真っ先に導入したのが、フレックスタイムであり、出産後1年間の育児休業システムだった。昭和60年前後のことだから、ある意味草分けに近いくらいだったはずだが、その後、3人ものお子を産み、それぞれで育児休業を取り、今も現役で勤務している女性社員が複数いるという。

 この事件の問題は根深い。男女共同参画の普及は、育児の責任は父親にもあるといい、男性社員にも育児休業が制度化されるようになった。男女平等とは言っても、それは家庭の長い生活設計を考えると、なかなか出来ないことだろうと思う。そのたびに男女平等の本質とはいったい何か?という難しい壁に考えさせられたものだ。
 女性社員の継続雇用でも元の職場がないとか、付与される仕事が軽い仕事になるとかといった問題は古くから指摘されていた。ならば、尚更男性が育児休業を取得することは難しいと考えるのも当然だ。ところが、世の中は男性の育児休業の取得率がなかなか伸びないなどといった統計調査を示したりする。良かれ悪しかれ、社会が微妙に変化していることは間違いない。
 法律、企業、勤め人、核家族化、経済自体、そして人の在り方、価値観、道徳倫理の変革・・・いろいろな要素がマトリックスに絡まって、こうした問題が発生していると言ってもいい。

 
 この子どもを預けた母親は何を思い、そして夫や家族はどのような気持でいるのだろうか。
 人を預かるということは難しい。昨年春日部市で発生した老人施設の事件でもこうした事業に不適切な人材を採用していたことが問題ではないかとされた。職にあぶれる若者がまだまだ多い中、職制に適合した採用制度を設けることが求められる。こうした問題が起こるたびに、政治が悪いとか、社会が変わってしまったという声が出る傾向にあるが、政治は万能ではない。社会の変革も止める手立てはない。もとより素晴らしい変革もあるのだ。

 人を預かり、その業務の対価として介護や国保などの保険が適用される。それも一部には問題を生む要因になっている。過剰、虚偽といった言葉がよく出てくるのもこの医療福祉の世界に最も多いと思われる。
 この世界に規制緩和はないほうがよいと私は思っている。見るからにひどいデイサービス施設などいくらでもあるのだ。施設が足りないからといって、待機児童ゼロ対策を急いで進めるとこうなるといった見本のような気がする。

 亡くなった2歳児のご冥福をお祈りいたします!