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No.2852 日本保健医療大学新学部まもなく

2017.02.06

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ファイル 757-1.jpg ファイル 757-2.jpg  写真はファイル 757-3.jpg先月31日撮影の旧県立幸手高校4階からの風景。
 2005年を過ぎて、人口問題等々で県立高校の再編問題が浮上した。ところが、再編の結果、使用に供することのなくなった県立高校の後処理に県教育委員会や総務部管財課などは苦慮することが少なくなかった。
 地理的特性や校舎施設が幅広い流用性を持たないということが、思うに任せない原因と推測されたが、結局のところ需給のバランスというのも大きなファクターだったように思う。幸手高校がその対象になった時、すでに4校ほどが事後処理が進まない状況であった。

 2011年4月私が県議に当選してまもなく幸手高校廃校の話が決定したが、埼玉県教育委員会が「県立高校再編整備計画」を進めており、幸手市の2校がその後期計画に入ったのは2009年のことであった。今の幸手桜高校(旧幸手商)とどちらを残すかということも含めて、それぞれの学校評議員やPTAを巻き込む論争となったと聞いている。

 1941年に開校した幸手実業学校が幸手商業高校に改編したのが1948年。その幸手商業が、1980年に開校した幸手高校と再編整備されたのが前述の2013年3月31日。したがって、正式には幸手商業高校も幸手高校も同じこの日に閉校となったのが正しい理解となる。そして幸手桜高校が新たに2013年4月1日に開校したということになる。
 ちなみに、1941年12月8日は昨年末大きな話題となった真珠湾攻撃があった日。くすぶる世相の真っ只中で開校した学校と思うと感慨深いものがある。

 その旧幸手高校の跡地処理では圏央道インターの至近ということもあり、他よりは長期化しないと思っていたが、そんな簡単なものではなかった。私も長期化しなように努力すると、いろいろな機会に市民に訴えたものだ。そうした中、町田市政時に誘致し、東小跡地で新規に大学として開校していた日本保健医療大学が新たな学部の設置をしたいとのことで手をあげた。
 看護学部とは別に理学療法学部を設置するということだったが、この購入が2013年12月のことだったので埼玉県としては閉校後半年足らずで難問題と思われていた後処理が完了したことになる。

 その後は、文科省などとの折衝などを経て、さらには理学療法学部としての改築等々の期間を置いて、いよいよこの4月に開学することとなった。
 その直前に撮影した写真3点。赤城から日光連山、筑波山をパノラマで望み、幸手産業団地には大掛かりな建物の建設中の風景が目の前に広がっていた。南西側には富士山、そのさらに南にはスカイツリーも望めるが、強烈な逆光でカメラ素人にはシャッターチャンスを得にくい相手だった。
 こうしてまた、幸手市に年々若い人がふえることになる。明るい材料とそうでない材料が混在する幸手市。他力的ではない新たな未来への息吹を幸手市行政に示してほしいとつくづく思う今日この頃である。