昨年12月に国際捕鯨委員会からの脱退を表明した日本。この6月30日をもって脱退が実現することとなり、翌日から早速商業捕鯨が開始されました。これが31年ぶりのことだそうですが、過去、この商業捕鯨に携わった人たちの画面から感じる感慨深い表情と言葉には理解出来るものがありました。
しかし、一方でいかがなものかという疑問も拭えないのです。それは、動物愛護的観点でのものではなく、すでに日本ではクジラを食す、いわゆる鯨食文化が過去のものになりつつあるように感じるからです。
私が小学生の頃、クジラは食卓に結構な頻度で出されていました。安かったという印象もあります。とくに、煮凝り付きの缶詰の出番はかなりのものがありました。中学生の頃は、部活が終わると正門近くにあった肉屋さんで鯨かつをしょっちゅう買い食いしました。トンカツよりメンチより安かったからです。たしか20円だったと記憶しています。その後はとんと鯨を積極的に、好んで食した覚えはないのですが、社会人になって五反田にある料理やさんで口にしたクジラがあまりにも美味だったことから、あらためてクジラがメニューや売り場にあると口にする機会が多かったですね。その時食した鯨肉は「尾の身」という部位だったのですが、とろけるような味わいは今でも忘れることのない食の記憶です。
そういったわけですので、買い物に付き合うたびに鯨肉を見つけると立ち止まる私なのですが、とてもとてもカゴに入れるまでには至りません。今や高級食材と化した鯨肉とは無縁になりつつあるのが国内の実態ではないかと思います。ところが、後述しますが土地柄によっては事情が異なります。 調査捕鯨から商業捕鯨への回帰転換で捕鯨基地の皆さんは喜んでいることでしょうが、実は消費物流的にはそれにとどまると思われるのが、今回の商業捕鯨だと小生は感じています。下関、釧路、網走、八戸、石巻、南房総、太地の7カ所が操業基地として想定されていますが、捕獲したクジラの多くはこれらの周辺地で消費されるものと推測されます。
事実、数年前に紀伊半島を旅した際、新宮、勝浦といった南岸都市のスーパーや飲食店でクジラやイルカを主体に営業している実態を目にしました。写真は那智勝浦港近くでのものですが、現地でもいかに高いかということと関東との文化の違いがおわかりいただけるかと思います。また、それ以外の理由としても、海洋資源の中でもトップクラスの高級化ということに加え、捕獲頭数の設定としては、前年の実績よりも少ないのが実態だということ、さらにはEEZ経済的排他水域内を海域とし、南氷洋での操業は認めていないこと。そして、なんといっても、鯨食文化の衰退という現象は拭えないはずです。若い人たちにはなじみのない食材であり、高くて手の出ない食材だと思われます。 もっとも、それはそれで当地名産として観光資源になり得る可能性も考えれば、あながち今回の選択が間違ったものではないかもしれませんが、日本が国際機関から脱退した例がほとんどないことや資源保護の観点から、世界各国の批判を受けることの代償も少なくないでしょう。
日本以外には、ノルウェー、アイスランド、カナダ、インドネシアなどが鯨食文化が残る国と言われていますが、数百年も前から操業捕鯨を維持してきた日本としては、ある意味悲願の復活と言えるのかもしれません。
記事一覧
No.3135 鯨食文化衰退の中で
No.3125 平和とは
令和の時代を迎えてマスコミも国民も異口同音に語る希望は「平和な時代」が圧倒的に多いように感じました。平和に対峙するワードには戦争がすぐ思い浮かびます。したがって、頭に「戦争や災害のない」という言葉がつくようです。それはそれで平和の在り方を大きなくくりで捉えたものと理解します。
最近あまり耳にしなくなりましたが、政府に大小を問うことが流行した時期がありました。同様に平和にもそれに近いニュアンスのものがあるのではないかと思うのです。つまり、戦争だなんだという前に、平和に結び付くワードに日常という言葉があるのではないかと。身近な日常に小さな平和があって、それが小さな幸せに結び付いている。日常が満たされていれば、それは個人にとって幸せ=平和を意味するのではないか。屁理屈のようでもありますが、まさに平和とはそんな日常にあるはずです。
川崎市登戸の通り魔事件は亡くなられた方にとって突然降りかかったおぞましい人的災難であり、なんとも無念な出来事です。他人の未来をないがしろにし、命を道連れに弄ぶ事件が、再び社会を震撼させたのです。ご遺族にとって憤怒の矛先も無くなってしまった結末はどうにもやりきれない心境のことでしょう。亡くなられた方は勿論のこと、ご遺族にとっても長い年月平和な感覚を取り戻すことは出来ないものとお察しします。
慎んでご冥福をお祈りいたしますとともにお悔やみを申し上げます。
今後は、小中校児童の安心安全な平和の維持は「door to door」で守らなければならない時代へ向かいそうな予感がしてなりません。
池田小事件、秋葉原事件、土浦事件、取手駅事件などなど。他にも車を意図的に凶器に用いた事件も数多くありました。相模原の介護施設大量殺人、サリン事件、和歌山の毒入りカレー殺人・・・・こうした事件が終わりを告げない限り、身近な平和を安定的に得ることは難しいと理解すべきなのでしょうか。小学校の運動会で複数の警察官が場内を歩く姿は異様です。その光景を見るだけで平和な感覚を有することは出来なくなりました。
No.3121 一般質問
せわしない日々が続く中、今日は一般質問の通告期限日でした。8年ぶりのことでしたので、少々勝手が違いましたが、無事通告することが出来ました。
質問の内容は次のようなものです。
1.デマンドバスについて
2.消防組合西消防分署の廃止計画について
3.学校給食費の公会計化について
聞きたい事、言いたいこと、とにかくいろいろありますが、一般質問はあまり手を広げるとアブハチトラズになるので、せいぜい3項目、発言の構成構想次第では5項目までが可能な範囲です。そのために、過去の議事録を確認するなどしたところです。
県議会ですと冒頭30分程度の範囲で8項目程度を質問の対象に選定し、それぞれ800文字から1000文字でまとめたものを通告します。当初質問でそのすべてを発言し、知事ないし部長級による答弁があり、再質問となりますが、再質問に至る確率は少ないのが実態です。およそ市議会とはまったく異なる形式となっています。また、議員が90人もいるので質問機会は年に1回程度しかありません。
それに比べて、内容が市政に限られますので規模という感覚では物足りなさもありますが、中身はより具体的な日常が含まれることと、毎回できる市議会はその分やりがいがあるのは間違いありません。久しぶりのことですがどうなりますやら。質問はおそらく6月6日の出番になるかと思います。
No.3116 交差点だけではない危険性
大津市でいたいけな2歳児二人が未来を見ずして亡くなりました。主要道路の交差点での事故がまたか!といった感じで伝えられた瞬間、慟哭に近い感覚に襲われました。いつの時でもこの種のニュースは衝撃的です。防ぎようのない交通事故が少子化を憂う社会現象下で再び子どもの命を奪った罪は重いものがあります。直後に、これは右折車が直進者との間隔に余裕を持つのが足りなかったのだろうと感じました。その後、やはり右折車の女性運転手が逮捕され、直進者の運転手は釈放されたようです。しかもそれぞれの呼称は容疑者とさんに代わっていました。昨今、この種の間合いをもたずして曲がろうとする車を見かけることが多くなりました。
とは言え、亡くなった命は戻らないのです。慎んでご冥福をお祈り申し上げる次第です。
今朝、日課のスクールガードをしている時に、近所の奥様から「枝久保さんも気を付けてくださいよ!」と。ふと、考えると小生が毎朝立っているのも、大津市の事故現場と似た状況にあります。不思議なことに、それに結び付けて思い至ることがなかったので、「あっそうかー、考えてみれば同じことが起こり得る場所ですよねー」と言葉を返しました。心配した上でのあたたかい言葉をかけられたわけです。対岸の火事ではないということです。
さりとて、立哨地点はそうそう広いわけではありませんし、通行者たちの邪魔になってもいけません。結構難しいものがあります。
また、香日向地区の最南面は長い直線道路が続く道です。数カ月前に香日向駐在所員の立ち合いの元、6時50分~7時10分くらいまで交通事情を確認しましたが、60㌔から70㌔ほどのスピードで走り去る車が数台いました。道路沿いのご家庭で車を発進させる怖さは相当なものがあると直感する状況でした。
川口市の事故以来、ゾーン30という危険防止対策が図られています。住宅地内や学校に近い道路では速度制限を30㌔にするというものですが、守るか守らないかが尊い命の分かれ目と思うとドライバーの人格にたよるところ大だと確信するのですが、あおり運転が止まない事情を鑑みると、この点についても心配が無くなることはないのかもしれません。
No.3114 静かなる怒り
慌ただしさに追われた日々。昨日は選挙運動収支報告届けが済んで、ようやく選挙終了感を実感できるところとなりました。
3月17日の自治会総会をもって区長職が実質的にあけるや、身の回りは選挙一色となっていきましたが、その間、いろいろ気になる事が起こっていました。当選の喜びは別にして、気持ちの上では怒りの対象が残っている感じです。
◆小生が努力とアイデアの人と崇拝する渋沢栄一翁が新しい1万円札の図案に選ばれました。我が郷土である武蔵の偉人として、幕末維新後にあって近代日本の成り立ちに尽力した渋沢翁。これまでにも何度かブログに書かせていただきましたが実に嬉しいニュースでした。
ところが、これに韓国が猛反発したのです。現上皇陛下に謝罪を求めた韓国議長をはじめ、他にも複数のメディアが「朝鮮半島に対する経済収奪の象徴だ」と、批判というよりはイチャモンといった論説を展開したのです。実は過去にも、福沢諭吉について「アジア諸国に対する嫌悪と軽蔑の感情にもとづく脱亜論に偏っていた」との批判をしていた経緯があります。
今の韓国は、1910年から1945年あたりまで日本の統治下にあった時代に飛躍的に国力が高まり、それが現代の韓国の祖になっていると言っても過言ではありません。しかし、国際的な立ち位置が日本と同レベルに近くなるにしたがって、日本の統治を歴史的に恥辱的なものと評価する傾向が増し、竹島、従軍慰安婦、徴用工問題等々で日韓関係を悪化させる方向に舵を切っています。
信じたくとも信じることの不可能な隣国北朝鮮を同民族という理由で良好な関係を模索する現政権の主義思想も、抗日思想で一致することをよりどころとしていると考えざるを得ない状況です。米日韓同盟の弱体化にもつながる韓国の対日姿勢は、再び紙幣の肖像にまで立ち入る始末。内政干渉というワードは中国の得意とするものですが、韓国も中国に同化しつつあると感じさせるふてぶてしい論調の昨今です。
◆天皇譲位及び改元で国全体が高揚感に包まれた状況下で、秋篠宮様のご子息である悠仁様の進学される中学校の机に刃物を置くという、誰も考えもしない愚行を実行した京都在住の不逞の輩には驚くというより怒りを禁じえませんでした。共産思想が天皇制の廃止を唱えているのはもはや誰もが知るところとは言え、皇族に対してのこの暴挙は許し難いものがあります。ご存知のように、皇族には男子が少なく継承順位を持つ殿方は3名です。未来を想うに、悠仁様の存在はこの上なく重いものがあるわけで、それを知っての犯行と考えると怒りの度合いも半端ではありません。日本人としてこの部分だけは同じであってほしいと願いはすれど、思想の違いはあくまでも思考の段階でとどまっていればまだいいのでしょうが、具体的な行為に出るとなるとサリン事件でもそうでしたが狂気としか思えません。
これらの出来事には、表面的に静かな怒りで済ませていますが、実は小生にとって煮えくりかえるほどの事件なのであります。
No.3112 令和の幕開け
昨4月30日、平成最後の日の午後5時から天皇陛下御退位にともなうお言葉をいただき、日本国民の一人として感動の想いにあふれました。途中、こみ上げるものがあったように感じるところがありましたが、深い想いの中でお考えになられた御譲位が、皇太子殿下をはじめとする皇室や国民への愛情からのものと考えれば、その思いやりにあふれたお言葉に心安らいだ国民が多かったことでしょう。壇上から降りる際、上皇陛下が皇太后さまの手を支える仕草がなんとも微笑ましく、陛下のお人柄が偲ばれる場面にいっそうの感動をおぼえた次第です。
自分としては、ここしばらく眠りの浅い日が続いていましたが、この平成最後の夜はカウントダウンなどで喧噪な街中と異なり、上皇陛下への感謝と慰労の想いにふけながら早い就寝とともにぐっすりと眠ることが出来ました。
「両陛下のこれからの安寧な生活をお祈り申し上げます」
そして、新時代令和の幕が開いた5月1日。皇太子殿下が天皇陛下に、雅子妃が皇后陛下になられました。落ち着いた感覚でお言葉を発せられる陛下は、それもそのはず、59歳という御年で新天皇にふさわしい数々のご経験を積まれてきました。
皇后陛下のご体調についても優しく見守られてこられ、数年前に「私が守ってまいります」といったお言葉通りに、心無い世評に対応され、お二人の絆が強いことを発信されました。
私たちが象徴と仰ぐにふさわしい新天皇陛下の誕生です。
今日の画面から感じた正直かつ最大の感想は、皇后陛下が光り輝いていたことです。私だけがそう見えたということではないと確信しています。ここまでの数年は辛く厳しい状況であったと思いますが、今日の雅子さまからはこれまでにない何かを感じました。それが何かはわかりませんが、あの光はきっと新たな皇室の雰囲気というか感覚を日本のみならず世界にもたらしてくれるものと思えてなりません。
新時代の幕開けとはいえ、経済にも外交にもここからが新時代だとの境界線があるわけではありません。しかし、平成~令和への改元が新しい日本の幕開けになって欲しいとの期待感は多くの国民が共有しているように感じた最後と最初の2日間であったことは間違いありません。若い世代が天皇制にしっかりとした考え方と優しい心を示す様子に誰もが安堵したのではないでしょうか。