記事一覧

No.2839 ギャンブル増加容認法

2017.01.06

アイコン

 暖かい正月もそうそう長く続くものではないと思ってはいるものの、冷たい北風が頬を切る寒さは辛いものがありますね。
 さて・・・今号のタイトルを語ればとても短くは終われない。どうしたものかと思案しつつ、とにかく書き始めてみることに。
 

 昨年の臨時国会で可決したカジノ法案について、経済活性化の目玉政策として捉える向きがある。本当にそれでいいのだろうか? 自民党員である私だが諸手を挙げて賛意を表すことは出来ない。なぜなら、具体的な法律を今後検討し煮詰めていく過程が大切だなどと、いかにも数ある問題はクリアできるかのような発言は信じられない上に、逆に日本の未来が社会構造の土台から崩れて行くような可能性を案じている。
 その理由は簡単に言えば、国内の政治家、マスコミ、広告会社、更には韓国民団、朝鮮総連といった在日団体などによるギャンブル、特にパチンコに対する癒着的関係が切っても切り離せない状況にあるからだ。つまり、時折の法改正に見られるように行き過ぎた場合にはチェック機能が多少働く面はあるが、日本のパチンコ社会は自殺者が出ようが生活破綻者が出ようが幼な子に死者が出ようが、結局のところ概ねイケイケドンドンの雰囲気で包み込まれている現状がる。
 業界から献金を受けている超党派議員たちによる業界発展を推進する議連もある。民進党が拙速な議会運営を批判しているが、実態は自民党も民進党も遊技場進行推進議員連盟に参加している議員が40名前後に及んでいる。またパチンコ関連会社の顧問になっている議員もいる。つまり国会は基本的にカジノ解禁に前向きな実情にあると言ってよい。
 それにより最大の問題点の一つである北朝鮮や韓国に数千億円規模の巨額が送り込まれても、厳格なチェックを要求する動きが鈍くなるのは自明の理ではないか。ちなみに、パチンコ業界の経営は5割は韓国、1割は中国台湾、2割は北朝鮮、2割が日本となっているという。説により多少の差違はあるが、多くの人はこの話を耳にしたことがあるのではないだろうか。
 あーー日本人が働いて得た金銭が流れ流れて北朝鮮の核開発に使われているかもしれないと考えると憂鬱になる現実がここにある。

 日本は先進諸国の中でも唯一といってよいがカジノを容認していない。がしかし、もとより日本固有のギャンブルとして競輪、競艇、オートレースがあり、これに競馬と世界にも珍しいパチンコを加えるとまぎれもないギャンブル国家なのだ。今やサッカーくじまである。
 前3者はだいたい戦後復興期に主に官公管理の下で始まり、沈みきった戦後日本に勤勉労働精神の癒し対価と確かな復興および高度成長の原資として力を与えたことは間違いない。しかし、どれも全盛期をとうに過ぎ、斜陽化して久しい。一日の入場者が300人前後といった場もある。ここにも時代の移り変わりが見て取れる。
 ここで考えるポイントはこうしたギャンブルは常に政治と密接にかかわり合ってきたことであり、政治がギャンブルを容認するどころか管理下に置き、揚がりをアテにする関係が構築されてきたことではないだろうか。それは、間違いなく今回のカジノ解禁法案にもリンクしていると考えられる。

 パチンコも例外ではない。広告や番組スポンサーなどへの倫理基準も綺麗事ではすまなくなり、大手広告代理店の働きもあって新聞雑誌テレビにまでSANKYO、セガサミー、平和といった製造メーカーのコマーシャルが登場するようになった。業界広告を進めたのは今話題の電通だというが実態はおそらく・・・まあそんなことは瑣末なことだが、かの長時間労働問題もあって世界最大の広告会社電通のイメージが一気に変わったのは間違いない。まだまだ一般人には知られない闇が社会のあちこちに存在しているということを示すひとつの例でもあろう。
 パチンコ店業界№1のマルハンの売上は2009年に2兆円を超えたという。上場倫理の観点から非上場会社であるから、こうした数値はあまり表面化しない現実がある。機械メーカーのセガサミーの広告費は同年200億を突破したという。あれから7年、最近ではゴールデンタイムに有名女優やタレントによるCFを見るようになった。
 余談だが、セガサミーの里美治CEO兼COOは昨年の菊花賞と有馬記念の優勝馬の馬主だそうである。

 
 パチンコは1930年に名古屋で日本一号店がオープンし、途中大戦で全面禁止となったものの1946年終戦の翌年に復活し、身近な娯楽として全国に広がっていった。一時は40万店に及ぶほどの成長産業となった。もっとも愛好家が注ぎ込む金は今と比べれば可愛いものだったかもしれない。その後、業界再編や繁華街型から郊外型への業態変化などで店舗数は淘汰されていく。
 過去20年のデータだが、
 最高利用人数は1995年の2900万人(売上31兆円)
 店舗数は同じく1995年の17600店
 売上は2005年の34兆8千億円
となっているが、この2005年の利用者数は1700万人なので、一人あたりの利用単価は1995年と比較すると2倍近くに膨れ上がっているのがわかる。これは新規に開発された台により射幸心が煽られたことによるものと思われる。そこから公安の規制が入るなどで2015年では店舗数10300店、利用者数1070万、売上23兆2千億円と毎年減少傾向にあるが、依存症が減少しているという話は聞かない。

ファイル 744-2.jpg ギャンブルの問題点は射幸心に誘されする高い依存性にある。それは家計のみならず時には我が子を死に至らしめるほど夢中になる際限の無い状況に陥る人を生む。生活保護手当がパチンコに当てられるとか、民主党政権奪取時の目玉政策だった子ども手当が家庭によってはパチンコ代に変わるという疑惑で世間が喧騒となったことは今でも忘れない。生活保護との関連は今だに社会問題として取り上げられる実態がある。
 依存性は現在約100万人以上、家族をいれると相当数の国民がミゼラブルな状態と言える。写真の折込チラシだが、業界が注意書きしても気休めにもならない。警察がここに加わるチラシも見た。どこかおかしい。

 競馬は先進国共通の社交場としての存在感を有し、賭博イメージとは一線を画しているが、先に述べたギャンブルの斜陽化の原因には若者離れがある。競馬にはそれがないと感じているがはたしてどうか。つまり、若者はギャンブルが嫌いではないのだ。国営競馬が持つ雰囲気は受け入れるが、他のギャンブル場が持つ環境や雰囲気にはひたりたくない、参加したくないという感覚ではないのかと感じている。
 ここで私が言いたいのは、外国映画に出てくるようなアーバンアミューズメントタイプのスマートでお洒落なイメージのカジノがあちこちに出来ていくと若者の興味をそそるのではないかという点にある。パチンコでは3~4割を占めるという主婦やOLにもパチンコ依存性は広がっているが、独身女性などはファッショナブルなカジノに興味をそそられる人もいるのではないだろうか。 ラスベガス、マカオ、モナコ、シンガポールといった旅先でカジノにうつつをぬかす日本人は枚挙にいとまがない。政治家しかり、一昨年だったか、埼玉県の私立学園の女性経営者が賭博にはまりすぎた例もあった。心配はつきない。どれほど綺麗なドレスに身をまとっても、スーツに蝶ネクタイで身を包んでも、一獲千金を夢見て大枚をつぎこむことには変わりがないのだ。

 そうした新たな不安とは別に既存の海外送金が強化される可能性や犯罪の多発といった問題は、現状を考える限り法でしばれるものではない。おそらく何の解決にも寄与しないだろう。なぜなら、カジノが売上の停滞するパチンコ業界にとって新たな産業として成長していく過程には、国民の好奇心とフトコロがアテにされているのはあきらかであり、最終的には自己管理、自己責任といった言葉がまかり通るような気がしてならない。
 まだまだ言いたいことは沢山あるのですが今日はここまでとします。みなさんのご意見お待ちしております。