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No.2819 秋の叙勲

2016.11.03

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 今朝、新聞を見て思わず膝を叩いて歓喜の声を!
 2期8年、実質は選挙時期の差で7年半にわたり政治行政の基本をご指導いただいた前幸手市長 町田英夫氏の名が載っていたからです。

 秋の叙勲で旭日双光章の栄に浴された報は、市政運営において苦労の連続だったことが正に報われたと感じるものでした。しかし、考えてみれば至極当然のことと思えるものでもあり、遅すぎた感もしないではありません。

 氏が市長に就任した当時は、バブル時のハコモノ行政等により、その崩壊とともに多くの自治体が厳しい運営を強いられており、合併特例債にめざとい合併ムードが全国的にあふれていました。幸手市もご多分に漏れず合併機運が高まっていましたが、残念ながら実現にはいたりませんでした。
 当時の幸手市は財政的に逼迫した状況で、第二の夕張になるとさえ言われていた状況下でした。町田氏就任時、前市政が進めたウェルス幸手建設計画が直近の議会案件で、その計画自体の中止や風呂の必要性への議論で議会が喧々諤々となりましたが、結局は行政の継続を強いる一部議員の声に町田氏は同意したのです。それは約30億円になんなんとする予算執行として重くのしかかることを重々承知した結論だったと思われます。

 当時の財政力指数は0.65程度で県内最下位に近いランクだったと記憶していますが、町田市政における2期8年で0.8台に引き上げられました。これこそ選択と集中の行政運営の賜物だったのです。
 前述の通り、就任時最大の目標であった合併は、複雑な政治及び地域事情によって成就は叶いませんでしたが、それを補うために汗した功績は多大なものがありました。

 それらは、たとえば幸手駅東口整備、日本保健医療大学の誘致、幸手総合病院移転後の東埼玉総合病院の誘致、圏央道IC産業団地としては異例の規模となる47ヘクタール開発の実現、平成23年3月には悲願の西口土地区画整理事業認可の取り付けと、街づくりの根幹に関わる事業の数々にあきらかです。こうした街づくり事業を無の状態から次々にに実現したことは、幸手市に光明をもたらす原動力として尽力された証でもあります。

 当時、議会は町田市政を支える議員が少数派で反対派の執拗な戦略対応に苦慮する場面が多かったのです。私自身がそれを経験し、氏とともに奮戦したという誇りを感じていますし、荒れた議会の一員かつ証人でもあります。
 町田市政での議会は、片方の車輪として街を前進させるというよりは、常に数の論理で抵抗する場面が多く、手を焼く日々の連続でした。
 思えば、現市長も反対多数派の一人で、前述の氏の功績に関する案件が議会上程されるたびに反対していた方でしたが、今の渡辺市政が町田氏の残した遺産に関連した行政運営を進めているのはなんとも皮肉なものです。

 議会で繰り返される反対質疑に、自らが積極的に答弁する真摯かつ責任感に満たされた姿は今だに脳裏に焼き付いています。
 平成23年の市長選で氏の3期目が実現していれば・・・その後のここまでの5年で全く違った状況が生まれていたと思われるのですが、時に市民の選択は異なるベクトルに向かわせるものだと痛感します。
 実績の積み重ねが何故評価につながらないのかという忸怩たる思いを強く感じた選挙でしたが、その後の選挙も含めて悔いても悔やみきれない念が今でも残って離れません。

 町田氏は74歳になられたということで、今後も奥様ともどもご健康に留意されて幸手市の行く末を見つめていただければと切望します。
  この度は、おめでとうございます‼️

No.2817 市長との対話集会

2016.10.29

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 寒さが急だ。陽射しが恋しくなる季節となったが、季節の移ろいはめくるめく、冬物のセーターを出したらクリーニングタグの日付が4月19日になっていた。早いものだ。

 昨夜は悪天候の中、コミュニティーセンターで掲題の会があった。
 「財政支出を大幅削減した幸手駅舎・東西自由通路建設を求める請願」を提出した市民の要望に応える形で開催されたもので、市側から、市長、副市長、総務部長、建設経済部長、同参事、同課長、秘書課長といった面々が出席した。
 この場の実現に尽力された市民の方々には深い敬意の念を持つ次第です。

 市民参加は200人ほどあり、集会室の半分が会場だったので、入りきれない人も出ていた。私が座った席もすでに後ろのほうだった。
 その多くは、請願のための署名に賛同した方々だったようだが、議員では、会派先進の中村、松田両議員、そして共産党の大平議員の顔があった。共産党さんは市民の党員さんもかなり参加していたように見受けたし質疑にも手を上げていたようだ。

 この署名活動に賛同していた武藤、大山の市会議員お二人の姿は残念ながらなかったようである。逆に、現状の駅舎建設計画に賛成した香日向の青木、本田といったお二方は、地元香日向での開催ゆえ出席すればよかろうにと思いはすれど、やはりしにくかったものと思う。

 7時に始まった会は、はじめに執行部の紹介と市長が8時半で退席する旨の説明をした後、事前提出済みの43項目にわたる質問に対する回答が約40分にわたって行われた。 

 あらかじめ用意された回答書を読む市長には、質問の数の多さからすればやむを得ないとは思うが、自分のものとしてこなれた感じを聴く側に与えてくれない。
 あらためて現市長の市長としての資質を感じた次第だが、それは今更のことでもないし、市長にすべて応えろという厳しい言葉や飛び交う野次を耳にして、現市長に投票した市民や、駅舎をただただ希望する市民の存在があることをふまえるとなんとも言いようのない民主主義への寂寥感に襲われた。

 また、違った意味では現市長の1期目当選時に、彼を支援した市民と、逆に町田市政の3期目を望んだ市民とが混在、呉越同舟していたのも私にとっては興味深いものがあった。
 5年前、現市長当選後の初登庁に際し、祝福のために出向き喜びの姿を新聞紙上に掲載されていた方が質疑に立っていた。陽気の移ろい以上に時の移ろいを感じた次第。

 この場が市長を突き上げ、糾弾する場に化すであろうことは容易に想像していたが、その現実を目の当たりにすると何故か虚しさがこみ上げてきた。そういう意味において、選挙の結果が民主主義のすべてとは言い切れないものがあるのは確かなところであり、民主主義の良かれ悪しかれさを認識させられる。
 政治選択は常に正義の能力を選ぶわけではない。主権者教育は投票に行くだけのことではないのだが、奥が深すぎて永遠に理解されることはないのかもしれないという懐疑もつきまとう。

 私も熱くなる一面はあるので途中一度だけ「優先順位の選択が間違っていたんだ!」と不規則発言を飛ばしてしまった。これは自由通路と西口整備事業のセットが先で、駅舎はその後の財政を鑑みてという町田市政時の方針が最良だと確信し続けているからにほかならない。
 中には紳士的で整然と質疑する方もいたが、結局のところ、駅舎問題のみならず市政の在り方や市長の考え方を質し、正す内容だったかと思う。気持ちは理解できるが消化不良になるであろうはずのやり取りはどこかが空虚で、おそらく参加者一同そうであったはずだ。

 市長が8時半で退席することは事前の断りがあったが、この時点で問うべきものを、いざその時になって苦言の声が多く発せられたのも後味の悪さが残った。
 たしかに、この市民との直接対話がある日に他の所用が夜の8時半過ぎにあること自体おかしなことであり、しっかり最後まで残る姿勢を見せなければ首長としての誠意が伝わることはない・・ということがわからない市長も執行部職員も情けない。思ったとしても市長への直言が出来ない庁風になっているのかもしれない。
 公務と称する場で政治家が中座するのはよくあることだが、それもその時々によるはずで、昨夜の場合は最後までいることが首長としての市民に対する責任であろう。

 コミセンの閉館時間近くなっても熱気が冷めないまま、質疑が続いた。厚着をしていった私は汗をかき始めたので9時過ぎに部屋の外に出て、9時40分頃まで質疑のやり取りを聴いていた。

 すでに、その資質が判明している市長にいくら問うてもラチはあかない。万が一、次期市長選への戦略的なものだとするならこれからの3年はえらく長い道のりとなるし、リコールという究極の市民エネルギーがマグマとなって噴き上がるとは思えない。
 そして、その前に今回の対話集会の主題である駅舎問題に絡めて、請願を不採択にした議員、駅舎事業の現計画に賛同している議員の皆さんに説明会を求めるべきかもしれないと感じる。
 議員は自らの活動から得た行政の情報開示・伝達、活動報告というのがあってこそ責任を果たすことになるのである。当然のことながら、チラシだけで報告するのでは聴きたいことも聴けないということになるから、市長執行部に対して2輪であるはずの議員にそうした場を設けてもらう必要はあると思う。これが昨夜の集会に対する最大の感想となって残った。

No.2786 倉松探検隊美化活動

2016.08.07

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 昨6日早朝のこと、掲題の小さな活動に同胞メンバーがしばし汗した。
 県が数年前から河川環境の浄化を目的として取り組んでいる「川の国応援団」に登録し、倉松川の美化浄化に毎月定例で汗を流している倉松探検隊の活動である。

 定例の活動は、主に川自体の透明化に取り組んでいるが、それとは別に倉松側流域のゴミ収集活動も時折実施しており、今日は総勢10名で1時間強歩いたが、強烈な陽射しに皆汗だくの活動と相成った。


ファイル 691-1.jpg 朝7時に幸手駅前を出発し、倉松側に沿って東2丁目までをゴミ回収に歩いた。写真は分別作業をしているところで、集まったゴミのごく一部である。香日向のボランティア活動でも感じることだが、どうしてこれほどゴミが捨てられているのかという不思議な思いにいつもさせられる。
 とくにこの地では、香日向の比ではない大量のゴミの中でもタバコの吸い殻のポイ棄てが多いのが特徴的と言える。かさばる量としては大したことはないのだが、数は駅周辺から4号国道といったところにやたらと見受ける。


ファイル 691-2.jpg モラルもマナーも一緒に棄てていることに気がつかない現実は悲しいものがあるが、わかっていての行為だとしたらそれは社会問題の領域に入る。
 社会道徳という観点からは、日本は世界一だと確信もし、そのように言われたりもするが、昨今の社会変化は各種場面において、その低下は否めないと感じる。それはそれとして、探検隊は地道な活動に今後も前進するのみです。

No.2745 郷土愛ランキング!!

2016.05.10

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ファイル 650-1.jpg 恒例となっている週刊ダイヤモンド社の各種アンケート結果。今年も県別郷土愛ランキングが特別レポートとして発表された。調査はブランド総合研究所が毎年実施しているものだが、今年も埼玉県にとって厳しい?・・・いや、ある意味でさもありなんと思わざるを得ないデータとなっている。

 これは、全国各地から首都圏に就職する目的で埼玉県に住む人が多いということが原因かと思ったら、そうではなく、出身県に対するアンケートということなので、埼玉県生まれの人が自県を愛する度合いが47都道府県中47位ということになる。
 
 ただし、約100万人が東京に勤めに出ていることが郷土愛を薄くしている要因になっているとの分析もしている。しかし、その勤めに出ている100万人の人の内、埼玉出身者がどの程度の割合かまでは不明のようなので、私としては、この分析は少々心もとない感がしてならない。千葉県も同様の理由で低いランクだが、神奈川県はそうではないのだから、東京勤務者が多いというのは理屈としては完璧ではない。やはり土地柄と県民気質いうのが郷土愛の理屈に叶う。

 ネットで見ると「1位は北海道、最下位は自虐で有名な関東のあの県」という見出しがついている。自虐で有名とはいったい真意はどこにあるのだろうか。思い当たるフシがないのもストレスだ。
 毎年、茨城県と最下位を争っているが、どちらかというと、それも分が悪いようだ。

ファイル 650-2.jpg 総合的な内容を示す1表もそうだが、項目別に出している2表のランクでも「スポーツ観戦等楽しめる」と「交通や道路事情が便利」といった項目で、かろうじてベスト10に入っているものの、それ以外ではほとんどが最下位争いをしている状態である。

 いろいろ感ずることも無いではないが、多少の改善策を打ち出しても、なかなかこのランク付近を抜け出すのは容易ではないように思う。ある意味、宿命的なものかもしれないのだ。はてさて・・・

No.2741 “桜道 あでやかに~埼玉県幸手市~”

2016.04.23

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24日朝8時NHKは掲題のタイトルで、幸手市のランドマークである県営権現堂公園桜堤の風景を中心に放送されるという。

 市政30周年を記念して連日のように花火が打ち上げられた様子もしっかり収められていると思うが、あらためて権現堂桜堤の余韻に浸りたいと思う。
 ただ、じっくり見直すためと安全?のために録画はしておこうかと。

 「幸せを手にする街」幸手市が全国放映されることは市民にとっても喜ばしいこと。幸手市民の視聴率100%!となればいいが・・・多くの市民が見逃さないでくれたらと思う。

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No.2735 おもてなし日本一

2016.04.10

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 新人事で行政が動き始めてて早10日が経過した。毎年この時期は人事異動で一喜一憂し、人心も組織的活動もあたふたわさわさと忙しいことになる。もっとも、これは民間企業でも同様であろう。

 今回、自身お世話になった方々の定年退職があったり、また昇格があったりということで関心は高い。
 今年、議員時代に関わりが深かった方が、県民生活部長に就任された。私が当選初年度は産業労働部の観光課課長だったが、ひとあたりが良く、気取らず、冷静な熟慮タイプで、かつ判断力を備え、ユーモアもあり、さらに言えば酒がお好きというか、仕事柄、埼玉県内の酒造地図を名刺の裏面に印刷していた。観光に酒は重要な要素があるということで、県内の酒造メーカーの育成と発展を考えていた方だった。

 一言で言って懐が深いというべきか・・・2年前に部長から副知事に、しかも定年前に抜擢された岩崎現副知事も同様の意味で素晴らしい人物で、お二人とも私よりお若いが、内実は全然足元にも及ばない人格者であり、高い見識をお持ちの方である。

 さて、その新しい県民生活部長が観光課長だった当時のことだが、全国一の観光劣県であった埼玉県を観光的に元気にすることはできないかということで、自民党県議団の一期生が中心となって、観光度アップを目指す条例の策定をすることとなった。
 同プロジェクトを立ち上げ、なんども検討会議を開き、議会政策調査課の協力を得ながら、半年がかりでようやく議員提案出来るまでにこぎつけた。その経過の中で、この観光課長が何かと相談に応じてくれたことがなつかしい。

 観光度アップとは言っても、物理的な条件はそうそう変えられるものではないので、人の心に起因する「おもてなし」の日本一を目指すことを主目的にしてはどうかと、当時課長のこの方のアドバイスにメンバー全員が大いに納得したものだった。
 「おもてなし」という言葉を条例名に入れてはどうかという意見もでたが、すでに他県の先進例に「観光おもてなし条例」というそのものずばりの命名もあったので「観光づくり条例」に落ち着いた。

 で・・・話は長くなって申し訳ないのですが、
 №2733で紹介した「白目桜ゼリー」を購入するために権現堂堤の茶屋を訪ねた方から連絡をいただいた件を少々。
 訪れた時、茶屋は人で賑わいを見せていたこともあってか、「白目桜ぜりーはありますか?」と尋ねたら「ここにないものはないよ」と売り子のおじさんの声。さらに「こっちも全部わかってるわけじゃないんだから、無いものを言われても困るんだよなー」と誰に言うでもない、独り言を口にしたというのだ。でも、それはそこにいる誰もが聞こえるものだったと。

 その状況の大体は想像つくのだが、絶対とは言えないので論評は避ける。
 ただ、「おもてなし」とはどういうことかという部分について、アルバイトだろうが、ボランティアだろうが、男性だろうが女性ろうが、歳がいくつであろうと、共通認識を持って、来訪者に温かく接することを心がける必要があるのは間違いのないところかと思う。
 ところが、そうは言っても、この「おもてなし」はだれにでも簡単にできるものではなく、案外に個人の資質に関わる面が大きいということも理解しなければならない。

 今、、○○コンシュルジュという特命的な専門職種が、あらゆる場で選任され、活躍を期待されているが、まさにこれこそが「おもてなし」の典型的なものと言える。何においても専門家とは言わないまでも、基礎知識を持ってその任に当たらなければ、遠くからやってくる観光客を満足させることは出来ないと思うのである。それでこそ、必然的に「おもてなし度」は高まるはずである。その最大の要素は、丁寧かつ思いやりと優しさがにじみ出る心の対応ではないだろうか。

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