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No.3500 半世紀で変わった学校事情

2021.11.25

 このところ子どもが被害者の事件が多発している。親から虐待を受け死亡に至る事件もそうだが、登下校中の児童の列に車が・・・といった暴走死亡事故も後を絶たずといった感じである。
 そして、兵庫県稲美町では小学生の兄弟が放火によりあまりにも早い死を迎えてしまったが、母親の兄である伯父が犯行を自供している。このところ多いと感じるのは、事件の犯行当事者に親戚身内が関わるものが少なくないということである。可愛いはずの甥っ子になぜ狂気を向けるのか!
 次の日には、愛知県弥富町で中学3年同士の刃傷沙汰があり、刺された男子が死亡するという悲惨な事件が発生した。全国の保護者にとっては驚愕の事件に違いない。事件の真相は明らかにはなっていない。報道は被害者を学校のリーダー的存在だったと称えている。
 この種の校内事件は報道を見る限り、この2年半で3件発生しているし、遡ればいくつかの同類事件が発生している。子ども同士のいさかいがいろいろな形であるということなのだろうが、凶器の刃物を事前に用意して学校に持ってくるという心理の裏にいったい何があるのだろうか。イジメを受けている側が防御のために刃物を隠し持つといったような内容を想像してしまいがちだが、そんな単純なモノサシでは測れない焦燥心理に追い込まれているということには違いない。
 アメリカでも学校内で銃乱射による殺人事件がたびたび起こっている。社会事情も学校事情も日米では異なると思うが、子どもを対象にした無差別殺人と違って、対象を絞った憎悪の感情が引き起こす事件に学校・教育者も保護者もその防止対策の構築は並大抵のことではない。何を考えているかわからないことや、突然人が変わったようになるのも子どもの特徴だ。
 一昨年から議会定例会での一般質問は、ほぼ毎回教育問題を中心に行い、前回はイジメ問題について教育長と議論した。12月定例会では教育問題は通告していないが、誰に関わらず当たり障りのないことを語るしかない難しい分野ではあるので、なかなか解決への道にはならないのは事実である。
 教育は未来の地域及び国の礎を造る根幹であるという考え方が変わることはないが、私たちの子ども時代とは間違いなくいろいろな観点において変質している点が多いように思えてならない。いや、日本の社会自体があらゆる面で刻一刻変化している現実があると言っても大げさではない。
 とここまで書いたところで、テレビが弥富町事件で発行に及んだ児童が「いじめを受けていた」と告白し、学校側は「いじめの実態は把握していない」とするニュースが・・・。
 根底に渦巻く既成概念を持たずにこの事件の今後を注視したいと思う。

 
 お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、今号は3500回目の節目のブログです。平成15年6月以来、よくここまで書き綴ってきたと回顧しながら、数年前に他界されたある支援者の方からいつも楽しみにしているので、3000回目指して頑張って続けてくださいと言われたことが忘れられません。それが3500回になったということですからね。
 月に平均12回として年に約150ブログ。枝さんのブログは長いとよく言われますが、書いているうちにどんどんのめり込む悪い性分をご理解の上、これからも温かい目でアクセスくださいますようお願いいたします。