記事一覧

No.2834 地形と気候ともに特異な糸魚川

2016.12.24

 暖か過ぎる! この暖冬気配はいったいなんだ! 糸魚川市の大規模火災もこの気候変動が要因になっていると考えられる。なにしろ強烈な南風が吹き荒れていたところでの小さな元火があれほどの災害を引き起こすとは。大震災以外では記憶にないほどの火災ではないだろうか。

 フォッサマグナで知られる糸魚川市内自体は平坦な町並だが、断崖絶壁の景勝地として知られる親不知と海岸線でのヒスイが有名な街である。この断崖にへばりつくというかせり出しているかのように走る北陸道から眼下に広がる日本海には目を奪われる。
 走り見てわかることだがかなりの難工事だっただろうと感じるが、実際これは確かなことだったそうである。
 ドライブ好きが高じて幾度か国道8号も利用したが、大きなセメント工場が印象に残っている。つまり、産業的にも地形的にも異色な自治体といった感じなのだが地形だけでなく気候的にも特異な地域だということか。

 11月初旬のこと、妙高赤倉から上越市方面に出向いた時、まったく想定外の初雪に見舞われた。ラッセルカーが出たくらいだから豪雪地とはいえ驚いた。地元の人たちも面食らった様子で一面の雪景色をみつめていた。
 糸魚川は上越市から海沿いに約50㌔ほど西に位置する。つまり東京幸手間くらいのものだが、その11月の記憶がまだ焼きついているので、にわかには信じられないイメージで画面を見つめていた。南に下れば小谷村や白馬村などスキーのメッカも50㌔そこそこである。やはり山間地と海岸線の気候は距離とは無関係というかわずかな距離でもその違いははっきりしているということなのだろう。

 新しい年を10日後に控えたところでのことゆえ被災者の皆さんはさぞや辛く厳しい心持ちと察します。慎んでお見舞い申し上げます。
 新潟県知事は10月に当選したばかりの米山氏だが、どのような行政手腕を示してくれることか。突然の家屋全焼で着の身着の儘となった方たちの心の落ち着きと生活の拠り所に全力であたってくれることを願うばかりです。

 最後に、出火の原因は空焚きや油扱いのうっかりミスが多いようです。また、地方都市では糸魚川のように古くからの住宅が密集している街が少なくない。くれぐれも「火の用心!」を。

No.2829 撤退と進出 

2016.12.08

アイコン

 先月、石川県に出かけた際に「クスリのアオキ」というドラッグストアを多く見かけた。なんでも石川から福井、長野、群馬、愛知といった県下で300店舗ほどを展開する企業らしい。本社を石川県白山市に置く会社で業績も順調のようである。
 その店が旧県道加須幸手線の宮田ガスさんの前に出店準備を進めている。数か月前までコンビニのサンクスがあったところである。なにより、空いた店舗に次なる後釜が期間をおかずに入るというのは、街のイメージには良いことである。
 ただし、ドラッグストアとは言っても時とともにスーパー化しており、どの地においても過剰過当の熾烈な小売り戦争状態となっており、一つ増えれば一つ減りといった感は否めない。ことに人口現象が如実な街では商業規模が必然的に縮小していく運命にあるので店舗寿命への不安は尽きない。

 幸手市では中央商店街にも、市役所近辺にも・・・つまり街の中核地域でさえ空き店舗が長らく埋まらずにいるところが少なくない。小売企業にとって店舗の出店も撤退も経営の根幹として決断力が関わるところだが、地域にとって撤退後の新規進出が思うように進まない状況は忸怩たるものがある。
 しかしながら、遠い石川県から深谷、行田に続いてもっとも遠い店舗になる幸手の地に同社の店舗開発担当の目が届いているということについては市民として心の励みを多少感じるところである。
 前述の通り、幸手もドラッグストアの激戦区で、進出と撤退が繰り返される土地柄ゆえ安定経営には若干の不安はぬぐえないが、クスリの本場北陸を地盤とする同店には、地域に根付いた息の長い営業を期待したい。

No.2819 秋の叙勲

2016.11.03

アイコン

 今朝、新聞を見て思わず膝を叩いて歓喜の声を!
 2期8年、実質は選挙時期の差で7年半にわたり政治行政の基本をご指導いただいた前幸手市長 町田英夫氏の名が載っていたからです。

 秋の叙勲で旭日双光章の栄に浴された報は、市政運営において苦労の連続だったことが正に報われたと感じるものでした。しかし、考えてみれば至極当然のことと思えるものでもあり、遅すぎた感もしないではありません。

 氏が市長に就任した当時は、バブル時のハコモノ行政等により、その崩壊とともに多くの自治体が厳しい運営を強いられており、合併特例債にめざとい合併ムードが全国的にあふれていました。幸手市もご多分に漏れず合併機運が高まっていましたが、残念ながら実現にはいたりませんでした。
 当時の幸手市は財政的に逼迫した状況で、第二の夕張になるとさえ言われていた状況下でした。町田氏就任時、前市政が進めたウェルス幸手建設計画が直近の議会案件で、その計画自体の中止や風呂の必要性への議論で議会が喧々諤々となりましたが、結局は行政の継続を強いる一部議員の声に町田氏は同意したのです。それは約30億円になんなんとする予算執行として重くのしかかることを重々承知した結論だったと思われます。

 当時の財政力指数は0.65程度で県内最下位に近いランクだったと記憶していますが、町田市政における2期8年で0.8台に引き上げられました。これこそ選択と集中の行政運営の賜物だったのです。
 前述の通り、就任時最大の目標であった合併は、複雑な政治及び地域事情によって成就は叶いませんでしたが、それを補うために汗した功績は多大なものがありました。

 それらは、たとえば幸手駅東口整備、日本保健医療大学の誘致、幸手総合病院移転後の東埼玉総合病院の誘致、圏央道IC産業団地としては異例の規模となる47ヘクタール開発の実現、平成23年3月には悲願の西口土地区画整理事業認可の取り付けと、街づくりの根幹に関わる事業の数々にあきらかです。こうした街づくり事業を無の状態から次々にに実現したことは、幸手市に光明をもたらす原動力として尽力された証でもあります。

 当時、議会は町田市政を支える議員が少数派で反対派の執拗な戦略対応に苦慮する場面が多かったのです。私自身がそれを経験し、氏とともに奮戦したという誇りを感じていますし、荒れた議会の一員かつ証人でもあります。
 町田市政での議会は、片方の車輪として街を前進させるというよりは、常に数の論理で抵抗する場面が多く、手を焼く日々の連続でした。
 思えば、現市長も反対多数派の一人で、前述の氏の功績に関する案件が議会上程されるたびに反対していた方でしたが、今の渡辺市政が町田氏の残した遺産に関連した行政運営を進めているのはなんとも皮肉なものです。

 議会で繰り返される反対質疑に、自らが積極的に答弁する真摯かつ責任感に満たされた姿は今だに脳裏に焼き付いています。
 平成23年の市長選で氏の3期目が実現していれば・・・その後のここまでの5年で全く違った状況が生まれていたと思われるのですが、時に市民の選択は異なるベクトルに向かわせるものだと痛感します。
 実績の積み重ねが何故評価につながらないのかという忸怩たる思いを強く感じた選挙でしたが、その後の選挙も含めて悔いても悔やみきれない念が今でも残って離れません。

 町田氏は74歳になられたということで、今後も奥様ともどもご健康に留意されて幸手市の行く末を見つめていただければと切望します。
  この度は、おめでとうございます‼️

No.2817 市長との対話集会

2016.10.29

アイコン

 寒さが急だ。陽射しが恋しくなる季節となったが、季節の移ろいはめくるめく、冬物のセーターを出したらクリーニングタグの日付が4月19日になっていた。早いものだ。

 昨夜は悪天候の中、コミュニティーセンターで掲題の会があった。
 「財政支出を大幅削減した幸手駅舎・東西自由通路建設を求める請願」を提出した市民の要望に応える形で開催されたもので、市側から、市長、副市長、総務部長、建設経済部長、同参事、同課長、秘書課長といった面々が出席した。
 この場の実現に尽力された市民の方々には深い敬意の念を持つ次第です。

 市民参加は200人ほどあり、集会室の半分が会場だったので、入りきれない人も出ていた。私が座った席もすでに後ろのほうだった。
 その多くは、請願のための署名に賛同した方々だったようだが、議員では、会派先進の中村、松田両議員、そして共産党の大平議員の顔があった。共産党さんは市民の党員さんもかなり参加していたように見受けたし質疑にも手を上げていたようだ。

 この署名活動に賛同していた武藤、大山の市会議員お二人の姿は残念ながらなかったようである。逆に、現状の駅舎建設計画に賛成した香日向の青木、本田といったお二方は、地元香日向での開催ゆえ出席すればよかろうにと思いはすれど、やはりしにくかったものと思う。

 7時に始まった会は、はじめに執行部の紹介と市長が8時半で退席する旨の説明をした後、事前提出済みの43項目にわたる質問に対する回答が約40分にわたって行われた。 

 あらかじめ用意された回答書を読む市長には、質問の数の多さからすればやむを得ないとは思うが、自分のものとしてこなれた感じを聴く側に与えてくれない。
 あらためて現市長の市長としての資質を感じた次第だが、それは今更のことでもないし、市長にすべて応えろという厳しい言葉や飛び交う野次を耳にして、現市長に投票した市民や、駅舎をただただ希望する市民の存在があることをふまえるとなんとも言いようのない民主主義への寂寥感に襲われた。

 また、違った意味では現市長の1期目当選時に、彼を支援した市民と、逆に町田市政の3期目を望んだ市民とが混在、呉越同舟していたのも私にとっては興味深いものがあった。
 5年前、現市長当選後の初登庁に際し、祝福のために出向き喜びの姿を新聞紙上に掲載されていた方が質疑に立っていた。陽気の移ろい以上に時の移ろいを感じた次第。

 この場が市長を突き上げ、糾弾する場に化すであろうことは容易に想像していたが、その現実を目の当たりにすると何故か虚しさがこみ上げてきた。そういう意味において、選挙の結果が民主主義のすべてとは言い切れないものがあるのは確かなところであり、民主主義の良かれ悪しかれさを認識させられる。
 政治選択は常に正義の能力を選ぶわけではない。主権者教育は投票に行くだけのことではないのだが、奥が深すぎて永遠に理解されることはないのかもしれないという懐疑もつきまとう。

 私も熱くなる一面はあるので途中一度だけ「優先順位の選択が間違っていたんだ!」と不規則発言を飛ばしてしまった。これは自由通路と西口整備事業のセットが先で、駅舎はその後の財政を鑑みてという町田市政時の方針が最良だと確信し続けているからにほかならない。
 中には紳士的で整然と質疑する方もいたが、結局のところ、駅舎問題のみならず市政の在り方や市長の考え方を質し、正す内容だったかと思う。気持ちは理解できるが消化不良になるであろうはずのやり取りはどこかが空虚で、おそらく参加者一同そうであったはずだ。

 市長が8時半で退席することは事前の断りがあったが、この時点で問うべきものを、いざその時になって苦言の声が多く発せられたのも後味の悪さが残った。
 たしかに、この市民との直接対話がある日に他の所用が夜の8時半過ぎにあること自体おかしなことであり、しっかり最後まで残る姿勢を見せなければ首長としての誠意が伝わることはない・・ということがわからない市長も執行部職員も情けない。思ったとしても市長への直言が出来ない庁風になっているのかもしれない。
 公務と称する場で政治家が中座するのはよくあることだが、それもその時々によるはずで、昨夜の場合は最後までいることが首長としての市民に対する責任であろう。

 コミセンの閉館時間近くなっても熱気が冷めないまま、質疑が続いた。厚着をしていった私は汗をかき始めたので9時過ぎに部屋の外に出て、9時40分頃まで質疑のやり取りを聴いていた。

 すでに、その資質が判明している市長にいくら問うてもラチはあかない。万が一、次期市長選への戦略的なものだとするならこれからの3年はえらく長い道のりとなるし、リコールという究極の市民エネルギーがマグマとなって噴き上がるとは思えない。
 そして、その前に今回の対話集会の主題である駅舎問題に絡めて、請願を不採択にした議員、駅舎事業の現計画に賛同している議員の皆さんに説明会を求めるべきかもしれないと感じる。
 議員は自らの活動から得た行政の情報開示・伝達、活動報告というのがあってこそ責任を果たすことになるのである。当然のことながら、チラシだけで報告するのでは聴きたいことも聴けないということになるから、市長執行部に対して2輪であるはずの議員にそうした場を設けてもらう必要はあると思う。これが昨夜の集会に対する最大の感想となって残った。

No.2786 倉松探検隊美化活動

2016.08.07

アイコン

 昨6日早朝のこと、掲題の小さな活動に同胞メンバーがしばし汗した。
 県が数年前から河川環境の浄化を目的として取り組んでいる「川の国応援団」に登録し、倉松川の美化浄化に毎月定例で汗を流している倉松探検隊の活動である。

 定例の活動は、主に川自体の透明化に取り組んでいるが、それとは別に倉松側流域のゴミ収集活動も時折実施しており、今日は総勢10名で1時間強歩いたが、強烈な陽射しに皆汗だくの活動と相成った。


ファイル 691-1.jpg 朝7時に幸手駅前を出発し、倉松側に沿って東2丁目までをゴミ回収に歩いた。写真は分別作業をしているところで、集まったゴミのごく一部である。香日向のボランティア活動でも感じることだが、どうしてこれほどゴミが捨てられているのかという不思議な思いにいつもさせられる。
 とくにこの地では、香日向の比ではない大量のゴミの中でもタバコの吸い殻のポイ棄てが多いのが特徴的と言える。かさばる量としては大したことはないのだが、数は駅周辺から4号国道といったところにやたらと見受ける。


ファイル 691-2.jpg モラルもマナーも一緒に棄てていることに気がつかない現実は悲しいものがあるが、わかっていての行為だとしたらそれは社会問題の領域に入る。
 社会道徳という観点からは、日本は世界一だと確信もし、そのように言われたりもするが、昨今の社会変化は各種場面において、その低下は否めないと感じる。それはそれとして、探検隊は地道な活動に今後も前進するのみです。

No.2745 郷土愛ランキング!!

2016.05.10

アイコン

ファイル 650-1.jpg 恒例となっている週刊ダイヤモンド社の各種アンケート結果。今年も県別郷土愛ランキングが特別レポートとして発表された。調査はブランド総合研究所が毎年実施しているものだが、今年も埼玉県にとって厳しい?・・・いや、ある意味でさもありなんと思わざるを得ないデータとなっている。

 これは、全国各地から首都圏に就職する目的で埼玉県に住む人が多いということが原因かと思ったら、そうではなく、出身県に対するアンケートということなので、埼玉県生まれの人が自県を愛する度合いが47都道府県中47位ということになる。
 
 ただし、約100万人が東京に勤めに出ていることが郷土愛を薄くしている要因になっているとの分析もしている。しかし、その勤めに出ている100万人の人の内、埼玉出身者がどの程度の割合かまでは不明のようなので、私としては、この分析は少々心もとない感がしてならない。千葉県も同様の理由で低いランクだが、神奈川県はそうではないのだから、東京勤務者が多いというのは理屈としては完璧ではない。やはり土地柄と県民気質いうのが郷土愛の理屈に叶う。

 ネットで見ると「1位は北海道、最下位は自虐で有名な関東のあの県」という見出しがついている。自虐で有名とはいったい真意はどこにあるのだろうか。思い当たるフシがないのもストレスだ。
 毎年、茨城県と最下位を争っているが、どちらかというと、それも分が悪いようだ。

ファイル 650-2.jpg 総合的な内容を示す1表もそうだが、項目別に出している2表のランクでも「スポーツ観戦等楽しめる」と「交通や道路事情が便利」といった項目で、かろうじてベスト10に入っているものの、それ以外ではほとんどが最下位争いをしている状態である。

 いろいろ感ずることも無いではないが、多少の改善策を打ち出しても、なかなかこのランク付近を抜け出すのは容易ではないように思う。ある意味、宿命的なものかもしれないのだ。はてさて・・・

ページ移動