市長と議長が追い込まれている。横浜の山中市長と福岡県議会の蔵内議長の2人である。追い込まれているとはいえ、法的縛りは無いことと、ニュースを見る限り、とくに蔵内議長のふてぶしさはなかなかのモノだ。褒めているわけではないので誤解無きよう!
議長職を巡って、金銭支払いを証言した元議長による議長辞職勧告決議案の採決が本日の予定だが、召集時間をかなり過ぎているが開会には至っていないようだ。こうした場合、議運だの会派代表者会議だのとやたら時間を要するばかりで、傍聴者はもちろん市民の存在は脇に置かれるのが常だ。何をしているかと言えば、採決に際して、可決するのかしないのかを巡って、賛否双方の関係者が調整を図る場面が繰り返されることになる。政治かつ議会の最も恥ずかしい場面と私は感じているが、これは何時の時でも性懲りもなく行われる悪の儀式と言っても過言ではない。テレビも注目しているが、法的拘束力のない決議案でも賛否が拮抗しているからこそのせめぎ合いなので、ワイド番組の時間内に開会されるかもあやうい。提出者の「蔵内議長が恐くて、誰も何も言わない」という言葉にうなずく全国の議員は多いのではないだろうか。
一方、横浜市長はまたまたパワハラの結果がもたらす辞職要求で、これには自民、公明、立民などの会派が要望しているという。第三者委員会が認定した結果であれば市長も認めざるを得ない。しかし、その責任の示し方については、支援者に説明する機会をもってからと名言していない。そういえば、蔵内議長も県政を前に進める責任があるとのこと。問題視されているのに、この発言。いかにも厚顔鉄面と言うしかない。山中市長については、そもそも学生時代からとかく周囲との軋轢を生む特異な人格だったと語る人もいる。
さてさて、二人の今後はどうなることやら。
政治や議会には、様々な矛盾や対立が生まれては消え、また生まれるといった流れが絶え間ない。本来そこにあるべきは、限りない倫理観と思慮深さであって、それにより街としての前進力がつくのだろうと思う。私欲のための妥協や大衆迎合からは良いものは生まれないし、それは政治とは言えない。
ところが、現実的に多くの議会で、過半数かつ押しの強さで牛耳る政治の実態があることは残念と言うしかない。特に地方政治において議員を先生呼称で呼ぶなかれ!と私が説くのはこうしたことによる。

















