記事一覧

No.3391 感染以外にも避けるべきものあり!

2021.03.18

 17日の時点で幸手市の感染者が111名となった。13日の前々号№3389では103名とご案内したので4日で8名の増加である。ちなみに111番目の感染者は20代男性無職で同居家族に感染者ありとなっている。いろいろな方に事情を確認すると、家族感染及びカラオケ感染が原因だという。確かに埼玉県でも同様のことを報道しているので頷けることではあるが、カラオケ経営者にしてみれば尋常なことではない。死活問題ともいえる状況だ。小生思うに、もはや緊急事態宣言の効果はないのかもしれない。
 中国では感染すると、まずはその家の封鎖、つまり扉に板を釘付けして外出を禁じ、万が一は逮捕となる。食料は定期的に運び、その地域の感染状況を徹底的に洗い出し、地域封鎖をする場合もある。その際は軍隊が道路に出て見張るという徹底ぶり。これも一党独裁ゆえに大衆は従うのみである。
 中国は人権問題が常に取沙汰される国ではあるが、まさに感染防止対策の究極は人を人とみなさない国家的手法がとられているようで、こうした暗部が報道されることはほとんどない。
 これを見習う国は北朝鮮以外にあるとは思えないが、自由な言動が許される国で感染対策が行き届かないというのはなんとも皮肉なことである。なおかつ、そうした自由と人権を謳う国での最近の風潮で不思議なことは、人権や平等を建前にして言論の自由に縛りをかける動きがあることだ。何が何だかわからない時代変化の様相を感覚的に捉えているのだが、読者の皆さんはいかがお感じでしょうか。普通に生活しにくい世の中になりつつあると、私の触覚は微妙に感じている。
 さて、今日18日は消防議会の定例会があり、さきほど議案書に目を通したところだが、五輪の聖火リレーに関わる感染対策予算が県の支出金を原資に予定されている。五輪の開催についての世論はどうなっているのだろうか。アスリートファーストはわかるが、世界がコロナ禍にある実情にあって、戦い勝利することにスポーツの情熱と汗の結果としての価値が見いだせるかどうかは疑問だ。
 明日19日は幸手市議会の最終日。迷走した教育長人事が採決でどうなるか。それから、後半の2年に向けて新たに議長などを変える互選人事が15人によって行われる場面もあるやもしれぬ。それについては、すでになにやら水面下の動きもある様子で、まったく悩ましい限りである。結果はどうなることやらだが、私は自ら蚊帳の外を標榜しているので議会人事には関心ない。ただ、世間的に、また市民感情として疑問を持たれない人事が望ましいのは言うまでもない。

 

No.3386 小さな春、大きな春

2021.03.11

 朝晩の気温は身体の端々に冷たさを感じさせるが、至るところで春の兆しは顔をのぞかせている。我が家の小庭にも写真のような色合いで春が到来している。
ファイル 1305-1.jpg◆ニオイスイセン・・・農村部の知人からいただいたものだが、しっかり球根が根付いたようで年々株数を増している。背丈は長いもので15㎝程度だから権現堂堤のスイセンとは見た目が全く異なる。かぐわしい香りがするが、腰をかがめる辛さもあって花より目で楽しんでいる(笑)
◆ヒマラヤ雪の下・・・これもかれこれ10年以上前のいただき物だが、色と花弁の集合体の鮮やかさは庭の中心に位置して毎年和ませてくれる。茎が横に広がる低花で成長度はかなりのものがあり、時折剪定を要するがとても強い植物の感がある。葉も独特で色と大きさは他の花には無い個性だと思う。
 単純に感じるままを・・・個々に好き嫌いはあってもこれが花を楽しむ秘訣だと思いますがいかがでしょうか。

 さて、我が家の小さな春を紹介しましたが、大きな春とはいったい・・・。
私自身の独創的な想いだが、中国や先祖帰りしてしまったロシアに常々感じることとして、この両大国に民主化という大きな春が訪れることはもうないのだろうか。
 1948年(第2次大戦の3年後)にスターリン指導下でチェコスロバキア社会主義共和国となったチェコは、言論弾圧などにより抑圧された国情に大衆の不満は鬱積していた。1968年春に書記長となったドプチェクは、ソ連でフルシチョフによるスターリン批判が高まったことにより、検閲制度の廃止や人の顔を持つ国家を標榜し、思想の自由を唱えるなど民主化に尽力した。結果、新たに政党が生まれるといった様相を示すこととなった。そして、自由化を求める市民運動が学生を中心に勃発し、街は自由主義国の姿を追い求める風潮が高まったのである。これが「プラハの春」と言われるものである。
 当時の共産主義や社会主義の本質が、いかに鉄の仮面を被った心を持たないものであったかということではないだろうか。
 ところが、これに怒ったソ連のブレジネフがNATOに対抗する存在のワルシャワ条約機構下にあった5か国連合の軍を出動させたのだ。プラハ市内のメインストリートの石畳を戦車が行き交うシーンは18歳だった私も鮮明に記憶している。この民衆の命を奪うことをいとわない鎮圧行為は、中国の文化大革命や天安門事件にも共通するものがある。
 プラハの春は、1966年に始まった文化大革命の凄惨な殺戮が行われていたのと時期を同じくする。文革は毛沢東による国家再建を建前にした権力闘争であり、劉少奇にとって代わっていた最高権力を奪回するためにすべてを巻き込んだ国内戦争であったと解釈している。当初は命令によって地方都市のあちこちで行われていたというカニバリズム(人が人を食すという人間の共食い)という蛮行が、民衆同士による互いの憎悪感によって行われるという事態にまでなった。紅衛兵同士間にも同様の行為があったというから想像を絶するものがある。この史上最悪の残虐な国情は、江青ら4人組が失脚する10年後まで続いたのである。鉄の仮面どころか狂気の鬼畜そのものだ。
 驚くことに詳細を調べると、ブレジネフによるチェコ事件の際、毛沢東中国は物質的精神的に加担していたというのである。
 プラハの春は、その後の東欧圏の民主化への先駆けと評価されてもいるが、ペレストロイカや東西ドイツ統一、ルーマニア独裁政権の崩壊といった政変劇が、歴史上大きな変動期であったとあらためて理解できる。

 天安門事件は今の中国の姿を見るにつけ、悔やんでも悔やみ切れない事件である。30年以上経過してはいるが、その30年で中国が安い労働力を原点に大きな経済成長を成し遂げ、その結果として世界制覇の野望を持つ国になった。日本にも言えることだが、世界各国が中国を利用した結果ともいえるのだろう。また、ロシアも経済的には中国の比ではないが、独裁検閲主義に戻りつつあるのは間違いない。この両国は国内の検閲体制を法で国外にまで適用させようとするしたたかさを隠さない。民主化とはなんぞやを考えさせられる昨今の日本でもあるが、この両大国にもはや大きな春は訪れないのだろうか。
 とすれば、考えれば考えるほど媚中議員が幅をきかせる日本の国政は心もとない。

No.3379 じわじわと変わる社会

2021.02.19

 アメリカ大統領選は世界に影響があることとして単なる海外の話題としては捉えられない。しかし、アメリカ国内でのことだけで見れば、確実にアメリカ社会は変わりつつある。それもまた諸外国に無関係ではない。
 何が変わったのか、またこれからどう変わっていくのかは個々の推測の範囲であり、誰も知る由もない。
 国際関係で言えば、中国の世界制覇の野望に向けた動向からは目を離せない。それは、今身近なワクチンをめぐる喧噪な世界情勢からは、発生の大元と(私的には限定して間違いないと考えている)でありながら、中国共産党がみせるワクチン外交は悪事を美談にすげかえるごごとくの国家戦略に変貌している。
 日本では、森前会長辞任へのマスコミや一部芸能界・アスリートの異常な昂ぶりが、コロナ禍の重要な審議を脇に置く野党の実態に拍車をかけた。IOCの見解が変化したのも財政的裏付けもあり、海外発信のワードや文体が問題を感じるような内容であったとされる。
 森発言を擁護するつもりはない。政治家時代から失言の多い人だったが、それが現世を理解していない原因なのだろう。憲法は思想信教の自由を謳っているが言葉まで保証されていない。それが時代と共に強く変わりつつある事実だ。ヘイト騒動がまさにそれであろう。言論の自由も変わりつつある。そして、それがどれほどの騒動になるかという今のご時世に森さんが適さない状況にあってついつい口が緩んだ結果の発言が、人間否定、社会的抹殺論まで出ることとなってしまった。しかし、石川県のご家族、お孫さんまでがマスコミのパパラッチポッシュに晒されているのは異常と言うしかない。そのメディアの中には、女性のヌード写真を販売の糧にしてきた週刊誌などがあるのだが、これに女性蔑視の声が上がらないのはなぜなのか? 

 香港人権弾圧も、尖閣領海侵入も、外務省は静観し、政府も言葉だけでほぼ沈黙に近いと言ってもよいほど弱腰である。更に言えば、あれだけ女性蔑視とまくしたてるマスコミも野党も、とくに立民や共産の女性議員たちがホワイトブレザーを着用してシュプレヒコールをあげる姿を見るにつけ、なぜウィグル弾圧に声すら上げないのかと不思議でならない。まさに、政治で問題にし、世界の世論を高めていくことではないのか。日本はその先頭に立ってもよい立場にあるはずだ。それを押しとどめる何かがあるのは間違いないが、唯一の被爆国として核廃絶の先頭に立てと声を上げるなら、世界を巻き込む、より身近なジェンダー論の中で、女性を粗末に扱う国家に対して日本の女性が抗議の声を上げてもよいのではないだろうか。いや、上げるべきだと思う!
 とくに今、ウィグルで行われている女性に対する強制避妊手術はすでに10万人に及んでいるという。新疆ウィグル自治区の人口は約1千万人と言われるが、中国は、20年から30年先のウィグル民族壊滅を意図しているとも言われている。手術に対する国際批判をかわす目的で、最近では避妊具の装着を強要しているともいわれる。
 こういった中国の民族弾圧には声を上げず、ジェンダーイコールを叫ぶマスコミ・野党群には何か別の目的があるようしにか思えない。しかし、じわじわとその効果が表れているから、叩く時には徹底して叩くという、その筋の手法が際立ち始めていると思う・・・いわゆる昨今の社会変化だ。

 400人近いボランティア辞退があったというが、全体で8万人いることはあまり報じられないし、あっという間の反応に驚いた。都庁に2000件近い電話があったというが、誰がするのだろうか、組織的なものがあるのかもしれないと正直感じた次第。ピュア、ホワイト、フラワーといった言葉で起こされる運動のたびに、あっという間に署名が集まり報道の対象となるが、不思議なことに常に15万人から20万人なのだ。いわゆるこうしたたびに動員される基礎票があるのではないかとの推測もあるが、当たらずとも遠からじであろう。ピュアとかホワイトのイメージとは少々異なるイメージ、つまり、相手を叩く感情的なものは普通ではない。こういうと、これも偏見なのだろうか。何も言えなくなる自由、民主、言論社会でこうした方々にとって差別と称して差別をしていることにはならないのだろうか。エキセントリックな感性は、立憲民主党の蓮舫さんに近いものを感じ、空恐ろしい社会変化が進んでいるようだ。
 問題は、こうした動きにマスメディアがこぞって反応することだ。
 私は、こうした社会変化には感情を流されることなく、確固たる信念を揺るぐことなく自らの五感を大切にしている。もはや、残された人生はそう多くは無い。ましてや社会貢献できる年月はそれより更に短い。
 若い時から英米ミュージックに親しんできたが、シカゴというロックバンドの曲に「Does Anybody Really know What Time it is?]という曲がある。
邦訳は「いったい現実を把握しているのは誰だろうか?」
常に、現実を、そしてそれが要因となって移り変わる未来を見つめつつ、自分に素直でいるためには社会変化に流されないことが大切なことだと思う。
 古いかもしれないが、それでいいと思う近頃である!

No.3374 子どもの溌剌さに救われる

2021.02.03

アイコン

 今の時間(12:25)ガラス越しに浴びる陽射しが心地良い。庭に出ると、しばし遠ざかっていたさえずりが影と共に飛び交う。さざんかの花に留まったのはメジロ。ウォーキングで行く近隣の公園ではカワセミやジョウビタキ、ヤマガラといった鳥たちに出会う。決まった場所で見ることが出来るので彼らとの逢瀬を目的にちょくちょく出向き、シャッターチャンスを狙うのだが、当然のことながらカメラ目線になってはくれない。そうは問屋が卸さないともてあそばれているようだがそれも楽しからずやである。
 小鳥たちや水鳥との出会いはワクワクものだ。2月に入ったので、渡良瀬遊水地にはひょっとするとミコアイサが羽を休めに来る頃だ。

 忍耐の続く緊急事態下、今朝は思わぬ喜びにひたることが出来た。私立中学の受験に集中するといって年が変わると同時に登校班に姿を見せなくなっていた6年生が久しぶりに・・・。理由は聞いていたこともあって「おっ、久しぶりだね。もう終わったの? どしたー?」と声をかけるやいなや、「受かりましたー!」これほどはっきりとした口調で返してきたのは記憶がないくらいだった。「どこ受かったの?」
「〇〇です」「そりゃ良かった。頑張った結果だね。おめでとう! 板橋だったけ。しっかり通わないとね」「枝久保さん、駅は新大久保ですよ」
「・・・・・」
 信号を渡ってからの足取りは木々の間を行き交う小鳥のように軽く感じた。
子どもは正直だ。

 その後、別の班が。一番後ろを歩く子どもがいつも大きな声で「おはようございます!」と挨拶してくれるのだが、その子に「〇〇さー、おじさんはあんたがそうやって毎朝元気な声を出してくれるので嬉しくて元気貰ってるんだよ」
 その後の言葉でこちらの気持ちが更に弾む。「そうなんだ。だったら僕も嬉しいよー」だって! 大人の気持ちを察して、こんな言葉を発してくれるとは・・・寒さも吹き飛ぶ思いでしばらく見送っていた。
 コロナで休校になってしまった学校もあるが、子どもたちのことを思うとなんともやるせない。そもそもホームステイが最も似つかわしくないのは子どもなんですからね。春はもうそこまで近づいている。鳥たちのように思い切り羽を伸ばしてもらいたいものだ。そういえば、昨日は5時になっても我が家に最も近い公園で子どもたちのにぎわう声が聞こえていた。地域はこうでなくては!

No.3363 気持ゆったりで過ごしましょう!

2021.01.04

アイコン

 きずな№8を年始にお届けしたところ、多くの声をいただいております。有り難いことと先ずもって感謝申し上げます。今回の場合、いつもとは異なる声が多いようです。と言うのは、コロナを意識されているせいか今号の掲題がそれらを集約したものとなっているからです。
「あまり議員だと意識せず、のんびりやるのもいいと思います」
「議員という信念を持つのはいいが、身を削るほどの必要はありません」
「責任感を強くして身体を酷使することはありませんよ」
「コロナ禍の中で無理することはありません」
といった内容なのですが、私は日頃からそれほど気張ってるつもりはないのですが、真面目に真っすぐに信念揺るぐことなく程度の思考は持って議員活動しているつもりです。それは少なくとも投票してくださった方々への最低限の責任だと思ってのことです。ただ、それとは別に議員の金銭感覚、批判だらけの野党の実態、中国・ロシア・韓国・北朝鮮による唯我独尊外交術には常に腹を立てている日々だということはご承知おきください。
 ただ、そうは言いながらもこのコロナ禍の中で蜜を避けた自粛生活中心にあって、マスクをつけて活動して回るのもいかがなものかと、ついつい消極的になっていたのも事実です。
 そうしたところに、前述の声をいただいたことで、かなり気が楽になりました。そして、次のような川柳を届けてくれた方がいらっしゃって、気持がゆったり、ほっこりしたところです。いくつか紹介したいと思いますが、閑話休題のユーモア感覚でお読みいただければ幸いです。

「日帰りで 行ってみたいな 天国へ」
「延命は 不要と書いて 医者通い」
「3時間 待って病名 加齢です」
「起きたけど 寝るまでとくに 用は無し」
「誕生日 ロウソク吹いて 立ち眩み」
「留守電に ゆっくりしゃべれと 怒鳴る父」
「名前出ず あれこれそれで 用を足す」
「探し物 やっと見つけて また忘れ」

 いかがですか、顔が緩む感じの川柳ではありませんか。次のようなものも今回いただきました。「笑って免疫力アップ・・・18歳と81歳の違い」というもので、これは私も以前どこかで見たか、聴いたかした記憶があります。
「道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳」
「恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳」
「自分探しをするのが18歳、みんなが探すのが81歳」
「心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳」
「まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えてないのが81歳」
「偏差値が気になる18歳、血糖値が気になる81歳」

 さて、議員のくせに不謹慎だなどと思わないでください。人間は好奇心が旺盛の方が長生きすると言われます。しかし、このコロナ禍で行動力は発揮しずらく、家にいてテレビ、読書、音楽鑑賞といった日常的なものに加えて脳が活性化するためにもユーモアへの好奇心は欠かせません。私は基本的にユーモア大好き人間です。現実の社会にあって、笑いを友に気持ゆったり過ごすことは健康維持の面からも良好な影響をもたらすと確信しますがいかがなものでしょうか。
 最後に、肝心の「きずな№8」に関してご意見等いただければと思います。よろしくお願いいたします。

 

No.3356 最大の恩人の訃報

2020.12.16

 昨夜、遅めの時間にスマホが鳴った。名前を見て瞬時に胸が高鳴った。それは、先月下旬から体調を崩されて入院されていた地域の重鎮とも言うべき方のご子息からのものでした。
 95歳になられるその御仁は、平成15年、私が政治の世界に入る時、選挙のセの字も知らない素人集団の友人合議で後援会長はこの人しかいないと、即座に異論無く決定した方です。地域の祭り等でお付き合いは地域誕生当時からさせていただいた方ですが、後援会長となるとお引き受けいただけるだろうかと思いましたが、私でよろしいのでしたらと快くお引き受けいただいた。
 その後の多くは、3年前に先立たれた奥様共々支えていただいた温厚沈着冷静な方でした。読んで字のごとく後ろから援助するのが後援会だとして目立つ出番をやんわりと拒否し、多くは陰から支えていただいたのです。
 後援会の合議内容やスケジュールに異論を挟むことも無く、自己主張は皆無。合併問題で市会議員選挙に住民の関心が高まっていた時だったこともあり、枝久保を支える人たちはどういった人かというのも興味関心を引くところだった時期です。自宅のガレージを選挙事務所に構えましたが、それまでお付き合いの無い方が突然訪ねてこられ、後援会への入会を申し込まれていったのも一人や二人ではありません。Yさんが後援会長をなさっている候補者なら間違いないと思ってと言うのが理由でした。
 正に、人によって人の信頼評価が高まるという、自分にとってはこそばゆい話ですが、有り難くもあり嬉しくもありの状況となったのです。周囲から批判の声はただの一度も耳にしたことの無い方でしたからそれも当然だったと述懐できる話です。

 1989年だったかと思いますが、地域がニュータウンとして誕生した時の第一期入居者で、直後にシルバークラブを立ち上げて初代会長として長くご尽力されました。先月、入院されるまでお元気にパソコンクラブ、ビデオを鑑賞する会、茶話会などを先頭に立って切り盛りされてもいたのです。全体的に温厚さは感じても屈強には見えない方でしたが、実は精神的には強い芯をお持ちの方だったと思います。
 地域の記録を映像に残すことにも力を注がれ、それらの記録のいくつかは私に受け取ってもらいたいとおっしゃってくださいました。地区でソフトボールとテニスくらいしかお付き合いの無かった私ですが、政治家以前の段階から若干ながら地域発展の為に力を注いできたという一面を理解してくれていたものと思います。私の活動にも常に関心をお持ちで、最も新しいところでは、消防署問題でした。西分署が救急ステーションとして存続することになった際、私のブログだか市政報告をご覧になって電話をくれたのです。曰く「救急車が残るだけでも地域にとっては願ってもないことです。ありがとうございました」と。
 生涯忘れてはならない方。残念無念の極み・・・そんな恩人の死です。
 慎んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
 なお、葬儀はプリエ幸手で執り行われます。

 <通 夜>19日午後6時  
 <告別式>20日午前9時

ページ移動