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No.3145 猛暑お見舞い申し上げます!

2019.08.01

 梅雨明けと同時に全国的な猛酷暑に見舞われています。9月議会招集案内が届き、一般質問の準備など議会対策にもネジを巻く頃合いとなりました。それにしても暑い‼ 長梅雨のせいで、ひと月半ほどをしのげば風情豊かな秋を迎えることが出来ると暗示をかけるがごとく言い聞かせるようにしているものの、暑いものは暑い。しばらくは35℃を超える日々に忍耐が必要になります.
というわけで、まずもって

  猛暑お見舞い申し上げます!

 昨31日は議員研修会が蓮田でありました。テーマは議員と政治倫理のかかわりで、問題となった実例やセクハラ・パワハラの現代事情に趣きを置いた講師の説明はなかなか聞きごたえのあるものでした。ただ、議長という肩書に執着したり、女性への欲望を抑えきれない例など、よろしくない人間性を示す議員が多いという現実に驚かされます。根本的に議員は偉いという不遜な単純精神に覆われる人間が多いのが一因にあると思います。謙虚・誠実・真摯などといった大人の社会における人間性の基本を示すワードは多々ありますが、相手方にそのワードが欠如する状況があった時、こちらも感情が高ぶる場面が無くはありませんが、こうしたことは滅多にはありません。後悔しないためには、常に冷静に対応することだと確信しています。ところが、世の中には反面教師が沢山いることも事実です。そういうタイプが議員にチャレンジして、隠れ人柄を出す例が少なくないのでしょう。騙される有権者が責められることではないのかもしれません。
 明日2日は、福島県に健康維持意欲を高める目的の老人施設があるというので、日帰り視察に出かけます。

No.3139 人それぞれの常識

2019.07.16

 長い梅雨もここまでとなると陽射しより日照りが恋しくなりませんか。大きくなりたくて仕方がない農産物たちも皆、同じ思いでいることでしょう。
 前号の悲嘆から1週間が経ちました。選挙のさなかでもあり、そうも言ってられないのですが、気持がどうにも晴れることなく沈みがちといった日常です。
 ここ数日、何人かの方からある事で連絡があります。
 ある議員さんが地域で配布したチラシで、私の名前が八が抜けて枝久保喜郎になってるというのです。小生の家では配布されてないと伝えると持参してくれた方もいて、それを見ると確かに修正されずそのまま配布したようです。別の方が言うには、修正の紙が貼られていたとも。3週間ほど前のことのようです。
 小生の名前は文字が6文字もあるせいか、配達される郵便物には間違いは時折あります。多いのは、喜八、喜一郎、枝窪、江田久保などですが、八抜け間違いは初めてです。最近いただいたある事に関するお礼のハガキには、立派な筆文字で大きく枝久保喜八と書かれていました。筆を使う気持ちは十分理解できますが、いただいた有難みは半減するのは仕方のないことです。
 名前を間違われるのは誰しも気分のよいことではないはずです。ましてや、今回のチラシは諸々の流れや状況を考察する限りあってはいけないことであり、失礼千万なことです。小生に配布しなければわからないとでも思ったのでしょうか。ある方曰く「少なくとも、そのまま配るならお詫び方々連絡してくるべきですが、なにか連絡あったんですか」と。「いえ、ありません、顔を合わせる機会はありましたけど」 更にその方曰く「いやー枝久保さんの家に来るべきですよ。こういう間違いはけっして小さなことではありませんよ。まして枝久保さんには恩義もあるし、先輩なんですから。そう思いません」
 確かにそれが常識なのでしょうが、常識というのは人それぞれだということをまたまた実感した次第です。前にも書いた通り、誹謗、中傷、裏切り、寝返り、ねたみ、怨恨・・・政治の世界は大なり小なりいろいろあります。意図的とまでは考えませんが、いったいどういった心情なのやら。
 選挙戦では小生の出馬に関連して批判をして歩いていたという情報も耳にしていますが、政治的いきさつからして、そんな人間関係ではなかったはずなんですがね。
 亡き人を慈しむ心境とは異なる悲しさを感じさせる情報でした。

No.3138 恩人の訃報に茫然

2019.07.10

 前号は地域ボランティア活動との関連で、心無いゴミ捨て行為についてお届けしました。発信したのは6日の8:14、実は、それは書き始めた時間で、書き終わって投稿ボタンをクリックしたのはゆうに9時を回っていました。
 それから数時間後・・・・・香日向ボランティアクラブ、さらに高齢者の集いであるゆうゆうクラブ等の事務局長として、欠かすことの出来ないSKさんの急逝が伝えられたのです。それ以上に、私を常に温かく、静かに黙々と後方支援していただいた恩人でもあり、まさか!!!そんなの嘘でしょ! しばし茫然とした状況から抜け出すことが出来ませんでした。 
 選挙後まもない4月下旬に体調異変を感じたという話だったのですが、それから2ヵ月ちょっとで人生を閉じることになってしまったのです。あまりにも突然過ぎます。ご家族の慟哭を察するにあまりありますし、人の命のはかなさを痛切に感ずるSKさんの訃報。
 平成19年の2度目の市議選以来、県議選、そして今年の市議選と毎回毎回、車に関連したお手伝いで心強いバックアップをしてくれた方でした。とくに2度目の県議選ではご自分の車を駆って、活動の立て込む私の送迎に幸手と杉戸を全日運転しつづけてくれたことを忘れません。この4月の市議選では、お孫さんが来たいというのを「選挙があるから相手出来ないよ」と言って日を変えさせたと息子さんから伺いました。実直、温厚、かつ裏方として万能世話人といった人柄で、自己犠牲をいとわないなど、私が学んだ人間観は数多いSKさん。うなずける息子さんの話です。
 私自身の慟哭感も抜けきらないまま、昨日今日と葬儀告別の儀が執り行われました。弔辞の大役をとのことで、まさに八面六臂の活躍をされたSKさんを偲んでお引き受けすることにしましたが、最後の言葉をどうするかで迷いました。結局、「ありがとうございました どうぞやすらかに」で〆ました。
 あまりにも突然のSKさんの死が、今後の地域活動に及ぼす影響は計り知れませんが、天国で見つめるSKさんが顔をしかめないよう頑張らなければと心したところです。

No.3137 小さな奉仕と心無い悪行

2019.07.06

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 自然は人が築いてきた長い培いをあざ笑うかのように崩壊する。大げさではなく昨今の気候がもたらす災害に想いが募ります。総雨量1000ミリなどこれまでに聞いたことのない数値です。また、通年30℃の温暖地のはずのメキシコでは2mもの雹が降り積もり、その光景はとても信じられないものでした。
 気ままな天候に風邪を患う方が多いと聞きます。ご自愛専一にとしか言いようがありません。私事で恐縮ですが、近々6年ぶりの人間ドックを受けることにしました。若干、結果に不安がありますが、受けずにいる不安は家族も巻き込みますので気持ちは前向きではあります。話の展開が少し早いことをご了承ください。

ファイル 1046-1.jpg 昨日のことになりますが、写真をご覧ください。
 平成18年5月のバス開通をきっかけとして立ち上がった香日向ボランティアクラブでは、毎朝のスクールガードを主体に活動していますが、月に一度の活動行事として中央通り周辺の清掃活動をしています。特殊な事情で、大中落としの香日向地区のみに流れの上にネットがかけられ、もう25年ほどになります。このネットの上のゴミを拾うのは大変なんですが最近はそうした行為が減ってきたと感じていたのです・・・が、ご覧の通りです。

ファイル 1046-2.jpg 3日位前まではタバコの空箱は一つでした。それが、昨日は2個に。しかも銘柄が同じものです。
 若い時はそうでもありませんでしたが、最近は身体も硬くなり積極的にネット上のゴミを拾う意欲が出ませんし、ついこの間はネット上に蛇がいるのを子どもたちが見つけたこともあって、どうにも気が進みません。ちょっとした工夫で取り除くのはさして難しいことではありませんが、それ以前の問題として、何の懸念もなくゴミを投げ捨てる心情が悲しいではありませんか。しかも、同じ場所に、同じ種のゴミがと思うと、同じ人の仕業にも感じられ、悲しさ以上に憤りすら覚えます。
 国道の特定個所に袋ごとゴミを放り捨てるドライバーが後を絶ちませんが、こうした心無い行為は、スポーツイベントなどでゴミを後片付けする行為が、世界の高い評価を受ける日本人とは違う人間像があることを意味しています。
 森羅万象、何事も千差万別ということなんでしょうかね。
 

ボランティア行為は自慢すべきものではでないことは重々承知していますが、犬の糞の放置行為など、心無い悪行につながる人が地元近隣にいると思うと、なんとなく小さな奉仕がふみにじられているようで残念でなりません。
 子どもたちにはしっかり見届けてもらい、心無い行為に対する判断をしてもらうようにしていますが、気持ちは明るくありません。

No.3135 鯨食文化衰退の中で

2019.07.02

 昨年12月に国際捕鯨委員会からの脱退を表明した日本。この6月30日をもって脱退が実現することとなり、翌日から早速商業捕鯨が開始されました。これが31年ぶりのことだそうですが、過去、この商業捕鯨に携わった人たちの画面から感じる感慨深い表情と言葉には理解出来るものがありました。
 しかし、一方でいかがなものかという疑問も拭えないのです。それは、動物愛護的観点でのものではなく、すでに日本ではクジラを食す、いわゆる鯨食文化が過去のものになりつつあるように感じるからです。
 私が小学生の頃、クジラは食卓に結構な頻度で出されていました。安かったという印象もあります。とくに、煮凝り付きの缶詰の出番はかなりのものがありました。中学生の頃は、部活が終わると正門近くにあった肉屋さんで鯨かつをしょっちゅう買い食いしました。トンカツよりメンチより安かったからです。たしか20円だったと記憶しています。その後はとんと鯨を積極的に、好んで食した覚えはないのですが、社会人になって五反田にある料理やさんで口にしたクジラがあまりにも美味だったことから、あらためてクジラがメニューや売り場にあると口にする機会が多かったですね。その時食した鯨肉は「尾の身」という部位だったのですが、とろけるような味わいは今でも忘れることのない食の記憶です。
 そういったわけですので、買い物に付き合うたびに鯨肉を見つけると立ち止まる私なのですが、とてもとてもカゴに入れるまでには至りません。今や高級食材と化した鯨肉とは無縁になりつつあるのが国内の実態ではないかと思います。ところが、後述しますが土地柄によっては事情が異なります。
ファイル 1044-1.jpg 調査捕鯨から商業捕鯨への回帰転換で捕鯨基地の皆さんは喜んでいることでしょうが、実は消費物流的にはそれにとどまると思われるのが、今回の商業捕鯨だと小生は感じています。下関、釧路、網走、八戸、石巻、南房総、太地の7カ所が操業基地として想定されていますが、捕獲したクジラの多くはこれらの周辺地で消費されるものと推測されます。ファイル 1044-2.jpg
事実、数年前に紀伊半島を旅した際、新宮、勝浦といった南岸都市のスーパーや飲食店でクジラやイルカを主体に営業している実態を目にしました。写真は那智勝浦港近くでのものですが、現地でもいかに高いかということと関東との文化の違いがおわかりいただけるかと思います。また、それ以外の理由としても、海洋資源の中でもトップクラスの高級化ということに加え、捕獲頭数の設定としては、前年の実績よりも少ないのが実態だということ、さらにはEEZ経済的排他水域内を海域とし、南氷洋での操業は認めていないこと。そして、なんといっても、鯨食文化の衰退という現象は拭えないはずです。若い人たちにはなじみのない食材であり、高くて手の出ない食材だと思われます。
ファイル 1044-3.jpg もっとも、それはそれで当地名産として観光資源になり得る可能性も考えれば、あながち今回の選択が間違ったものではないかもしれませんが、日本が国際機関から脱退した例がほとんどないことや資源保護の観点から、世界各国の批判を受けることの代償も少なくないでしょう。
 日本以外には、ノルウェー、アイスランド、カナダ、インドネシアなどが鯨食文化が残る国と言われていますが、数百年も前から操業捕鯨を維持してきた日本としては、ある意味悲願の復活と言えるのかもしれません。 

No.3125 平和とは

2019.05.31

 令和の時代を迎えてマスコミも国民も異口同音に語る希望は「平和な時代」が圧倒的に多いように感じました。平和に対峙するワードには戦争がすぐ思い浮かびます。したがって、頭に「戦争や災害のない」という言葉がつくようです。それはそれで平和の在り方を大きなくくりで捉えたものと理解します。
 最近あまり耳にしなくなりましたが、政府に大小を問うことが流行した時期がありました。同様に平和にもそれに近いニュアンスのものがあるのではないかと思うのです。つまり、戦争だなんだという前に、平和に結び付くワードに日常という言葉があるのではないかと。身近な日常に小さな平和があって、それが小さな幸せに結び付いている。日常が満たされていれば、それは個人にとって幸せ=平和を意味するのではないか。屁理屈のようでもありますが、まさに平和とはそんな日常にあるはずです。
 川崎市登戸の通り魔事件は亡くなられた方にとって突然降りかかったおぞましい人的災難であり、なんとも無念な出来事です。他人の未来をないがしろにし、命を道連れに弄ぶ事件が、再び社会を震撼させたのです。ご遺族にとって憤怒の矛先も無くなってしまった結末はどうにもやりきれない心境のことでしょう。亡くなられた方は勿論のこと、ご遺族にとっても長い年月平和な感覚を取り戻すことは出来ないものとお察しします。
 慎んでご冥福をお祈りいたしますとともにお悔やみを申し上げます。
 今後は、小中校児童の安心安全な平和の維持は「door to door」で守らなければならない時代へ向かいそうな予感がしてなりません。 
 池田小事件、秋葉原事件、土浦事件、取手駅事件などなど。他にも車を意図的に凶器に用いた事件も数多くありました。相模原の介護施設大量殺人、サリン事件、和歌山の毒入りカレー殺人・・・・こうした事件が終わりを告げない限り、身近な平和を安定的に得ることは難しいと理解すべきなのでしょうか。小学校の運動会で複数の警察官が場内を歩く姿は異様です。その光景を見るだけで平和な感覚を有することは出来なくなりました。

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