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No.2686 日本共産党の大変換と改革の主張は・・・

2015.12.25

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 日本共産党が新年明けて4日の通常国会開会式に出席することを表明した。奇しくも、天皇陛下のお誕生日の翌日に志位委員長が大森衆議院議長に伝えたようである。
 
 さて、この志位委員長の語る内容は次のような内容なのだが・・・
「我が党は、これまで日本国憲法の主権在民の原則に逸脱する国会開会式のやり方に2つの問題提起をしてきた。

 第1に、議会は立法権を握る天皇の協賛機関に過ぎなかった戦前の大日本帝国憲法下の開会式の形式をそのまま踏襲していること。

 第2に、以前の開会式での天皇のお言葉には、米国政府や自民党政府の内外政策を賛美あるいは肯定する内容が含まれており、日本国憲法に定める「天皇は国政に関する機能を有しない」に明らかに違反していた。
 しかしその後、開会式での発言には憲法からの逸脱は見られなくなり、儀礼的、形式的な発言が慣例として定着してきた。ただし、まだ開会式の形式が戦前のままを踏襲していることは問題点として指摘しなければならない。
 以上から、ここ三十数年来の発言に憲法上の問題がなくなっていることをふまえ、今後の開会式には出席をすることとするが、形式的な部分について現行憲法の主権在民の原則と精神にふさわしいものとなるよう抜本的改革を強く求めていく。この抜本的改革を実現する上で、開会式に出席することが積極的な対応になると判断した」

 以下インタビューへの志位委員長の発言
ーー開会式に出席した上での改革とは?
「先ほど述べたような状況のもとで欠席姿勢を続けた場合、我が党が天皇制に反対するという立場で欠席するという、いらぬ誤解を招き、憲法の原則と厳格な順守のために提起しているという真意が伝わりにくい。そこで、出席することが改革提起に対する真意だということがよりストレートに伝わるものと考えた」

ーー形式的な改革とは何か?
天皇のために特別に高い玉座が設けられ、そこでお言葉を賜るという形式は、現憲法の主権在民の原則と精神に反するものであって、抜本的改革が必要だということだ」

 そうだったのか! これが国民から負託された国会議員を党議イデオロギーでひとくくりにまとめ、開会式という言わばけじめの儀式を欠席していた理由だったのか。
 うーーん、私にはやはり理解し難い!

 日本共産党は昭和22年以来、68年間もの長きにわたり通常国会開会式を欠席しているということを考えると、なぜ今ここで出席することにしたのか?
 逆に言えば、68年も守り貫いて来た方針を変えるのであるから、まさに天地がひっくり返るほどの大転換のようにも感じる。
 

 今、平和安全法制や原発、沖縄基地問題等々が左翼リベラス思想に付け入る隙を与え、マスコミもそれを後押しするかのような政治情勢の中で、政党選択に行きづまった有権者が共産党の美的主張に賛同する傾向が垣間見える。来年夏の参議院選挙から選挙権が18歳にまで引き下げられることになった。しかも今や衆議院との同時選挙という声もかまびすかしい。その機を逃さんとする方針大転換に感じられなくもないが、そこにはポピュリズム的発想が原点にあるように思えてならない。
 つまり、委員長発言にあるように、共産党は天皇制に反対だと理解している国民が多いのは確かなことだと思うが、そうではないと訴えることは、確かにアピール性が高く、わかりやすい。しかし、どうだろうか・・・真実は選挙戦ありきの路線変更とは言えないだろうか。

 国会議員全員が通常国会開会式に揃うということは、単純に良いことと思いたいが、玉座のこととなるとさすが共産党的だと言わざるを得ない。
 天皇と言う陛下を付けない呼び捨て呼称も相変わらずだが、天皇家は平民にあらず、国の象徴であるからして、高い位置での玉座は当然のこと。
 あらぬ思想に犯されたヤカラから御身を守るためにもそうした扱いは必要だと理解する。
 平和安全法制の委員会審議時を思い出す・・・反対議員の愚行蛮行の暴力現場は、青少年の政治に対する関心を遮断させるほど異常なものであり、本会議場とて何をするか全幅の信頼などおけない議員がいないとは言えない状況なのです。
 考えれば、陛下はたびたび被災地を訪れ、被災者が避難している体育館などで激励のお言葉をかけられます。床に膝まづき、時には正座され、目線を同じくして暖かい笑みを投げかけられているではありませんか。まさに受ける側がそのお姿に神々しさを感じ、元気をいただく瞬間だと思います。
 国会は、国の方向性を議論する神聖かつ公的な場所ですが、反面、政治イデオロギーが渦巻く場所でもあります。その開会式のあり方としての現状に何ら問題があるとは思いません。

 陛下お誕生日に、一般参賀に出向き寒い外気にさらされながら天皇家の安泰を一心に日の丸を振る参賀者に対し、ご一家が手を振られる光景がなによりであります。本会議場とて同様のこととして髙い席で玉座に座られる陛下に疑問を持つことなどないのが、“大方の”かつ“ごく普通の”一般国民であると思う次第です。 

No.2683 市長選投票率

2015.12.13

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 あと数分で日付変更0時となります。関東は一日中湿った陽気となりましたが、気温的には厳しさを感じないぬるい日でした。まもなく冬至だというのになにやらおかしな師走です。

 この日曜日は各地で市長選の投票日となっていました。いつもなら「現職か新人か」「推薦政党はどちらに軍配が上がったか」などが一番の興味ですが、最近の傾向として、誰が勝ったかよりは投票率に注目する傾向にあります。
 そこで、ここ最近の各地市長選の投票率はどうだったか。カッコ内は前回。

◆福井市(福井)・・・・38.83%(23.64)
 現職(自公社民推薦)が元民主衆議院議員(同党推薦なし)を破って3選

◆南九州市(鹿児島)・・69.95% (75.53)
 前市議3人による新人同士の戦い。
 
◆小金井市(東京)・・・41.42% (43.27)
 前都議、大学助教授、前市議2人の4人戦で前都議が勝利

◆池田市(大阪)・・・・44.87% (36.73)
 現職(自公民推薦)、前市議、元市長の3人戦。元職が通算6回目の当選

◆宿毛市(高知)・・・・71.01% (73.00)
 ともに新人。元議長(自公推薦)が元市課長を破る

◆南国市・・・現職無投票3選

◆米沢市・・・58.74% (49.78)
 現職、元県議(自推薦)の戦い、現職4選ならず。

◆阿南市(徳島)・・・52.27% (無投票)
 現職、前市議の戦い、現職4選果たす

◆いなべ市(三重)・・59.93% (無投票)
 現職、小学校長(共推薦)、会社社長の3戦、現職4選果たす

◆常滑市(愛知)・・・・29.19% (48.84)
現職と福祉施設パートの戦い。現職圧勝。

 この1ヶ月だけの市長選だけでもまだまだ多いのだが、ひとまずこういった状況となっている。
 こうした結果をふまえて詳細な分析をすることは、政治離れや政治不信の実態、地域別選挙事情、選挙年齢の引き下げなどとの関連か必要なことだと思う次第。
 

No.2679 定例議会はじまる

2015.12.02

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 少々さえない空模様に気持も湿りがちだが、議会は今が盛り??
 県議会は今日が定例議会の初日。各自治体でも一斉に開会している時期だが、幸手市議会は30日から始まった。
 

 なんと言っても、市長選直後の定例会ゆえ再選なった渡辺市長がどういった所信表明をしたかは興味のあるところ。残念ながらライブ中継を見ることが出来なかったので後で確認してみようと思っている。
 また、それ以上に毎度のことながら、一般質問がどういった状況になるかが最大の焦点と言える。

 それは、首長自身がどれだけ現状を把握しているか、また今後の幸手丸の舵取りをどのように考えているか。なんでも、渡辺市長は通告していない質問には答弁しないと明言しているということなので、そのあたりも2期目に入ったことで真摯な対応に修正して、自らの声をどれだけ発していただけるか注目されるところである。
 また質問をする議員にすれば日々どれほどの研鑽努力をしているかを最もわかりやすく市民に伝えることが出来る場である。しかしながら、冗長で自己満足的な質問や答弁調整ができている芝居がかった質問ではなく、市民がおよそ知らない部分に光を当てたり、真の意味で市民生活に関わる質問を心がけてもらえればなによりと思っている。

 そういった意味では、首長にしても議員にしても自らの能力を生の声で市民に示すことができる花の舞台とも言え、その動静は定例議会にあって最も注目すべき場面とも言える。
 実は、幸手市の一般質問は再質問は一問一答となっており、疑問点を深く切り込むことが可能な制度に変更されている。私の市議時代には再々質問までであったから改革という意味では一段の進歩と言える。

 ところが、県議会ではそうなってはおらず、掘り下げた厳しい質問が出来る状況にはなっていない。委員会審議でも同様だ。県議会の委員会質疑はまとめて1回で、議員間で発言時間のバランスまで求められている。それに対し、幸手市議会では気の済むまで一問一答が可能になっている。
 最も、あらゆる点で県と市町の議会は異質であるから、そこだけを問題として捉えるべきではないが、どちらにしても議会改革が求められる点はまだまだあると言うべきだろう。

 お時間の許す限りネット中継に目を向けていただければと思う。出来れば若い人たちがそうした行動を示してくれたら、どんよりとした政治状況にいささかの光が当てられると思うのだが・・・。 

No.2677 烙印議員と有権者民意

2015.11.28

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 素晴らしい晴れ間が我が家の庭から室内まで暖かい光を届けてくれている。
 テレビもラジオも関東以南の紅葉の便りで賑わいを見せているが、北ではまたまた記録破りの寒波が、大雪と突風で住民を悩ませている。
日本の四季は悲喜こもごもだとつくづく思う。この点では良くも悪くも国土の広さを感じる。
 

 話は変わって・・・実は、数号前の兵庫県議の裁判欠席関連ブログにいくつかのご意見をいただいた。あのような議員を当選に導いた結果は、有権者にも一分の責任はあるという私の主張に賛同が寄せられているのだが、中には、候補者に芝居じみた当選ありきの選挙選を展開されたら、それを見抜けという方が難しいという内容もある。
 その理由としては、すべての候補者の人間的中身を知らされないまま投票日がやってくるのだから、評価基準がどうしても上辺のみにならざるを得ないというのである。

 確かにそういうことも言えるとは思う。
 しかし、ここで別の角度から。今年の統一地方選挙での現実の我が街の選挙について考えてみたいと思う。実際に自分自身が候補者として関わった部分もあるので少し手前味噌なところはあるが、一般論としてお読みいただきたい。

 近頃いろいろな知人と会う度に、幸手市長選挙の結果が話題になる。私との会話だからそれが持ち出されることはわからないではない。また、61票差という激戦が市内のみならず各地の有権者たちにも大きな関心をもたれたことが原因とも理解している。
 そして、一様に口にするのは幸手市の民意の低さに驚くというのである。それは、現職候補の行動の責任感や財政に関しての内容が新聞などで報道されたものの、結局は現職が勝ったことに対する有権者の倫理観に言及したものと理解している。外の人間にすれば問責決議案が可決されるまでに至った事実を新聞紙上で知ることにより重く感じていたようだ。
 そうは言っても、多かれ少なかれどの地方都市にもそうした無条件の選択基準が存在しているのは間違いないし、それを理解している人も少なくはない。しかし、それでも幸手は特別だと言うのだから恐れ入る。

 県東のある街の前回首長選において、管理職会議を遠地で実行したことにより、街に責任者不在の日が生じたことが選挙選の争点になった。結果、将来を嘱望された現職が破れることになったのだが、有権者は現職にきっぱりとダメ押しをしたと理解せざるを得ない。 
 何があっても不思議ではないと言われる選挙だから、そこだけに結果分析を求めるのはいかがなものかとは思うが、影響があったことは否めないようだ。

 それとの比較で考えると、縁故、つながり、しがらみといった候補者審査をハナから必要としない無条件の投票思考が、歴史的に存在しているという幸手市の実態は、近隣自治体に比して特に強いと理解されているようだ。これを負の遺産と言うべきかどうかは難しいが、身内は可愛いという心理を選挙に限ってぬぐうことが必要だと思うが、かなり難しいことだとも理解している。
 だいたい、候補者自体がしがらみにすがり、訴える選挙選を展開しているのだから言わずもがなである。大都市選挙との決定的な違いがそこにある。

 よく聴く話に、幸手市は昔から近代化に向けた行政課題が生じる度に、既得権益に関わる一部住民によりストップがかけられた経緯があるという。一つの例として、東北線(宇都宮線)は幸手市を通過する可能性があったという。詳細は深いものがあったようだが、その時代の政治は、これにどのように関わったのだろうか?
 それにより久喜市とのその後の発展度合いに大きく差がついたことはあきらかなようだ。

 政治と選挙の関係は複雑にリンクしている。中には、今の自分が楽しく生きられる政治を望んでいるという方がいるのも事実だ。がしかし、街を長期ビジョンで成長させたいのは多くの住民の思考であり、それは政治の責任でもあるのだが、選ぶ政治家によっては、それを阻害する要因にもなるということをどれだけの有権者が真剣に理解しているだろうか。

 数万規模の地方都市政治においてイデオロギーは無用だ。地方都市単位で、そこに取り巻く政治と選挙の関係は、30年、50年、100年先の未来像に多大な影響をもたらすということを強く認識すべき時代に入っている。 
 そういう意味において、私たちの1票はとても大事な街の財産だと考えられないだろうか。

 そうした観点から、野々村県議の当選に寄与することとなった投票心理は、選んだ側にも問題があるという意味で、全国の有権者の反面教師になるはずだと指摘したのである。
 選挙制度改革というのは1票の格差を問題視する以上に、社会変化に伴い、低落する投票率と民意レベルの引き上げ対策、並びに議会制度改革を研究すべき時に来ていると感じている。
 ただ、選挙権の18歳引き下げは、時期尚早という意味で私は今だに賛成はしていない。現在のままでは、この法改正が投票率のアップと民意の向上に結びつくとは思えないからだ。
 

No.2672 信念変えることなく進みます!

2015.11.15

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 幸手市長選が終わって早いもので3週間が経過しました。これで4年に一度の統一地方選挙が終わりを告げたことになります。
 自らの選挙からはすでに7ヶ月が経ってはいますが、直後の市議選、真夏の知事選を経て市長選が終わるまで今後の身の振り方をはっきり明言しませんでした。いや出来なかったという方が正しいと思います。しかし、支援者の多くはいったいどうするんだろうと心配してくれた方が多かったように感じています。
 ご心配をおかけしたことに深くお詫びしますとともにご心配をいただいていることに深く感謝するものです。

 まだまだ私のできる限り、地域発展と地方自治の進展のために頑張って行きたい。これが私自身の今後の方向性についての信念であり結論です。
 なにとぞよろしくお願いいたします。

No.2669 大阪W選挙

2015.11.10

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 掲題の選挙選、ともに告示となった後メディアはその行方に触れはすれど、こちら東日本にまで現地の熱は伝わってこない。いや、九州など西日本でもさしたる内容は報道されないし関心も薄いようだ。

 つまり、局地的選挙戦の域を脱していないのだが、そこは天下の?橋下さんがリードして再生したばかりの「おおさか維新の会」が、W選とも制するか否かは興味があるところだ。
 なにしろ5年で衆議院過半数獲得、つまり政権を獲ると宣言しての選挙戦に挑んでいるので、その信憑性や橋本さんの引退宣言を信じていないマスコミは、そこの部分において熱く見守っているという感じである。
  

 私は、そうしたことを尻目に関東地区の維新の党所属議員たちは、今いったいどのような意志をもってこの選挙戦を見つめ、自らの方向性をどう定めているのかに注目している。
 泥沼の裁判にもなりそうな政党交付金の取り扱いをめぐる元身内同士の争いも、上層部ばかりが目立つだけで「おおさか維新の会」に所属予定の19名を除く40名弱の国会議員たちは、それぞれが複雑な思いでいることは容易に想像できる。しかし、今後の方向性を多くは示していない。

 我が地に近い同党の比例選出議員は、聞くところでは早々と離党して無所属に転じているという。国会議員になりたくて自民党を離党し、維新の会に吹いた風で当選し、それに早々と見切りをつけて今後の動向を見定めているということか。
 これが本当であれば、委員会への参加もままならない状況となり、質問は一切できないはずである。この世界ではステージが上がるほど無所属議員の活動の場は狭められていくようである。
 野党再編が叫ばれていることもあり、その実現次第でいち早く名乗りを上げることを目的としての離党という推測もある。なぜなら、新党への参加表明は遅いより早いほうが、その後の党内の位置取りに関係してくるものである。

 
 ところが、その野党再編も思いがけない共産党の働きかけがあって、生活の党と社民党以外はその対応に手をこまねいているというのが実情である。
 もとより、民主党は反対ありきの非建設的国会運営政党として反日リベラルの様相を濃くしており、イデオロギーを除いて共産党と変わらないとの評判が定着しつつあるので、再編のリード役を担ったにしても現実の状況を一変することは難しいと考えるのが妥当なところである。
 私は、民主党こそ解党して右・左の色分けをはっきりさせる方が、国民の理解を得られるのではないかと考えている。
 そうした再編が出来るかどうかだが、個々の信念と私利私欲が重なって簡単なことではないだろう。

 というわけで、この選挙戦はいろいろな角度から興味をもって見つめている。
 

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