記事一覧

No.2953 冷たい風と身にしみる知らせ

2018.01.03

 日陰に高さ5cmはあろうかと思われる霜がとけずに残り、強めの風が体感温度をさらに低く感じさせる。今年の冬は半端なくしばれる。

 明けましておめでとうございます。時は停まることなく年をまたぎ三が日を早くも終わろうとしています。皆さん、どういった平成30年を迎えておられるでしょうか。
 昨夕、見慣れない携帯番号表示で電話が鳴った。出ると10年近く会っていない学生時代の友だった。
「おう、○○か! なんだよお前、今度俺が連絡係やるって言うから任せたのに無しのつぶてで。昨日年賀状届いてるけどどうしたんだ?」
 当時、毎日のように顔を合わせていた七人、いわゆるポン友の一人だが、連れ合いの訃報を語る声は聞き慣れた声とはあきらかに違っていた。学生時代に文化祭の行き交いで交際が発展した夫婦だったが、我々仲間もよく知る奥さんが亡くなったことを語る彼の申し訳なさそうな声に思わずこちらの声が大きくなった。
「新年早々悪いな、こんな電話で」
「えーーーいつよー?」
「大晦日の夜10時半だったかな」
 しばし、返す言葉が浮かばなかった。こうした場合、月並みの言葉を発することが出来ない性分である。表情がわからない遠くの友とのやりとりほど難しいものはない。亡くなった原因すら確認することが出来ない。言葉のイントネーションが重要な意味を持つし、下手な枕言葉で気落ちしている相手がどう感じるだろうかと思ってしまうたちである。
「お前たちにかみさんの最後の顔を見てやってもらいたいと思ってさ。6日か7日のどっちか空いてるか?」
「空いてるもなにも空けるさ。他の連中には連絡したのか?」
 こんなやりとりで彼の話をひとまず聞いて、詳細をFAXしてもらうことになった。電話番号の確認で何度も聞き直し、そのたびに悪いなーと繰り返す友の動転が痛いほど伝わってきて漸く場的な言葉が出た。
「気落ちするなと言う方が無理だけどしっかりせんとお前らしくないぞ。これから先が大変なんだからな」
「わかってるよ。すまんなー」

 明けて今日3日、引退の身には届く花も多くはないだろうから少しでも祭壇が映えればと考え、仲間で祭壇の供花をどうか思うんだがどうかと連絡した。
「いやーそれは嬉しいな。かみさんも喜ぶよ」その言葉を聞いて仲間に連絡した。どいつも一声で「そりゃいいなー。頼むよ」的返答だった。それって意外と考えつかないことだよと言う友もいた。温かい仲間たちとの学生時代を思い出しつつこういったことで友との再会が実現することに複雑な感覚がしてならなかった。
 今日は一日冷たい風が吹きまくっていた。我が頭もこの電話を受けてからいろいろなことがグルグルと浮かび、箱根駅伝も落ち着いて見ていない感じだった。実際に目がしょぼしょぼして何度も冷水で顔を洗った。
 66歳の若さで旅立った妻を送る気持ち・・・想像がつかない。親孝行も家内孝行も出来るうちにとよく言うがすでに前者はいない。出来るならばピンピンコロリで先に逝きたいが、ならばその前に平成後半えらく苦労をかけた・・・と考えるのがやっとの正月。想えば我々夫婦もあと5年でゴールド婚か、人生いよいよそんな領域に足を踏み入れたのかと感じた友の伴侶訃報の知らせだった。