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No.2856 何も無い日は無い

2017.02.15

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 今、山中選手の思い出を書き終わったが、ここのところ伝えられるニュースに憂いや怒りの感情がこみ上げることが多い。

 とりとめもなく思い出すほどに書き連ねてみようと思う。
★全国的に火災が多いように思う。それも必ずと言ってよいほど死者がある。糸魚川火災は戦慄が走ったが、栃木県小山市の火災では5名もの人が亡くなった。火の元にはくれぐれもご用心だが、コンセント火災も多いそうだ。一度抜いてホコリを払う手間を惜しまないようにしたいと思う。

★横浜での福島出身の生徒に対するいじめ、教育委員会は何をどう判断して150万円もせびられた事件をいじめではないとしたのか。今になって深々と詫びている委員長をみて、これこそ自ら辞任を表明すべきだと感じた。思考力も判断力も欠如し、事件性を避けたいと考える委員会や委員長の存在など生徒のためになるはずがない。教育委員会とは何のためにあるのかを理解できていないのだろう。

★担任からいじめられたとの遺書を残してわざわざ遠い地へ行って飛び降り自殺をした生徒。こうした事件は実態を調査せずして語る危険性はあるが、飛び下りた本人が担任のいじめを指摘しているのだからいかんともし難い。47歳の教師で校長曰くコミュニケーション能力が不足しているとのこと。社会も人も確実に変化しているのだから採用基準の再構築を進めるべきだ。誰がと言えば、やはり政治主導ということになるのだろうが、文部省の天下り事件もあって、考えさせられることが多すぎる。

★東芝の欠損が半端な数字ではない。アメリカでの原発事業で7100億円強の欠損。2年前の粉飾決算に続いて今回は米関連会社による不正経理が報じられている。コーポレートガバナンスが機能しない体質になってしまったのだろうか。助けようがない状況を伝えるメディアもあるが、日本を支えた企業であることは間違いない。単純な表現でしかないが、へこたれずに頑張ってもらいたいものだ。土光さんが泣いてるぞ!
 ニコンが早期退職を募り、デジカメ新事業を取りやめると発表。業績もかなり下方修正する状況だそうだ。ニコンといえば世界に自負できる日本製品の代表格だったはずだが、いったいどうしたというのか。
 カメラのキムラが全国で129店舗の閉鎖を決めたという。デジカメと家庭内プリントの普及でいずれはと感じるものはあったが、もはやデジタルヤスマホにコミットできない業態は消滅する運命にあるのかもしれない?

★身の毛がよだつ事件。二人の女諜報員により金正男氏が毒殺されたという。2013年に処刑した張成沢伯父と気脈を通じていたからだとする報道もあったが、生かしておいてもさしたる存在ではなかったように思うのだが、余計なことを言わなければよいものを・・・。
 金正恩の性格は凡人には計り知れないものがあるということか。
 007シリーズのボンド映画を思い起こしてしまった。

★3つの領土問題。尖閣の安保範囲内共同会見に中国噛みつく、また竹島は日本の固有の領土に韓国が即時撤回を要求。この二つはさもありなんといったところ。
 だが、ロシアが北方領土の歯舞付近の無人島にロシア軍人の名前で命名したようだ。どうもメドベージェフという人間の狡猾さが際立つ。彼との関係にプーチンが気配りしなければならない政治状況もあるようだ。困ったものだ。

★フリン安全保障担当補佐官が緊急辞任。トランプ政治はあちこちでひび割れが発生する可能性がある。バノンがくせ者だと当初から感じていたが、この人物が幅を利かせてくると日本にとって厳しい日米関係が新たに生じるやもしれない。

★民進党は建設的政党ではないと断言せざるを得ない。私は天皇陛下ご退位の在り方についてはこれまで触れるべきではないと考え、ブログの題材にはしていないが、ここにきて政党別の方針も出始めた。概ね、現陛下一代限りの特例とする案のようだが、民進党はこれに反対するらしい。つまり反対のための反対であり政争の具にするということか。であれば、最も御心を傷めることになるのは天皇陛下であり、天皇家ではないかと思えてならない。
 私が民進党の代表だったら、この問題は静かな議論の中で一つの方向性に従って合わせるよう党内説得などの努力をするだろう。国会が紛糾するようではいけないのだ。そういう意味では自民党の石破氏もこの問題で存在感を示そうとする思考に狂いが生じている。判断力として間違っているとしか思えない。
 民進党は今日の予算委員会の質疑でも例の辻本某をはじめは聞くに堪えない内容がほとんどだった。長島議員だけは骨太の一面を見せていたが、あとは軒並み悲しいくらいの稚拙さだ。大臣の首を獲りたいだけの質疑。獲ったからといって民進党の支持率があがるわけではないだろう。解散をお勧めする。

 

No.2847 直接民主主義の功罪

2017.01.25

 先日、ある市議の集会に参加した。私は冒頭の挨拶でその市議の存在意義を紹介し、その後はほとんど振られることもなかったのでおよそ2時間20分を用した比較的長めの会の意見交換の流れに聞き入っていた。参加者の意見提案要望といった幅広い範囲での話を聴くというものだったが、そこで後述するがある中年女性の訴えがとても印象に残っている。

 昨年秋に、一部市議と市民団体によって幸手橋上駅建設の見直しを要望するという目的で署名運動が実施された。陳情と請願の目的で行われた署名は合わせて8千筆近い署名が集まり議会に請願提出された。しかし、本議会の前段の委員会付託で否決される結果となった。すでに駅舎工事が進み始めていた頃のことである。
 その後その署名運動の主体となった方々により、12月中旬に市内施設で大集会が開催されたそうだが、実際は会場の半分が埋まる程度だったと聞き及ぶ。
 最終的には、現市長のリコールを目的とする市民運動にまで盛り上げたいとの想いもあったと聞く。
 たしかに、それを訴えるかのように何度も手を挙げて今の市長のままだと街はギリギリの状況になると説く他地区からの参加者もいたが、およそ他の参加者が高揚しているようには感じられない空虚な言葉として響くだけだったように思う。タイトなスケジュールでの署名の少なさや、新駅舎に賛同している市民も少なくはないし、諸々の条件環境を冷静に交通整理出来る人材がいなかったのではないかと感じている。署名者のなかには憤懣やるかたなしの方が多いと思うが、こうした皆さんにどういった報告が届けられたのだろうか。

 話は戻るが、この運動に賛同署名したのが先の中年女性である。しかし、女性曰く「市政のムダが省けるものと考えて署名したが結果としてそれが実らずに終わった。こうした反対の声を聞き入れてもらうためにはどうしたらいいのか。結局こういう結果になるのであればもう署名もしたくなくなるほど悲しい気持ちでいっぱいです」という内容だった。政治や議会の深層に立ち入ることのない純粋な市民の思いを代弁する切実な声は泣きたくなるほどの心理を裏側に秘めるものだった。これはよく理解できる。だから市民運動の醸成はけっしてたやすいものではないのだ。
 市民運動や署名運動は功を奏すればいいが、はずれると市民の思いが離散するという負の遺産を残しかねない。そこに間接民主主義に直接民主主義を持ち込む場合の慎重さが求められるし、議員は滅多には市民の結束を求めて少数議会での挽回策を講じるべきではないのだ。

 議会制民主主義は首長と議会の二元制で成り立つ。時にその二局が癒着していたり、そこまでいかないものの過半数を占める側が市民思考と対立する立場にあると市政は紛糾する。しかし、反対があれば賛成もあるのは世の常であるから、一方的に市民運動している側が正しいとは言えない場合もある。
 私が市議8年の間に市民の署名が議会で諮られたのは3度ほどあっただろうか。議員定数削減、病院移転反対、病院誘致賛成などであった。いずれも15,000から28,000という署名が集まった。病院移転反対は権限者が病院だったために市としては手をくだしようのない出来事だった。ご存知のように久喜に移転した厚生連総合病院の1件である。あとの2件は、議会で反対側にあった議員たちが賛成に回る結果をもたらしたが、署名の数の多さに反対を貫くことが困難と判断したものと考えられる。署名が議会を動かした例となった。市民運動とか署名運動はことさらに困難を極めるものだ。

 思うに、イギリスがEU離脱という予想を覆す国民投票の結果をもたらした。当時のキャメロン首相としては、移民問題などでEU内の不安定さに不満が募り始めた国内を軌道修正するために、ある意味自信をもって実施した国民投票であったのだが、直接民主主義に訴えた目論見が目的とは逆の結果をもたらした。
 ところがである。昨日になって離脱には議会承認が必要だとする最高裁の判断がくだされた。原告側の訴えにより政府の敗訴という結果となったのだ。国民投票を最終結果としない結果にイギリス国民は良かれ悪しかれ驚いたことだろう。万が一でも議会で否決されたらイギリスはますます混迷することになるであろう。
 そして、議員の賛否にどちらにしても国民の厳しい目が注がれるのは間違いない。自らをバックアップする有権者に離脱賛否どちらの方が多いかによって採決賛否を選択するとなると、予想を覆して議会では離脱反対の結果がでないとも限らない。事と次第によっては、メイ首相はとんだ貧乏くじをひいたことにもなりかねないのだ。
 日本では憲法改正が現実化すると最後に国民投票が待ち受けているがどうなることやら。

No.2838 新たな年の幕開けに

2017.01.02

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 皆様、開けてはや二日目となりましたが、新年あけましておめでとうございます。年末からの孫どもとの嬉しい喧騒にひたりすぎ、パソコンに向かうこと叶わずが続いてしまい、28日の「和解の力」が2016年度最後のブログになってしまいました。

 あらためまして2017年の年明けにあたりご挨拶申し上げます。
 いつも我がブログにアクセスくださり心から御礼申し上げます。
 3,000回までは絶対に続けてくださいよ!と3年前に亡くなられた支援者の方との約束を守り、ここまでなんとかやってきました。通常の書き込みペースにプラス若干の努力如何でこの2017年内に達成することが可能なところまできました。あくせくせず、淡々と自論持論をしたためてまいりますので今後共よろしくお付き合い賜りますようお願い申し上げます。

 昨年後半から・・・伊勢志摩サミットの後といった感じで私は捉えておりますが、世界異変と言ってもよいほどのことが連鎖的に発生しています。この流れが本年にとってどういった影響をもたらすかは神のみぞ知るところでしょうが、まずは今月20日にせまったトランプ新大統領就任が世界変動の幕開けになるのでしょう。とにかく、興味は尽きないわけですが、日本は世界での立ち位置をしっかり存在付ける政治を期待したいものです。国を守る憲法になっていない与えられた憲法改正に向けて何らかのうねりが起こることを個人的には期待しております。

 さて、昨年書き込みましたブログに私の勝手に呼称している「ギャンブル増加容認法」を、今年のブログ第一声にしたいと考えておりますので、次回ブログにもアクセスくださいますようお願いいたします。
 それでは本年も皆様にとって光り輝く一年になりますことをご祈念いたしまして№2838といたします。
 

No.2828 流行語大賞

2016.12.04

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 今年の流行語大賞に「神ってる」が選ばれた。

 「想定外の」「考えもしなかった」「驚異的」といった意味合いで緒方監督が発したのかどうかは定かでないが、当の広島鈴木誠也選手は緒方監督に自分の知名度を上げてくれて感謝していますとは対応したものの、言葉の本質的な意味では今一つお気に召さないようだ。活躍して当たり前という選手を目指して頑張りたい・・・そんな思いからなんとなく複雑な思いがしているようだ。
 サヨナラ打を放った時、「やっぱり鈴木だー!」「たよりになる鈴木のひと振り!」といった臨場感あふれるアナウンサーの叫び声を出させる選手になりたい・・・それは超一流に登り詰めた証拠でもあり、「神ってる」では微妙に中間選手のように聞こえるということなのだろう。
 でも、本人の意思にかかわらず来年も鈴木選手がここという場面で貢献打を打てば、おそらく「やっぱり神ってる鈴木」というフレーズが飛び交うのではないだろうか。それも単年度一過性の流行語で終わる必要はないし、ユーモアとして受け止めればいいのではないかと思う。

 ところが、とてもユーモアには感じられない言葉がトップテンに選ばれていることに怒りに近い驚きを感じた。
「保育園落ちた、日本死ね」
 これを選ぶ感覚がどうにも釈然としないし悲しい。いったい選考委員はどんな感性を持っているのだろうか。
 数日前、このニュースに接した時、私は思わず「自虐的過ぎてセンスがないなー、世界から笑われるぞ、こんな感覚だと」と思わず吐いた。家内も「ひどいわねー」と呆れて一言。

 この不明ツィッターを国政の場に持ち込んだ民進党の山尾志保里議員が授賞式に現れ独特の笑顔で応じていたが、彼女の背面に「生涯学習 ユーキャン」のディスプレイが立っていた。なんとも皮肉な言葉の組み合わせにしか感じられなかった。
 ユーモアとは、心のゆとりがあってこそ送受信できるもので、くつろぎの感覚を減退させるギスギスした誹謗中傷的言葉は聴く者の心に影を作る。場合によっては言葉の暴力にもなるだろう。日本人が日本死ねと思うこと自体悲しいことだが、万が一日本人が言ったものではないとしたら、これまた悲しいことではないか。
 やらせではないかという疑惑もあったのだから、選考対象にすることそのものに問題があったとは言えないだろうか。

 この流行語大賞では、毎年、政治に関わる言葉が一つ二つ選ばれるが、昨年は「アベ政治を許さない」というものもあった。過激な政権批判が選ばれる裏事情にいったい何があるのかと思ったら、昨年の選考委員に鳥越俊太郎氏がいたという。
 生涯学習を理念とする現代用語の基礎知識自由国民社により、1984年から続くこの言葉のイベントを否定するものではないが、子ども及び青少年教育にふさわしい言葉が選ばれる世の中に戻したいものだ。

 このテーマ、フェイスブックでもかなりの書き込みがあり、著名人のものも見られる。政争の具になった忌み汚い言葉がなぜ年間の代表的ユーモアワードに選ばれるのか、そんな思いがかなり共有されているように思う。

No.2826 学級閉鎖

2016.11.24

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 当たって欲しくない予報が当たってしまった。師走入り前に雪を、それも積雪状態で見るとは思わなかった。さっき庭に出て植栽の雪払いをしたが当然のごとく手がかじかんだ。気温は2~3度というのだから昨日までとは打って変わって心底から寒さを感じる。

 雪は、今日の学童登校時にすでに降っていたが子どもたちはいたって元気だ・・・と言いたいところだが、たしかに通学する子どもたちからはいつも以上に勇気づけられたのだが、小学校では今日から一部学級閉鎖が発令されたという。理由はインフルエンザである。いつも見送る中で3人の姿がなかった。

 例年、予防接種は受けずにいたが今年は数倍もの勢いで蔓延しつつあるとのことで先々週早々とクリニックに出かけた。100%の自己安心にはつながらないが小学校の状況を知り他への移染原因にはならないための布石は整えたとの思いがある。
 学級閉鎖自体が例年より早い気がするし、今日は雪になったが本来、本格的冬はこれからだと思うと先は長い。例年の自分が言うのもなんだが1日でも早い予防接種をされることをおススメします。

No.2821 事件、事故の無い日は無い

2016.11.08

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 ここ数日、史上最低の米大統領選が東京都に変わってトップニュースにランクされる状況となっている。
 当選すれば、神が創造した最も危険な大統領になる可能性が高いとの評判もあるトランプだが、本国では熱狂的な支持者、支持地域があるようだ。
 若いメインキャスターが、トランプ支持に熱い旧炭鉱地域にわざわざ出向いてトランプ支持者たちと接する内容を番組構成のトップにしていた某報道番組には恐れ入った。トランプ当選で安倍政権の外交、防衛、アベノミクスなどの低落につながることを期待しているかのようだ。まさに日々そのような志向での報道ぶりが際立つ局であるから、やむを得ないといったところ。

 それにしても、メディアから聞こえて来るのは、中傷批判の演説合戦ばかりで、政策的な内容がほとんど聞かれないこともあり醜悪な選挙戦というのがまず感想として浮かぶ。日本の選挙では相手候補の批判は禁物と言われるが、これもお国柄の違いなのだろう。
 すでに4,000万票の期日前投票があるというが、長い選挙戦もあと2日で静かになる。あのトランプの姿も言葉も、個人的にはいつまでも見たくはない。

 さて、相変わらずニュースの題材に事欠かない日々だ。JRによる管理系統の欠陥発生から長時間に及ぶダイヤ停止は大騒動となったようだ。配線が何らかの生物に噛み切られたことが原因とも言われるが、今年は猫ブームがもてはやされている反面、動物が起こす事件も少なくない。
 それにしても、テレビが伝える上尾駅の混乱をみて、国鉄組合の春闘順法闘争によるストライキで毎年のように会社にたどり着くのに手間取った昭和時代を思い出した。ストライキ・・・なつかしい言葉でもあり死語に近いか。

 慶大生による交際女性のホーム突き落とし事件。理由は二次会に付き合うかどうかで揉めたということだそうだが、学問のレベルは人間性を高めることとは別というのをまたまた感じた事件だ。酒を飲んで我を忘れたかどうか、人を線路に突き落とすという無分別で切れやすい若者実態には怒り以上に憂いを覚える。
 慶大生はついこの間も女子大生を集団暴行した事件があったばかり。もっとも、この手のハレンチ事件は東大、早大にもあったと記憶しているが嘆かわしいことこの上ない。
 最高学府とはよくいったものだが、最低な学生はどんな社会人に姿を変えるのだろうか。
 

 政治の世界も胸を張れないことばかりだ。またも繰り返す押し合い引っ張り合いの委員会採決拒否、さらに本会議拒否という民進党の暴挙。テレビ向けのプラカード作戦はポピュリズムの極致で最高学府を出た人のやることではない。
 少数派が徹底抗戦すれば、最後は過半数確保の論理から採決を図るのは議会制民主主義の基本ではないか。TPPの議論が足りないとの主張をしていたのは民進党で、そう言いつつTPPに無関係の質疑をする緒方、福島といった議員たちにも問題ありだ。
 たしかに山本農水大臣の発言も問題多いが、それはそれとして不信任決議案を提出する腹積もりがあるなら、議会ルールとして正規な戦略ではあるのだから、視野に入れるとかではなく即刻出せばいいだけの話である。
 さて、富山市議会もまったく・・・これは6日の補選にも関連して後日また書きたいと思っている。

 神宮外苑でのイベント会場での火災事故。
 出品物自体の火災で5歳の男子が死亡するという悲惨な結果となった。純粋な遊び心で入った木製のジャングルジムがまさか燃えるなんて・・・わずか5年の人生にピリオドをうった佐伯健仁くんの痛く、苦しかった最後は想像を絶する。ご両親の辛く、悲しい思いははかり知れない。

 悪意の存在しない事故だと信じたいが、業務上過失致死で立件される可能性が高いとなれば事故ではなく事件として今後取り扱われるのだろう。
 宮代町にある日本工業大学ということで耳がそばだつこととなった出来事だが、何が原因でこうしたことになるかという事前想定が足りなかったのだろうか。いやいや、あのような電球がどれほど熱くなるかということは想定出来るくらいのことは知識としてないはずはない学生たちではなかったのか。
 起こした側、受けた側双方ともに、悔やんでも悔やみきれないとはこうした出来事をいうのだろう。
 心より健仁くんのご冥福をお祈り申し上げます。

 

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