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No.2629 政治談議

2015.07.27

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 暑い!
 涼しくて、雨の少なかった梅雨だったと感じていたのですが、梅雨が明けた途端にこの暑さ。なんたること。40度が珍しいことではなくなるのも、時間の問題だと確信します。嫌な確信で申し訳ありません。
 若干、私も関わっている県知事選の長丁場を、この陽気と戦いながら連日声を張り上げている候補者の労を、まずはねぎらいたいと思います。演説は疲れるんですよ。

 今日は、私が代表をしている地元のボランティアクラブで、暑気払いも兼ねての定例会がありました。そこで、久しぶりに政治談議をしました。と言っても、県知事選が話題ではなく、国政の現状について、お仲間の一人が、私に問題提起されたことから始まった政治談議です。
 現政権の国会運営流儀やアメリカ政治の現状、沖縄に対する思いの馳せ方の相違という点で、はからずも思わぬ勉強をさせていただきました。

 お相手は、もともと民間団体で政治活動に携わり、国政に対して水平レベルの価値観を持っておられる方です。単刀直入に切り出すご意見を拝聴し、私なりの考えを述べさせていただくパターンは、私流としてこれまでにも何回となく行ってきたものです。
 聴く耳どころか、聞く耳も持ち得ない民主党や社民、共産の国会質疑は、言葉の言質を得る目的でしかないので、安倍総理も苦慮している様子がわかります。ただ、総理もわかりやすく説明しようとして、複雑な説明になっているといつも感じているのですが、私のレベルでは、言葉に気を遣うほどではなく、逆にはっきりしていると思えば、ストレートに言葉を発することが出来るので、有難いことだと思っています。政治に関心の深い方との政治談議は、大いに有益な「肥やし」になります。

 突然ですが、
 私の集団的自衛権に対する考えは、行使が目的ではなく、抑止が目的だと定義付けしています。 ですから、万が一の際は行使の必要が生じる場合もあるという理論にはなります。従って、それ自体で考えれば、その分のリスクはあるということになります。
 この万が一が、国会答弁では言えないことなのだと思います。相手国を特定した発言はできるはずもないし、リスクを認めれば、上へ下への大騒ぎになること間違いなし。それがために、野党はリスク増加の言質を取りたいのは見え見えだからです。マスコミも手ぐすね引いて耳をそばだてるのです。
 しかしながら、自衛隊のリスクが増すということは、総理もはっきり堂々と答弁していいのではないかと思います。

 中国が攻めて来る可能性は十分考えられる中、黙ってやられるままになっている国家でいいのかというのは、多くの国民が感じていることだと思います。中国の侵略姿勢がはっきりとした形で示されつつある現状を思んぱかるに、これが間違った考え方でしょうか? 平和安全法制が危険な法律なのでしょうか? 日本の平和を守るための平和安全法制ではないのでしょうか?
 この法律の制定が日本の危険度を減らす、つまり中国の侵略を抑止する!という考え方になれない方々は、イデオロギーの相違に近いものがあり、到底その考えが変わるはずもないので、国会質疑が空転するのもさもありなんです。
 国の安全などそっちのけで、政権転覆、政権交代の材料に考えているとしたら、それこそ、国民を無視していると言わざるを得ません。

 民主党の枝野さんの話には驚きました。「憲法違反の法律に対する対案などあるはずがない」ですと。そうではなくて、国を守るためにどうしたらよいかの、民主党なりの対案がないのかということを、安倍総理は言っているのですよ。まさに、中学生レベルでもわかる話のすり替え、詭弁です。無責任極まりなし!です。
 相手を中国に特定したり、はてはテロ国家、テロ組織、海賊に対応できるような国防法案は、民主党には作れないし、その気もないということです。
 この枝野さんの話を聞いて、思い出したことがあります。中国漁船に日本の漁船が体当たりされた事件です。相手の船と船長を拿捕したものの、事情聴取もしないで、中国の求めに応じて船長を送還したのが時の菅政権。仙谷官房長官が自衛隊は暴力装置だと発言した時期でもありました。
 東日本大震災の救難支援に自衛隊の存在がなかったらと思うと・・・。
 沖縄の米軍海兵隊も何度なく救援物資を送り込んだのです。マスコミは、そうした事実をあまり報道の対象にしていません。

 平和安全法制に反対の立場は、安倍自民党は行使が目的で戦争をする、そのために徴兵制を考えている、さらにひどくなると核を保有すると、まるで日本が軍事国家に突き進むがごとくの三段論法でせまる。悪いことに、今のマスコミは、これを煽る役割を演じるメディアが多い。安倍政権の支持率が下がることを願っているかのようです。こうしたメディアは、報道の自由、言論の自由を標榜しながら、実は、報道のモラルから逸脱している傾向が強い。
 リベラル・レッドレフティーは、言論の自由を叫びながら、言葉狩りにはえらくエキセントリックです。敵対者をいともなく攻める言論の自由は、自分たちのみの権利であって、自分たちを対象にするものは許さないといった風潮はマスコミにも見られる偏りです。
 ともあれ、そうした方々は、国を守る防人精神が著しく欠如しているとしか思えません。もしかして、中国の属国になることも辞さないのだろうか?
  
 

No.2624 圏央道埼玉県内最後の区間年内開通!

2015.07.10

 朗報です!
 圏央道埼玉県内で残されていた桶川北本IC~白岡菖蒲ICが、11月末の開通予定と発表されました。3月の幸手地区開通式典で、多くの市民から「いつ頃になるの?まだ一年くらいかかる?」と尋ねられたのは記憶に新しいですね。
 それに対して「国やNEXCOといった事業主体は、ここまで来るのにいろいろあったものですから、具体的な開通予定は示さないんですよ。わたしの予想では年内には開通させると思います。突貫工事の連続で、決してのんびりしてるわけではありませんから」という対応をしていたわけですが、大体そんなところで落ち着くことになりました。

 先日、お伊勢参りの際は、早朝の出発だったもので首都高も混んでないということで、幸手IC~東北道、首都高を抜けるルートを選択しましたが、これから東海・関西方面に向かう時は、八王子JCTから海老名JCTで東名が一般的なルートになるでしょう。
 気分転換で中央道で長野、岐阜を抜けていくのもいいですね。ただ、どちらも車窓風景の点では昼間に走りたいところですが、あくまでも個人的な感覚としては、とくに中央道ルートは夜間はお勧めできません。東名と比べて照明が暗い感じがするもので。

 幸手中央産業団地の契約テナントへの土地明け渡しが、来年4月の予定ですので、企業の設備投資にも一層の弾みがつくといいですね。

No.2619 どちらが言論規制か

2015.06.30

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 百田尚樹氏の発言をきっかけとして、自民党へのマスコミ攻勢が続いている。政治闘争や選挙争点にまで持ち込むかのような事態は、いささか度をこしている。
 まずは、百田さんは民間人ゆえ、その内容を問題視することは言論統制にもつながる。百田さんも、あえて言い訳する必要はない。
 自らが対象になっているからといって、今のマスコミの対応は、いかにもエキセントリック過ぎる。互いがにらみ合いの論争に至った経緯には、偏ったイデオロギーに基づく偏向報道が起因している。そういう意味では、きっかけはマスコミにある。業界をあげて、一人の民間人の言動に感情的になっていることが、そもそも大人げない。安倍総理との付き合いがどうであろうと一般人は、一般人だ。見逃してはならないのが、こうしたマスコミのあり方が、野党、とくに民主党の国会における議論の手助けをしている点だ。

 
 言論と表現の自由を追求するのはマスコミの常であり、それは民主主義の根幹でもあるので納得も合意もできる。しかし、捏造やヤラセまで実行して、書きたいだけ書くスクープ報道の姿勢は、かの珊瑚礁傷付け事件などに見られたように、犯罪に近い行為にまで及んでいる。昨今のマスコミは襟を正すべき点が多いのだ。
 政治報道において、一部を除く今のマスコミは、国益を損なうことがわかっていながら自虐記事を主流としている。それはまるでカルト宗教と見まごうほどだ。とくに、沖縄の2紙はことの他ひどい。
 無料アプリに「コラム」または「社説リーダー」というのがある。大新聞のみならず全国各地の地方新聞の社説とコラムを読むことが可能だ。是非、ニューアプリとしてゲットしていただきたい。琉球新報も沖縄タイムズも、中国の新聞かと思わせる書きぶりだ。

 マスコミは、誤報かどうかの確認をして、事実をなるべく迅速に、詳細に、淡々と、脚色もせず、公平性を欠かさず 報道することが本来のミッションであるはずだ。ところが、朝日の慰安婦捏造記事に端を発した不毛の政治論争は、河野談話、村山談話、南京大虐殺といった中韓との歴史の真相にからみ、引退した議員まで再登場するなど、果てしない闘争に発展している。

 もしも、朝日、東京、毎日といったリベラル新聞が、中国で同じように反国益に資する報道をしようものなら、断罪に処されることだろう。
 ところが、日本は世界に冠たる民主主義国家であり、人権尊重国家であるということを、こうしたマスコミの実情を見るに付け感じるのだが、皮肉なものだ。

No.2618 お伊勢参りにリベンジ&市政報告会 

2015.06.25

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 昨年2月に伊勢神宮参詣ツァーに参加した時の話を。
 あの大雪に見舞われた日でした。途中、経験したことのない渋滞に巻き込まれ旅館到着は日付変更ギリギリの時間帯。
 まずもって、心の準備が不十分であることと、バスを降りるのもままならない状況で、かつ予測推測は勝手にするも、情報のなにもかもがどんどん変更されていくものですから、車内の空気は焦燥感が募るばかり。
 旅館のつれない対応でまともな夕食もとれないまま只風呂に入って寝るだけ。布団にもぐっても寝付けず朝を迎える。
 よーし雪はやんでるぞ!さあ朝食を取っていざ神宮に。
 ところが、積雪が尋常ではなく、ツァー最大の目的である参詣が出来ないとのお達しが出ていて、鳥居の外から宇治橋を見やり、深々とお辞儀をして、40cmはあろうかという雪の中に全員整列で記念写真をカシャ! 
 ですから、伊勢神宮には一歩も踏み入れることは出来なかったのです。地元の方も今までこんな大雪は見たことがないということでしたから、諦めざるを得ませんでした。

 さて、帰路となり・・・伊勢湾フェリーで鳥羽から伊良湖岬へ約1時間。海の上では雪などなんのそのですから船も予定通り。伊良湖からまたバス。前日の陽気が嘘のような温暖快適さを感じたのには、それなりの理があったのです。あれだけ大変な思いをさせられた雪が、ここでは降った形跡がみられないのです。当地の田原市がメロンで有名なわけがこういったところにあるのかと納得しつつ、豊川稲荷を参詣した後、豊橋インターから東名に。
 ところが、そこでまたまた大雪が・・・なんと都心が雪のために交通網が壊滅状態ということで、当然東名もノロノロ。順法闘争(古い?)のような速度で走ってもトイレなどに困るということで、バスは日本平SAでしばしの休憩ということになりました。
 

 さてさて、このしばしの休憩がとんでもないことになっていくのです。解かりやすく言いますと、このSAで計4回の食事を摂る羽目になったのです。総勢40名ほどの参加者の中には、一夜明けたと同時に仕事に穴は空けられないと、SAまでタクシーを呼び、眼下に望める静岡駅へ向かう人も数人。しかし、多くは我慢強くバス再発進を待ちながら、手持ち無沙汰を解消するかのようにバスとSAショップを行き来するなどして、雪隠詰めの重い心を励ましながら過ごしたのです。
 バスの中で眠るにも熟睡は困難、さりとてレストランで眠るのもさして変わらず、身体に異変を感じはじめる人も。従業員の人たちは、私たちのたびたびの往来にも気持ちよく対応してくれました。
 結局「何しに来たんだかねー、まったく」という言葉が顔を見合わせるたびに出てくるようなお伊勢参りとなったのです。一泊二日の旅が出発3日目の夜9時過ぎにパトカーの先導でようあく通行解除となり、幸手着が4日目に入った深夜の2時半。かくして3泊3日の只々疲労感だけが残った旅と相成りました。旅の総時間の8割はバスに缶詰状態というけっして忘却の彼方に記憶は去ってはいかないツァーとなった次第。

 その伊勢神宮参詣ツァーへのリベンジがすでに1年近く前から叫ばれていて、今年に入って早々と前回参加者に日程が知らされました。それが26、27日の一泊二日の再チャレンジ日程、つまり明日からなのです。
 予定を知った時点では現職だったので、おそらく6月下旬は議会のある日ということで、リベンジしたくても出来ないと思っていたのです。まさに26日は議会一般質問の二日目となっていますが、もはやそこにいることが叶わない状況となったことから、前年なにくれとなく参加者の面倒に追われた幹事さんを思って、参加することにしたのです。
 実は、5月にブログに書いたことですが、GWに家内への慰労の思いを込めて、関西の次男坊家庭を訪れ、孫の顔を見て癒されるという旅の最後に、お伊勢様に寄ってきたばかりです。
 私としては、これまでの激動の人生を支えてくれた家内と家族、そして大御神に感謝をしてきたのですが、今回は何を祈願してこようかと思い巡らしているところです。

 
 ところで、27日の土曜日には市議会議員の松田雅代さんの市政報告会が、2時からコミセンで開催されるという予定になっています。私は、お声がけいただいたのですが、そんなわけで伺えません。多くの皆さんに改選されたばかりの議会と行政の実情に耳を傾けて頂ければと思います。松田議員も2期目に当選して最初の報告会です。気合十分で臨んでくれるものと思います。

No.2617 オバマを知らない熱血熟教師

2015.06.24

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 書き連ねてきた知事選は少しの間休筆することとして、今日は今時の話題として、テレビに関することを、感じたままに書いてみたいと思います。

 一昨日の夜、久しぶりにゴールデンタイムのバラエティークイズ番組を見ていた時の話です。ホリエモン=堀江貴文氏が出場することに驚きもしたのですが、それに興味をそそられて画面に見入ったのも確かなことでした。このブログのフォロワーの方々にもご覧になられた方が多いことと思います。
 名うてのオールランド雑学識者を介して、王座に上り詰めるのは誰かという番組で、通算4回目になるということでしたが、前3回はヤクミツルが2回、宇治原○○が1回頂点に立ったようです。

 
 さて、局としては視聴率が最大の優先事ですから、一問終わるたびに堀江氏をクローズアップし、まるで同氏を主役に筋立てされたシナリオ付きクイズ番組といった様相を施していました。
 一問ごとに入れ替わるという順位のアップダウンシステムは運も必要で、必ずしも絶対的な識者が勝利する構成にはなっていないところが、いかにもバラエティーとしてのご愛嬌といったところ。
 堀江氏は、間違ったら圏外離脱の土壇場をクリアして、結局は王座を獲得することとなりました。結果、堀江氏がキングになるように仕組まれているとしか思えない番組構成でした。
 しかも劇的な感じを与えるかのような大団円でジ・エンド。


 ホリエモンを起用したこともそうですが、カメラは常に彼に向けられ、最後は主役に祭り上げてしまうテレビ・・・これで完全に彼もタレント化していくことになるのだろうと感じた次第。社会倫理にはずれた過去があろうとも、テレビ、芸能の世界は、話題かつ視聴率が優先され、かえって貴重な存在として迎えられる傾向にあることは間違いありません。

 ところが、もっと驚いたことがあったのです。
 途中、政治をテーマにした問題のときです。「次の写真の3人が誰かを左から順に答えなさい」というものでしたが、左からオバマ、メルケル、キャメロンの顔が並んでいるのですが、タイムアップ寸前まで、あの優秀な人々から手が上がらないのです。タイムアップ寸前で伝説的数学教師のふれこみで出場していた解答者がボタンを押しました。彼の口から発せられた回答は・・・「ブッシュ」
 えーーー! これでは、おそらくあとの二人もわからなかったでしょうね。 すべての出場者が、いずれも博学を認められている方々ですし、とくに最後の段階に残った方々が、これほど政治感覚、国際感覚がないことに対し、私の頭もグルグル回ってしまいました。

 高名な熱血教師がオバマの顔も知らない現実は、バラエティーのまま終わらせていいとは思えないのです。万が一、ウケ狙いのやらせだったとしたらひどいものです。
 来年から選挙権が18歳に引き下げられることで学校現場はてんやわんやの状況にあります。若い世代に政治への感心を高め、国際感覚を養ってもらわなければならない時代背景が生まれたわけです。
 中学生や高校生に政治や選挙への感心を持ってもらうのに、最も手っ取り早い方法は、進学試験問題に政治を取り上げればいいのです。しからば塾でもそうした講座が必要になってくるはずだと思うのですが、いかがなものでしょうか。

No.2609 郷愁をよぶ恩人の死

2015.06.10

 私が平成15年の幸手市議選に初挑戦した際、ガレージを選挙事務所にしつらえていただいたり、その後もなにくれとなくお力添えいただいたSお父さんが今月2日に亡くなられた。そのせいもあって、なんとなくブログへの意欲が削がれていたようで、ふと急にブログ更新をしないといかん!と思い立った次第。
 実は、私自身も年を重ねたという実感を、選挙戦後にあらためて感じていたのですが、私とともに熱く地域政治を見つめたいただき、後押しをしてくださっている方々も、皆、いろいろな状況において歳をとられたなあと思う。そうは言いながらも、皆さんがこれからも健康で有意義な日々をすごしていただきたいものだと、今回の訃報に接しつくづく感じる。

 さて、告別式で弔辞をお引き受けするにあたり、これまでの12年間が走馬灯のようにめくるめく思い出され、ここ数年涙腺が極端にゆるくなっている私には、Sお父さんとの関わりを思い出すだけで涙があふれてきて仕方がなかった。

 幸手市にあって、最も新しい新興住宅地として大きなコミュニティーを形成していた香日向という地区も、すでに30年近い年月が経過した。小学校は統廃合され、以前にも書いたが最盛期の小学生が650人いたのが、今はわずか37人。東京50㌔圏にある過疎化タウンの見本のような戸建集合住宅地である。幸手に移っては来たものの、どちらかというと幸手市になじむ感覚が乏しい条件、つまり約1,200戸の世帯主の多くは、東鷲宮駅という現在の久喜市に位置するJR駅を利用する勤め人で、幸手市民としての立ち位置が今ひとつ希薄な住民だったといえるでしょう。かくいう私もそういった一人でした。

 そこへ降って湧いたような合併問題が発生し、当時、諸事情によりフリーな状況にあった私に、市議への勧めがあった。15年1月17日のことだった。
「議会が変われば市政が変わる!」というキャッチフレーズだったですね。
 そこから、地場出身者のいない全国寄せ集めの地域仲間たちが、悪戦苦闘して私の選挙戦を戦った。結果は3位の上位当選を果たしたのです。
 それから、先の県議選までの12年間、市内に多くの支援者が形成されていき、こんな自分がと感じながらも政治家冥利につきるという感慨を持たせていただているということです。
 議会も、町田市政の8年間は市長支援議員が常に少数だったこともあって、大荒れの状況が長く続きました。今は昔、でも街のためにの信念でやるだけやったし、その分楽しかったです。
 

 そういった中、先の恩人は議会傍聴やら、私の報告会や集会への参加などの他、地域の子供たちに自前の山車を曳かせてあげたいとの私の提案に、快く応じていただき、連日の真夏の猛暑のさなかの倉庫内作業から、見事な玄人はだしの山車を完成させてくれたのです。
 とにかく、影に日向に私を支えてくださったのです。
 Sお父さん、ありがとうございました。どうぞやすらかに!

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