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No.3479 垂直避難の重要性

2021.10.22

 前号に関連することとして、台風19号の時の我が家のことを・・・。
 私は、スマホやテレビの情報取得に集中し、日付が変わってもまんじりともしない夜を迎えていましたが、その前に一般的には1階においてある家庭が多いと思われる大事な紙類を2階に運び、10月13日午前2時半の避難勧告発令に対し夫婦二人2階に上がりました。それでも足りなければ最後は押し入れの上の段に上がるつもりでした。濁流が押し寄せても首以上がつかることはないだろうと覚悟していました。顔さえ水につからなければ何とかなると。しかし、家が流されたり、真冬の場合には叶わない話なのは理解しているつもりです。スマホで河川の水位情報をライブ確認する方法は知っていましたので、とにかくそれとのにらみ合いでした。
 しかし、決壊を逃れた瞬間、八ッ場ダムが救ってくれたのかもしれないと心底感じました。

 ところで、私は3年前に防災士の資格を東京で受講しましたが、2日間の取得講習は、初日は数人の講師の話を聴講し、午後はグループ討議、2日目は地域の消防署などで行うものより少々濃いAEDの取扱実習、午後は前もって渡されていた講習本から出される試験を行い、その結果を受けて受講終了となり、ほぼ全員が日本赤十字社による防災士資格を受領出来るのです。
 こういった講習内容から言えることは、防災士資格を取得したことで防災の専門家などとはとても言えるものではないということです。それは自衛隊、消防隊員、警察署員など、まさに防災専門知識を持ち、時には命を張った場面で住民の為に活躍するという実体験を持つ方々に失礼な話なのです。
 災害時に避難から避難所生活等々に及んだ場合の一定期間、何やかや避難者をお世話するなどといった程度のことは出来るでしょう。とすれば、心ある人なら誰でも出来るようなものです。ただ、資格を持つと組織にあてはめやすいということは言えるかなと感じる程度です。専門家などと胸は張れません。
 資格とはどんなものでも同じですが、取得しただけではその資格による専門的な行為言動が出来るわけではありません。学んだことは生かされることもあるでしょうが、それもインプットされたものがアウトプットされていないことが条件になるのは言うまでもありません。AED講習など、過去に3回ほど受けましたが、完全に覚えているかというと100%の自信はありません。ただ、いざという場面で使えるという感覚的なものは残っていますが、それは使用にあたって守るべき対処法が最低限記憶から離れていないつもりですから。
私は、これまでに「きずな」や報告会でのパワポによる防災関連の説明をしていますが、皆さんに正しく伝えたいという想いと同時に、私自身の記憶が薄れないようにということも考えてのことです。洪水災害時の基本は、いち早く遠地に避難するのがベストでしょうが、少しでもタイミングを間違えば外に出るのは危険です。その時に取るべき対応として大切なことは防災士講習で学び、台風19号で実践した「垂直避難」だと確信しています。 

No.3478 三ツ林候補と埼玉東部洪水対策

2021.10.22

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 三ツ林ひろみ候補の演説を聴いて、間違いなく訴えるものを感じます。何度聞いてもというか聴くたびに心の鼓動が高まります。
 それは、一昨年の10月12日、台風19号に襲われた話です。各地で未曽有の被害が出ました。多くの地で決壊した河川を映す光景は目に焼き付いています。利根川も決壊寸前まで水位が上がり、流域県ではすべてで避難勧告が発令され、その結果として各所でいろいろな問題が発生しました。
 しかし、この時に翌年の4月1日に運用開始が予定されていた群馬県の八ッ場ダムに7月から試験湛水が行われていたのです。このダムの効果効能は利水と治水両面を持っているわけですが、洪水調節容量としては65,000,000㎥という水量を確保しています。通例で言われる表現にすると東京ドーム52個分となります。ここに群馬県上流部で降った雨が集まり、利根川に流れ込むのを防いだわけです。埼玉東部地区の各市町の内水氾濫は頻繁に発生しますが、大河川の決壊は想像を絶する被害をもたらすでしょう。昭和22年のカスリン台風を考えれば、被害は当時の数倍にも及ぶはずです。
 更に埼玉東部中域には世界に誇れる首都圏外郭放水路という巨大な地下建造物が、あふれる水を地下に落とし、タイミングを見計らいながら江戸川に放流する施設があります。つまり、こと埼玉東部地区に限っての利根川流域では、上で止め、下で落水放出するという理想的な広域洪水対策が出来ているのです。
 今後、雨量次第では絶対に決壊しないとは言い切れませんが、少なくとも未曽有の被害を防いだ実績が作られたのは三ツ林候補が言われる通りです。三ツ林候補は、利根川および江戸川の右岸堤防強化も欠かせない災害対策としてこの9年間訴え続け、自らの活動対象としてきました。実際に以前とは見違える堤防となり、今でもこの工事は継続延伸しています。これらの防災対策事業への働きかけは国会議員になってからイの一番に尽力されてきたのです。

 平成23年当時、政権を担った民主党は「コンクリートから人へ」というキャッチを掲げ、年金問題も工作して圧倒的な民意を得ました。しかし、福島原発対策をはじめとする東日本大地震対策で民意が離れ、他にもおかしな施策の連続で3年半で政権交代を国民が求めました。当時の前原国土交通大臣が八ッ場ダムの工事中止を発表した時の記者会見は今でも忘れません。民主党政権では、ここ関東においてまかり間違えば首都圏東京にまで及ぶ大惨事を生んでいたのです。
 その後、県議会において自民党県議団は現地視察を行うと同時に上田知事に工事再開を訴え、一般質問でも多くの議員がこれを質しました。埼玉県にとっては利水の観点からも譲れない大工事だったのです。その後、自民党政権が復活して工事再開となり、最終的に民主党政権時前も含めた含めた建設費総額はおよそ5,320億円が投じられ、その完成直前に埼玉東部のみならず東京をも守ったのです。ちなみに、首都圏外郭放水路の建設費は約2300億円です。ここには今でも海外からの視察研修団が訪れるということです。この建設に三ツ林候補の尊父三ツ林弥太郎翁が多大なる貢献をされたことは歴史的な事業とともに語り継がれることでしょう。