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No.2793 繰り返す驚愕の未成年事件

2016.08.29

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 どうしてこうなってしまったのだろうか???
 現行、社会を揺るがす事件が起こるたびに政治の責任のように口角泡を飛ばす輩もなくはないが、それは解決への道を探るものではなく政争に近いものを感じてならない。
 まあ、それはさておき今の未成年者が加害、被害両面で悲惨な事件に拘わることが多すぎるとは思われませんか?

 児童虐待、いじめ、猥褻といった類で、時には命まで奪われる陰湿な事件が後を絶たない。
 こうなった原因を大きなくくりで考えれば、「社会の変化」ということになるのだろうが、戦後の復興期を「我慢」という意味を至極単純に受け入れていた子ども時代を経て(いわゆる私たち団塊の世代もギリギリそれに当てはまるわけだが)知性と理性を土台にして勤勉な日本社会に揉まれた世代が、世界に冠たる見事な成熟社会を技術イノベーションとともに築き上げた。


 ところが、それを勤勉を保ちつつ謳歌する期間を通じていくうちに、いつしか豊満社会を迎え、その飽食にどれほど親が身を委ねたかにもより、子どもの幸せはいかにあるべきかという子どもの成長に対する価値観に違いが生じていった。資本主義経済の波に乗り遅れたり、無縁だった人たちは、また別の観点から子育て教育の壁にぶつかったやもしれぬ。
 ともあれ、価値観の違いは、健全な大人へと形成されていく我が子の育て方に若干の差異を生じ、良からぬ軌道へとにはまっていく流れがあったように思えてならない。戦後71年、すでに5世代を有する家系もあるのだ。
 我慢が出来ず、思いやりも持たない自己優先人間が、ことに平成に入ってから増えている?・・・はたして考えすぎだろうか。

 断っておくが、これはあくまでも推測の上での一般論である。世の中千差万別、子どもの世界はひとくくりの論理では語れないことは重々承知している。たとえば、昔はじじばばとの同居で、そのじじばばが準教育者的役割を担ってくれた家庭が多かった。今ではそれも少なくなっている。これも核家族化という社会の変化のひとつとしてあげられる。ネット社会が子どもに与える影響などその最たるものではないか。

 現代の学校は人間性を養える場ではあるが、養う場ではない。言いたいのは、昔は人間教育の領域まで介入してくれた教師もいたが、今はどうだろうかということである。
 小学校までで考えると、大半の子どもは親の背中を見て育つ段階でもあるから、基本は家庭教育が「我慢」と「思い遣り」を中心とした人間教育の主たる戦場であり、幼稚園、小学校は基礎学力プラス集団生活での規律心や社会順応性を身につける場とわりきって考えてもいいのかもしれないと思う。
 もちろん、この二つは並行的に必要なものとは思うが、今の親たちは学校教育に人間教育を委ねることが多いのではないだろうか。お母さんも働きに出ると疲れも積み重なるだろうし・・・子どもと向き合える時間が勉強を求めること以外にどれほど持てているのだろうか。ゲーム社会の進展も子育て受難時代に一役かっている部分もあろうかと思う。

 父親は原則土日以外は子供と接する機会は少ない。職種によってはほとんどない場合もあるだろう。お母さんの存在は重いのだ。我が家も振り返ればそういった家庭のひとつであった。
任せっぱなしとまではいかないが、学校との連絡事はすべて家内が担当し、私は授業参観に出た試しがなかった。出られなかったのだ。

 中学生になると家庭以外に興味が深まる。受験という試練も生じる環境が激変する時代だが、それを乗り切ることへの自覚の有無もしくはレベルによって、努力や精進という人間としての付加価値が本格的につく大人社会への参画準備時代。高校、大学と進むうちにその付加価値の差が就職という段階で人生全般に関わる形に特化する。
ただし、そこですべてが決するのではなく強い意志を発露として、やり直し、再チャレンジへの可能性が日本社会にはある。

 
 親に与えられた豊満生活が身についた子供たちは、当初世代は理性を働かせる力を有していたものの、そこから数世代進む中で、ごくわずかな確率であるとは思いたいが、「我慢」が出来ないどころか価値を共有出来ない対象に対して「キレる」という単純感情動物へと後退している。その身勝手ぶりは、ほどほどを身につけていないことから、陰惨な事件をいとも簡単に現実のものにする。
 最近、未成年同士での殺人事件やいじめによる自殺といった悲劇がたびたび発生する都度、今と異質の昔をアウトプットする人が多いのではないだろうか。

 
 残念なのは、オリンピックの場での選手たちの躍動ぶりと鍛錬の結果のパフォーマンスに感謝と感動をもらったばかりで、青少年にとってのスポーツの位置づけが高まったかのような風潮もあるのに、深夜に遊び呆ける子どもたちによってたかってのリンチを受け、命を落とす子がまたまた・・・。
 怒りと悲しさで身震いがしてならない。

 この号の私見はほんの断片に過ぎない。子育て教育論の本来は、より深い考察が必要であることは言うまでもない。語れば本のひとつやふたつにはなるやもしれないことをご理解の上ご一読いただければと思います。