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No.2844 小池都知事はジャンヌダルクか

2017.01.16

 築地市場の移転地である豊洲の状況がにわかに騒がしくなってきた。原因は、ヒ素などの有害物質による汚染が表面化したにもかかわらず消費者庶民感覚を脇に置き、結局は移転ありきの思考を優先させたことにある。
 小池知事は、いっとき豊洲問題は石原元知事、五輪問題は森委員長が根本の問題かのような耳に心地よい発言が多かった。私も石原時代の何らかの癒着行政が裏にあると感じていたことと、増田寛也さんでは都議会自民党に頭が上がらない知事になるだろうと思っていたので近代都政のジャンヌダルク現る!といった感じで受け止めていた。しかし、肝心の小池氏本人が問題提起まではよかったが、解決への意気込みに見せる温度低下が際立ってきた。
 五輪問題も結局は元のさやに納まり、他県を怒らせただけに終わった。バレーボール会場で69億円の削減ができたというが、他の2競技の問題も含めると期待ほどの削減になったとは言えず、やはり最終段階に至らなければなんとも不確定な話である。

 豊洲問題では、盛り土が難しいとなるとそれに代わる良策はなく、時間の経過とともに業者移転予定日の前倒しが報道された。早朝築地を視察し、セリ場で業者の多くが手を振って小池氏を出迎えた光景が私には異様に映った。まるで小池氏がスターのような感覚で手を振りかえしていた。一時険悪な状況に陥ったはずが、移転遅れの保障費交渉がスムーズに進んでいるせいなのだろうか。
 そして、それから日をおかずの昨日、環境基準の79倍ものベンゼンの存在があきらかになった。
 築地業者にとっては青天の霹靂ではなかったかと思うが、当の小池氏は「重く受け止めている」とのみ発言。移転前倒し発言のあとだけに有害物質問題に徹底的に取り組んでこなかった経緯がうかがえる。
 移転問題は完全に暗礁に乗り上げたと言えるだろう。この先、建設済みの施設に何の方策も打たず移転をするのは庶民感覚が許さないであろう。なにしろ生ものを扱う施設としては最悪の方向になっってしまったのである。

 移転を考慮するにあたって、よくあることだが土地買収にかかわる地権者と石原元知事ら当時の都幹部の関連も噂されている。大型事業には必ずといってよいほどついて回る話だが、現知事としてはその責任追求に重点をおく余裕はない。過去より今後が重要であり、その行く先を決めるのは小池氏なのだ。

 自らの知事選で10年に一度の前噴火をし、本格的爆発は今夏の都議選で都民ファーストを謳って自民党に一矢報いるとしている小池氏だが、自民党との関係については「身体伺いを出している。判断するのはあちら側」と口にする。しかし、これは一般的には政治家としての信念表明を避けている姿勢でしかない。「煮るも焼くもお好きなように」は、小池氏独特の戦略性を示しているが、これには自民党都議団のていたらくな実情も味方しているのは間違いない。都民の目は小池氏への期待度が高い現状にある。 
 しかし本来、進退は自ら決めるべきことではないか。そこには党の判断次第で有利な選挙状況を作る意図が垣間見える。そうしながらも実際に大々的に候補者選びを進めている現状でもある。そういう意味では、確かに好戦家らしき戦略家ではある。それは過去の政治活動の経緯を見てもわかる。しかし反面、五輪予算のことがあるせいか安倍総理や森委員長ともどちらからともなくご機嫌を伺う様子を見せ始めた。これも政治の世界と言える。

 現状、世論の評価は高いが反政権マスコミが小池氏人気を高揚する報道志向によって支えられ、自身のポピュリズム化も進化しているように見受ける。もともとがマスコミ人間だけにそのあたりは心得ている。センセーショナルな演出も見事だった。
 埼玉県では一昨年の県議選で上田知事が自らの政党会派を結成し、自民党議員の減数を狙って各選挙区に候補者を立てた。ところが、結果は思ったほどには至らず自民主導の議会運営を変えること叶わず、結果、唯一の公認候補として当選した議員には昨年6月に自民党に移籍され、先ごろまた自らが関係する会派から無所属に移籍する議員が名乗り出た。おそらくこの議員も近い時期に自民党県議団入りするものと思われるが、議会運営の面から地域を変えるには自らの支援議員を過半数にしなければならないという地方自治トップの思考性は、市町村選挙ならその可能性が若干有り得るが、小選挙区制度による都道府県では難しいというのが実態と思われる。
 すでに当落を意識して小池旗のたなびきに擦り寄る都議もいるが、所詮自己保身を価値基準にしている点で絶対的な信頼関係が永遠とは思えない。どういうことかと言うと、自分が小池人気にあやかって当選しても自民党会派による過半数の現状が変わらなかった場合どうするかということである。小池氏もそうであったが、政党会派を行ったり来たりでは政治家としての信念が問われるであろう。上田知事方式の先例を参考にして小池氏がどう対処していくのか興味深い。

 さて、小池氏は今後都政運営をどう切り盛りしていくのだろうか。五輪問題は実施する他県にかかわる予算問題が残る。築地移転問題は豊洲施設が市場として使用不能になった場合は?また、現築地市場にはオリンピック関連道路の新設にからむ問題も発生する。そして、石原元知事への対処は? はたして証人喚問や訴訟といった新たな段階に発展するのかどうか。福祉、子育てには都民ファーストの観点からの予算計上をして女性知事としてのパワーを示してくれている。この点はさすがと感じるが、最大の難関である都議選への風の流れはマスコミ次第とも言えるが、風に流されやすい有権者の心持ちが鍵を握っているのは間違いない。 

No.2842 市長の品格

2017.01.15

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 寒い! 寒暖の差が激しい冬ですが総じて暖かいと思っていたらなんのその。
昨日の午前中、心地良い晴れ間が続いていたと思ったのも束の間、昼過ぎから一気に気温が低下。明日は零下も記録されそうな真冬日だとか。
 ただ、いいこともあるのです。こういう日は見事な夜空が映し出されるのです。しばし、うっとりと首が痛くなるほど見上げてごらん夜の星を!
 でも、風邪引きにはご注意あれ。
 

 さーて、福岡県飯塚市の市長がようやく辞意を表明した。ようやくというのは、この報を聴いた瞬間、辞めるしかないだろうと感じたからであります。年末20日に発覚した賭けマージャンは市民の信頼を裏切った点で首長として最悪の行為であることに疑いの余地がありません。
 にもかかわらず、この市長は「マージャンを賭けずにやる人がどれほどいるだろうか」といった開き直りそのものの言葉を発したのです。これは市民の怒りに輪をかけたことは間違いないでしょう。「任期までは務める」と責任感を発するつもりの発言も逆に居直り的に理解されて当然で、空気をよめない人物評価につながったようです。いわゆる火に油といったところで、年明け仕事始めから市民の怒りに遭遇して仕事始めにならなかったのも当然の成り行きだったと思います。
 おそらく、このまま図々しく居座ろうとしても「リコール」の声が日増しに増えていった可能性もありましたね。
 市長としての理性と品格が無さ過ぎたということに尽きます。

 この市長の行為には「賭博」とは別の観点から弁解の余地がない状況がいくつかありますね。
1.副市長が一緒だった・・誘われた側に抑制心があれば未然に済んだかもしれませんが、こうなると上役の責任がより重大。しかし街のトップ2というのはどうにも始末に悪い。
2.公務時間中だったこと・・・いくら市内にいるといってもこれはない!
3.市内の有料業者が賭け相手だった・・政治倫理に限りなく抵触する。

 以上を省みて、発覚時にいさぎよくとなればまだよかったのですが、自ら晩節を汚すことに・・・いや、政治の世界は通常の考えが時に通用しないことがままありまして、この市長が辞任後の出直し選挙に再出馬したとすると、案外に当選してしまう場合も考えられます。有権者の意図は図り知れないものが選挙に出ます。道徳的発想を豊かにして選挙や投票行為を伺っていると予測の逆が結果に出るというのは珍しいことではないのです。

No.2841 政務活動費ならぬ正無活動費

2017.01.12

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 県議、市議の政務活動費の不正使用が引きも切らない。まだまだ氷山の一角が表に出たに過ぎないというご意見に、議員経験のある私とて反論の術はない。
まったく困ったものだが、ニュースに取り上げられるたびに我が身を振り返ろうとしない無自覚議員がいるから次から次ということになるのであって、これでは政務活動費ならぬ正無活動費と文字を入れ替えられても仕方がない。
 
 ただ、あえて申し上げたいのは、47都道府県1740自治体に約3万人前後はいると思われる議員の中で、犯罪に等しい不正をしている議員は比率的に高くはないと信じている。ところが、マスコミも大なり小なり議員の動きにはチェック機能を高めに働かせる傾向にあり、それにもかかわらず資質を疑う議員の存在が無くならないことが輪廻の世界のように繰り返され、結果として、従来持たれていた議員先生と崇められたイメージが、もはや過去の遺物になりつつあるということを示している。
 議員など偉くもなんともないというのが自論だが、どうやら時論になってきたようだ。辛いのは、それにより政治不信が広がることだ。政治不信の長期化は国益に良いことはない。

 選挙は厳しいし、当選のために本人はあらん限りの努力をする(しているつもり?)なかには法を犯すヤカラまでいる。負ければすべて自分の不徳のいたすところとなる。しかし、考えるまでもなくここまでは自らの思いに忠実に挑戦しただけのことであって、当選したからといって人間性が高まるわけでもないし、急に人格が上がるわけでもない。またその逆もしかりである。そこに勘違いが生じる。
 偉くもなんともない議員を、有権者や役所の職員が先生先生と奉ってしまうから自分は偉いと勘違いする議員がなくならないということもあるだろう。

 総理や大臣、委員長は役職であるからその呼称で呼ぶのがふさわしいが、国会中継を見ていると質疑の当事者同士で先生と呼び合う光景が多い。これを見て私はいつも違和感を感じている。〇〇議員もしくは委員と呼べばいいではないか!と。
 まあ、良かれ悪しかれ長年培われてきた風土風潮を変えることは優しいことではないが、変えるべくは変えたほうがいいはずである。
 ところで、埼玉県の職員さんの県議に対する腰の低さは徹底している。もちろんそんな職員になめられてはならじと頭ごなしの対応をする県議もいる。筋が通らないことであっても頭ごなしは私には出来ないし、その必要もないと思っている。
 自分はやってないと信念をもって言えても、これだけ全国で同じ議員社会の仲間が税金の不正使用をしている現実に対して、全国の議員が襟を正す動きがどれほどあるだろうか。もうこの手のニュースにはうんざりである。
 

No.2839 ギャンブル増加容認法

2017.01.06

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 暖かい正月もそうそう長く続くものではないと思ってはいるものの、冷たい北風が頬を切る寒さは辛いものがありますね。
 さて・・・今号のタイトルを語ればとても短くは終われない。どうしたものかと思案しつつ、とにかく書き始めてみることに。
 

 昨年の臨時国会で可決したカジノ法案について、経済活性化の目玉政策として捉える向きがある。本当にそれでいいのだろうか? 自民党員である私だが諸手を挙げて賛意を表すことは出来ない。なぜなら、具体的な法律を今後検討し煮詰めていく過程が大切だなどと、いかにも数ある問題はクリアできるかのような発言は信じられない上に、逆に日本の未来が社会構造の土台から崩れて行くような可能性を案じている。
 その理由は簡単に言えば、国内の政治家、マスコミ、広告会社、更には韓国民団、朝鮮総連といった在日団体などによるギャンブル、特にパチンコに対する癒着的関係が切っても切り離せない状況にあるからだ。つまり、時折の法改正に見られるように行き過ぎた場合にはチェック機能が多少働く面はあるが、日本のパチンコ社会は自殺者が出ようが生活破綻者が出ようが幼な子に死者が出ようが、結局のところ概ねイケイケドンドンの雰囲気で包み込まれている現状がる。
 業界から献金を受けている超党派議員たちによる業界発展を推進する議連もある。民進党が拙速な議会運営を批判しているが、実態は自民党も民進党も遊技場進行推進議員連盟に参加している議員が40名前後に及んでいる。またパチンコ関連会社の顧問になっている議員もいる。つまり国会は基本的にカジノ解禁に前向きな実情にあると言ってよい。
 それにより最大の問題点の一つである北朝鮮や韓国に数千億円規模の巨額が送り込まれても、厳格なチェックを要求する動きが鈍くなるのは自明の理ではないか。ちなみに、パチンコ業界の経営は5割は韓国、1割は中国台湾、2割は北朝鮮、2割が日本となっているという。説により多少の差違はあるが、多くの人はこの話を耳にしたことがあるのではないだろうか。
 あーー日本人が働いて得た金銭が流れ流れて北朝鮮の核開発に使われているかもしれないと考えると憂鬱になる現実がここにある。

 日本は先進諸国の中でも唯一といってよいがカジノを容認していない。がしかし、もとより日本固有のギャンブルとして競輪、競艇、オートレースがあり、これに競馬と世界にも珍しいパチンコを加えるとまぎれもないギャンブル国家なのだ。今やサッカーくじまである。
 前3者はだいたい戦後復興期に主に官公管理の下で始まり、沈みきった戦後日本に勤勉労働精神の癒し対価と確かな復興および高度成長の原資として力を与えたことは間違いない。しかし、どれも全盛期をとうに過ぎ、斜陽化して久しい。一日の入場者が300人前後といった場もある。ここにも時代の移り変わりが見て取れる。
 ここで考えるポイントはこうしたギャンブルは常に政治と密接にかかわり合ってきたことであり、政治がギャンブルを容認するどころか管理下に置き、揚がりをアテにする関係が構築されてきたことではないだろうか。それは、間違いなく今回のカジノ解禁法案にもリンクしていると考えられる。

 パチンコも例外ではない。広告や番組スポンサーなどへの倫理基準も綺麗事ではすまなくなり、大手広告代理店の働きもあって新聞雑誌テレビにまでSANKYO、セガサミー、平和といった製造メーカーのコマーシャルが登場するようになった。業界広告を進めたのは今話題の電通だというが実態はおそらく・・・まあそんなことは瑣末なことだが、かの長時間労働問題もあって世界最大の広告会社電通のイメージが一気に変わったのは間違いない。まだまだ一般人には知られない闇が社会のあちこちに存在しているということを示すひとつの例でもあろう。
 パチンコ店業界№1のマルハンの売上は2009年に2兆円を超えたという。上場倫理の観点から非上場会社であるから、こうした数値はあまり表面化しない現実がある。機械メーカーのセガサミーの広告費は同年200億を突破したという。あれから7年、最近ではゴールデンタイムに有名女優やタレントによるCFを見るようになった。
 余談だが、セガサミーの里美治CEO兼COOは昨年の菊花賞と有馬記念の優勝馬の馬主だそうである。

 
 パチンコは1930年に名古屋で日本一号店がオープンし、途中大戦で全面禁止となったものの1946年終戦の翌年に復活し、身近な娯楽として全国に広がっていった。一時は40万店に及ぶほどの成長産業となった。もっとも愛好家が注ぎ込む金は今と比べれば可愛いものだったかもしれない。その後、業界再編や繁華街型から郊外型への業態変化などで店舗数は淘汰されていく。
 過去20年のデータだが、
 最高利用人数は1995年の2900万人(売上31兆円)
 店舗数は同じく1995年の17600店
 売上は2005年の34兆8千億円
となっているが、この2005年の利用者数は1700万人なので、一人あたりの利用単価は1995年と比較すると2倍近くに膨れ上がっているのがわかる。これは新規に開発された台により射幸心が煽られたことによるものと思われる。そこから公安の規制が入るなどで2015年では店舗数10300店、利用者数1070万、売上23兆2千億円と毎年減少傾向にあるが、依存症が減少しているという話は聞かない。

ファイル 744-2.jpg ギャンブルの問題点は射幸心に誘されする高い依存性にある。それは家計のみならず時には我が子を死に至らしめるほど夢中になる際限の無い状況に陥る人を生む。生活保護手当がパチンコに当てられるとか、民主党政権奪取時の目玉政策だった子ども手当が家庭によってはパチンコ代に変わるという疑惑で世間が喧騒となったことは今でも忘れない。生活保護との関連は今だに社会問題として取り上げられる実態がある。
 依存性は現在約100万人以上、家族をいれると相当数の国民がミゼラブルな状態と言える。写真の折込チラシだが、業界が注意書きしても気休めにもならない。警察がここに加わるチラシも見た。どこかおかしい。

 競馬は先進国共通の社交場としての存在感を有し、賭博イメージとは一線を画しているが、先に述べたギャンブルの斜陽化の原因には若者離れがある。競馬にはそれがないと感じているがはたしてどうか。つまり、若者はギャンブルが嫌いではないのだ。国営競馬が持つ雰囲気は受け入れるが、他のギャンブル場が持つ環境や雰囲気にはひたりたくない、参加したくないという感覚ではないのかと感じている。
 ここで私が言いたいのは、外国映画に出てくるようなアーバンアミューズメントタイプのスマートでお洒落なイメージのカジノがあちこちに出来ていくと若者の興味をそそるのではないかという点にある。パチンコでは3~4割を占めるという主婦やOLにもパチンコ依存性は広がっているが、独身女性などはファッショナブルなカジノに興味をそそられる人もいるのではないだろうか。 ラスベガス、マカオ、モナコ、シンガポールといった旅先でカジノにうつつをぬかす日本人は枚挙にいとまがない。政治家しかり、一昨年だったか、埼玉県の私立学園の女性経営者が賭博にはまりすぎた例もあった。心配はつきない。どれほど綺麗なドレスに身をまとっても、スーツに蝶ネクタイで身を包んでも、一獲千金を夢見て大枚をつぎこむことには変わりがないのだ。

 そうした新たな不安とは別に既存の海外送金が強化される可能性や犯罪の多発といった問題は、現状を考える限り法でしばれるものではない。おそらく何の解決にも寄与しないだろう。なぜなら、カジノが売上の停滞するパチンコ業界にとって新たな産業として成長していく過程には、国民の好奇心とフトコロがアテにされているのはあきらかであり、最終的には自己管理、自己責任といった言葉がまかり通るような気がしてならない。
 まだまだ言いたいことは沢山あるのですが今日はここまでとします。みなさんのご意見お待ちしております。

No.2835 年金法案への民進党の対応に✖

2016.12.24

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 2日の会期延長をして新たな法案が決まった。年金法とギャンブル増加容認法(私語です)。後者は次号で。
 前者は即座に年金が減額されるという国民に対するめくらまし戦術を国会運営に持ち込む民進党の主張に惑わされてはならない。
 民進党が政権時に提案していた年金制度でも、物価が上昇しても賃金が下落した場合、所得比例年金は減額される内容だった。当時、行政改革担当相だった蓮舫氏はこれを理解していないのだろうか。それがどうだろう今回「年金カット法案」とレッテルを貼り撤回を要求した。野党だからといって反対ありきの反対ばかりでは、いくら言葉が巧みであっても国益を損なうことはあきらかではないか。
 年金制度は世界に冠たる制度と言ってよいが、賃金が下落した時に対応させる機動性を持たせなければ維持することは難しいというのが基本的考え方である。
 世界経済の現状はいつリーマンショックの再来があるかわからない。いや、今の世界の政変劇を見ていると長期的な世界不況がいつ発生してもおかしくない。

 今回の法案では、平成33年度以降について賃金が下がった時には年金を減額する仕組みとなった。これが将来の年金原資維持対策とも言える。今は、高齢者への影響を考慮し、物価より賃金が下がったら物価に合わせて年金を減額し、物価が上がり賃金が下がったら年金額はそのままとなっている。これを理解しないと若者世代を思いやる仕組みにならないということである。 

 今回の法案はデフレ状況下での「マクロ経済スライド」を実施することによって将来世代に対する年金水準の低下抑止が考慮されている。民主党時代に同様の主張をしていた民進党のはずなのに、よほど政争が好きなようだ。政争の前に国民生活しかも将来世代にまで目を向けるのが政治の役割だと思うのだが、民進党支援の方々もこの点、ただただ自民嫌悪感にひたるだけでなく、日本の羅針盤を見失わないようにお願いしたいものだ。

 ネットでは「1円たりとも減るのは許せない」といった書き込みも見る。それは理解できないわけではないが、そうした個利的思考が横行していては日本の未来は暗くなるばかりだ。私の身近でも十分な年金を受けていると思われる人が「若い人だとか、将来のことなど関係ない。今を生きている人間のことを大事にしてほしい」という人もいる。ごもっともな話かもしれないが、生活の幅に変化を持たせながら心の余裕を失わない生き方があるのではないだろうか。

No.2832 日露首脳長門会談

2016.12.15

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 いよいよ2016年も押し迫ってきた中、大きな政治ショーが2つ待ち受けている。ショーという表現が適切かどうか思案したが、安倍政治のこれ以上ない見せ場であることは間違いない。
 日露首脳会談と真珠湾訪問。どちらも世界情勢が目まぐるしく変化した今年の締めくくりとして、また安倍総理の対米、対露の未来思考型外交の本丸と言ってもよいだろう。
 

 後者はまた後日にするとして、今日15日の安倍・プーチン長門会談は、日本人であれば誰でも期待の目で見守る北方領土変換という課題に尽きる。ロシア極東地区における経済協力という点も含めて、70年来結ばれていない平和条約への締結も視野に入れての首脳会談は、まもなく(現在午後3時)長門市大谷山荘でいわゆる通訳を介するだけの「さし」で行われる予定だ。 

 ロシアの北方領土に対する主張にはいささか我田引水の面があり、これらはマスコミが詳細に伝えてはいるが、報道各社によって歴史的経緯の解釈に違いもあり、もちろん結果予想も異なっている。しかし、終戦後の8月28日に日ソ不可侵条約を一方的に破棄してわずか1週間程度で侵略した結果であることは間違いない。奪れるものは奪ってしまえというあさましくもはしたない戦争論理が突き動かしたものと解釈するしかない。今の世に通用する話ではないが、それだけ70年という月日は重いとも言える。
 4島変換という大命題に対しては、訪日直前にミサイル配備をした島の現状をふまえると困難だという見方が多くを占めているが、歯舞・色丹の2島変換がはたして可能かどうか。期待度を鎮めるために、それも簡単なことではないというのが通説になりつつあるが、私は案外に他の課題の進展次第では有り得ないことではないと思っている。と言うのも、この会談で変換への目途がつかなければ、逆に永遠に北方領土はロシア圏に属することになるだろうと思えてならないからだ。それは、日露双方にとって良作ではないはずだ。
 だからこそ、それを確定してしまう会談結果にはならないのではないかと思うのであって、期待ではなくあくまでも私的推測である。

 今のロシア議会は国家院(下院)450名中プーチンの与党会派だけでも343名を擁する安定体制下にあり、プーチンの一存が働きやすい環境にある。最も、やりすぎれば再びメドベージェフ等が台頭してくることもないではないが、それは共産党体質が色濃く残る国家での下克上は有り得ることと考えればよいだけのことだ。
 そのためにもプーチンが2島変換をロシア国内に納得させるためのソフトランディングの体勢作りが必要にはなるだろう。岸田・ラブロフ会談でもラブロフの冷徹な対応が目立ったが、プーチン体制の重要閣僚としてあえて厳しさを外に見せているようにも見受けられた。はたして、プーチンが日本からどれほどの支援協力を取り付け、それを国内にアピールするに十分足りうるかどうかだ。

 あとは、クリミアの強制併合によって今も続く経済制裁への対応が、未来志向の日露関係を構築するステージ作りにどれほどの足かせになるかといったところ。日本だけが勝手に制裁を解けば他の同盟諸国からの厳しい批判が待ち受けることになる。まさにトランプが顔を真っ赤にして怒り狂うことも考えなくてはならないが、トランプカードが今だに確定してない部分もあって、まったくこの点において先は読みにくい。オバマ現大統領との友好にも傷がつくことになりかねないので、これについては要用注意が必要だ。

 ただ、期待が高まり過ぎた状況に少々歯止めをする必要があると見て、変換の可能性についてを世論は静かになっているが、私たち日本人は熱い思いをこの会談に向けている。
 安倍総理にはただただ、政治理念を曲げることなく、またバラマキと揶揄されることのない外交に徹してもらいたいと思う。

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