教育の未来というコラムの書き込みは久しぶりです。
SNSで投稿された栃木県真岡市の高校で起った暴力事件は、拡散された結果、当然のように大問題になっています。トイレで行われた暴力は、パンチ、頭蹴り、パンチの3連発が力づくでふるわれた陰湿な暴力です。しかも、「はじめ!」とかいう声がかかってから行われていますが、事実は一方的なもので、加害者は怒っているというより楽しんでいるように見えます。その他にも同校での暴力動画があり、それは体格の違いがあきらかでほぼ一撃のパンチで被害者は倒れています。
不思議なのは、これが撮影されていたことと、ネットに流されたことです。
すると、これに続く形で大分県の中学校でのいじめ暴力が動画投稿されていたようです。これを確認することは出来ていませんが、双方の教育委員会はすでに謝罪をしています。
この動画を問題視して、自然の流れのように批判の投稿が散見されることになりましたが、批判そのものが誹謗中傷として訴訟の対象だという見解が見られるのはいかがなものかと感じます。確かに陰湿なものは逆批判があってもしかるべきかもしれませんが、こうした場合、誰が訴訟を起こすというのでしょうか。加害者の親ですか、それとも教育委員会ですか。そんな思いがしてなりません。
不登校が増え続ける現状に悲しい想いが抜けず、その原因をあれこれ考える中、箱根駅伝での黒田朝日くんを始めとする選手たちの走る姿に感動させてもらったこととのギャップがどうにも埋められずにいます。「人の心や身体の痛みを理解できない若者を増やさないための防止対策」は幼稚園に入る前の家庭教育、家庭環境に原点があると思います。つまり、私が常に思うところは、家庭教育における幼児期のしつけが人間教育の大前提時期として欠かせないということです。人の心や身体の痛みをどうしたら理解させることが出来るのか! 難しい問題です。
その後の在り方としては明るい家庭環境も大切でしょうし、子は親の背中を見て育つということも欠かせない格言だと思っています。

















