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No.2935 選挙戦をふりかえる・・・その2

2017.10.25

 はじめにお断りしておきます。深夜に4時間強かけて書いたこれまで以上の長文です。過去最長かもしれません。どうぞよろしくお願いいたします。
 雨、また雨・・・この長雨、127年ぶりというのだから驚かされる。こうまで雨に見舞われると農産物の日照不足への影響もあるだろうが、消費全体に与える影響も少なくない。また別の目で見ると電車事故が多いように感じるが何か因果関係があるのだろうか。
 選挙後の総括および展望についてはテレビ・ラジオをオンすればほぼそれにぶつかる。それらはだいたい野党体制の予測と小池百合子氏の動向への注目がかなりの比重を占めているようで、案の定、帰国したての小池氏にメディアはかなりの時間をさいていた。


 小池氏のコメントに皆さんはどう感じられたでしょうか。くすぶる不満のタネがいつ芽を吹き出すかというのは大方の考えるところだったのではないかと。
 パリ在中時および帰国後も自ら招いたタネに深い詫びを入れる小池氏だったが、言葉以上の責任を取る意向は示さずに両議院懇談会は終わった。
「多くの同士を傷つけたことを深くお詫びする」
「辞任を求める声もあったが、このまま続投を求める声もあった」
「国政の立場にない私は党の運営はバッジをつけている人にまかせて都知事という責務に専念したい」
「創業者責任もあるので代表を続けていきたい」
 こうした発言、バランス感覚を疑うほど矛盾した発言に感じられてならない。
 この人の思考回路にはてっぺん思考が常在しているようで、その欲望の対象に限界を持たない性格とみえる。これだけていたらくな選挙結果をもたらした唯一無二の責任者なのだから両議院懇談会で全会一致で認められた場合にのみ続投が可能? それほど厳しい立場に置かれていたはずだったにもかかわらず、そのような認識は会議に臨むにあたってなかったようだ。しかも自ら都政に専念したいと発言しておきながら国政政党の代表を続けたいというのは、二足のわらじに対する批判が選挙戦低迷の一因だったことを思えば責任を取ったと言えるものではない。そこには、いつかまた国政にという野心が透けて見えるようだ。私は昔から小池氏への評価は定まっていたので都民やマスコミのジャンヌダルク登場のように期待感を高揚することはなかった。ブラックボックスの例えは小池氏自身にもふさわしいと今は感じている。中山恭子参議院議員はどう考えているのだろうか。ご主人の成彬氏は希望の党で当選を果たしたが、選挙前から総理は安倍総理の続投を望むと宣言した人である。なんやかや個人的に興味はつきない。

 今回の選挙では馬渕、松野、松木という知名度の高い3Mが下野した。とくに馬渕氏の比例当選もなかった事実は希望の党にとって痛手となろう。あとの二人は信念無き放浪政治家として厳しい選択を受けたと感じている。松野氏は野党再編によく顔をだしていたが、父の域に達することは難しそうだ。松木氏はもとより小沢氏の子飼い議員としてのし上がったがそこまでの方なのかもしれない。まあ政治の世界は嵐に飲み込まれても大きな偏西風によって息を吹き返すことも可能であるから数年後どうなるかは誰もわからない。
 そう言えば、北海道で注目すべき戦いがあった。3期目を目指す中川郁子氏(故中川昭一元財務大臣夫人)が立憲の石川香織候補に惜敗した。立憲との一騎打ちでは今回の選挙は厳しかったということと理解するしかないが、この石川候補のご主人は小沢一郎氏の元秘書で、陸山会資金規正法に関する事件で有罪判決を受け議員辞職をし、今年10月まで公民権停止状態だったことから伴侶の代理出馬ということにつながったものだ。中川昭一氏は2009年2月G7で訪れたローマでの居眠り記者会見をマスコミに叩かれ大臣を辞任。その半年後の2009年8月に行われた衆議院選挙で石川知裕氏に破れ比例復活もならなかった。中川氏はその1ヶ月後に急死した。父上の秘書だった鈴木宗男氏が常に敵方として存在感を示していたことに加え、年金問題で民主党に旋風が吹きまくったことも逆風となった。石川氏が起訴され民主党を離党したのはそれから5ヶ月後のことであった。
 中川昭一氏は自殺した父一郎氏同様に国を思うスペクタル国家観を持ち、教育や農政経済の分野から変革を意図していた議員で、第一次安倍政権下での教育基本法改正には同氏の関わりが強かったとも言われている。今の安倍総理や麻生副総理とは盟友の関係にあり総理大臣をも嘱望されていた。存命であれば64歳になるが、ハードスケジュールの中でのアルコール痛飲がアダになってしまった。当時、画面で目がうつろな拡大映像を流すなど強烈な批判を繰り返したメディアは、今に繋がる自民倒閣思考があきらかだったが、当時年金問題が安倍政権に追い打ちとなっていた時期でもあった。
 話は戻るが、私は山尾議員に注目していた。まさに説明責任を果たさずに記者会見から逃避し、党まで捨てた元検事の選挙の結果ははたしてどうか。総理の天敵として活躍したと支持者に語っている場面を見たが、「保育園落ちた、日本死ね」という不明の書き込みを質疑に利用しただけのことと私は思っているし天敵などとはおこがましい限りだ。政治キャリアも国家観も雲泥の差であることを自戒してもらいたいくらいである。約800票の差での当選は、無所属は比例がないことからまさに薄氷を踏む思いだったはずだが、投票には白票を含み無効投票が2万票以上あった。一騎打ちの熾烈な選挙戦で互いに8万票強を得た結果において2万票の無効とはいったいどう理解すればいいのだろうか。理解できるとすれば、前回の選挙で山尾氏に投票した有権者が、彼女の不倫問題とその対応に疑義を感じ投票用紙に規則外のことを書いたか白紙抗議をした可能性である。いずれにしても、これは異議申し立てをする意味は無くはない。そう言えば、春日部市長選の8票差というのも同様で無効票が2,000票あまりあったというから尋常ではない。
 ところで、立憲の福山哲郎幹事長は山尾氏の立憲入りを歓迎すると発言したそうだ。選挙後の新たな「何でも有り」はすでに始まっている。

 立憲民主党がメディアの煽りもあって時のヒーロー扱い、テレビ朝日報道ステーションなどは真っ先に枝野代表をゲストに迎えていた。枝野氏は2大政党制に向けて野党のまとまりが必要だと説くが、今はその時期ではないという。もちろん希望の党の今後、無所属当選組の意向、共産・社民との連携等々、国民目線を考慮すると今後のあり方に頭を痛める時間が続きそうだ。しかし、枝野さんの政治理念は政治活動の経緯をたどればほぼ極左に近く、選挙戦の前後で突然保守系の立場を口にしはじめたのには驚いた。選挙優先の理念返上と私には感じられた。そもそも民進党代表選に破れ、前原代表一任の結果で希望の党への丸々移籍に賛同したものの例の排除の論理に遭遇し、民進党では選挙戦をしないという前原宣言を受けて新党か無所属しか選択肢がなかったのだ。無所属で打って出た民進党重鎮たちとは憲法問題や日米安保など相容れない政治信条の持ち主であるから、これしかない道を選択し、いさぎよいという評価となり日本人特有の判官びいきが生じることとなった。自公政権に飽き足らず変化を求める国民にとって受け皿への道を期待されたという見方もあるが、突然の選挙産物であったのも間違いないところである。
 私はFBに、今度は立憲の排除が始まるかもしれないと数日前に書いたが、さきほどネットニュースでまさにそれを標榜する記事に出会った。
「今度は立憲による排除が・・・国会対策委員長会談で第一党となった立憲は希望と維新の委員長を招請しなかった」
 立憲の国会対策委員長は辻元清美氏である。維新はそもそも日米安保対応は立憲と異なる。松井代表が単なる野党共闘路線に走るようであれば何をか言わんやである。同党の知名度的に看板議員である足立議員は野党から4度も懲罰動議を受けている根っからの中道保守の議員である。それこそ辻元氏や蓮舫氏、山尾氏への痛烈な批判に戸を立てられない議員としてならしている。

 長くなったが今後の政治の仕組みについて私案を少々。
 2大政党制への変革を期待する向きがあるが、日本ではかなり難しいことだと私は考えている。なぜなら極左と呼ばれる政治集団が常に一定の範囲で国会の一部を占める実態にあって、今の政権編成思考の現状は、野党再編を語るたびに異次元の社会構築思想を有する政党とも組みする2大政党制を志向しているからである。
 極左の政党は第3政党として常に位置づけ、保守の中での中道かリベラルかを国民に判断してもらう形でしか日本の2大政党制への道は構築出来ないのではないだろうか。そうでない限り、国民を惑わせる政治システムだと言わざるを得ない。そういう意味では、民主民進に保守対立軸として国民は期待していたのだが、なんでも反対、政権批判しかしない対立政党に変貌していっってしまった民進党が悔やまれる。立憲は旧社会党的であり希望とはまったく異なる政党として存続して行けばいい。しかし、それと自民党との2大政党制では55年体制に戻るだけだ。希望と維新は組みし安いが小池氏が代表ではイメージ回復は難しい。自らの欲望のためでなくしっかりとした国家観に成り立った政治家が頭に立ち、小選挙区制により自民党から弾かれる運命にある保守政治家たちを集約することが望まれる。それが一強政治に不満と不安を持つ国民の理解に繋がるのではないだろうか。
 基本的には9条を含む憲法改正や日米安保等々の外交防衛上の国防意識を共有した上で、経済、福祉、環境、農政等々広く安心安全の分野における国民生活に直結した政策で論戦する2大政党制が望ましいと考えている。他の先進国では概ねそういった政治システムが多いようだが、国際環境の移ろいから極右とかネオナチといった自国保護の思想集団の登場も欧州などでは見られるようになっている。とにかく、日本の言論の自由は左派思想によって謳歌されており、過激な選挙妨害もマスコミによって政権転覆の材料となる始末である。したがって、それに関わる思想政治組織は2大政党制には適さないと考えるのが妥当ではないだろうか。左派思想がそうした形で社会に存在することに異論はない。思想を別にする55年体制の自民対社会の構図ではなく、保守対保守の政策主体の対立構図になることが政治の質の低下への歯止めになると確信している。