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No.3028 済生会栗橋病院の顛末

2018.09.05

 台風21号の猛威は数日前からメディアが伝えていた通りのものがあったようだ。今後、報道の伝えきれない被害が徐々に明らかになってくると思われるが、雨に加えて風の威力が半端なものではないことが画面から理解できる。今も、時折ビュービューという風音が聞こえる。
 それにしても、備えあれば憂いなしとは言うし、メディアも大災害が続く状況にあって盛んに迅速な対応をと訴えるが、事前の備えとはいったいどこまで可能なのか、何をどうすれば家屋や車といった財産を守れるのか、誰もが感じることではないだろうか。

 さて、掲題の病院移転問題にひとまず結論が出たようだ。
「病院側は、現在の329床のうち304床を加須市に移転し、栗橋には回復期病床50床やサービス付き高齢者住宅、初期救急的外来を設ける再整備案を7月に提示していたが、8月28日にこの実現が困難だとの結論を久喜市に伝えてきた」
というのである。ひと月程度で不可能だとの結論が出る再整備案などどうして提示したのだろうか。しかも、かなり具体的な提案だったにもかかわらず何故? これでは誰しも大いなる疑問が残るのは当然である。存続を期待していた方々の思いはいかばかりかといったところであるが、実は、こうなるであろうことは小生には想定の範囲であった。医療行政とくに病院に関わる内容は行政に加えて政治の力が時に大きな影響をもたらすという、言わば裏事情を知ればこそ考察していたことであり、やはり今回発表された病院側の見解はさもありなんということである。
 加須市の総合病院誘致に対する意欲はかなり以前から強いものがあった。それに比して久喜市の病院行政は、ベッド数という観点から強化されてきた印象があるが、それは合併というものに加えて誘致活動がもたらす部分もあった。
 久喜市はかつて多額の資金提供を条件に幸手総合病院を誘致し、幸手市民の感情を逆なでした経緯がある。誘致話は動かし難い決定という形で幸手市に伝えられた。市民の反対署名運動なども起こり、議会がどれほど紛糾したことか。その後に久喜・菖蒲・栗橋の1市2町の合併により済生会栗橋病院が久喜市の範疇に加わった。人口も増えたが、一気に総合病院が増えた。ところが加須市も人口がほぼ等しい合併はしたが病院行政においては大きく変わるものがなく、なおさら総合病院の設置は悲願に近いものがあった。そして、時の首長は双方ともに県議会議員経験者という点も因果なものとして考えられよう。
 埼玉県には10の地域に区分される医療圏域があって、そのうちのひとつに利根医療圏があり、更にそれは副次医療圏として北と南に分かれる。北は加須、羽生、行田の3市で構成され、南は久喜、蓮田、幸手、白岡、宮代、杉戸の4市2町で構成されている。
 病院行政は基本的に人口割合に対するベッド数を指標とする都道府県の認可制度下にある。埼玉県では、あらかじめ上限ベッド数というものを県が医療圏ごとに示しているが、利根医療圏はそれを数年前から満たす地域となっている。したがって、加須市が300だ400だのベッド数を持つ病院を誘致するのは医療圏の現状からして難しい面があるので、同医療圏からの誘致を構想するのは十分考えられることなのだ。
 そうした状況にあって、そこに政治の力が加わることで大病院移転の話が突如のごとく湧き上がり、住民を含む大論争になるわけだが、最終的に、今回の病院側が久喜市に伝えた内容は、再整備案がおためごかしだったと言っては何だが、表面的なものであったと理解せざるを得ない。幸手総合病院移転の際も当時50億の資金援助をすれば幸手に残るいう存続のニュアンスはあった。しかし、それが形式的なものであり、すでに立派な移転計画書が出来上がっていたことから、議員の多くは忸怩たる思いで質疑応答をしたものだ。病院側にとっても長年の経緯から、当初から100%突き放すような誘致話を展開するのはあまりにも情が無さ過ぎるということなのだろうが、今後まだ話し合いを続けるとは言うものの、久喜市にとって、とくに栗橋地区にとって納得に値する方向には程遠いものと推測する。あの建物財産がいったいどうなるのかが今後の大きな焦点となるのは間違いない。
 こうした行政間にまたがる話は、当該地域における諸々の政治状況の変化、たとえばここ数年の間に行われた選挙結果等も一つの要因になっていると思われるが、それ以上の内容は推測も入るので公に語ることは控えなければならない。
 幸手市議会でも同病院の利用者が多いということで議会のテーマとなっているが、久喜市は9月議会でどのような論議がなされるだろうか。鷲宮栗橋地域から誕生した新市長の最初の正念場になるやもしれぬし、栗橋地区選出の市議の皆さんもどういった動きを見せるか。しかし、同病院の現状について、診察のために出かけたら紹介がないと診察出来ないと言われたとか、医療行為はするものの福祉という精神構造的観点がマイナス気味だといった話をよく耳にする。もっとも、こうした話はあくまでも特定的なものであろう。病院勤務者の方々にとっても移転については個々に複雑な思いがあるだろうが、2021年10月の移転までしっかり地域医療を見守ってもらいたいと強く思う。
 

No.2978 インンフルエンザ流行報告

2018.03.19

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 桜の開花が間近になり、今年のインフルエンザの猛威もようやくかげりが見え始めた。埼玉県のインフルエンザ流行調査は平成11年から始まっているが、そのデータから少し検討してみようと思う。
 昨年11月から始まったインフルエンザの流行は、年が変わって1月15日から21日の本年第3週にピークとなった。そうそう、この調査は1週間単位で行われることとなっている。そして、それは前週の数値29.46人から61.63人と極端な増加を示しており、国が定める流行警報基準値である30人をはるかに超えたのである。いかにすごい数値かがおわかりいただけると思う。
 県内16(県設置13、市設置3)の保健所管内別では、1医療機関(定点)当たりの報告数でトップは草加保健所で85.63人、次に幸手保健所が76.86人、3番目が越谷保健所の72.85人となっている。管内人口でみると草加が約50万人、幸手が約40万人、越谷が約33.5万人で人口割合に順じていると言えるが、実はさいたま市や川口市、それに狭山保健所など管内人口の多い地区と比較すると罹患率はかなり高いことがわかる。こうした状況は軽く考えるべきではなく、感染率も致死率も高い新型ウィルスというのは地球上でこれでもかというほどいつでも人体を目当てに生まれる歴史が繰り返されていることを重く受け止めるべきであろう。鳥インフルは鳥間感染だけで人体感染には至っていないが、そうしたウィルスが登場しないという保証はなく、渡り鳥天国の日本では深刻な問題になる可能性も考えられるのだ。いずれにしても、有り難くないトップスリーということになろうか。
 今年の特徴として県では流行の初期からB型インフルエンザが多かったとしている。確かに罹患された方からはこの点を多く耳にした。こうした微妙な変化も要注意なのだ。それと私の感覚からは小学生の罹患が多く、学校を休む子が例年以上に多かったように感じている。とくに1月は登校班のすべてで全員揃う日が少なかった。ところが、当の小学校では学級閉鎖はなかった。良かったと感じる反面、かなりの数だろうと感じていたので不思議な思いも持った次第。聞けば、学級閉鎖は記録として残るので学校教育関係者にとって歓迎するものではないという。疑うわけではないが、ゼロ歳児から小学生までの年齢に罹患者数が集中する傾向にあることを想うと、インフルエンザが更なる子どもの敵とならないように対応すべきである。それでなくとも少子化が叫ばれている由々しき状態を一層重くすることを指摘しておきたい。

No.2937 先輩に敬意を!

2017.11.07

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 この数日、ほとんど風もない爽やかな秋晴れが続いている。10月がすっかり秋を隠してしまっていたが、月が替わりようやく心地良い秋の風景と空気に満たされる日々である。
ファイル 845-1.jpg 幸手市香日向地区では3日の文化の日に、カレンダー的には遅い感が否めないイベントを地域として初めて開催した。一般に言う敬老会がそれだが、会のタイトルは「先輩ようこそありがとうの会」と称した。
 本年度、2丁目の自治会長をお引き受けしているが、市の敬老会行事が無くなったことや、元気を失いつつある地域の活性化への一助になればとの思いで提唱した。役員会の賛意を受けた後にプロジェクトチームを構成し、計6回にわたり協議を重ねなんとか実施にこぎつけることとなった。その協議の最初がタイトルだった。敬老会はもとより、高齢者、お年寄り、シルバーといった名称を使わないとしたらどういった名称があるだろうかといった感覚から入っていったわけだが、やはり3人寄れば文殊の知恵である。参加いただいた方々かファイル 845-2.jpgら良いネーミングですねとか嬉しいアイデアなどとお褒めにあづかった。15人のプロジェクト会議は時に喧々諤々しつつもそれ自体が功を奏したという実感が持てた。そして、地元に関わる出演者の皆さんのパフォーマンスも素晴らしかった。香日向グリーンエコーの皆さんのコーラス、福祉活動に余念のないおやじバンドよっちゃんず、ボケ役が香日向在住の吉本漫才スバル、そしてプロダンサーMARIEさんによるステージいっぱいに熱く躍動したベリーダンス。実は、このMARIEさんは子供の頃からよく知る私の友人のお嬢さんで、私自身が彼女の成長変貌ぶりに感慨深いものがあった。スバルのボケ役の山本くんも小学生の時分に私たち大人のソフトボールに毎週のように遊びに来ていた子供さんなのだ。やればやるものだ。
ファイル 845-4.jpg 最後は埼玉県推奨幸手産新米「キズナ」を景品にしたビンゴゲームでお楽しみいただき2時間ちょっとの会は大いに盛り上がったと自負的回想をしている。
 こうしたイベントは、参加者は満足感、我々企画実施側は達成感をもてるかどうかということに尽きるとすれば、そのどちらも90%以上のものが得られたのではないかと確信出来る素晴らしい会だった。若干の反省点はあるものの、今はすべての関係者の皆様に感謝しか残っていない。一年交代の自治会役員なので来年度もあるかどうかの保証はないが、出来うるならば数年は継続されることを期待したいものだ。

No.2864 素晴らしい縁にほっこりと

2017.03.15

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 6日の月曜日に入院してすでに10日目になります。直径4センチほどの乳頭種摘出は7日に完了したのですが、その後執刀医曰くほとんど例が無い術後出血に見舞われ、3度目は緊急性の高い処置となりました。結局は13日に再び全身麻酔による出血点の確認とそこを焼くという手術をほどこすことになったのですが、大量出血だったそうでヘモグロビン数値が3レベルに落ちかなりまずい状況になったそうです。
名医と名高い医師(事実素晴らしいと感じるし、周囲もみとめる)が何千回とやってるオペだが、この事態は初めての経験だとまで言ってました。実際立ち会った他の医師は救命救急手術でしたと言われましたから家内の驚きも尋常でなかったみたいです。


 で、その2日後には、ヘモグロビンも7台まて戻り、輸血をせずに3日目を迎えています。最初の術後も血圧が70まで下がり、無意識な中でも医師・看護婦さんたちかベッドの周囲に大勢いたのをうっすらわかっていました。血がいかに大事かということを、今回まさに痛みの中で再認識いたしました。もう、鼻はいじくられたくないというトラウマになりましたが、まだそうもいかないようでタップリ脂肪の付いたまな板のコイはまだまだ続くようです。心臓への負担が心配らしく退院は3日ほど先になりそうです。それにしても5日で2度の全麻手術を受けるなどとは思いもしませんでした。

 ところで嬉しい鼻、ではなく話もあるんですよ。
今週に入って研修生の姿がちらほら見えるようになりました。聞けば4人だそうですが、うちたった1人の男子学生が教師に連れられて私のところへ昨日やってきました。なんでも実習のため3日間の看護補助を私専用でさせて貰いたいというのです。
見ると二人の制服には日本保健医療大学の刺繍が! こんな縁もあるんだと感じながらしばし談笑。柿沼教師にも何度かお会いして名刺交換をしたことを互いに覚えていて、入学式で挨拶したことなど、まさに前号でふれたことが走馬灯のように巡りました。当初、幸手市への誘致に市議として反対派と熾烈な論争を展開したことや、今では幸手高校跡地への事業拡大にも私が関わっていることもご存知の様子で、脇で研修生がわかったように首を振ってました。
この研修生の彼は、故郷が気仙沼ということなので、今日明日と彼との話があれこれ弾めば、私にも彼にも有意義な時となるかもしれません。
実際の病院食はそうはほめられたものではありませんが、 縁は異なもの味なもの。人の絆りにはいろいろな味わいがあるものです。

No.2863 世話になってわかる有難味

2017.03.09

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いたって健康と自認していた私だが、ひょんな事から今週6日の月曜日から大学病院のベッドにいる。ひょんな事とは、鼻をかむと右の鼻がピタっと蓋が閉まった状態になりかめない。そのままにしておくと鼻汁がじわっと漏れてくる。といった症状で町の耳鼻科に出かけたら即大学病院に行きなさいとのこと。これが昨年の秋の頃で初診で3月7日のオペ予約となった次第。
 正式な病名は副鼻腔内乳頭腫というそうで、その摘出を一昨日したわけです。別に脳とか内臓といった分野ではないので気軽に構えていたのですが、鼻や喉の手術は縫合することが出来ないので出血がしばらく続くらしくなんともはや情けない顔付きになってしまいました。

 今回の初体験で感じることとして、医師軍団が異様に若いことと看護士の職務がいかにたいへんかということです。高齢者施設の介護士不足が問われる現状を考えると報酬もしかりだが職務の在り方に我々の想像を遥かに超える激務があるということが理解できる。今さらといわれるかもしれないが、患者はその個性はともかく我が儘だ。不安な気持ちがそうさせる面もあると自分に当てはめてみて言えることだ。

 日本保健医療大学の入学式で訓示を述べる機会があったが、医療福祉における看護士さんの心構え的なことを語っていたこと思い出した。一応的は得ていたとは思うが、患者としてお世話になってわかることの多さは簡単なものではないことをあらためて教えられた。
何度となく呼びブザーを駆使して飛んでくる看護士さんに難癖を言う患者がいることもわかった。おそらく高齢者施設でも同様のことがあると思われるが、患者の心得とか入所者の心得という人間性に拘るものが看護介護の世界に欠かせないことを体験上知らされた。

 ところで私事に戻るが、直径4センチほどの乳白色の腫瘍をはじめいくつかが摘出された。こんな大きなものがと家内が驚いていたが、人体とは精巧緻密で不可思議な物体である。

No.2850-2 白崎ハートクリニックのフォト

2017.01.31

 前号ではオペマシーンのムービーをごらんいただきましたので、付録号としていくつか写真をご紹介したいと思います。撮った点数をすべて掲載できないのが残念ですが、フェイスブックのほうで別途掲載したいと考えています。よろしければどうぞ!

   ファイル 755-1.jpg     ファイル 755-2.jpg
 
 
 上左はエントランスを入った先の受付の全貌。小柄な男性が院長の白崎先生。手前左に誰でも使えるガラス扉のハートルーム。そしてお洒落なトイレが続く。照明のセンスが素晴らしい。
 右は、受付を過ぎてハートルームとは別の待合スペース。 
 
   ファイル 755-3.jpg     ファイル 755-4.jpg
 
 
 上左はスタッフステーション。従事者はナースだけではないというこだわりがこういうネーミングになっている。
 上右はずらっと揃ったサイズ別風船とステント。これはほんの一部だそうである。
 ファイル 755-5.jpg 左は日帰りルームと名付けられている。体調がすぐれない方や術後の2次安静室として活用されている。なんとも言えぬゆったり感に満たされており、至るところに院長イズムが発揮されているクリニックである。
 早い時期に病院になることを願ってやまない。

 ちなみに、画面右側のミニ画像は、手術時に着用する放射線防御コートを着た私。かなり重いが、長いオペでも当然着たままなのだそうだ。助手の看護師用も女性を考慮して軽くなっているということだが、いえいえかなり重かった。

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