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N0.2119 各種の集い行事

2011.11.23

 今、4時16分ですが、3時過ぎに目がさめ、なんとはなしにパソコンに向かい、携帯に撮り溜めた写真の整理をしたところです。
 県議になってからいろいろな行事にお招きいただくことが多くなりましたが、ただ参加するだけでなく、その目的とか意義といったものを考察し、その折々で感動感銘を受けたり、知識を得たりということで、いわゆる勉強させてもらってます。その都度、世の中には様々な思いで、いろいろな政り事が行われていることを知ることになります。 
 そうした意味において、味わい深い日々を過ごさせていただいていることに感謝をし、活動への意欲がわいてくるといったところです。

ファイル 56-2.jpg  「埼玉県戦没者慰霊祭」で上田知事が主催者代表の挨拶をされている場面。これより前になりますが、幸手市でも恒例の幸手市慰霊祭がおこなわれました。この関連行事はできる限り出席するようにしていますが、この24日には、県議会有志の一員として靖国神社を参拝することになっています。
 私は、戦争に突き進んだ思考と社会構造によって、国の為に尊い命を奉じた人たちに対し、永遠にねぎらいの思いを報じることに何の異論も持ち得ません。そこに戦犯者が含まれていることは別の次元です。

ファイル 56-3.jpg 浦和文化センターで開催された「埼玉県私学振興大会」です。このセンターは初めて伺いましたが、3階席まである威風堂々の会場でした。しかも9割程度の入りといった感じで、私学振興の熱い息吹が感じられた大会でした。県としても相応の支援はしているところですが、教育の全体バランスという点で考えさせられました。

ファイル 56-4.jpg つい先日県立加須はなさき公園でおこなわれた「第2回食と農林ドリームフェスタ」です。本年度の農業大賞を受賞された飯能市で養鶏業を営んでいるご夫妻が、知事から表彰を受けたあと挨拶をされたのですが、この挨拶は感動ものでした。
 要約すると「この賞の原点には家内の存在があります。あらためて家内に感謝しています。私たちが作る卵を大事にしてくれるお得意様と、地域の皆様の支えでやっていけてる商売ですが、これからもけっして欲張らず、小さく、のんびりと、着実に何百年も続けていけることが私の願いです」寒いのに汗か涙か?を吹きつつ、朴訥と語る口調に農業の原点を見た感じでした。視野に入る人すべてがうなづき、場内拍手の渦が・・・。

No.2117 論語と算盤

2011.11.12

 前号の関連ですが、私が最も言いたかったことは、街のトップを決める選挙で半分以上の人が「結果無関心」という事実に、これでいいのだろうかという問題提起です。どのような基準で投票しているのかという選択事由については、問うてもなかなか解決することではないのでしょうが、少なくとも投票行動は根本的な住民責任もしくは将来構築責任という感覚を重んじるならば、避けてはいけないと思うわけです。
 理想論にすぎるのは分かっているつもりでの話です。

 政治不信は国政がかなり影響していると思いますが、政治がすべての生活者に大きな影響を与えるということは、今話題のTPPからも明らかではないですか! 無関心でいられるはずがないと思うのですが・・・。

 さてさて、前段が長い私の癖が復活したようで申し訳ありません。
 表題について入りましょう。ここ数日、マスコミ掲載度が高いのが、渋沢栄一翁です。私も尊敬する埼玉の偉人で、過去ブログでも数回取り上げておりますが、この偉人は少年期から論語に親しんでいたことで有名な方です。そして、維新後の日本の繁栄の基礎を築き、それは現代にも影響をもたらしているということは今更語ることなかれです。
 その翁の著書に「論語と算盤」があって、その中の一節として最近さきたま抄に紹介された名言が次のものです。

 「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではない」

 まさに名言。昭和末期のバブルや3年前のリーマンショックは、モラル欠如の経済活動に人知が狂った結果だと考えるならば、受けた罰は大きすぎたと言えます。
 仁義道徳という言葉には、深い意味合いを感じますが、この名言中にある「利殖」という文言を、「政治」もしくは「自治」という言葉に置き換えるとどうでしょうか。これも妙に納得させられるフレーズになります。というか当然のこととも理解できます。

 新市長には幸手市の発展のためへのご尽力を心からご期待するものですが、私も幸手市のための県議会議員としてしっかり努めてまいりたいと思います。前市政との実体はけっこう喧々諤々の場面もあり、持論はしっかり主張するという、是々非々対応で臨んできましたので、今後も同様の姿勢で対応させていただこうと思っております。
 ともに幸手のために・・・これしかありませんからね。

 なお、渋沢翁に関し大好きな書として城山三郎の「雄気堂々」があります。上下巻もので文庫通販でそれぞれ660円だったかと思います。11月11日が翁の命日で、死去80年だということですが、この機にぜひ読まれて見てはいかがでしょうか。私は27歳の時に出会い、間違い無く勇気と雄気をもらいました。

No.2116 投票感覚に将来を憂う

2011.11.09

 かなり冷え込みが厳しくなりました。昨日は、東秩父村を中心に地すべり崩落とその修復現場、それと県と県内企業が進める森づくり事業の実体を視察する業務で出かけてまいりました。同じ埼玉県なのに同村を訪れた記憶がなかったのですが、定峰峠がある地といえば、皆さんも察しがつくのではないでしょうか。峠の向こうは秩父市というひっそりとしたたたずまいの県内唯一の村です。
 冬の訪れを感じさせる山里風景には、気持ちがなごませられました。県産木材のぬくもりに包まれながら、和らいだ雰囲気で学校生活をおくっている東秩父村立東小学校で、活発に挨拶してくれる児童たちに元気をもらいました。 
 さて、表題ですが、戦後65年の時の流れは、日本人の日本人たる根本を徐々に侵食し、生活意識も人間の価値観も、そして政治の本質、道義もすべて形を変えつつあるように思えてなりません。大袈裟に思えるかもしれませんが、こうした国家観、日本人観を問う論説は最近少なくありません。そのどれもが、概ね日本と云う国の将来を憂う内容ですが、いずれにしても世代交代が繰り返されるうちに倫理、道徳、常識、伝統、慣わし、文化といったあらゆる事象で間違いなく日本は変化しています。
 変えてはならないものが変わる状況に日本があるとしたら、それはいったい何が原因なのでしょうか。教育でしょうか・・・では教育の原点が家庭環境もしくは家族感にあるとしたら、一部新世代のそれはいったいどのように評価したらよいのでしょうか。考えても考えても日本の未来が心配? 国政だけの責任には出来ないものが沢山あると思えてならない今日この頃です。

 えっ? 今回のブログは何が言いたいのかよくわからないですって? そうなんです、自分でも言いたいことが上手に書けないんです。これまではあまりなかったことです。
 すみません。

No.2114 自らの力不足を知る

2011.10.31

 少し前に帰宅しました。なんとはなしにパソコンを開いたものの、疲れているというよりは、頭の整理がついていないので、書き込みが思うにまかせないというのが正直なところです。
 昨日のアクセスが急増しているので驚きましたが、日が変わってもその傾向があるようです。いつもながらありがとうございます。

 私が何を思い、どんなことを書くか・・・ただ今は、表題の通りです。頭の整理をしっかりつけてから今回のことを振り返ってみたいと思います。

No.2100 浮きウキフェスタ23

2011.09.10

 暑い土曜日でした。八代小学校の運動会にお招きいただき、挨拶の最中に汗たらたらどころかダラダラ。入場行進を終えたばかりの子どもたちも既に汗だく。その後は・・・やたらと蒸し暑さを体感した1日でした。今もまだ。

 さて、一昨年、昨年と権現堂第一公園で開催された「浮きウキフェスタ23」が今年も開催されます。権現堂調整池(行幸湖)の水辺環境の整備、自然再生をめざして幸手市と栗橋地区の皆さんが汗を流して下さっている運動です。
 地道な長い道のりを必要とする運動ですが、チャレンジなくしてその可能性すら有り得ないわけですから、この上なく貴重な市民活動と言えます。
 よろしければ、是非行ってみてください。そして、実際の運動にふれてご理解いただければなによりです。

 そういえば、権現堂公園調整池は、雨水貯留施設として大洪水対策に生かされている池ですが、先の大震災で護岸の一部に損壊が発生しました。
 これは当然のこととして、貯留能力を大きく低下させる原因となります。そうしたことから、早期改修が望まれておりましたが、最終的に災害指定として認定され、国の補助金等で改修工事が実施されることになりました。

No.2085 埼玉県知事選挙に想う

2011.08.01

 暑くて長い知事選が終わった。
 言わずもがなの戦前予測通りの結果であった。しかし、中身は前回の知事選と少し異なるものだ。数値も意義も。
 ここで、それらを振り返ってみると・・・。

◆投票率は、前回より約3ポイントも低い24.89%だった。
◆この投票率は、知事選における全国ワースト1となった。
◆しかし、上田知事の得票数は前回より約10万票増加した。
◆次点候補との差は、約102万票もの開きとなった。
◆共産党推薦推薦の得票数は、前回は約39万票あったが今回は17万票だった。
◆つまり、次点との差は前回より30万票開いた結果、上田知事が得た得票率は 84%超という驚異的な指数を示した。

 県議選はもとより、幸手をはじめとする統一地方選の市議選の全般において共産党の置かれた状況は厳しいものがうかがえる。ほぼ16年におよぶ日本の経済停滞にあって、その時折の問題に対して、いわゆる現状無視の「綺麗事」に終始する同党のあり方が問われていると街の声から感じる。

 それよりなにより、こうした事前予測が10割近い確立の元で実施される必要性があるのだろうか? その係る経費の観点から、形を変えた信任制度的なものに衣替えすることはできないのだろうか? と思えてならない。
 短期間ではあるものの、選挙で潤う業界もあるとは思うが、多いなる無駄と感じる向きも少なくない。
 ともあれ、上田知事はソフトな人柄の中、強い意思と指導力を兼ね備えた、今や日本にとって欠かせない政治家だと私は思う。まさに市民派知事であり、国家的政治家だということになる。バックボーンの根本が民主党であるという思考は、県議会にあっては意味を為さず、おそらく本人自身、しがらみは抜けきれなくとも、超党派知事になりきっているのではないだろうか。

 次回は、幸手の知事選分析をしてみたい。

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