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No.2935 選挙戦をふりかえる・・・その2

2017.10.25

 はじめにお断りしておきます。深夜に4時間強かけて書いたこれまで以上の長文です。過去最長かもしれません。どうぞよろしくお願いいたします。
 雨、また雨・・・この長雨、127年ぶりというのだから驚かされる。こうまで雨に見舞われると農産物の日照不足への影響もあるだろうが、消費全体に与える影響も少なくない。また別の目で見ると電車事故が多いように感じるが何か因果関係があるのだろうか。
 選挙後の総括および展望についてはテレビ・ラジオをオンすればほぼそれにぶつかる。それらはだいたい野党体制の予測と小池百合子氏の動向への注目がかなりの比重を占めているようで、案の定、帰国したての小池氏にメディアはかなりの時間をさいていた。


 小池氏のコメントに皆さんはどう感じられたでしょうか。くすぶる不満のタネがいつ芽を吹き出すかというのは大方の考えるところだったのではないかと。
 パリ在中時および帰国後も自ら招いたタネに深い詫びを入れる小池氏だったが、言葉以上の責任を取る意向は示さずに両議院懇談会は終わった。
「多くの同士を傷つけたことを深くお詫びする」
「辞任を求める声もあったが、このまま続投を求める声もあった」
「国政の立場にない私は党の運営はバッジをつけている人にまかせて都知事という責務に専念したい」
「創業者責任もあるので代表を続けていきたい」
 こうした発言、バランス感覚を疑うほど矛盾した発言に感じられてならない。
 この人の思考回路にはてっぺん思考が常在しているようで、その欲望の対象に限界を持たない性格とみえる。これだけていたらくな選挙結果をもたらした唯一無二の責任者なのだから両議院懇談会で全会一致で認められた場合にのみ続投が可能? それほど厳しい立場に置かれていたはずだったにもかかわらず、そのような認識は会議に臨むにあたってなかったようだ。しかも自ら都政に専念したいと発言しておきながら国政政党の代表を続けたいというのは、二足のわらじに対する批判が選挙戦低迷の一因だったことを思えば責任を取ったと言えるものではない。そこには、いつかまた国政にという野心が透けて見えるようだ。私は昔から小池氏への評価は定まっていたので都民やマスコミのジャンヌダルク登場のように期待感を高揚することはなかった。ブラックボックスの例えは小池氏自身にもふさわしいと今は感じている。中山恭子参議院議員はどう考えているのだろうか。ご主人の成彬氏は希望の党で当選を果たしたが、選挙前から総理は安倍総理の続投を望むと宣言した人である。なんやかや個人的に興味はつきない。

 今回の選挙では馬渕、松野、松木という知名度の高い3Mが下野した。とくに馬渕氏の比例当選もなかった事実は希望の党にとって痛手となろう。あとの二人は信念無き放浪政治家として厳しい選択を受けたと感じている。松野氏は野党再編によく顔をだしていたが、父の域に達することは難しそうだ。松木氏はもとより小沢氏の子飼い議員としてのし上がったがそこまでの方なのかもしれない。まあ政治の世界は嵐に飲み込まれても大きな偏西風によって息を吹き返すことも可能であるから数年後どうなるかは誰もわからない。
 そう言えば、北海道で注目すべき戦いがあった。3期目を目指す中川郁子氏(故中川昭一元財務大臣夫人)が立憲の石川香織候補に惜敗した。立憲との一騎打ちでは今回の選挙は厳しかったということと理解するしかないが、この石川候補のご主人は小沢一郎氏の元秘書で、陸山会資金規正法に関する事件で有罪判決を受け議員辞職をし、今年10月まで公民権停止状態だったことから伴侶の代理出馬ということにつながったものだ。中川昭一氏は2009年2月G7で訪れたローマでの居眠り記者会見をマスコミに叩かれ大臣を辞任。その半年後の2009年8月に行われた衆議院選挙で石川知裕氏に破れ比例復活もならなかった。中川氏はその1ヶ月後に急死した。父上の秘書だった鈴木宗男氏が常に敵方として存在感を示していたことに加え、年金問題で民主党に旋風が吹きまくったことも逆風となった。石川氏が起訴され民主党を離党したのはそれから5ヶ月後のことであった。
 中川昭一氏は自殺した父一郎氏同様に国を思うスペクタル国家観を持ち、教育や農政経済の分野から変革を意図していた議員で、第一次安倍政権下での教育基本法改正には同氏の関わりが強かったとも言われている。今の安倍総理や麻生副総理とは盟友の関係にあり総理大臣をも嘱望されていた。存命であれば64歳になるが、ハードスケジュールの中でのアルコール痛飲がアダになってしまった。当時、画面で目がうつろな拡大映像を流すなど強烈な批判を繰り返したメディアは、今に繋がる自民倒閣思考があきらかだったが、当時年金問題が安倍政権に追い打ちとなっていた時期でもあった。
 話は戻るが、私は山尾議員に注目していた。まさに説明責任を果たさずに記者会見から逃避し、党まで捨てた元検事の選挙の結果ははたしてどうか。総理の天敵として活躍したと支持者に語っている場面を見たが、「保育園落ちた、日本死ね」という不明の書き込みを質疑に利用しただけのことと私は思っているし天敵などとはおこがましい限りだ。政治キャリアも国家観も雲泥の差であることを自戒してもらいたいくらいである。約800票の差での当選は、無所属は比例がないことからまさに薄氷を踏む思いだったはずだが、投票には白票を含み無効投票が2万票以上あった。一騎打ちの熾烈な選挙戦で互いに8万票強を得た結果において2万票の無効とはいったいどう理解すればいいのだろうか。理解できるとすれば、前回の選挙で山尾氏に投票した有権者が、彼女の不倫問題とその対応に疑義を感じ投票用紙に規則外のことを書いたか白紙抗議をした可能性である。いずれにしても、これは異議申し立てをする意味は無くはない。そう言えば、春日部市長選の8票差というのも同様で無効票が2,000票あまりあったというから尋常ではない。
 ところで、立憲の福山哲郎幹事長は山尾氏の立憲入りを歓迎すると発言したそうだ。選挙後の新たな「何でも有り」はすでに始まっている。

 立憲民主党がメディアの煽りもあって時のヒーロー扱い、テレビ朝日報道ステーションなどは真っ先に枝野代表をゲストに迎えていた。枝野氏は2大政党制に向けて野党のまとまりが必要だと説くが、今はその時期ではないという。もちろん希望の党の今後、無所属当選組の意向、共産・社民との連携等々、国民目線を考慮すると今後のあり方に頭を痛める時間が続きそうだ。しかし、枝野さんの政治理念は政治活動の経緯をたどればほぼ極左に近く、選挙戦の前後で突然保守系の立場を口にしはじめたのには驚いた。選挙優先の理念返上と私には感じられた。そもそも民進党代表選に破れ、前原代表一任の結果で希望の党への丸々移籍に賛同したものの例の排除の論理に遭遇し、民進党では選挙戦をしないという前原宣言を受けて新党か無所属しか選択肢がなかったのだ。無所属で打って出た民進党重鎮たちとは憲法問題や日米安保など相容れない政治信条の持ち主であるから、これしかない道を選択し、いさぎよいという評価となり日本人特有の判官びいきが生じることとなった。自公政権に飽き足らず変化を求める国民にとって受け皿への道を期待されたという見方もあるが、突然の選挙産物であったのも間違いないところである。
 私はFBに、今度は立憲の排除が始まるかもしれないと数日前に書いたが、さきほどネットニュースでまさにそれを標榜する記事に出会った。
「今度は立憲による排除が・・・国会対策委員長会談で第一党となった立憲は希望と維新の委員長を招請しなかった」
 立憲の国会対策委員長は辻元清美氏である。維新はそもそも日米安保対応は立憲と異なる。松井代表が単なる野党共闘路線に走るようであれば何をか言わんやである。同党の知名度的に看板議員である足立議員は野党から4度も懲罰動議を受けている根っからの中道保守の議員である。それこそ辻元氏や蓮舫氏、山尾氏への痛烈な批判に戸を立てられない議員としてならしている。

 長くなったが今後の政治の仕組みについて私案を少々。
 2大政党制への変革を期待する向きがあるが、日本ではかなり難しいことだと私は考えている。なぜなら極左と呼ばれる政治集団が常に一定の範囲で国会の一部を占める実態にあって、今の政権編成思考の現状は、野党再編を語るたびに異次元の社会構築思想を有する政党とも組みする2大政党制を志向しているからである。
 極左の政党は第3政党として常に位置づけ、保守の中での中道かリベラルかを国民に判断してもらう形でしか日本の2大政党制への道は構築出来ないのではないだろうか。そうでない限り、国民を惑わせる政治システムだと言わざるを得ない。そういう意味では、民主民進に保守対立軸として国民は期待していたのだが、なんでも反対、政権批判しかしない対立政党に変貌していっってしまった民進党が悔やまれる。立憲は旧社会党的であり希望とはまったく異なる政党として存続して行けばいい。しかし、それと自民党との2大政党制では55年体制に戻るだけだ。希望と維新は組みし安いが小池氏が代表ではイメージ回復は難しい。自らの欲望のためでなくしっかりとした国家観に成り立った政治家が頭に立ち、小選挙区制により自民党から弾かれる運命にある保守政治家たちを集約することが望まれる。それが一強政治に不満と不安を持つ国民の理解に繋がるのではないだろうか。
 基本的には9条を含む憲法改正や日米安保等々の外交防衛上の国防意識を共有した上で、経済、福祉、環境、農政等々広く安心安全の分野における国民生活に直結した政策で論戦する2大政党制が望ましいと考えている。他の先進国では概ねそういった政治システムが多いようだが、国際環境の移ろいから極右とかネオナチといった自国保護の思想集団の登場も欧州などでは見られるようになっている。とにかく、日本の言論の自由は左派思想によって謳歌されており、過激な選挙妨害もマスコミによって政権転覆の材料となる始末である。したがって、それに関わる思想政治組織は2大政党制には適さないと考えるのが妥当ではないだろうか。左派思想がそうした形で社会に存在することに異論はない。思想を別にする55年体制の自民対社会の構図ではなく、保守対保守の政策主体の対立構図になることが政治の質の低下への歯止めになると確信している。

No.2934 選挙戦をふりかえって・・・その1

2017.10.23

 よくよく考えれば、今回の選挙は結果とは別に解散前後に議員の政党ロンダリングが顕著だった。そして最大野党の民進党がそれによって解体に近い形に追い込まれた。民進党がここまで落ち込んだのは前代表の蓮舫氏による政権批判一辺倒の党運営と山尾議員の不倫および記者会見逃避騒動だったのではないかと思う。この女性議員2人の責任はそういう意味において重たい。民進党はそれ以前から保守系とは言いながら左派系の政党と感じるような議会対応が多すぎた。今後、参議院議員をはじめとする残った議員たちにはもはや党勢回復を果たすのは至難の技と言えよう。実際、参議の福山哲郎氏のようにいち早く立憲入りし、幹事長におさまっている議員もいる。無所属で当選したベテラン議員の何人かは党復帰をすることになるのだろうがそれでもどうだろうか。それとも、野党がまとまる必要性を痛感した議員たちを中心に大同団結となるのだろうか。それはあまりにも選挙と有権者を愚弄することにならないか。また、希望の党は自民党と組みし与党入りするのかどうか。その前に小池氏の責任問題がわき上がることはないだろうか、活性化するであろう憲法論議にはどう対応していくのか・・・・考えるポイントはいろいろある。

 埼玉第14選挙区を振り返ってみると、とにかく三ッ林ひろみ候補の政治家として一段と成長アップした現状を示す絶好の機会となった選挙だったと評価出来る。選挙戦自体は楽な戦いはないのだが、演説内容や立ち居振る舞い、支援者に対する対応、そして医師として医療制度と法の整備にかける情熱など、今後さらなる期待感を感じさせてくれる。実質自民三ッ林候補と希望の党の戦いにあって、希望の失速はあったにせよ希望候補者が、三ッ林候補とともに初挑戦だった前々回には大阪維新の会、前回は民進党、そして今回希望の党と選挙のたびに政党ロンダリングをしたことが今回の結果に与えた影響は少なくないと思われる。これでは地域の支援者といえども裏切られた感を持つ人もいるだろうし、心が離れるのもやむを得ない。3度連続で比例復活制度に救われるかどうか。

 それにしても、若狭氏がつい2・3週間前までは意気軒昂な姿をメディアに示していたが選挙は恐ろしいことが理解出来たのではないだろうか。選挙前は小池氏が政権交代の受け皿とまで野心を高めていたことで、自らも国政を担う重職への道を描いていたやもしれぬ。普通に考えて知事選、都議選と大勝したからといって国政までという思考はいくらなんでもそれまでの所属政党および党友に対して上から目線過ぎるし、都政・都民に背を向けるものだ。
 若狭氏と民進からの受け入れ協議をしていた玄葉氏は協議終了直後に希望に入らず無所属で立候補し当選した。小池氏の要求が強烈なもので疲れたと漏らした玄葉氏の言動が今回の選挙戦を事前に示していた。玄葉氏が希望に希望を持てなくなった姿をそこに見た。
 言葉は怖い。「さらさら、排除、選択」が今回の選挙の風を希望の党にとって南風から北風に変えてしまった。実際、選挙が進むにつれて気温が低下していったが厚いコートを慌てて着てももはや寒さをしのぐことは困難だった。
 「ドングリコロコロどんぶりこ、小池にはまってさあ大変、どじょうが出てきてこんにちわ、ぼっちゃん一緒に遊びましょ」どじょうが誰かは想像におまかせするが、若狭ぼっちゃんは小池に入ったばっかりに、そこに住むどじょうによって自らが塾長として立ち上げた輝照塾の塾生数人たちと泥の中に引きずり込まれてしまったという例えは厳しすぎるだろうか。

 今、テレビは与党304議席を示している。残り22議席。310議席に届くかどうか・・・画面上部には県内ほぼ全域に大雨洪水警報のテロップが流れている。今1時25分。屋根を叩く雨音がテレビの音をかき消すほどに高まっている。台風の規模からは幸手市内はもとより関東平野全域の洪水と山間部の土砂被害が心配だ。さらには、政治とのかかわりが単的に出る経済指標と言える株価がいったいどういった動きを見せるのか。アベノミクス継続との関係で興味深い。
 瞼が綴じ気味になってきた。月曜日は6時起床なのだが、時間は短くても今夜はゆっくり眠れそうだ。おやすみなさい。

No.2933 3期目でさらに重厚さに磨きが!

2017.10.22

 今日、家内と映画のビデオを鑑賞した。数年ぶりの二人揃ってのことだった。意識したわけではないが観たのは「雨あがる」。2000年公開の黒沢明監修・脚本の映画でその年度の日本アカデミー賞で最優秀賞を作品、脚本、主演男優、助演女優、音楽など、そして優秀賞に主演女優、助演男優など、ほぼ独占に近い賞を獲得した名作で、何度も観た映画なのだがたまたま家内が図書館でこの原作本を借りてきたことからビデオを観たくなったのだ。時代小説には人情描写の鋭いものがあり、その原作の多くはドラマ化されている。この雨あがるは山本周五郎だが、藤沢周平、池波正太郎といったところがビッグ3ではないだろうか。
ファイル 841-1.jpg てるてる坊主にも似た期待を持って全編1時間半という短めの映画鑑賞となったが、台風が近づく天候ではそれも叶わず雨は激しくなるばかり。7時すぎに三ッ林事務所に入る。ほとんどいない事務所にもぽつぽつと支援者が訪れ7:55に始まった選挙特番でいきなり多くの当確が出たことに驚く。我が三ッ林候補の当確は若干遅れたものの8:10に出た。過去2回の選挙戦は深夜に近い時間帯での当確だったファイル 841-2.jpgが、予想を上回る発表に喜びも倍増。長雨自体が梅雨でも珍しいのに、それが選挙戦にぶつかって、しかも投票日には台風が訪れ西日本の島しょ部では投票不能地区が多発しているという状態。投票率が心配されたが前回を僅かに下回っただけですんだようだ。

 

No.2932 魂あふれる真摯な叫び

2017.10.22

ファイル 840-2.jpg 昨日で日本の今後を左右する選挙戦が終わった。もう何も言うことはない。
我が第14選挙区は候補者4人。三ツ林ひろみ候補の心の底から訴える魂の叫びは聴くものをうならせ、感動させてくれた。昨夜の幸手市内で行われた最後の街頭演説はとても清々しく、聴衆の心に深く刻まれたはずである。雨中ではファイル 840-1.jpgあったが、傘をさすのも忘れて耳を傾ける姿が多く、そこには、候補者と聴衆との間に強いキズナがあることを思わせるものだった。候補者の実直な人柄が、この政治家なら絶対に我々を裏切ることはないという信頼感を持たせるのだろう。

 
 どの地域でもそうだが地域の未来と国の未来に拘わる国政選挙では先の号でも書いたが「人選び」が最も欠かせない要素である。そういう意味において、近頃は政党にかかわらず人の本質自体に疑問を抱くおかしな議員が出現している。しかも学歴など経歴のいかんにかかわらず驚くべき人柄やプライベートをさらけ出す議員が続出し、また、当選ありきで政党を渡り歩く議員にも事欠かない。今回の選挙は民進党議員の多くがその例である。
 党を変えても人間性は変わらない。しかし政治的理念や信条は平気で変える場合が多い。その端的な例が今回の選挙で見られた。いわゆる平和安全法制の反対から賛成への踏み絵がそれだ。時に吹く風に乗り野心を増幅する小池百合子氏。その本質ゆえに希望の具体性を語ることが出来ず、さまつな言葉で安倍政治の批判に明け暮れる選挙戦ではなかったか。自民党にあって環境大臣、防衛大臣などを歴任した政治家としていかがなものかと感じざるを得ない。
 夢は形に出来るものが政治上の夢であるべきで、彼女が持ち出した希望という公約の多くは夢に人偏がつくものだった。夢に人偏がつくと儚い(はかない)のである。夢に人がつけば正に政治家ではないかと思うのだが、漢字は真逆を意味する。漢字は面白い。
 民進党では当選の可能性が低いゆえ小池人気にあやかろうと踏み絵を踏んだ政治家はいったいいずこに信念があるというのだろうか。また、同じ観点でその支持者も前回選挙との関係から言えば、本質的には裏切られたわけだが、その対応は地域や人間関係で支援することに変わりはないというパターンが多いのではないだろうか。しかし、これこそがしがらみの最たるものだと私は思う。いくら地域性が大切だといっても政治家としての軽さや信念の無さが明らかになればそこで見切るくらいの政治選択が出来ない有権者が多ければ、いつまで経っても政治の質の向上は遠いのではないだろうか。
 政治スタンスを変える政治家を許すか許さないかは各選挙区内の有権者であり、もっと言えば裏切られても支援し続ける支持者兼有権者ということになる。選挙制度でベストと言えるものはないのかもしれないが、個人的には中選挙区制度に戻すべきだと感じている。
 

No.2931 埼玉第14選挙区への想い 

2017.10.19

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 いよいよ選挙戦も終盤戦に向かいます。ここまでの情勢は与党有利と報じるメディアが多いようですが、その真意はまさしくまちまちであると思われます。安倍倒閣支援のメディアは、いわゆる「褒め殺し」戦略に方向転換したのだろうと感じます。もっともTBSのサンモニの酷さは相変わらずといったところです。
 ところで埼玉14選挙区の三ツ林ひろみ候補の街頭演説における内容の素晴らしさは輝いています。防災、農業、医療といった分野における今後の国政の取り組み方がわかりやすく、それこそ希望を感じさせる具体性にあふれています。今日は地元幸手の公民館での演説会でしたが、いつもの熱い魂の叫びにも近い話しぶりとは違う落ち着いた口調での内容の熱い近未来構想をじっくりと聴かせてくれました。
 政治ばかりは当選しても野党にいては予算を動かせるわけではありませんし、地域発展に貢献することはなかなか難しいと言えます。イデオロギーは政治に関係ないと枝野氏などが発言していますが、自由社会においてあらゆる自由と安心安全に包まれる生活を堅持するためには、それを委託できないイデオロギーというのは確実にあるわけです、なぜなら国政・国会は国民の生活の安寧を考慮し、それを守る法律を構成する立法府だからです。国民の安寧は真の意味での民主主義を唱える政党でこそ実現出来ると言っても過言ではありません。
 そして、そこには政党が持つイデオロギーとは別に政治家個人が持つイデオロギーに近い信念の存在が欠かせません。当選しなければ政治が出来ないという理由は私も当事者としてわからないではありませんが、当選できる可能性を吟味し、政党を渡り歩く候補者は信念も魂もかなぐり捨てるという点から信頼出来ない人物像と私は確信しています。離党には正当な理由が感じられる場合もあります。近い例で言えば、都議会都民ファーストを先日離党した二人の議員の場合です。しかも、まだ若いうちならそれも良しという面もあるでしょうが、県議を長くやり、国政に出るにあたり政党を変え、選挙のたびに所属を変える議員は本質的に前回投票してくれた有権者を裏切っていることに変わりはありません。
 もっとも、地方政治にはイデオロギーは無きがごとしです。条例制定権はあっても立法府ではありません。首長選挙の立候補者の多くが無所属で名乗りを上げるのもそうしたことが原因だろうと思います。
 話は変わりますが、今回の選挙戦でこんなことがありました。別に珍しいことではないと思いますが、私はこうしたことが不思議でなりません。昨日折込された選挙広報をご覧になられた方は多いと思いますが、14選挙区の希望の党候補をお願いしますとして杉戸、三郷、八潮の首長が名を連ねていました。このうちのある首長が選挙告示日に三ッ林選挙事務所を激励に訪れ一席応援演説をぶったのです。八方美人も政治の世界には付き物ですが、ここまでとなると私は空いた口がふさがらなくなるのです。
 三ッ林候補の政治家としての実力は年々積み重なっていることが演説を聴くたびに理解できます。もちろん実直な人柄も身びいきが言わせるものではありません。私は希望の党の候補者も県議時代に同じ自民党議員として一緒でしたからわかっています。彼が自民党を除名になった時、その審判を下す党の党紀委員会の委員でもありました。
 反体制的思考の方も、反自民、反安倍の方にもこれだけは申し上げたいのです。衆議院選挙における小選挙区は正に「人選び」なのです。

No.2930 暗黒の政治

2017.10.16

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 少々日が空いてしまいアクセスいただいた皆様には申し訳ありませんでした。けっして言い訳ではなく、前号をしっかりお読みいただきたいと考えた結果です。
 実は、前号の内容は今回の選挙戦、とくに小池百合子という政治家を読み解く意味で渾身の長文と自負していたので更新せずにいたものです。

 そうしたところ、元東京・中日新聞の論説委員だった長谷川幸洋氏の論説がネットで話題になっていることを知り、確認したところ正に言いえて妙、というか私の前号ブログをさらに深く解説している内容だったので感じいった次第です。タイトルは、その長谷川氏が名づけた小池百合子が志向している政治の姿を示す言葉です。
 長谷川氏は、小池さんが総理指名を選挙後にするとして特定の人物指名を拒否したことを痛烈に批判しています。つまり自らが総理になれない立場でありながら選挙次第で総理を選ぶと言い切ったわけで、それは奢り以上の悪意が潜む思考を示すものだというのです。そして、政治も国民も小馬鹿にする許しがたい発言だとしています。私もそれについては読み解く角度は少々異なったにしてもまったく同感で、選挙で当事者が吐く言葉には微妙に深い意味をもたらしていることがあるものだと感じたのです。この人は何言ってるんだろう?あれー考えてみると随分おかしなことを言ってるぞーということがけっこうあるものです。小池さんは言葉に酔い、自分は優秀だと理解させたいタイプなのでしょうが、実際はかなり自分にブーメランとなる発言をけっこうしているのです。おそらく多くの人は気がつかないことかもしれません。
 先日はプライムニュースで脱原発の対案について「自分の家でもつけている太陽光発電を各家庭でもつければ」と発言し、反町キャスターに300万もかかるから簡単ではないでしょうと返されて「でも今は少し安いものも出ているから」と・・どれほど安くなっているか、国民にとって安いとはどれほどのものかがわかっていない元環境大臣とは思えない安易な思考をさらけ出す始末。国家のトップなどとてもとてもといった本性を見せている。言葉が踊るだけで、今ではもりかけ問題一辺倒で安倍批判をすることにより局面打開をする選挙展開と化しているのが実態です。
 

 反安倍マスコミや野党政治家は言葉尻をとらえ、それを批判の対象にします。いい例が安倍総理が都議選秋葉原で口にした「こんな人たちに負けるわけにはいかないんです」という言葉。これは聴衆の後方で横幕とプラカードをかざして「安倍帰れー」「安倍やめろー」と叫んでいた左派系集団数十名に向けて発言した言葉でした。気がつかれたかどうかわかりませんが、これは明らかに選挙妨害という犯罪なのです。一部の非常識集団に演説がかき消される状況を打破するために、総理は瞬間的に口に出たしまったのでしょう。しかし、総理という立場におもむきを置かれ、マスコミは「国民に向かって差別的言葉をぶつけた」となったのです。国会で民進党から指摘され総理は神妙に答弁していましたが、私は弁明する必要などないと思いながらテレビを見ていました。今回の選挙戦、柏駅前で同じようなことがありましたが、この選挙妨害に対して別の聴衆が総理にヤジっていた人たちに抗議をして静かになったということです。

 長谷川さんは反自民、反安倍の代表格のマスコミ出身ですが、沖縄問題で基地建設反対の左派活動について問題点を指摘するなど真正是々非々の言論家の一人だと感じています。左派系の選挙違反もなんのそのといった卑劣な言動にメスが入ることはないのでしょうか?
眠気に襲われてとりとめのないブログになってしまいました。
 

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