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No.2904 7.21は夏休み初日と・・・

2017.07.22

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 すでに日付が変わって22日。昨21日は夏休みの始まり。しばらく朝のスクールガードはお休みとなる。子どもたちは通信簿に一喜一憂し、夏休みへの期待に胸を膨らませていることだろう。
 前々回、スポーツの話題を各種書いたが今回も少々。今日は浦学があわや5回戦で敗退かというきわどい試合に逆転サヨナラ勝利した。星野に9回まで3対2で敗戦濃厚かと思われたが、先頭バッターの3塁打から1点をもぎとり同点とし、12回裏サヨナラ勝ちというきわどい試合だった。星野の投手もなかなかの奮投だった。何年後かには名を知られる投手に変貌する可能性を秘めていると思う。まだ身体の線が細いからこそ飛躍が充分有り得る。というのも左腕のスリークォーターから繰り出すストレートのキレはなかなかと見た。
 さて、浦学の次戦は聖望学園。別に浦学になんの縁もない私だが、いつもの強力打線主体の戦い方と異なるネバリの試合展開を見て聖望学園戦ではどういった内容を見せてくれるかという興味がわいた。
 大相撲では白鵬が1048勝の偉業を達成した。積み重ねの記録というものは無事是名馬でなければ成し得ない素晴らしい記録である。ただ、苦言を言わしてもらうならば、昨日の玉鷲戦での左右のフック、いや張り手はいただけない。正代戦でも張り手一発で相手を一瞬の脳震盪にさせているが堂々と受けてほしいものだ。過去の名横綱の多くは得意な型があって、それにはまった時の部類の強さが観る者にとって満足感につながったものだ。今日の新記録戦は相手が大関高安だったが、横綱はなんと右に跳んだ。跳んだというほどではなかったにしてもたしかに右に避けたのだ。四つ相撲でも他を寄せ付けない強さを有する白鵬ゆえに手を出したり、跳んだりという変幻自在ぶりを見せる横綱でなくともいいではないか。個人的な願いだが、ガッチリ組んだ四つから高く大きく弧を描く上手投げを勝利の4割前後の確率で決め技にしてほしい。いやその華麗な投げにうっとりさせてもらいたいのだ。
 おっ!今松山英樹選手がトップまで1打差にせまるバーディーを奪った。いいぞいいぞ、今度こそメジャーをものにして欲しい。しかし、イギリスはいつも天候に恵まれない。とにかく寒そうだ。
 
 21日はもう一つ・・我が家の経産大臣の??歳の誕生日だった。お決まりの外食と相成ったわけだが、何食べたい?の問いに「うなぎかな」ときた。土用の丑は26日のはずだが、どうせ混むだろうからよーし思い切って望み通り今日行ってしまえとばかりに久しぶりに訪れた老舗鰻屋で経産大臣が望むことゆえ確認するまでもなく「特上二つ!」
 お互いいつまでも元気にいようと思うだけに、揃って美食の至福タイムに浸れることは嬉しくもあり有り難くもある。特上、ごちそうさまでした!

No.2893 二兎を追った小池都知事

2017.06.22

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 小池都知事が市場問題でようやく見解を表明した。都議選の関係もあって決められない知事というレッテルを自ら塗り替える必要があったのは間違いない。出した結論は豊洲移転、築地再利用という一方は納得、一方は驚きと言ってもよい内容だった。とくに築地再利用については予算など具体的な中身にまでは言及していない。何を血迷ったのかわからないが、市場問題で更なる多額な資金が必要となる選択をしたことになる。都民の大切な血税の無駄遣いを見直すとしてオリンピック会場問題を混迷させたことと矛盾する。この問題では未だに運営予算の東京都負担分を明らかにしない姿勢は隣県知事の怒りをかっている。また、市場問題の長期化は築地市場地下を貫通する予定だった2号線計画を不可能にしている。
 かつて、無駄な税金を使わないとして建設が始まっていた世界都市博中止を訴えて立候補した青島幸男は都民の喝采を浴びて知事に当選したが、その後、都議会が臨海副都心開発の見直しと世界都市博開催の決議を可決するも、公約だとして博覧会の中止を決定した。これによりブース建設が途中まで進んでいた建設業界では人員確保、資材購入が裏目となって倒産が相次ぐという社会問題に発展した。結果としてほぼ全野党となった議会との関係が構築されないまま青島氏は2期目の挑戦をせずに政治から身を引いた。代わって誕生したのが石原慎太郎氏というのも不思議な縁かもしれない。青島氏が個人の心情を貫いた結果、その後の知事としての功績にみるものがなかったのは、まさにそれこそが二元政治ということなのだろう。今から22年前のことである。

 今回、市場関係者には様々な意見があるものの生活問題に発展する寸前だったのはどこか類似している。言ってみれば、地下水問題はあったものの豊洲新市場の建設が終わっていてよかったのかもしれない。知事が代わって建設が途中中止などといったことになれば、てんやわんやの騒動になっていたことだろう。パフォーマンス&ポピュリズム政治で受けに受ける小池さんならやりかねなかったと感じる。
 それらを含めて、そもそも知事就任後の今まではいったいなんだったのか。小池劇場は結局都議選に焦点をしぼった計算された戦略だったと言われても仕方がない。ヘタに未来の総理などと煽り、安倍自民との対局を印象操作したメディアによってその気にさせられたわけではあるまいにと思うが、もとより野心家は拭えない小池氏ゆえ、政局の中心に躍り出たと勘違いしたのかもしれない。
 いずれにしても、今回の見解表明は揉ますだけ揉ました結果落ち着くところに落ち着いた。多方はそうなるだろうと予測していた豊洲移転に関係者の多くはひとまず安堵したようだ。ただし、二兎を追った結果一兎は得たものの、築地再利用は今後に問題を残したことは否定できない。はたして都議選の結果はどうなるのか。二兎を追って大きな一兎を負った状況にならなければよいが。それは都民にとって歓迎出来ることではないはずである。

No.2892 マスコミの報道格差は国の不幸

2017.06.21

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 東京新聞と産経新聞の読者意識調査結果で安倍政権支持率の数値が前者が5%、後者が85%だという。ここまでくるともはや異常。どちらが異常かといえば、もちろん5%という数値が異常なのであって他の95%の東京新聞読者はいったい国政や政党に何を感じ、何を望んでいるのやらと思う。何も望んでいないということなのだろうか。
 体制批判はほとばしるエネルギーの発散対象として快感につながるというのは理解できる。昭和の時代に革新系市民活動にのめりこむ若者が少なくなかったが、そういう人たちも年齢を重ねながら徐々に安定保守の政治志向に趣が変わる例は多いという。私の知人にもそういった人は多い。しかし、日本の近海はもちろん、中近東やヨーロッパで一触即発といった世界事情が目の前にあり、すべてが日本の未来に関わっていると言っても過言ではない状況なのだ。いったいぜんたい政権批判はどこがどうなれば治まり、国民の7割、8割が支える政治が可能になるのやら。
 朝日、毎日、東京(中日)、そして沖縄タイムス、琉球新報を始め全国の地方新聞の5割以上、いやそれ以上かもしれない新聞メディアは反安倍、反自民の報道姿勢を示す。もちろん大手新聞の系列化にある地方新聞は親方の方向性に準じなければ経営が成り立たない事情もあるだろう。それにしてもひどい。
「具体性に欠ける総理の説明」「加計学園問題をうやむやのまま蓋をする」といった見出しがネットに踊る。今に始まったことではないと思いつつもここまで時の総理を重箱の隅をつつかのように批判する大新聞の存在はかつてあっただろうか。安倍総理の国会閉会後の説明は長い時間丁寧に発言していたと私は思う。批判ありきのマスコミは国のためにならず、国民の不幸を招く存在でしかない。大政翼賛ではない適度な問題指摘はマスコミの重要な役割ではあるが、今の政権批判は憎悪とか怨念といった異質な報道精神に感じられてならない。なにしろ安倍自民を称える記事に出会ったためしがない。
 

 加計問題は煮え切らない政権も問題だが、「怪文書という発言は撤回するべきではないか?」「メール文章が表に出たのを守秘義務違反と考えるか?」と菅官房長官に質疑する記者がいた。会社が会社なら記者も記者だ。印象操作もええかげんにせいではないか。他にもえー、そんなことまでチェックの対象かーと思う微細なことまで! それをご丁寧に流すテレビ局。いつから日本はこんなにもチマチマした社会になってしまったのか!
 一般社会の組織で上位の立場にある者が命令系統に基づき指示を出すのは当たり前の話であり、もとより犯罪にもならない。それは通常リーダーシップにも通じるものではないか。
 加計問題については加戸前愛媛県知事の話が正論と感じるので興味のある方はネット検索のうえご一読賜りたい。
 国政は国民の命と財産を守るというのが最大のミッション。それを忘れたかのような野党の批判ありきの姿勢は国会議員の矜持からは程遠い。

No.2887 現職をなにがなんでも引きずり下ろす

2017.06.03

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 今日、不定期でおこなわれている政治集会があり、そこである政治家が近く行われる近隣首長選挙で新人候補をサポートすることになったとの報告があった。所属政党からすれば至極妥当な話なのだが、その当事者が挨拶で冒頭の言葉を発した。しかも、その言葉は前日にその街のある会合で発したそうで、同席していた発せられた現職側の関係者から「ダブルスコアで負かしてやる」と言われたそうだ。
 その反応に感じたのが「(こう言い返されたから)この選挙はたいへん厳しい選挙戦です」ということらしい。ゆえに、これが冒頭の言葉にリンクすることになるようだ。
 さて、私はそこでふと考えた。「昨日の友は今日の敵」という格言は政治の世界ではそのものズバリ、珍しくもなんとも無いがこの冒頭の言葉を発した彼は、自らの選挙において、なにがなんでも引きずり下ろしたい現職候補の方から熱い応援を仰いだ経緯がある。しかも、それからさほど期間は経過していない。その恩義ある相手にいくら自分の立ち位置が変わったからといって、引きずり下ろすという表現はいかがなものだろうかと思えてならない。選挙とはそういうものだとの考えは私にはない。

 政治というか・・・選挙は、全国どこでもいろいろな確執を派生する特質がある。とくに最近の選挙はそれが特徴的で、昨年の東京都知事選の流れが都議会、区議会の各議員の離党や会派替えを多くし、都民ファーストならぬ自分ファーストと評することとなった。ここに来て、「とことん都民ファーストを応援する」と発言した若狭議員、その都民ファーストの最高顧問から代表に役職を移した小池都知事本人が自民党に離党届けを出した。お二人とも進退伺いを出しているので煮るなり焼くなりお好きなようにという作戦だったのだが、いよいよ離党せざるを得なくなったようだ。何度か書いたことだが、自民党を悪役にしたてようという意味合いの進退伺いというのは見え透いていた。除名か離党かはそれほどに有権者への響きが変わると考えていたはずである。
 いずれにしても確執以上の遺恨に発展してしまった東京都議選である。/span> 

 話はずれたが、前述の若い政治家の発言は、自らがお世話になった方に対して「何がなんでも引きずり下ろしてやる」と言ったのがかえって自分の応援する候補者にマイナスにならなければいいがという思いが脳裏をよぎった。
 選挙は確かに戦いだ。だが、だからといって余計な遺恨の感情をもたらすことはないし、いくらなんでも恩義を忘れることが人の道としてどうかと私には思えるのだ。会派を渡り歩く際、別の大きな恩義を裏切った過去と今回の言葉が彼の人柄に結び付けられても仕方がない。政治はそんな甘いことを言っているようではダメだと言われても私はそう感じる。甘いのかもしれないが、やはりどんなシチュエーションであっても醜悪な攻撃言葉は慎む大人であるべきだしそうあってほしい。 「ほんの一言が相手の心を温め、たった一言が相手を傷つける」といった格言があったように記憶している。
 

No.2874 春雷

2017.04.16

 退院後最も感じる身体異変は月並みだが下半身の衰え。ベッド生活をされた方々に共通する現象がもれなく私にも、ということで昨日は久喜菖蒲工業団地の噴水公園、その前日は渡良瀬遊水地谷中湖へ足慣らしに出掛けた。
 渡良瀬では北ゲートに車を停め約2時間、野鳥観察をしながらののんびり歩行。平日ということもあって広い公園には数えるほどの人。持参したたわいのない弁当もウグイスの声がおかずに加わり、いつになくご馳走といった風。家内にいつも怒られる早食いもなく、ゆったり時が進む感じはそう味わえるものではない。かくして貴重な昼食となった。前号に関わる世情の喧騒さから逃れようとしたわけではないのだが、広大な自然は夫婦二人にのどかな空間をもたらしてくれた。巡り会えた野鳥もウグイス、ヤマガラ、ジョウビタキ、ミソサザイ、キジなどわかっただけでもこれほどいた。キジが足元近くから突然飛び立った時、歓声をあげた家内の姿は日頃けっして見ることのないものであった。

 菖蒲公園では前日の疲労感が足に残っていたので、それを追いやろうと連日の歩行作戦を目的として出向いた。到着時は快晴だったが歩き始めて400メートル。空がにわかにかき曇りというほどではないが、雨雲が立ち込めパラパラし始めた。近くのトイレに入ってしばしの雨宿り、と次々にいろいろな形態のファミリーが同居と相成る。15人ほどになっただろうか。すると頭上で轟く雷鳴。皆、身がすくむ感じでいると追い打ちは1センチ大の雹だ。これには私もトイレの居候が少し長くなりそうだと覚悟した。結局40分の足止めとなったが、車椅子の高齢の女性とそのご主人、娘さんのほっとして外に出る様子にこちらもほっとさせられた。せっかくの春満開の空気を浴びる散歩が台無しとなったが、帰り際、異なる風情の春爛漫に巡りあった。マガモのメス1羽にオス3羽の恋愛奪取風景にしばし観察と相成ったのだ。1羽のオスが他の2羽のオスにライバル心むき出しで繰り出す嘴パンチと間隙をつきメスの首をつつき回すオス・・・真剣な様子に見入ってしまう私。驚いたのは、こうした場面では頭に触ろうが、声を出そうがまったく動じることなく恋愛成就のためには一心不乱になるものらしい。人間もこれほど恋愛に夢中になれば世の中の問題のいくつかは解消出来るのにと感じた次第。
 春雷も夏への移り変わりの現象なのだろうか、今日は7月の陽気になる地域もあるらしい。

No.2871 変わりゆく古式伝統

2017.04.10

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 胡冬、心咲、銘花、夏夢、杏凛、流依、暖大、志温、依舞、亮琥、怜奏、空理歩、とあまり聞きなれない熟語だが、これらは何を意味しているかおわかりだろうか。

 今日、地元小学校の入学式に出席させていただいたのだが、そこでいただいた名簿に載る新1年生の子どもの名前である。とくに印象深いものをピックアップさせていただいたが、若いお父さん、お母さんが可愛い我が子の名づけにあたり考えに考えたアイデンティティーを感じる。文字の組み合わせしかり、読み方しかり、発想の豊かさはコピーライター顔負けである。それだけ個性的でお洒落なアイデンティティーを子供にと思う親の心情が痛いほど伝わってくる。
 ブログを書き始めて読み方をすべて覚えていないことに気づいた。自らの記憶力は確実に減退しているようだ。情けないことといったらない。覚えているうちのいくつかを紹介すると、2番目はミキ、最後はクリフ・・・なかなか思い浮かばない名ではないか。男女の区別がつかないものも少なくない。もはや女の子で子の付く名前は皆無。500人以上いる全生徒の中でもふたケタもいないようだ。この分野においては感覚的には自分の方が時代遅れなのは認めざるを得ない。強いて望むなら、最近の名前を印刷物にする際にルビをふってもらえるとありがたいと思う。それも変わりゆく社会の新しい優しさの一つではないだろうか。

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